「I’m Free」が好きだ。

 わたしが「ミュージカル」に求めるモノが、ここに凝縮されている。

 ふつーに芝居してりゃ済むものを、わざわざ歌う。踊る。
 その意味。

 テーマを表現するための、手段。
 そこ、にたどり着くための道。方法。
 それが、歌であり、ダンスである。

 その場面で表現するもののタイプにもよるが、「描きたいテーマ」に対する、ほんとうの「最上級の表現」がぴたりとハマったときって、魂が、湧き立つ。

 それは個人の感覚によるモノだから、わたしにとっての「最上級」が他人にとっても同じかどうかは、わからない。
 ただ、「ミュージカル」という表現媒体は、うまくハマったときわたしにとてつもない快感を与えてくれる。

 たとえそれが、悲しみの場面であっても、恐怖の場面であっても、幸福だとか癒しだとか、おだやかな場面であっても。
 魂が、沸き立つ。
 細胞がぐつぐつ煮えるのがわかる。
 五感すべてが叫びだし、踊り出すのを感じる。

 制御するのが、難しいくらい。

 大人だから、羞恥心あるから、必死に耐えるけど。
 わたしに理性がなく、本能だけのケモノだったら、まちがいなく立ち上がり、叫びだしている。
 ……そんな感覚。

 や、滅多にないけどね。
 まれに、ある。

 そして『フットルース』の1幕ラスト、「I’m Free」は、そういった場面なんだ。

 その場面のテーマと、曲と言葉とダンス、歌唱力とダンス力と演技力と、ビジュアルとストーリーとキャラクタが、完璧にマッチした。
 フィクションを愉しむ、ミュージカルを愉しむ、すべてのベクトルが正しく重なり、ひとつの高見に向かって駆け上り、爆発した。

 快感。

 それは、快感だ。

 わたしのすべてが叫び出す。
 立ち上がり、叫びたい。
 そう、踊り出したい。

 Footloose……解き放たれるとは、こういう気分なのか。

 や、物語のテーマを、理屈ではない部分で、体感できるの。
 アタマで考えるのではなく、細胞にたたき込まれる感じ。


 正しく、まっすぐな少年が言う。

「町議会とも闘うさ。自由のために!」

 過去の傷にとらわれ、うつむくこと、あきらめることしか出来なかった者たちに。
 長いものに巻かれてあきらめて、不満を抱きながらも楽をすることしか考えなかった者たちに。
 現実から目を背け、逃げ出すことしか考えない者たちに。

 拳を握ってみせる。

 「闘う」という方法があることを示す。

「I’m Free!」

 胸を張って。うつむくのでなくあきらめるのでなく逃げ出すのではなく。
 自分自身に、叫べ。

「神様に聞こえるように!」

 檻を破る音。
 走り出す音。

 世界が、割れる音。

 少年たちの声が、ひとつになり、ダンスがはじまる。
 それまではレン@キムひとりの歌だった。
 それがみんなの合唱になり、同時にダンスもはじまる。彼らの「決意」が「行動」になる。心がアクションにつながる。
 それが「ミュージカル」。

 力強いダンス。
 アクロバティックな振付。
 女性には難しいんじゃ、てな筋力必要なことを、キムくんたち男子がダイナミックにこなし、観客を感嘆させる。さらに、彼らの輪の外側に、ピンスポが当たる。浮かび上がるのはダイアン@あゆみ、サラ@ひーこ。雪組を代表するダンサーふたりが、パワフルにダンスソロを決める。
 この流れ!

 殻を割らなければ、雛は生まれることが出来ない。

 今ある世界を壊さなければ、新しい世界は創造できない。

 殻を壊し、古い世界を壊す。
 それは、若者の力。彼らに与えられた権利。……そして、使命。

 ひとは、生まれなければならないんだ。

 だから苦しくても、こわくても、進め、前へ。


 まるで戦車のように隙なく固まる若者たちの上方に、「敵」が立つ。
 彼らが反乱の旗を揚げれば、必ず制圧しに来るだろうとわかっていた強大な敵……ラスボスが現れる。

 揺るぎない力で、反乱を叩きつぶすことを宣言する。

 いやもおそりゃ、この闘いの過酷さ、これからはじまるドラマの波乱を予感させて。

 このラスボス登場!!の演出に、ぞくぞくする。

 この敵……物語のラスボスであるムーア牧師@まっつは、「悪」としての台詞を吐かない。
 彼が口にするのはあくまでも「正道」だ。
「我々は正しき道を歩まねばならない」

 「正しい」大人へ、「正しい」子どもたちが、闘いを挑む。

 悪などない。
 退治していい悪者がいるのは、テレビの中だけ。
 ここは現実、わたしたちの世界。
 ヒーローもいないし、悪もいない。

 だから、拳を握り、声を上げる。
 ヒーローでない、ごくふつーのわたしたちが、拳を握るんだ。
 自分で、自分の信じたモノのために闘うんだ。

 自分の力で。
 自分の責任で。

「I’m Free」
 叫ぶんだ。


 この三重唱が、すごい。
 「自由を手に入れろ」と歌う子どもたち、ミサの曲を歌う大人たち、ただひとりで「正しき道」を歌うムーア。

 確固たる意志を歌う子どもたち、他人の言葉を歌う大人たち。
 そのコーラスの中、ひとり響くムーアの声。「正義」のもと、すべての意志を押さえ込む、威圧する声。

 やがて子どもたちのコーラスの中から、ひとりの声が明確に響き出す。

 それまでひとりだったムーアの声を塗りつぶすように。入れ替わるように。

「掴み取る 人生を」……レンの声。

 そして全員の叫び、「I’m Free」で暗転、幕。


 この演出が、かっこよすぎる。
 これぞ、ミュージカルだ。

 血湧き、肉躍る。
 じっとしてなんかいられない。

 すごいもん見た。すごいものを見たんだ、見ているんだ!
 その幸福な興奮。


 カッコイイ。
 それだけで、涙が出る。


 レン@キムくんが、すごすぎる。
 芝居もダンスもビジュアルも。

 そしてなんといっても、歌声が。

 ひとは、出会いによって成長する。
 舞台人は、舞台に出会い、役に出会い、成長する。

 キムくんは間違いなく、この作品と役に出会うことで、大きく成長した。

 もともとうまい人で、なんでも出来る人だったけれど、ここに来てまた、大きく変貌した。

 タカラヅカのトップスターという特殊な立場は、やはり数年経験しないといけないんだろう。
 ただのポジションではないからだ。
 この位置でしか出会えないナニかと出会い、さらに上のステージへ行くんだ……トップスターって。
 トップになり、そこでさらに変わるんだ。成長するんだ。

 音月桂は、ここからはじまるのだろう。

 それがわかるだけに、くやしい。
 何故、待てなかったのかと。
 これからこそ彼は、新しい世界を、円熟した魅力を見せてくれただろうに。

 「I’m Free」は、キムくんなくしては、存在できなかった場面だ。

 これほどまでに「ミュージカル」なものを見せてもらえた。
 その幸福感に酔う。

 大好きだ、「I’m Free」。

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