それでも、輝くソウドレ。@ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-
2013年1月14日 タカラヅカ 壮さんは、大人になっていました。
『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』、えりたんアンドレ観てきました。
わたしの胸の中には、輝くソウドレがいるのです。
あの「てかーっ!」とか「ぴかーっ!」とか輝いていた、出てくるたび「どーんっ!!」というルフィの後ろの書き文字みたいのが浮かんでいる、ステキなステキな、愉快なイキモノ・ソウカズホです。
そのイメージが強すぎたので、最初かなりとまどいました。
ぶっちゃけ、がっかりしました。
たかだか6年前は、あんなにあんなに、出てくるだけで、そこにいるだけで、腹がよじれるほど笑えたのに。
笑えません。
当時の破壊力は、今の壮くんにはありませんでした。
……大人になっちゃったんだなあ。
キャリエールができるくらいだもんなあ。
だけど。
ソウカズホは、ソウカズホです。ジャンル「壮一帆」ですとも。
いやあ、いい「アンドレ」でした。
なにから語ればいいんだろう。えりたんのアンドレは魅力的過ぎる(笑)。←
なんつっても、『ベルばら』の申し子、ここにあり。
えりたんは、アンドレでした。
なんの問題もなく、違和感もなく、ただひたすらアンドレでした。
てゆーか、本役さんだよね? 3日間だけの特出さんじゃないよね?
たとえばらんとむさんは、彼自身がアンドレキャラで、ハマリ役です。「こんならんとむが見たかった!」と「こんなアンドレが見たかった!」がイコールになります。
だからもちろん、とびきりステキなアンドレでした。
でも、らんとむアンドレはあくまでも「特出」、3日間だけのスペシャルゲストです。
彼には「非日常」のわくわく感、「お祭りだー!」という特別感がありました。
しかし、えりたんにはソレがないのです。
ちっとも、特別じゃない。
てゆーかコレ、ふつーだよね? これが平常運転、当たり前だよね?
特出で月組さんにゲストしている、というよりも、えりたんの『ベルばら』に、月組さんがゲスト出演している感じ。
えりたんだけが、植爺歌舞伎『ベルばら』を自然に呼吸しているの。
で、まさおはじめ月組さんは、植爺歌舞伎になじまなくて、まだ『ベルばら』を呼吸できてなくて、必死にカタチを作ろうとあがいているの。
えりたんと『ベルばら』が、まず雛形としてあって、あとから月組さんが来たみたい。
馴染み方が、逆なのよ。
らんとむも月組で浮いていたけれど、それとはまた意味が違うの。
らんとむは、らんとむだけが浮いていた。
えりたんは、『ベルばら』ごと、月組と乖離しているの。
おもしれー。
もー、めちゃくちゃおもしれー!
まさおの植田芝居のヘタさが特別なのかもしれないけど、それにしてもすごいわー。
植田歌舞伎をやろうとして自爆しているまさお、植田歌舞伎を自然に呼吸するえりたん。
このふたりが愛し合うんですよ?(笑)
昭和時代の劇画調アンドレが、現代の萌えコミック調のオスカルを抱きしめて髪を撫でてますよ。主線の太さが確実に3倍チガウ……。
なんか、オスカルがかわいかったです。
まさおのオスカルはいろいろ間違ってるってゆーかツッコミどころありすぎなんだけど、それらを超えて、なんか、かわいかったです。
えりたんアンドレが「これでもかとアンドレ」なので、まさおオスカルがブレていても、「問題なし!」な感じ。
大人になったえりたんだけど、基本のえりたんらしさは変わっていない。
アンドレはいつも、幸福そうだ。
苦悩しているらしいけど、このアンドレさん、苦悩なんか苦にしてない(笑)。
「報われぬ恋」に悩むのも、たぶん、愉しんでる。
ある意味自己完結しているというか。
一生片想いでも、満足してそうだなあ。つか、絶対胸張って「しあわせだ!」って言いそう。
壮くんだもん、人生楽しいよね。
苦悩も荒波も奈落も、てかーっ! ぴかーっ! と謎の光り方して、やり過ごしちゃうよね。
独特のリズムを刻んで人生を踊っている。
その浮き世離れしたところが、植田歌舞伎に似合うわけだし、また、タカラジェンヌとしてファンタジーを形成する。
ステキです、えりたん。
また、現在の月組において、えりたんの「優男スキル」がいいコントラスト。
アンドレとアランは、「びんぼー組色男」という共通点がある。アンドレはどの大貴族より豪華絢爛な衣装を着ているが、台詞の上だけで「平民」と言われているし、アランは「貴族」とわざわざ前置きされるのにそれ以外では「平民」扱い。
だから立ち位置的に、「大貴族のオスカル様とはつりあわない立場」の「頼れる色男」と、同一カテゴリに分類される。
この同じカテゴリってのが、ポイント。
もちろんアンドレとアランはまったくキャラクタがチガウ。
アンドレは「控えめで思慮深い」と(原作では)されているし、アランは荒くれ者だ。
しかし、フェルゼンとジェローデルが同カテゴリで似てくるように、アンドレとアランも、似てくるんだよな。植爺の演出の限界ゆえに。
らんとむアンドレのとき、マギーアランとの「濃い男対決!」的なものがあった。
ふたりとも濃ゆくガタイのいい男たちなので、色味がかぶるのなー。
それに対し、えりたんアンドレはわかりやすく、優男。
マギーアランとの差別化ばっちり。アランに「お嬢ちゃんが好きそうなイケメン」呼ばわれされるに相応しい、王子さま系の外見。
マギーに懇願する場面とか、芝居はともかく、見た目の相性はいいなと思った。キャラがかぶらない、のは重要なファクタですよ。
いやもー、ほんとにおもしろかった。
で。
実はいちばん笑いツボ直撃されたのは、アンドレが軍服を着て最初に表れる場面。
最初の衛兵隊の場面が終わり、オスカルがアランとの決闘に勝った、そのあとね。
えりたんは、ふつーに「オスカルーー!」と走って現れた。
ふつーだ! ふつーに来た!!
……何故、「ふつーだ」とウケるのか?
らんとむが、ふつーでなかったためだ。
らんとむアンドレは、自分で、マントを広げて走ってきたんだ。
マントをわざわざ手で持って、大きくはためかして走ってくるアンドレ!!
軍人でもないくせに、大貴族様よりはるかに豪華な、キラキラの私製軍服を着て、大仰なマントを着けている……だけでも噴飯ものなのに、わざわざ手を伸ばしてマントを広げている……って、カンチガイ極まれり!
ハリセンでどつきたくなったもん(笑)。
植爺のこだわりだとか、スズキケイの指示なんだと思って、シンプルにあきれていたの。どこまでもアンドレを痛いキャラにする気なんだなと。
アンドレのいちばん痛い場面は、毒殺ストーカー殺人未遂よりなにより、このマントはためかし登場だなと思い、えりたんでこの場面を見られることを、楽しみにしていた(笑)。
なのに、えりたんはふつーだった。マントを手で持ったりしない。ただ、走ってきただけ。
てことは、演出家指示でも演出でもない。
あれは、らんとむさん個人の演技。(白目)
……笑いツボ、入りました……。
らんとむ……(笑)。
や、素晴らしいです。
『ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-』、えりたんアンドレ観てきました。
わたしの胸の中には、輝くソウドレがいるのです。
あの「てかーっ!」とか「ぴかーっ!」とか輝いていた、出てくるたび「どーんっ!!」というルフィの後ろの書き文字みたいのが浮かんでいる、ステキなステキな、愉快なイキモノ・ソウカズホです。
そのイメージが強すぎたので、最初かなりとまどいました。
ぶっちゃけ、がっかりしました。
たかだか6年前は、あんなにあんなに、出てくるだけで、そこにいるだけで、腹がよじれるほど笑えたのに。
笑えません。
当時の破壊力は、今の壮くんにはありませんでした。
……大人になっちゃったんだなあ。
キャリエールができるくらいだもんなあ。
だけど。
ソウカズホは、ソウカズホです。ジャンル「壮一帆」ですとも。
いやあ、いい「アンドレ」でした。
なにから語ればいいんだろう。えりたんのアンドレは魅力的過ぎる(笑)。←
なんつっても、『ベルばら』の申し子、ここにあり。
えりたんは、アンドレでした。
なんの問題もなく、違和感もなく、ただひたすらアンドレでした。
てゆーか、本役さんだよね? 3日間だけの特出さんじゃないよね?
たとえばらんとむさんは、彼自身がアンドレキャラで、ハマリ役です。「こんならんとむが見たかった!」と「こんなアンドレが見たかった!」がイコールになります。
だからもちろん、とびきりステキなアンドレでした。
でも、らんとむアンドレはあくまでも「特出」、3日間だけのスペシャルゲストです。
彼には「非日常」のわくわく感、「お祭りだー!」という特別感がありました。
しかし、えりたんにはソレがないのです。
ちっとも、特別じゃない。
てゆーかコレ、ふつーだよね? これが平常運転、当たり前だよね?
特出で月組さんにゲストしている、というよりも、えりたんの『ベルばら』に、月組さんがゲスト出演している感じ。
えりたんだけが、植爺歌舞伎『ベルばら』を自然に呼吸しているの。
で、まさおはじめ月組さんは、植爺歌舞伎になじまなくて、まだ『ベルばら』を呼吸できてなくて、必死にカタチを作ろうとあがいているの。
えりたんと『ベルばら』が、まず雛形としてあって、あとから月組さんが来たみたい。
馴染み方が、逆なのよ。
らんとむも月組で浮いていたけれど、それとはまた意味が違うの。
らんとむは、らんとむだけが浮いていた。
えりたんは、『ベルばら』ごと、月組と乖離しているの。
おもしれー。
もー、めちゃくちゃおもしれー!
まさおの植田芝居のヘタさが特別なのかもしれないけど、それにしてもすごいわー。
植田歌舞伎をやろうとして自爆しているまさお、植田歌舞伎を自然に呼吸するえりたん。
このふたりが愛し合うんですよ?(笑)
昭和時代の劇画調アンドレが、現代の萌えコミック調のオスカルを抱きしめて髪を撫でてますよ。主線の太さが確実に3倍チガウ……。
なんか、オスカルがかわいかったです。
まさおのオスカルはいろいろ間違ってるってゆーかツッコミどころありすぎなんだけど、それらを超えて、なんか、かわいかったです。
えりたんアンドレが「これでもかとアンドレ」なので、まさおオスカルがブレていても、「問題なし!」な感じ。
大人になったえりたんだけど、基本のえりたんらしさは変わっていない。
アンドレはいつも、幸福そうだ。
苦悩しているらしいけど、このアンドレさん、苦悩なんか苦にしてない(笑)。
「報われぬ恋」に悩むのも、たぶん、愉しんでる。
ある意味自己完結しているというか。
一生片想いでも、満足してそうだなあ。つか、絶対胸張って「しあわせだ!」って言いそう。
壮くんだもん、人生楽しいよね。
苦悩も荒波も奈落も、てかーっ! ぴかーっ! と謎の光り方して、やり過ごしちゃうよね。
独特のリズムを刻んで人生を踊っている。
その浮き世離れしたところが、植田歌舞伎に似合うわけだし、また、タカラジェンヌとしてファンタジーを形成する。
ステキです、えりたん。
また、現在の月組において、えりたんの「優男スキル」がいいコントラスト。
アンドレとアランは、「びんぼー組色男」という共通点がある。アンドレはどの大貴族より豪華絢爛な衣装を着ているが、台詞の上だけで「平民」と言われているし、アランは「貴族」とわざわざ前置きされるのにそれ以外では「平民」扱い。
だから立ち位置的に、「大貴族のオスカル様とはつりあわない立場」の「頼れる色男」と、同一カテゴリに分類される。
この同じカテゴリってのが、ポイント。
もちろんアンドレとアランはまったくキャラクタがチガウ。
アンドレは「控えめで思慮深い」と(原作では)されているし、アランは荒くれ者だ。
しかし、フェルゼンとジェローデルが同カテゴリで似てくるように、アンドレとアランも、似てくるんだよな。植爺の演出の限界ゆえに。
らんとむアンドレのとき、マギーアランとの「濃い男対決!」的なものがあった。
ふたりとも濃ゆくガタイのいい男たちなので、色味がかぶるのなー。
それに対し、えりたんアンドレはわかりやすく、優男。
マギーアランとの差別化ばっちり。アランに「お嬢ちゃんが好きそうなイケメン」呼ばわれされるに相応しい、王子さま系の外見。
マギーに懇願する場面とか、芝居はともかく、見た目の相性はいいなと思った。キャラがかぶらない、のは重要なファクタですよ。
いやもー、ほんとにおもしろかった。
で。
実はいちばん笑いツボ直撃されたのは、アンドレが軍服を着て最初に表れる場面。
最初の衛兵隊の場面が終わり、オスカルがアランとの決闘に勝った、そのあとね。
えりたんは、ふつーに「オスカルーー!」と走って現れた。
ふつーだ! ふつーに来た!!
……何故、「ふつーだ」とウケるのか?
らんとむが、ふつーでなかったためだ。
らんとむアンドレは、自分で、マントを広げて走ってきたんだ。
マントをわざわざ手で持って、大きくはためかして走ってくるアンドレ!!
軍人でもないくせに、大貴族様よりはるかに豪華な、キラキラの私製軍服を着て、大仰なマントを着けている……だけでも噴飯ものなのに、わざわざ手を伸ばしてマントを広げている……って、カンチガイ極まれり!
ハリセンでどつきたくなったもん(笑)。
植爺のこだわりだとか、スズキケイの指示なんだと思って、シンプルにあきれていたの。どこまでもアンドレを痛いキャラにする気なんだなと。
アンドレのいちばん痛い場面は、毒殺ストーカー殺人未遂よりなにより、このマントはためかし登場だなと思い、えりたんでこの場面を見られることを、楽しみにしていた(笑)。
なのに、えりたんはふつーだった。マントを手で持ったりしない。ただ、走ってきただけ。
てことは、演出家指示でも演出でもない。
あれは、らんとむさん個人の演技。(白目)
……笑いツボ、入りました……。
らんとむ……(笑)。
や、素晴らしいです。
コメント