行き詰まっていたのは、彼だ。

 決められた道、迷いもなく親に敷かれたレールを歩んできた。
 一流の学校を出て、今は父の会社に勤めている。すべて、父が望み、父が決めた。
 結婚相手も決められている。父が気に入った娘だ。

 父は、祖父の失敗を目の当たりにし、苦労してきた人だ。そこから這い上がってきた人なので、確固たる信念を持っている。
 逆らうなどという選択肢は、彼にはなかった。
 夢にも思ったことはないし、自分の生活に疑問も持たなかった。

 仕事が趣味で、それ以外ナニも持たない彼は、あるときふと、話題の映画を見に行った。たまたま時間が空いたとき、目の前に映画のポスターがあったんだ。
 会社の若い子たちが噂してたっけ。面白い映画だって。泣けるとか感動するとか。
 最後に泣いたのはいつだっけ? 最後に感動したのはいつだっけ?
 おぼえていない。
 不満も悲しみもない代わり、喜びも感動もない。

 そして。
 久々に見た映画に、彼は夢中になった。
 こんなに感動的な作品と出会えるなんて。
 まるで主人公になったかのような気持ちで、スクリーンに見入っていた。

 それは、命がけで愛を貫く男と女の物語だった。
 ふたりは死んで愛を貫くのだ。

「ひとりの女のために、仕事も将来も命までも投げ出す。そんな恋が、本当にあるんだろうか」

 その映画が、脳裏から離れない。胸から消えない。
 主人公の男そのものに、ヒロインに恋をした。いや、焦がれたのは主人公自身にだろうか。

 それまで背負い生きてきたものすべてを投げ出す、主人公……。

 彼の中で、ナニかが切れた。
 ぷつん、と、音がした。

 彼の間の前には、ひとりの女。
 罪な春雨、雨から逃れて出会ったふたり。

 そのときから、彼は変わった。

 雨の日出会った彼女のために、道を誤った。

 彼女は多額の借金を抱えて風俗店で働く夜の女だった。
 彼女の店に通い詰め、彼女のために指名と散財を繰り返し、会社の金にも手を付けた。
 父に叱られ姉になじられ、それでも彼は恋をあきらめられないと主張した。

 恍惚。
 彼は彼女を抱く。
 彼は彼女に愛を語る。

 欲しかったモノを、手に入れた。
 たったひとつの愛。
 命以上に大切な愛。

 彼女の借金には、やくざも絡んでいた。
 すべてを捨てて逃げるしか、ふたりが共に生きる道はない。

 ふたりが共に生きる……?

 ちがう。
 共に、死ぬ。

 心中するしか、ふたりが愛を貫く術はない。

 彼は彼女と共に逃げた。
 すべてを捨てて。

 恍惚。
 彼は彼女を抱く。
 彼は彼女に愛を語る。

 欲しかったモノを、手に入れた。
 たったひとつの愛。
 命以上に大切な愛。

 ……という、自分。

 あの映画のように、愛のためにすべてを捨て、心中する自分自身。

 恍惚。
 欲しかった自分を、手に入れた。

 共に死ぬ彼女を見つめる。
 実は、彼女がどんな顔をしているのか、よくおぼえていない。こうしてふたりでいるときはおぼえていられるが、他の中にまざってしまうと、どれが彼女かわからなくなる。
 それくらい、平凡な女。
 気に入ったのは、彼女の背景だ。多額の借金、やくざ絡みの店……映画のヒロインと同じように不幸な身の上。

 あの映画の主人公のように、なりたかった。
 あのように生き、死にたかった。
 決められた道、決められた人生を、投げ捨てて。

 行き詰まっていたのは、彼だ。

 彼の中で、ナニかが切れた。
 ぷつん、と、音がした。

 彼は愛を語る。
 なんて愛しい愛しい、顔もおぼえていない恋人。
 誰でもいい、今この瞬間、別の女と入れ替わっていても、問題ない。
 このシチュエーションさえあるならば。

 美しく心中して果てる。
 その目的さえ、達成できるなら。

 彼は、しあわせだった。

          ☆


 言っても詮無きことだが、エリス@ののすみはすごかったんだなあ……。
 あのみわっちの熱と狂気をがっぷり受け止め、さらに輝かせていたよ……。

 『近松・恋の道行』で、いちばん物足りなかったのは、実は主役カップルだった。

 というのも、さが@みりおんが、足りてなくてなああ。

 嘉平次@みわさんは、みわさんらしいいい仕事っぷりなんだが。
 心中するほどの相愛カップルなのに、ふたりのパワーバランスが悪すぎてなあ。

 さががすごくうれしそうに、うっとり平様を見ていることはわかる。恋しているのだろうとわかる。
 でもそれは、みわっちの嘉平次に相応しい恋だろうか。小娘ではない遊女さがとして、あの熱と狂気を孕んだ嘉平次と同じ世界に生きる女の姿だろうか。

 みりおんが悪いというわけじゃない。
 新進娘役として破綻なくそつなく舞台にいるのだと思う。歌唱力はすばらしいのだし。
 『カナリア』のように、やることがたくさんあるというか、きりきり舞いに動き回るアクティヴな役ならば、表面的な技術で形作ることもできる。
 『ファントム』のように、歌がメインのものは、他のなにをさておいても歌唱力があればなんとかなる。
 しかし今回のような「受けの芝居」は、実力や経験がまんま出るなああ。
 いろんなことに経験不足な、下級生娘役の姿が、そこにあった。

 相手がみわっちではなく、ワークショップの下級生スター主演さんだったら、こんなに残念な気持ちにはならないだろう。
 新公にしろWSにしろ、周囲のレベルが一定なら違和感なく楽しめる。

 がっつり恋愛しているふたりを楽しむ場合、わたしはどちらかの視点のみになるのではなく、彼女になって彼に恋をしたり、彼の目に映る彼女に切なくなったり、相乗効果で味わい尽くす。
 だからパワーバランスが悪いと、その感覚の行ったり来たり、相乗効果が楽しめなくて寂しいのですよ。

 ぶっちゃけ、嘉平次が何故さがを愛したのか、わからない……。

 遊女たちの間に混ざると、さがが見分けられなくなってしまう。物売りの清吉さん@みつるが店に来て子弁ちゃん@べーちゃんのことを聞いているときに、あとから声を掛けてきた姐さんがさがだと、マジで気づかなかった……。

 みわっちがどーんと走り出し、足りていないみりおんを抱きしめ、彼女が転ばないようにしていた。
 それはそれでみわっちのすごさがわかったけれど、わたしはみわっちひとりで走る姿を見たかったんじゃなく、ヒロインも一緒に走る姿を見たかったんだ。
 置き去りにするんじゃなく、抱きしめて彼女が走れていないことを隠してしまうのは、みわっちらしいフォローの仕方だと思うけど……たとえまともに走れないにしろ転んでしまうにしろ、彼女自身の足で走らせてみるべきだったんじゃないかなあ?

 みわっちに余裕がなかった、ようにも見えた。
 舞台人として、役者としての余裕ではなくて。
 嘉平次として『近松・恋の道行』を演じるということなら、みわっちは問題なく過ごしている。そのことではなくて。
 なんだろ、時間を気にしている意味での、余裕のなさ。
 みりおん云々ではなく、みわっちはとにかく今、前へ進むしかないんだ、みたいな焦燥感。
 時間がないんだ。……そんな感覚。

 もどかしさが、残る。

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