で、恭太郎さん@まっつって、ラストどうなったんだと思います?
龍馬@ちぎくんを守るために戦い、斬られて。
龍馬が斬られるところまで見て、なんかすげー「クライマックス!」って感じにあえいで暗転しますよね。
わたしは、「贔屓の死に芝居って見たことないわ」という人で、「今度こそ見られるかも。仁@キムくんの腕の中で息絶えるまっつを見られるかも」とワクテカしていたので、初日はがっくりと肩を落としました。
なーんだ、死んでないじゃん。
生き残るのかー。
わたしにとっての「恭太郎の死」ってのは、仁先生の腕の中で云々、だったもので(笑)。
でも、次に観たときは「あれ? 死んでるかな?」と思った。
原作は死んでるキャラだしなー。ドラマの方で生き残っていたのは、出番も見せ場もエピソードも、みんな削られた結果、死ぬ必要もなかった、って感じだったもんなー。
ここまでがっつり描かれていたら、死んでるかそりゃ。
結果的に死んでいる、んだと思うようになった。
でも、舞台の上でちゃんと死んでいるわけじゃないので、やっぱ「贔屓の死に芝居」を見たという気はしていない……。
やっぱ「ガクリっ」てのを見ないことにはなー、見た、っつー気になれないよなー。
死んでるんだろうな、とは思ったけど、わたし的には生きてる方が好みです。
龍馬@ちぎくんの死を自分の責任だと、一生背負って生きればいい。
あの性格だから、苦しみますよ~~。苦悩の日々ですよ~~。や~~、楽しいだろソレ、萌えるだろソレ(笑)。
実際問題、仁は消え、龍馬も刺客たちも死に、自分も斬られてケガをした状態で、死体ゴロゴロの中にただひとり生き残る咲さん@みみちゃんが悲惨すぎるので、恭太郎には生き残って欲しいです。
兄上に息があれば、咲さんは医者見習い、治療道具は仁の荷物にあるだろうし、必死になって兄上を手当するだろうさ。それで兄上、助かるんじゃないか?
恭太郎の治療、という当座の目的があれば、咲さんはなんとか心を強く持てるだろうし。
恭太郎は結果的に長生きはしない、明治維新と共に果てるタイプだと思うけど、あの場で死ぬのはいろいろとNGじゃないかな。
てのが、わたしの見解だったわけですが。
未涼亜希『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』お茶会にて、「最後、恭太郎さんはどうなったんですか? かなり重傷のようですが」という質問に対し、恭太郎さんの中の人は……。
「生きてると思う人ー。このまま明治の世を生きたと思う人ー。……死んだと思う人ー」
と、質問に質問で返し、客席に、答えを求めた……。
マイク両手で握って、大きな目で客席見回して。
その答え合わせよりなにより、この話題のときのまっつの顔が、興味深くて。
真面目で、探るような、疑うような、なんともいえない顔で話す。
ぶっちゃけ、こわい(笑)。1対1だったら、謝ってる。なにに対して謝るのかわかんないけど、ごめんなさいなキモチになる。
まっつの表情口調からは、「死んでいる」が正解なんだろうと思えた。
ここで「生き残った」と答えたら、怒られそうだ。そう思っていたとしても、勇気のある返答になるぞ。
実際、「死んでいる」に手を上げる人が圧倒的。
わたしも、そっちに手を上げた。や、あれは死んでるでしょう。上記の通り、生きている方が好みだし、「ガクリっ」てのがないと「死に演技を見た」にカウントできないけど、暗転のあと死んでるよなーと。
だからまっつの答え、「サイトー先生からは、『生きてるのか死んでいるのかわからないようにしたい』と言われた」が、意外だった。
えええ、そうなの? サイトーくん、そんなこと考えてたの?
観客の想像の余地、ってやつらしい。
たしかに、わたしなんかは「生きてる方が萌え」だと思うわけだしな。
演出家としては正しいんだけど、サイトーくんがそんな、演出家として正しいことをするなんて意外。(齋藤先生をなんだと思ってるんだ)
と、演出家の答えを言っておいて。
「でも私としては、死にますね」
ばっさり。
この「死にますね」の言い方が超まっつ、超ツボった。
私なら死にますね、だったかな、でもなんかしら文章的には変で、それゆえにおかしい言い方だった。
6年前に死んでいたはずの命だから、結果的に死ぬ運命だったんだと。
6年だけでも長く生きられて良かったのだと。
そういう意味のことを話していた。
だからまっつ的には、死んでるそうだ、ラスト。
そのおまけの6年があったから、茜ちゃん@さらさちゃんと恋が出来たのではないか、と話を聞きながら思ったんだけど、司会者さんは突っ込んでくれず。
つか、茜ちゃんの話、一切なかった……。何故だ、司会者さん。
あのクソ恥ずかしくも初々しい「初恋銀橋デート」なんか、お茶会でいじるネタとして最適だろーになー。
『ドン・カルロス』のとき、奥さん絡み(指輪関連)の話題でまっつをいじり過ぎて、ストップかかったのかなあ(笑)。
ラストが死んでるのかどうかより、茜ちゃんの話の方が聞きたかったし、死んでるのかどうかより、観客がどう思って見ているのかを知りたがるまっつ、が興味深かった。
あのこわい雰囲気で客席見回して「死んだと思う人ー」となげやりに語尾を伸ばしてくる、あの聞き方!!
これはもお、文章だけでは伝わらないだろう、快感に浸れる瞬間だ(笑)。
未涼亜希、って、面白い人だと思う。
サービス精神旺盛でもないし、ホストに徹してお客様をもてなします、笑わせます、という気合いもないし、かといってファンを軽んじているわけでもない。
飾るでなし作るでなし、とても自然体に、ぶっきらぼうに、ある意味Sに、そしてなんかもーめちゃくちゃかわいく、存在している。
や、わたしの目にそう映る、ってだけで、真実がどうとか、他の人の目にどう映っているかなどは、まったくわかりませんが。
役者バカなのかなあ、と思う。
自分の芝居について、舞台の上でのことについて、語る言葉も意義も見いだせない、感じ。
彼が「伝える」のは舞台の上のみで、こういったトークの場ではないんだろう。
なにしろ、ショーの赤鳥の場面。
ここって日替わりというか、見るたびにまっつの演技が変わっていて、ファンとしてはもっとも食いつくところである。
「今日は**バージョンだった」「今回は**だった」と毎回感想を言い合うような。
よほどなにかしらこだわりが、意気込みがあるのかと思えば。
赤鳥の日替わり演技について、どういう意気込みで演じているのか、てな質問に。
まつださん、「え?!」って、マジに驚愕して、言葉を失っていた。
ナニも考えてなくて、アレなのか!!
赤鳥は、確実に毎回違います。日替わり、回変わりです、赤鳥さんの性格が、出来事に対するリアクション、心の動きがいちいち違います。
なのに中の人、無意識です。
いやあ、たまらんわー。
ほんとにこの人、役者バカなんだー。
あんだけ舞台で「生きて」いながら、本人わかってないとか。
生きる、って言葉、ナマ、って言葉でもあるんだよね。
未涼亜希って、ナマでそこで存在しているんだ。そのときそのときに、ナマの感覚で、たしかに「生きて」いる。
それは計算して作るものじゃない。
彼自身は、「赤鳥の場面は人数が多いから、位置や動線がきっちり決まっていて、周囲の迷惑になるから勝手に暴れたり出来ない」的な約束事、動きや段取りの計算をしながら舞台にいるのだとしても。
そういった基本部分以外のところで、無意識に「生きて」いる。
質問されて、ふつーに「なにも考えてない、段取りがどうこう」てな話をはじめ、客席が驚愕しているのに気づき、「えっ?!」と驚愕して言葉を切る、その姿が楽しすぎる。
本気でわかってない、そのナチュラルさがすごい。
で、「ここはひとつ、ものすごく考えて計算して、日替わりでなんかしらやってますよ、ふふふ、と答えるのが正しかったのか? ……でもチガウんだよなー」てな反応を見せる、回転の良さがまた、素敵。
面白い、興味深い人。
万人向きのエンターテイナーではないけれど、濃い魅力を持った人。
龍馬@ちぎくんを守るために戦い、斬られて。
龍馬が斬られるところまで見て、なんかすげー「クライマックス!」って感じにあえいで暗転しますよね。
わたしは、「贔屓の死に芝居って見たことないわ」という人で、「今度こそ見られるかも。仁@キムくんの腕の中で息絶えるまっつを見られるかも」とワクテカしていたので、初日はがっくりと肩を落としました。
なーんだ、死んでないじゃん。
生き残るのかー。
わたしにとっての「恭太郎の死」ってのは、仁先生の腕の中で云々、だったもので(笑)。
でも、次に観たときは「あれ? 死んでるかな?」と思った。
原作は死んでるキャラだしなー。ドラマの方で生き残っていたのは、出番も見せ場もエピソードも、みんな削られた結果、死ぬ必要もなかった、って感じだったもんなー。
ここまでがっつり描かれていたら、死んでるかそりゃ。
結果的に死んでいる、んだと思うようになった。
でも、舞台の上でちゃんと死んでいるわけじゃないので、やっぱ「贔屓の死に芝居」を見たという気はしていない……。
やっぱ「ガクリっ」てのを見ないことにはなー、見た、っつー気になれないよなー。
死んでるんだろうな、とは思ったけど、わたし的には生きてる方が好みです。
龍馬@ちぎくんの死を自分の責任だと、一生背負って生きればいい。
あの性格だから、苦しみますよ~~。苦悩の日々ですよ~~。や~~、楽しいだろソレ、萌えるだろソレ(笑)。
実際問題、仁は消え、龍馬も刺客たちも死に、自分も斬られてケガをした状態で、死体ゴロゴロの中にただひとり生き残る咲さん@みみちゃんが悲惨すぎるので、恭太郎には生き残って欲しいです。
兄上に息があれば、咲さんは医者見習い、治療道具は仁の荷物にあるだろうし、必死になって兄上を手当するだろうさ。それで兄上、助かるんじゃないか?
恭太郎の治療、という当座の目的があれば、咲さんはなんとか心を強く持てるだろうし。
恭太郎は結果的に長生きはしない、明治維新と共に果てるタイプだと思うけど、あの場で死ぬのはいろいろとNGじゃないかな。
てのが、わたしの見解だったわけですが。
未涼亜希『JIN-仁-』『GOLD SPARK!』お茶会にて、「最後、恭太郎さんはどうなったんですか? かなり重傷のようですが」という質問に対し、恭太郎さんの中の人は……。
「生きてると思う人ー。このまま明治の世を生きたと思う人ー。……死んだと思う人ー」
と、質問に質問で返し、客席に、答えを求めた……。
マイク両手で握って、大きな目で客席見回して。
その答え合わせよりなにより、この話題のときのまっつの顔が、興味深くて。
真面目で、探るような、疑うような、なんともいえない顔で話す。
ぶっちゃけ、こわい(笑)。1対1だったら、謝ってる。なにに対して謝るのかわかんないけど、ごめんなさいなキモチになる。
まっつの表情口調からは、「死んでいる」が正解なんだろうと思えた。
ここで「生き残った」と答えたら、怒られそうだ。そう思っていたとしても、勇気のある返答になるぞ。
実際、「死んでいる」に手を上げる人が圧倒的。
わたしも、そっちに手を上げた。や、あれは死んでるでしょう。上記の通り、生きている方が好みだし、「ガクリっ」てのがないと「死に演技を見た」にカウントできないけど、暗転のあと死んでるよなーと。
だからまっつの答え、「サイトー先生からは、『生きてるのか死んでいるのかわからないようにしたい』と言われた」が、意外だった。
えええ、そうなの? サイトーくん、そんなこと考えてたの?
観客の想像の余地、ってやつらしい。
たしかに、わたしなんかは「生きてる方が萌え」だと思うわけだしな。
演出家としては正しいんだけど、サイトーくんがそんな、演出家として正しいことをするなんて意外。(齋藤先生をなんだと思ってるんだ)
と、演出家の答えを言っておいて。
「でも私としては、死にますね」
ばっさり。
この「死にますね」の言い方が超まっつ、超ツボった。
私なら死にますね、だったかな、でもなんかしら文章的には変で、それゆえにおかしい言い方だった。
6年前に死んでいたはずの命だから、結果的に死ぬ運命だったんだと。
6年だけでも長く生きられて良かったのだと。
そういう意味のことを話していた。
だからまっつ的には、死んでるそうだ、ラスト。
そのおまけの6年があったから、茜ちゃん@さらさちゃんと恋が出来たのではないか、と話を聞きながら思ったんだけど、司会者さんは突っ込んでくれず。
つか、茜ちゃんの話、一切なかった……。何故だ、司会者さん。
あのクソ恥ずかしくも初々しい「初恋銀橋デート」なんか、お茶会でいじるネタとして最適だろーになー。
『ドン・カルロス』のとき、奥さん絡み(指輪関連)の話題でまっつをいじり過ぎて、ストップかかったのかなあ(笑)。
ラストが死んでるのかどうかより、茜ちゃんの話の方が聞きたかったし、死んでるのかどうかより、観客がどう思って見ているのかを知りたがるまっつ、が興味深かった。
あのこわい雰囲気で客席見回して「死んだと思う人ー」となげやりに語尾を伸ばしてくる、あの聞き方!!
これはもお、文章だけでは伝わらないだろう、快感に浸れる瞬間だ(笑)。
未涼亜希、って、面白い人だと思う。
サービス精神旺盛でもないし、ホストに徹してお客様をもてなします、笑わせます、という気合いもないし、かといってファンを軽んじているわけでもない。
飾るでなし作るでなし、とても自然体に、ぶっきらぼうに、ある意味Sに、そしてなんかもーめちゃくちゃかわいく、存在している。
や、わたしの目にそう映る、ってだけで、真実がどうとか、他の人の目にどう映っているかなどは、まったくわかりませんが。
役者バカなのかなあ、と思う。
自分の芝居について、舞台の上でのことについて、語る言葉も意義も見いだせない、感じ。
彼が「伝える」のは舞台の上のみで、こういったトークの場ではないんだろう。
なにしろ、ショーの赤鳥の場面。
ここって日替わりというか、見るたびにまっつの演技が変わっていて、ファンとしてはもっとも食いつくところである。
「今日は**バージョンだった」「今回は**だった」と毎回感想を言い合うような。
よほどなにかしらこだわりが、意気込みがあるのかと思えば。
赤鳥の日替わり演技について、どういう意気込みで演じているのか、てな質問に。
まつださん、「え?!」って、マジに驚愕して、言葉を失っていた。
ナニも考えてなくて、アレなのか!!
赤鳥は、確実に毎回違います。日替わり、回変わりです、赤鳥さんの性格が、出来事に対するリアクション、心の動きがいちいち違います。
なのに中の人、無意識です。
いやあ、たまらんわー。
ほんとにこの人、役者バカなんだー。
あんだけ舞台で「生きて」いながら、本人わかってないとか。
生きる、って言葉、ナマ、って言葉でもあるんだよね。
未涼亜希って、ナマでそこで存在しているんだ。そのときそのときに、ナマの感覚で、たしかに「生きて」いる。
それは計算して作るものじゃない。
彼自身は、「赤鳥の場面は人数が多いから、位置や動線がきっちり決まっていて、周囲の迷惑になるから勝手に暴れたり出来ない」的な約束事、動きや段取りの計算をしながら舞台にいるのだとしても。
そういった基本部分以外のところで、無意識に「生きて」いる。
質問されて、ふつーに「なにも考えてない、段取りがどうこう」てな話をはじめ、客席が驚愕しているのに気づき、「えっ?!」と驚愕して言葉を切る、その姿が楽しすぎる。
本気でわかってない、そのナチュラルさがすごい。
で、「ここはひとつ、ものすごく考えて計算して、日替わりでなんかしらやってますよ、ふふふ、と答えるのが正しかったのか? ……でもチガウんだよなー」てな反応を見せる、回転の良さがまた、素敵。
面白い、興味深い人。
万人向きのエンターテイナーではないけれど、濃い魅力を持った人。
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