羽化。@大空祐飛ラストデイ
2012年7月1日 タカラヅカ タカラヅカの醍醐味は、ただその舞台をそのとき1回だけ観るのではなく、団員の成長を見守ることにある。
生徒、と呼ばれる団員は、同じ組・同じメンバーと構成の舞台に立ち続けることで、成長していく。
長くファンを続けていけるのは、リアルな人生がそこにあるからだ。
舞台の上が、芸名のタカラジェンヌが虚構、作りものであろうと、それを創っている人たちは、生身だからだ。
2012年7月1日。
この日を最後に、ひとりのタカラジェンヌが卒業した。
1992年度入団だから、卒業時で研21。
わたしが知る限り、トップスター経験者としては、最長の在団年数。
わたしがゆーひくんを見はじめたのが1998年、研7のときから。
学年よりも、舞台上の「幼さ」が顕著だった。
舞台に対する姿勢?
なんで笑わないの? ぶすったれた顔で踊ってるの? 「クールというキャラ設定のため、プロ意識ゆえにあえて笑わない」ようには見えなかった。単に、素の感情がそのまま出ていると思った。
楽しそうにしているときと、そうでないときの差が激しかった。
中の人のことは知らないので、ほんとうはどうだったのかは、わからない。
でもそんなのどの舞台人も同じ。
問題は、1観客のわたしには、そう見えてしまったということ。
トップスターになる宿命を背負ってスポットライトを浴びている人なら、そんな持ち味ではいかんのだろうが、なにしろゆーひくんは脇の人だ。完全な脇ではなく、微妙路線と言われる、真ん中寄りの脇、トップにはならないけどある程度の役はもらえる位置。
タカラヅカはいろんなジェンヌがいて、多面的に舞台を盛り上げている。ゆーひくんの立ち位置なら、「記念写真でひとりだけ横を向いている男の子」でもいい。
てゆーか、ゆーひくんはそういうところが良かった。
女子はそんなところにときめいた。
出会った頃の印象って大きいじゃん?
長い間、ゆーひくんは「不器用な不良少年」だったなあ(笑)。
誤解されがちで、素直じゃなくて、でもほんとはナイーブで優しいの。女子の夢が詰まった、少女マンガのヒーロー。アンソニーではなくて、テリィね。
安心して微妙路線の萌えキャラにときめいていたのに、どうもキャラ設定が違ってきている? と感じたのが、2005年。えーともう研14?
ふつーなら、ヅカを卒業するよーな学年です。
なのに、そんな頃になってから。
なんか、キラキラしはじめた。
まるで、真ん中の人のように。
ナニが起こっているんだろう、と思いつつ。
重ねた年数の分、かっこよくなっている彼を眺め、そのかっこよさにきゃーきゃー言い。
ゆーひくんがかっこいいのはゆーひくんだからで、特に深くは考えない。
出会った頃から美貌の人だった。つっけんどんな舞台姿で、集合日のたびに退団の噂が流れた。
なにが出来るわけでも、得意なわけでもない。できないことが山ほどあったが、そんなことはどーでもよかったし、またそんなところも良かった。
ただ、おーぞらゆーひはかっこよかった。萌えだった。
だから、出会った頃の印象は大きくて。
ゆーひくんが、ただの資質だとかノリだとか、持って生まれたモノだけで勝負してない、と気づいたのは、なんと2009年になってからだ。
遅っ。
もう上級生だから、積み重ねた経験ゆえにかっこいいのだということは、わかっていた。努力していないとも思ってないし、技術を磨いていないとも思ってない。
ただわたしにとって、ゆーひくんは最初からかっこよくて萌えで、それだけでよかった。
それ以上考えていなかった。
へたっぴな歌も滑舌のアレさも含めて萌えだったし、不自由なダンスも役幅の極端に狭い芝居も、足りないところごと萌えだった。
それだけでよかった。それ以上考えなかった。
だから。
トップスターになり、大人の男としてスーツを着こなし、銀橋を歩くゆーひくんに、がんっとアタマを殴られた。
大空祐飛は、ここまで来ていたのかと。
こんなところまで、たどり着いていたのか。
わたしが知っていた、不器用な不良少年ではなくて。持って生まれたモノだけでもう十分素敵な人ではなくて。
ここまで精密に、作り込まれた人だったのか。
トップスター大劇場お披露目『カサブランカ』。
ここではじめて、わたしは大空祐飛さんと出会う。
プレお披露目の博多座では、ごめん、感じなかった。
同じようにスーツ着てても、ショーの真ん中が大変そう、と手に汗握る、今までのゆーひくんだったから。
一本のモノの芝居でトップお披露目だったのは正しい。
ゆーひくんの特性、魅力を存分に発揮したと思う。
トップスターの大空祐飛さんは、あまりにかっこよくて、完成されていて、すごかった。
彼が、創り上げてきたモノ。
それはまぎれもなく「タカラヅカ」であり、「男役」だった。
積極的に真ん中でキラキラしている人でもなく、「タカラヅカ大好き! 一生ここにいるの! 隅っこでもいいの!」という芸風でもなかった。
いつでもふっとやめちゃいそうな、いなくなっちゃいそうな危うさがあったし(実際ソレで毎回退団だと言われたし)、なにかに執着して死にものぐるいでどうこう、というタイプにも見えなかった。
だからナチュラルに、そこにいる、ように見えた。
たしかに、昔はそうだったのかもしれない。
でも今、研18になり、舞台の真ん中に立つ彼は、そんな「ナチュラル」な人じゃない。
確固たる意志を持って、人為的に後天的に「創り上げられた」ひとだ。
一朝一夕でできるものじゃない。
ナチュラルに、あるがままに、なんかで作れるものじゃない。
どれだけの意志の力と時間と研磨あっての造形か。
タカラヅカは夢の王国だけど、ここに存在し続けるには、パワーがいる。
どんなに美しく幸せなところだとしても、そこが異世界である以上、存在するには通常でない精神力がいる。
生身の人間がフェアリーという存在で在り続けるわけだから、エネルギー半端ナイんだろう。
卒業していく人たちは、ある意味「フェアリーとしての寿命」を全うする力が働いているのかもしれない。
これ以上、この世界で存在できない、HPが尽きようとしている、とわかるのかもしれない。
ゆーひくんは、フェアリー力のとても強い人だったんだ。
ほんとうなら、そのキャラクタのHPは尽きているはずなんだけど、何度も自分の意志と努力で上位クラスにスキルアップしていった。クラスが変わることで、そこでまたイチからレベルアップして。
パラメータに表記されているレベル数だけなら、他の人と同じ位なんだけど、なにしろいくつものクラスを経験した上での現在のレベルだから、プレイ時間自体はすごく長いし、パラメータの数値はすごいことになってるぞっていう。
わたしはゆーひくんを長く愛着持って眺めてきたけれど、彼がご贔屓だったことはない。
だから、ほんとうに彼ひとりをたったひとりのご贔屓として応援している人とは感じ方が違っているのだろうと思うけど。
今のゆーひくんを見て、思う。
男役・大空祐飛が、誇らしい。
ここまでやってくれたなら、もうなにも言えない。
フェアリーという生き方、虚構をこの三次元に創り上げること、そんなものすごいことを、ここまでやり遂げてくれた。
こんな人がいた。
こんな人がいる。
7月1日、『大空祐飛ラストデイ』を見ながら、映画館のスクリーン越しのゆーひさんの美しさに、感嘆し続ける。
『華やかなりし日々』という作品は好みとかけ離れすぎていて、登場人物誰ひとりナニ言ってんのか理解できないけど(笑)、それとは別に、ただもおゆーひくんがすごすぎて。
大空祐飛が、美しい。
こんな美しい生き方をする人を創り出す、タカラヅカもが、誇らしい。愛しい。
ありがとう。
こんなに長く、この楽園にいてくれて。
そして、たくさんたくさん、夢を見させてくれて。萌えさせてくれて。
出逢えて、うれしかった。
生徒、と呼ばれる団員は、同じ組・同じメンバーと構成の舞台に立ち続けることで、成長していく。
長くファンを続けていけるのは、リアルな人生がそこにあるからだ。
舞台の上が、芸名のタカラジェンヌが虚構、作りものであろうと、それを創っている人たちは、生身だからだ。
2012年7月1日。
この日を最後に、ひとりのタカラジェンヌが卒業した。
1992年度入団だから、卒業時で研21。
わたしが知る限り、トップスター経験者としては、最長の在団年数。
わたしがゆーひくんを見はじめたのが1998年、研7のときから。
学年よりも、舞台上の「幼さ」が顕著だった。
舞台に対する姿勢?
なんで笑わないの? ぶすったれた顔で踊ってるの? 「クールというキャラ設定のため、プロ意識ゆえにあえて笑わない」ようには見えなかった。単に、素の感情がそのまま出ていると思った。
楽しそうにしているときと、そうでないときの差が激しかった。
中の人のことは知らないので、ほんとうはどうだったのかは、わからない。
でもそんなのどの舞台人も同じ。
問題は、1観客のわたしには、そう見えてしまったということ。
トップスターになる宿命を背負ってスポットライトを浴びている人なら、そんな持ち味ではいかんのだろうが、なにしろゆーひくんは脇の人だ。完全な脇ではなく、微妙路線と言われる、真ん中寄りの脇、トップにはならないけどある程度の役はもらえる位置。
タカラヅカはいろんなジェンヌがいて、多面的に舞台を盛り上げている。ゆーひくんの立ち位置なら、「記念写真でひとりだけ横を向いている男の子」でもいい。
てゆーか、ゆーひくんはそういうところが良かった。
女子はそんなところにときめいた。
出会った頃の印象って大きいじゃん?
長い間、ゆーひくんは「不器用な不良少年」だったなあ(笑)。
誤解されがちで、素直じゃなくて、でもほんとはナイーブで優しいの。女子の夢が詰まった、少女マンガのヒーロー。アンソニーではなくて、テリィね。
安心して微妙路線の萌えキャラにときめいていたのに、どうもキャラ設定が違ってきている? と感じたのが、2005年。えーともう研14?
ふつーなら、ヅカを卒業するよーな学年です。
なのに、そんな頃になってから。
なんか、キラキラしはじめた。
まるで、真ん中の人のように。
ナニが起こっているんだろう、と思いつつ。
重ねた年数の分、かっこよくなっている彼を眺め、そのかっこよさにきゃーきゃー言い。
ゆーひくんがかっこいいのはゆーひくんだからで、特に深くは考えない。
出会った頃から美貌の人だった。つっけんどんな舞台姿で、集合日のたびに退団の噂が流れた。
なにが出来るわけでも、得意なわけでもない。できないことが山ほどあったが、そんなことはどーでもよかったし、またそんなところも良かった。
ただ、おーぞらゆーひはかっこよかった。萌えだった。
だから、出会った頃の印象は大きくて。
ゆーひくんが、ただの資質だとかノリだとか、持って生まれたモノだけで勝負してない、と気づいたのは、なんと2009年になってからだ。
遅っ。
もう上級生だから、積み重ねた経験ゆえにかっこいいのだということは、わかっていた。努力していないとも思ってないし、技術を磨いていないとも思ってない。
ただわたしにとって、ゆーひくんは最初からかっこよくて萌えで、それだけでよかった。
それ以上考えていなかった。
へたっぴな歌も滑舌のアレさも含めて萌えだったし、不自由なダンスも役幅の極端に狭い芝居も、足りないところごと萌えだった。
それだけでよかった。それ以上考えなかった。
だから。
トップスターになり、大人の男としてスーツを着こなし、銀橋を歩くゆーひくんに、がんっとアタマを殴られた。
大空祐飛は、ここまで来ていたのかと。
こんなところまで、たどり着いていたのか。
わたしが知っていた、不器用な不良少年ではなくて。持って生まれたモノだけでもう十分素敵な人ではなくて。
ここまで精密に、作り込まれた人だったのか。
トップスター大劇場お披露目『カサブランカ』。
ここではじめて、わたしは大空祐飛さんと出会う。
プレお披露目の博多座では、ごめん、感じなかった。
同じようにスーツ着てても、ショーの真ん中が大変そう、と手に汗握る、今までのゆーひくんだったから。
一本のモノの芝居でトップお披露目だったのは正しい。
ゆーひくんの特性、魅力を存分に発揮したと思う。
トップスターの大空祐飛さんは、あまりにかっこよくて、完成されていて、すごかった。
彼が、創り上げてきたモノ。
それはまぎれもなく「タカラヅカ」であり、「男役」だった。
積極的に真ん中でキラキラしている人でもなく、「タカラヅカ大好き! 一生ここにいるの! 隅っこでもいいの!」という芸風でもなかった。
いつでもふっとやめちゃいそうな、いなくなっちゃいそうな危うさがあったし(実際ソレで毎回退団だと言われたし)、なにかに執着して死にものぐるいでどうこう、というタイプにも見えなかった。
だからナチュラルに、そこにいる、ように見えた。
たしかに、昔はそうだったのかもしれない。
でも今、研18になり、舞台の真ん中に立つ彼は、そんな「ナチュラル」な人じゃない。
確固たる意志を持って、人為的に後天的に「創り上げられた」ひとだ。
一朝一夕でできるものじゃない。
ナチュラルに、あるがままに、なんかで作れるものじゃない。
どれだけの意志の力と時間と研磨あっての造形か。
タカラヅカは夢の王国だけど、ここに存在し続けるには、パワーがいる。
どんなに美しく幸せなところだとしても、そこが異世界である以上、存在するには通常でない精神力がいる。
生身の人間がフェアリーという存在で在り続けるわけだから、エネルギー半端ナイんだろう。
卒業していく人たちは、ある意味「フェアリーとしての寿命」を全うする力が働いているのかもしれない。
これ以上、この世界で存在できない、HPが尽きようとしている、とわかるのかもしれない。
ゆーひくんは、フェアリー力のとても強い人だったんだ。
ほんとうなら、そのキャラクタのHPは尽きているはずなんだけど、何度も自分の意志と努力で上位クラスにスキルアップしていった。クラスが変わることで、そこでまたイチからレベルアップして。
パラメータに表記されているレベル数だけなら、他の人と同じ位なんだけど、なにしろいくつものクラスを経験した上での現在のレベルだから、プレイ時間自体はすごく長いし、パラメータの数値はすごいことになってるぞっていう。
わたしはゆーひくんを長く愛着持って眺めてきたけれど、彼がご贔屓だったことはない。
だから、ほんとうに彼ひとりをたったひとりのご贔屓として応援している人とは感じ方が違っているのだろうと思うけど。
今のゆーひくんを見て、思う。
男役・大空祐飛が、誇らしい。
ここまでやってくれたなら、もうなにも言えない。
フェアリーという生き方、虚構をこの三次元に創り上げること、そんなものすごいことを、ここまでやり遂げてくれた。
こんな人がいた。
こんな人がいる。
7月1日、『大空祐飛ラストデイ』を見ながら、映画館のスクリーン越しのゆーひさんの美しさに、感嘆し続ける。
『華やかなりし日々』という作品は好みとかけ離れすぎていて、登場人物誰ひとりナニ言ってんのか理解できないけど(笑)、それとは別に、ただもおゆーひくんがすごすぎて。
大空祐飛が、美しい。
こんな美しい生き方をする人を創り出す、タカラヅカもが、誇らしい。愛しい。
ありがとう。
こんなに長く、この楽園にいてくれて。
そして、たくさんたくさん、夢を見させてくれて。萌えさせてくれて。
出逢えて、うれしかった。
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