果てない道。@ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌
2013年2月17日 タカラヅカ こわい、と、すごい、は同じかもしれない。
12時公演で喉を痛めたまっつは、その日の16時公演で、ずいぶん回復していた。
台詞声はほぼ問題なし。そりゃあファンにはわかるし、「喉やっちゃったらしいよ」と予備知識のある人にはわかると思うけど、初見の人には気にならないレベルだろう。
12時公演であれだけの状態だったのに、たった1時間ちょっとでここまで持ち直してくる、って、どんだけ強引な手当をしたんだろう。その後の身体への影響よりも、今この瞬間を考えての治療をしたんだろうなと思った。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』は、ドラマシティ千秋楽前日に急転した。
16時公演では、まっつソロにはユニゾンのカゲコーラスが付けられていた。声量がない分の底上げ。
語りかけ系の歌は歌詞の朗読に。
それでも「かわらぬ思い」だけは絶対に歌っていた。
すごい気迫だった。
16時公演は初見の人と一緒だったんだけど、「まっつの調子が悪いことはわかるけれど、だからどうと思うほどではない、すごくいい公演だ、楽しい!」と言っていた。
初見の人が楽しめるくらいに、舞台として成立していたらしい。どこが歌で、それが台詞になっているとか、初見の人にはわかんないもんな。
翌日の17日、千秋楽はさらに舞台もまっつの調子も落ち着いていた。
台詞声なら問題なし。
怒鳴り芝居だった部分は変更。怒鳴るのではなく、鋭く太い言い方に変わっている。
あとは歌だけ。
オープニングの主題歌はカゲコ付きでソロ、ピノコへの最初の歌は歌詞朗読、2曲目はラストだけ台詞に変更、バイロンとの掛け合いはそのまま。1幕ラストは最初のソロにカゲコ(大きめ)付き、ピノコへの歌はカゲコ付きで少し歌い、半分は朗読、最後のソロは合唱になっていた。
2幕の2曲は最初だけ歌ってほとんど朗読(カゲコ有り)、芝居ラストの「かわらぬ思い」だけそのまま、フィナーレの方はカゲコ付き。
歌部分で、全力のフォローが付いていた。
また、歌詞の朗読にしても、表現として突破口を見つけた様子で、「最初からここは台詞ですがなにか?」的な突き抜け感があった。
芝居だけで言うならば、わたしの耳にするすべての人が「今の方がいい」と言っているように、アクシデント後の方がいい。
BJが怒鳴り散らす必要を感じていなかったんだ。怒鳴らないで怒りや苛立ちを表現する今の方がずーーっといい。
唯一物足りないと思うのは、飛行機に乗れずに自宅へ戻ってきたとき、不審な紙袋を不用意に手に取るピノコへ制止の声かな。あそこは怒鳴る方がピノコのリアクションも含め、説得力がある。
怒鳴った方が「らしい」ところで、怒鳴る代わりの声がやたらと「美声」でツボった。鋭い通る声を出すもんだから、無意味に美声(笑)。
なんとか、ドラマシティ公演は乗り切った。
しかし、中4日空けただけの青年館公演がどうなるかは、わからない。
不安を抱きつつも、無事に幕が下りたことに安堵する。
ただの安堵じゃない。
声が出なくなった回を観ている者としては、「よくぞここまで……!」という感動がある。
苦節15年、ようやく掴んだはじめての芝居での主演。はじめての東上。
あこがれたヤンさんの代表作、代表歌を、大好きな演出家の書き下ろしで演じる。タイトルロール、ヒロインも正2番手もいない(プログラムの写真掲載を基準とする)、まさに比重半端ナイ興行構成。
それでも堂々と主演を務め、好評価を得ていたときに。
自らのアクシデントでつまずく、って。
どんだけくやしいだろうと思う。
舞台人として、あってはならないこと。己れの不調で興行に水を差すなんて。
神ならぬ身だからアクシデントは起こりうる。それはわかった上で、やはり、あってはならないこと。
申し訳ないと思っていても、それを口に出すことは許されない。出演者は、観客に謝ってはならない。その方がはるかに失礼だ。
持てる限りの力を振り絞った。今できることのすべて、最上のものを見せた。それがライブ。たくさんの素材から編集し、「最高」にした映画ではないところ。
アクシデントごと生の舞台というものだと認識しているが、それにしたって、もっともつらいのはまっつ本人だろうと思う。
こんな千秋楽を迎えるとは、思ってなかった。
まっつの実力には安定と信頼しか抱いていないので、心配なのは作品が駄作かどうか、好みかどうか、だけだったもん。
『ロミオとジュリエット』で喉の調子が悪かったとは言え、ファルセットが出なかったのは数日、あとは調子が悪かろうがどうしようが、技術で歌いきっていた。
歌いまくり踊りまくりの初主演『インフィニティ』も問題なし。
熱があったという『フットルース』初日も、原作者に大絶賛される出来映え。
人間なんだから体調の上下はあるだろうが、まっつはそれに左右されない実力があった。多少の不調は、技術でカバーできた。観客にわからないレベルを保てる人だった。
そんな人が、技術でねじ伏せられないほどの不調になるなんて。
そこから、わずかの間に立て直した。
初見の人には「最初からこうですよ」と言えるほどに。
どんだけの精神力。
努力と覚悟。
まっつだけでなく、共演の雪っこたちも、よく演じきった。
すごいな。
ほんとうに、すごいと思う。
舞台がナマモノであるこわさ。
そして、舞台がナマモノである、すごさ。
人間の力の、すごさ。
舞台が総合芸術であり、人智の結集だっての、わかるわ……。
あらゆるものが、そこにある。詰まっている。
ただもお、固唾を呑んで、見守るばかり。
しかし千秋楽の日は、前日と違って、まっつはカテコでちゃんと通常通り喋っていた。
16日はいつもの「挨拶にプラスしてもうひとこと」が一切なかった。
感謝の言葉と、この公演を「やり遂げること」のみを口にしていた。
それが、楽の日は元通り、「プラスしてもうひとこと」を言っていたし、千秋楽のカテコではよく喋り、最後の緞帳前で「みなさんも流行らせてください、『バイバイロン』」としれっと言って引っ込むという、「まっつ!!」な姿を見せてくれた。
なんというか。
強い、人だ。
12時公演で喉を痛めたまっつは、その日の16時公演で、ずいぶん回復していた。
台詞声はほぼ問題なし。そりゃあファンにはわかるし、「喉やっちゃったらしいよ」と予備知識のある人にはわかると思うけど、初見の人には気にならないレベルだろう。
12時公演であれだけの状態だったのに、たった1時間ちょっとでここまで持ち直してくる、って、どんだけ強引な手当をしたんだろう。その後の身体への影響よりも、今この瞬間を考えての治療をしたんだろうなと思った。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』は、ドラマシティ千秋楽前日に急転した。
16時公演では、まっつソロにはユニゾンのカゲコーラスが付けられていた。声量がない分の底上げ。
語りかけ系の歌は歌詞の朗読に。
それでも「かわらぬ思い」だけは絶対に歌っていた。
すごい気迫だった。
16時公演は初見の人と一緒だったんだけど、「まっつの調子が悪いことはわかるけれど、だからどうと思うほどではない、すごくいい公演だ、楽しい!」と言っていた。
初見の人が楽しめるくらいに、舞台として成立していたらしい。どこが歌で、それが台詞になっているとか、初見の人にはわかんないもんな。
翌日の17日、千秋楽はさらに舞台もまっつの調子も落ち着いていた。
台詞声なら問題なし。
怒鳴り芝居だった部分は変更。怒鳴るのではなく、鋭く太い言い方に変わっている。
あとは歌だけ。
オープニングの主題歌はカゲコ付きでソロ、ピノコへの最初の歌は歌詞朗読、2曲目はラストだけ台詞に変更、バイロンとの掛け合いはそのまま。1幕ラストは最初のソロにカゲコ(大きめ)付き、ピノコへの歌はカゲコ付きで少し歌い、半分は朗読、最後のソロは合唱になっていた。
2幕の2曲は最初だけ歌ってほとんど朗読(カゲコ有り)、芝居ラストの「かわらぬ思い」だけそのまま、フィナーレの方はカゲコ付き。
歌部分で、全力のフォローが付いていた。
また、歌詞の朗読にしても、表現として突破口を見つけた様子で、「最初からここは台詞ですがなにか?」的な突き抜け感があった。
芝居だけで言うならば、わたしの耳にするすべての人が「今の方がいい」と言っているように、アクシデント後の方がいい。
BJが怒鳴り散らす必要を感じていなかったんだ。怒鳴らないで怒りや苛立ちを表現する今の方がずーーっといい。
唯一物足りないと思うのは、飛行機に乗れずに自宅へ戻ってきたとき、不審な紙袋を不用意に手に取るピノコへ制止の声かな。あそこは怒鳴る方がピノコのリアクションも含め、説得力がある。
怒鳴った方が「らしい」ところで、怒鳴る代わりの声がやたらと「美声」でツボった。鋭い通る声を出すもんだから、無意味に美声(笑)。
なんとか、ドラマシティ公演は乗り切った。
しかし、中4日空けただけの青年館公演がどうなるかは、わからない。
不安を抱きつつも、無事に幕が下りたことに安堵する。
ただの安堵じゃない。
声が出なくなった回を観ている者としては、「よくぞここまで……!」という感動がある。
苦節15年、ようやく掴んだはじめての芝居での主演。はじめての東上。
あこがれたヤンさんの代表作、代表歌を、大好きな演出家の書き下ろしで演じる。タイトルロール、ヒロインも正2番手もいない(プログラムの写真掲載を基準とする)、まさに比重半端ナイ興行構成。
それでも堂々と主演を務め、好評価を得ていたときに。
自らのアクシデントでつまずく、って。
どんだけくやしいだろうと思う。
舞台人として、あってはならないこと。己れの不調で興行に水を差すなんて。
神ならぬ身だからアクシデントは起こりうる。それはわかった上で、やはり、あってはならないこと。
申し訳ないと思っていても、それを口に出すことは許されない。出演者は、観客に謝ってはならない。その方がはるかに失礼だ。
持てる限りの力を振り絞った。今できることのすべて、最上のものを見せた。それがライブ。たくさんの素材から編集し、「最高」にした映画ではないところ。
アクシデントごと生の舞台というものだと認識しているが、それにしたって、もっともつらいのはまっつ本人だろうと思う。
こんな千秋楽を迎えるとは、思ってなかった。
まっつの実力には安定と信頼しか抱いていないので、心配なのは作品が駄作かどうか、好みかどうか、だけだったもん。
『ロミオとジュリエット』で喉の調子が悪かったとは言え、ファルセットが出なかったのは数日、あとは調子が悪かろうがどうしようが、技術で歌いきっていた。
歌いまくり踊りまくりの初主演『インフィニティ』も問題なし。
熱があったという『フットルース』初日も、原作者に大絶賛される出来映え。
人間なんだから体調の上下はあるだろうが、まっつはそれに左右されない実力があった。多少の不調は、技術でカバーできた。観客にわからないレベルを保てる人だった。
そんな人が、技術でねじ伏せられないほどの不調になるなんて。
そこから、わずかの間に立て直した。
初見の人には「最初からこうですよ」と言えるほどに。
どんだけの精神力。
努力と覚悟。
まっつだけでなく、共演の雪っこたちも、よく演じきった。
すごいな。
ほんとうに、すごいと思う。
舞台がナマモノであるこわさ。
そして、舞台がナマモノである、すごさ。
人間の力の、すごさ。
舞台が総合芸術であり、人智の結集だっての、わかるわ……。
あらゆるものが、そこにある。詰まっている。
ただもお、固唾を呑んで、見守るばかり。
しかし千秋楽の日は、前日と違って、まっつはカテコでちゃんと通常通り喋っていた。
16日はいつもの「挨拶にプラスしてもうひとこと」が一切なかった。
感謝の言葉と、この公演を「やり遂げること」のみを口にしていた。
それが、楽の日は元通り、「プラスしてもうひとこと」を言っていたし、千秋楽のカテコではよく喋り、最後の緞帳前で「みなさんも流行らせてください、『バイバイロン』」としれっと言って引っ込むという、「まっつ!!」な姿を見せてくれた。
なんというか。
強い、人だ。
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