正塚作品は大変。@『ダンサ セレナータ』新人公演
2012年6月5日 タカラヅカ 『ダンサ セレナータ』新人公演を観て、いちばん強く感じたことは。
正塚せんせ、この作品、キツイわ。
ということでした。
本公演ではキャストが力業でなんとかしているから観られるけれど、新人公演だと剥き出しの駄作、ということが多々ある宝塚歌劇。
その中でもいろいろと癖の強い正塚芝居。
独特の台詞回しと、間。
衣装や音楽の力を借りることは出来ず、個人の能力、持って生まれた華で勝負する、硬派な作り。
正塚作品の新公が、他作品の新公より悲惨なことになるのは実によくあること。
なんか、新公を観ることで、正塚作品である、ということをより大きく感じました。
きつかったわー……。
作品自体が。
正塚せんせは、せんせ自身の美学に基づいてストーリーやキャラクタを作っているわけだが、それでも基本アテ書きだと思っている。
誰でもイイわけじゃなく、この人だから、ってのは根底にある。
「正塚役者」と呼ばれる人を重用したりするのも、それゆえ。生徒の特性を見た上で、その生徒に「やらせたい」と思う役をやらせている。
(ソレがハリーの独りよがりだったりして、観客からは首を傾げる結果も多々ある。それでも確かに、アテ書きだ)
ただでさえ難しい正塚芝居。
その上、キャラ違い、アテ書き無視の配役。
行動ではなく、出来事や会話の奥や余白を読み取る・想像する、ことでしかナニを考えているのかわからないキャラクタだらけの話。
これを新人公演で、って……。
きついわー。
なんというか、なめらかでないことを楽しむハイキングコースが、でこぼこもなにもなくなり、ただの道になってしまった印象。
つまんない話だなあ。
なにをどう楽しめばいいのか、さっぱりわからん。
と、新公出演の生徒のみなさんのことよりなにより、正塚せんせに頭を抱えました。はい。
本公演はいろいろ感じるところがあって、もともと正塚スキーなわたしは楽しめるんだけどなあ。
やっぱそれって、本役キャストあってのことなんだなあ。
さて、主人公イサアク@マカゼ。
正塚作品の主人公は、大変だね。
自分探ししてらっしゃるもので、ナニがしたのかナニを考えているのか、さっぱりわからん。
主人公に吸引力がないと、こんなに大変なことになるのか、と正塚作品に改めて危惧をおぼえた。
役者にはまず「声」が大切だなあ、と、今回特に思った。
ナニを考えているのかよくわからない主人公であるからこそ、声の力強さ、心地よさで観客の意識を集める必要がある。
また、その声の力によって「ナニを考えているのかわからないけど、きっとナニか考えているんだろう」と思わせないといけない。その奥を想像する意欲を持たせるというか。
説得力のないへにゃっとした声で喋られても、「で、結局ナニがしたいんだろう?」としか思えない……。
マカゼ氏がいろいろとうまくない人なのはわかっているが、彼の場合声や滑舌が改善されたら、かなり変わるんじゃないかなあ。
なんでああも聞きにくい声なんだろう。
マカゼの声は、気泡の入った透明シートみたいだ。
液晶画面とかに、保護シート貼るじゃん? 大抵うまく貼れなくて、いくつか気泡ができてしまう。シートの上から気泡をぷにぷに押す、あの感じ。
アレがなければなあ。
声自体はいいと思うんだけどな。わたしは水しぇんの顔も声も好きだった人ですから。
水しぇんの声は気泡入りではなく、かすれてすり切れた感じだった。触ると表面がざらっとしている。それは味として好きだった。
マカゼがあの顔で、実力さえ付けてくれればなあ。
毎回言っていることだが、ほんとにもどかしいです。
真ん中に立つ、華は十分だと思うの。彼が真ん中にいることは、違和感がないの。
だからあとは、技術……。
『オーシャンズ11』のときはそれほど「主役なのにこれは……」てなことが気にならなかったので、ほんとに正塚芝居が大変なんだと思う。
新公はアテ書きしてもらってないもんねえ。
で、新公はアテ書きでないために複雑だった、ふたつの役。
ホアキン@れいやくんと、ルイス@レイラ。
えーと……どっちも、ふつうだった。
つまり、その、変な人じゃなかった。
本公演は、このふたりって、変だよね?
ホアキンの変さは、イサアクへの惚れ込み方。なんでそこまで彼を好きなのかわからない、ってくらい、ぶっちぎりで片想いしている。
ホアキンの言動や立ち位置に疑問があっても、「まあ、イサアク好きなんだから仕方ないか」で済まされるっていうか。
作品とキャラの粗を「変な人だから仕方ない」でアンサーしちゃってる感じ。
ルイスは別に変じゃないけど、なにしろヘタレキャラ。空気読めないまっしぐらカンチガイキャラってことで、笑いを取っている。
ハードボイルド命の正塚作品の、彩りのひとつ。
しかし、新公ではこのふたりが、「ふつうの人」だった。
ホアキンはふつーに秘密警察の人だし、ルイスはふつーの恋する男だった。
どっちもふつーにかっこいいです。イケメンです。
しかし。
このふたりがふつーだと、作品はさらにガタつく。
ホアキンがふつーに仕事している風だと、より「この国、変」に見える……。
ホアキンが変だから仕方ないな、と思えていた部分が、コアな設定自体への疑問にすり替わるんだもの。
や、悪いのは正塚ですよ? こんな脚本書いてる方が悪い。
しかし現実問題、本公演はホアキンのキャラで持っているし、アテ書きである以上生徒のキャラ頼みってのは別にマチガイじゃないしなー、と。
ルイスに至っては、彼がふつーだと、まずいと思う。
ルイスはカンチガイ爆走キャラだからいいの。イサアクに相手にされていなくても、勝手に盛り上がっている。
これで彼が「ふつう」だと、友人の一大事に本気で相手をしていない、イサアクが、やばい人になる。
新公はルイスがふつーの人なので、イサアクのアレさが際立ってました……。
仲間に対してこんな態度取る男に、「仲間を見捨てるようじゃ、密度の濃いステージなんか出来ない」とか責められてもなあ。
モニカ@わかばちゃんが秘密警察に連行された、関わり合いになりたくないとびびるダンサーたちを責めるイサアクの、白々しいことってば……。単に自分の女だから大事なだけで、仲間なんかどーでもいい、が本音でしょうに……。
ルイスは空気ぶちこわしに笑いを取ってなんぼだと、よくわかりました。
いやその、そもそもそんな役を作る必要があるのかとか、問題はハリーにあるんですけどね。
しかし現実問題、本公演はルイスが笑いを取って成り立っているし、アテ書きである以上マカゼには合った役だし別にマチガイじゃないしなー、と。
れいやくんもレイラもかっこよかったっす。
レイラなんか、こんなに喋って演技しているのを観るの、文化祭以来だよ……かっこよくなったねええ、とめちゃ感慨深いっす。
しかし、せっかくかっこいいのに、作品的にアタマ抱えるのは、ほんとにもお。
正塚せんせ、この作品、キツイわ。
ということに、尽きました(笑)。
正塚せんせ、この作品、キツイわ。
ということでした。
本公演ではキャストが力業でなんとかしているから観られるけれど、新人公演だと剥き出しの駄作、ということが多々ある宝塚歌劇。
その中でもいろいろと癖の強い正塚芝居。
独特の台詞回しと、間。
衣装や音楽の力を借りることは出来ず、個人の能力、持って生まれた華で勝負する、硬派な作り。
正塚作品の新公が、他作品の新公より悲惨なことになるのは実によくあること。
なんか、新公を観ることで、正塚作品である、ということをより大きく感じました。
きつかったわー……。
作品自体が。
正塚せんせは、せんせ自身の美学に基づいてストーリーやキャラクタを作っているわけだが、それでも基本アテ書きだと思っている。
誰でもイイわけじゃなく、この人だから、ってのは根底にある。
「正塚役者」と呼ばれる人を重用したりするのも、それゆえ。生徒の特性を見た上で、その生徒に「やらせたい」と思う役をやらせている。
(ソレがハリーの独りよがりだったりして、観客からは首を傾げる結果も多々ある。それでも確かに、アテ書きだ)
ただでさえ難しい正塚芝居。
その上、キャラ違い、アテ書き無視の配役。
行動ではなく、出来事や会話の奥や余白を読み取る・想像する、ことでしかナニを考えているのかわからないキャラクタだらけの話。
これを新人公演で、って……。
きついわー。
なんというか、なめらかでないことを楽しむハイキングコースが、でこぼこもなにもなくなり、ただの道になってしまった印象。
つまんない話だなあ。
なにをどう楽しめばいいのか、さっぱりわからん。
と、新公出演の生徒のみなさんのことよりなにより、正塚せんせに頭を抱えました。はい。
本公演はいろいろ感じるところがあって、もともと正塚スキーなわたしは楽しめるんだけどなあ。
やっぱそれって、本役キャストあってのことなんだなあ。
さて、主人公イサアク@マカゼ。
正塚作品の主人公は、大変だね。
自分探ししてらっしゃるもので、ナニがしたのかナニを考えているのか、さっぱりわからん。
主人公に吸引力がないと、こんなに大変なことになるのか、と正塚作品に改めて危惧をおぼえた。
役者にはまず「声」が大切だなあ、と、今回特に思った。
ナニを考えているのかよくわからない主人公であるからこそ、声の力強さ、心地よさで観客の意識を集める必要がある。
また、その声の力によって「ナニを考えているのかわからないけど、きっとナニか考えているんだろう」と思わせないといけない。その奥を想像する意欲を持たせるというか。
説得力のないへにゃっとした声で喋られても、「で、結局ナニがしたいんだろう?」としか思えない……。
マカゼ氏がいろいろとうまくない人なのはわかっているが、彼の場合声や滑舌が改善されたら、かなり変わるんじゃないかなあ。
なんでああも聞きにくい声なんだろう。
マカゼの声は、気泡の入った透明シートみたいだ。
液晶画面とかに、保護シート貼るじゃん? 大抵うまく貼れなくて、いくつか気泡ができてしまう。シートの上から気泡をぷにぷに押す、あの感じ。
アレがなければなあ。
声自体はいいと思うんだけどな。わたしは水しぇんの顔も声も好きだった人ですから。
水しぇんの声は気泡入りではなく、かすれてすり切れた感じだった。触ると表面がざらっとしている。それは味として好きだった。
マカゼがあの顔で、実力さえ付けてくれればなあ。
毎回言っていることだが、ほんとにもどかしいです。
真ん中に立つ、華は十分だと思うの。彼が真ん中にいることは、違和感がないの。
だからあとは、技術……。
『オーシャンズ11』のときはそれほど「主役なのにこれは……」てなことが気にならなかったので、ほんとに正塚芝居が大変なんだと思う。
新公はアテ書きしてもらってないもんねえ。
で、新公はアテ書きでないために複雑だった、ふたつの役。
ホアキン@れいやくんと、ルイス@レイラ。
えーと……どっちも、ふつうだった。
つまり、その、変な人じゃなかった。
本公演は、このふたりって、変だよね?
ホアキンの変さは、イサアクへの惚れ込み方。なんでそこまで彼を好きなのかわからない、ってくらい、ぶっちぎりで片想いしている。
ホアキンの言動や立ち位置に疑問があっても、「まあ、イサアク好きなんだから仕方ないか」で済まされるっていうか。
作品とキャラの粗を「変な人だから仕方ない」でアンサーしちゃってる感じ。
ルイスは別に変じゃないけど、なにしろヘタレキャラ。空気読めないまっしぐらカンチガイキャラってことで、笑いを取っている。
ハードボイルド命の正塚作品の、彩りのひとつ。
しかし、新公ではこのふたりが、「ふつうの人」だった。
ホアキンはふつーに秘密警察の人だし、ルイスはふつーの恋する男だった。
どっちもふつーにかっこいいです。イケメンです。
しかし。
このふたりがふつーだと、作品はさらにガタつく。
ホアキンがふつーに仕事している風だと、より「この国、変」に見える……。
ホアキンが変だから仕方ないな、と思えていた部分が、コアな設定自体への疑問にすり替わるんだもの。
や、悪いのは正塚ですよ? こんな脚本書いてる方が悪い。
しかし現実問題、本公演はホアキンのキャラで持っているし、アテ書きである以上生徒のキャラ頼みってのは別にマチガイじゃないしなー、と。
ルイスに至っては、彼がふつーだと、まずいと思う。
ルイスはカンチガイ爆走キャラだからいいの。イサアクに相手にされていなくても、勝手に盛り上がっている。
これで彼が「ふつう」だと、友人の一大事に本気で相手をしていない、イサアクが、やばい人になる。
新公はルイスがふつーの人なので、イサアクのアレさが際立ってました……。
仲間に対してこんな態度取る男に、「仲間を見捨てるようじゃ、密度の濃いステージなんか出来ない」とか責められてもなあ。
モニカ@わかばちゃんが秘密警察に連行された、関わり合いになりたくないとびびるダンサーたちを責めるイサアクの、白々しいことってば……。単に自分の女だから大事なだけで、仲間なんかどーでもいい、が本音でしょうに……。
ルイスは空気ぶちこわしに笑いを取ってなんぼだと、よくわかりました。
いやその、そもそもそんな役を作る必要があるのかとか、問題はハリーにあるんですけどね。
しかし現実問題、本公演はルイスが笑いを取って成り立っているし、アテ書きである以上マカゼには合った役だし別にマチガイじゃないしなー、と。
れいやくんもレイラもかっこよかったっす。
レイラなんか、こんなに喋って演技しているのを観るの、文化祭以来だよ……かっこよくなったねええ、とめちゃ感慨深いっす。
しかし、せっかくかっこいいのに、作品的にアタマ抱えるのは、ほんとにもお。
正塚せんせ、この作品、キツイわ。
ということに、尽きました(笑)。
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