イカロスは破滅するために羽ばたいた。太陽に向かって。@近松・恋の道行
2012年5月31日 タカラヅカ 行き詰まっていたのは、彼だ。
決められた道、迷いもなく親に敷かれたレールを歩んできた。
一流の学校を出て、今は父の会社に勤めている。すべて、父が望み、父が決めた。
結婚相手も決められている。父が気に入った娘だ。
父は、祖父の失敗を目の当たりにし、苦労してきた人だ。そこから這い上がってきた人なので、確固たる信念を持っている。
逆らうなどという選択肢は、彼にはなかった。
夢にも思ったことはないし、自分の生活に疑問も持たなかった。
仕事が趣味で、それ以外ナニも持たない彼は、あるときふと、話題の映画を見に行った。たまたま時間が空いたとき、目の前に映画のポスターがあったんだ。
会社の若い子たちが噂してたっけ。面白い映画だって。泣けるとか感動するとか。
最後に泣いたのはいつだっけ? 最後に感動したのはいつだっけ?
おぼえていない。
不満も悲しみもない代わり、喜びも感動もない。
そして。
久々に見た映画に、彼は夢中になった。
こんなに感動的な作品と出会えるなんて。
まるで主人公になったかのような気持ちで、スクリーンに見入っていた。
それは、命がけで愛を貫く男と女の物語だった。
ふたりは死んで愛を貫くのだ。
「ひとりの女のために、仕事も将来も命までも投げ出す。そんな恋が、本当にあるんだろうか」
その映画が、脳裏から離れない。胸から消えない。
主人公の男そのものに、ヒロインに恋をした。いや、焦がれたのは主人公自身にだろうか。
それまで背負い生きてきたものすべてを投げ出す、主人公……。
彼の中で、ナニかが切れた。
ぷつん、と、音がした。
彼の間の前には、ひとりの女。
罪な春雨、雨から逃れて出会ったふたり。
そのときから、彼は変わった。
雨の日出会った彼女のために、道を誤った。
彼女は多額の借金を抱えて風俗店で働く夜の女だった。
彼女の店に通い詰め、彼女のために指名と散財を繰り返し、会社の金にも手を付けた。
父に叱られ姉になじられ、それでも彼は恋をあきらめられないと主張した。
恍惚。
彼は彼女を抱く。
彼は彼女に愛を語る。
欲しかったモノを、手に入れた。
たったひとつの愛。
命以上に大切な愛。
彼女の借金には、やくざも絡んでいた。
すべてを捨てて逃げるしか、ふたりが共に生きる道はない。
ふたりが共に生きる……?
ちがう。
共に、死ぬ。
心中するしか、ふたりが愛を貫く術はない。
彼は彼女と共に逃げた。
すべてを捨てて。
恍惚。
彼は彼女を抱く。
彼は彼女に愛を語る。
欲しかったモノを、手に入れた。
たったひとつの愛。
命以上に大切な愛。
……という、自分。
あの映画のように、愛のためにすべてを捨て、心中する自分自身。
恍惚。
欲しかった自分を、手に入れた。
共に死ぬ彼女を見つめる。
実は、彼女がどんな顔をしているのか、よくおぼえていない。こうしてふたりでいるときはおぼえていられるが、他の中にまざってしまうと、どれが彼女かわからなくなる。
それくらい、平凡な女。
気に入ったのは、彼女の背景だ。多額の借金、やくざ絡みの店……映画のヒロインと同じように不幸な身の上。
あの映画の主人公のように、なりたかった。
あのように生き、死にたかった。
決められた道、決められた人生を、投げ捨てて。
行き詰まっていたのは、彼だ。
彼の中で、ナニかが切れた。
ぷつん、と、音がした。
彼は愛を語る。
なんて愛しい愛しい、顔もおぼえていない恋人。
誰でもいい、今この瞬間、別の女と入れ替わっていても、問題ない。
このシチュエーションさえあるならば。
美しく心中して果てる。
その目的さえ、達成できるなら。
彼は、しあわせだった。
☆
言っても詮無きことだが、エリス@ののすみはすごかったんだなあ……。
あのみわっちの熱と狂気をがっぷり受け止め、さらに輝かせていたよ……。
『近松・恋の道行』で、いちばん物足りなかったのは、実は主役カップルだった。
というのも、さが@みりおんが、足りてなくてなああ。
嘉平次@みわさんは、みわさんらしいいい仕事っぷりなんだが。
心中するほどの相愛カップルなのに、ふたりのパワーバランスが悪すぎてなあ。
さががすごくうれしそうに、うっとり平様を見ていることはわかる。恋しているのだろうとわかる。
でもそれは、みわっちの嘉平次に相応しい恋だろうか。小娘ではない遊女さがとして、あの熱と狂気を孕んだ嘉平次と同じ世界に生きる女の姿だろうか。
みりおんが悪いというわけじゃない。
新進娘役として破綻なくそつなく舞台にいるのだと思う。歌唱力はすばらしいのだし。
『カナリア』のように、やることがたくさんあるというか、きりきり舞いに動き回るアクティヴな役ならば、表面的な技術で形作ることもできる。
『ファントム』のように、歌がメインのものは、他のなにをさておいても歌唱力があればなんとかなる。
しかし今回のような「受けの芝居」は、実力や経験がまんま出るなああ。
いろんなことに経験不足な、下級生娘役の姿が、そこにあった。
相手がみわっちではなく、ワークショップの下級生スター主演さんだったら、こんなに残念な気持ちにはならないだろう。
新公にしろWSにしろ、周囲のレベルが一定なら違和感なく楽しめる。
がっつり恋愛しているふたりを楽しむ場合、わたしはどちらかの視点のみになるのではなく、彼女になって彼に恋をしたり、彼の目に映る彼女に切なくなったり、相乗効果で味わい尽くす。
だからパワーバランスが悪いと、その感覚の行ったり来たり、相乗効果が楽しめなくて寂しいのですよ。
ぶっちゃけ、嘉平次が何故さがを愛したのか、わからない……。
遊女たちの間に混ざると、さがが見分けられなくなってしまう。物売りの清吉さん@みつるが店に来て子弁ちゃん@べーちゃんのことを聞いているときに、あとから声を掛けてきた姐さんがさがだと、マジで気づかなかった……。
みわっちがどーんと走り出し、足りていないみりおんを抱きしめ、彼女が転ばないようにしていた。
それはそれでみわっちのすごさがわかったけれど、わたしはみわっちひとりで走る姿を見たかったんじゃなく、ヒロインも一緒に走る姿を見たかったんだ。
置き去りにするんじゃなく、抱きしめて彼女が走れていないことを隠してしまうのは、みわっちらしいフォローの仕方だと思うけど……たとえまともに走れないにしろ転んでしまうにしろ、彼女自身の足で走らせてみるべきだったんじゃないかなあ?
みわっちに余裕がなかった、ようにも見えた。
舞台人として、役者としての余裕ではなくて。
嘉平次として『近松・恋の道行』を演じるということなら、みわっちは問題なく過ごしている。そのことではなくて。
なんだろ、時間を気にしている意味での、余裕のなさ。
みりおん云々ではなく、みわっちはとにかく今、前へ進むしかないんだ、みたいな焦燥感。
時間がないんだ。……そんな感覚。
もどかしさが、残る。
決められた道、迷いもなく親に敷かれたレールを歩んできた。
一流の学校を出て、今は父の会社に勤めている。すべて、父が望み、父が決めた。
結婚相手も決められている。父が気に入った娘だ。
父は、祖父の失敗を目の当たりにし、苦労してきた人だ。そこから這い上がってきた人なので、確固たる信念を持っている。
逆らうなどという選択肢は、彼にはなかった。
夢にも思ったことはないし、自分の生活に疑問も持たなかった。
仕事が趣味で、それ以外ナニも持たない彼は、あるときふと、話題の映画を見に行った。たまたま時間が空いたとき、目の前に映画のポスターがあったんだ。
会社の若い子たちが噂してたっけ。面白い映画だって。泣けるとか感動するとか。
最後に泣いたのはいつだっけ? 最後に感動したのはいつだっけ?
おぼえていない。
不満も悲しみもない代わり、喜びも感動もない。
そして。
久々に見た映画に、彼は夢中になった。
こんなに感動的な作品と出会えるなんて。
まるで主人公になったかのような気持ちで、スクリーンに見入っていた。
それは、命がけで愛を貫く男と女の物語だった。
ふたりは死んで愛を貫くのだ。
「ひとりの女のために、仕事も将来も命までも投げ出す。そんな恋が、本当にあるんだろうか」
その映画が、脳裏から離れない。胸から消えない。
主人公の男そのものに、ヒロインに恋をした。いや、焦がれたのは主人公自身にだろうか。
それまで背負い生きてきたものすべてを投げ出す、主人公……。
彼の中で、ナニかが切れた。
ぷつん、と、音がした。
彼の間の前には、ひとりの女。
罪な春雨、雨から逃れて出会ったふたり。
そのときから、彼は変わった。
雨の日出会った彼女のために、道を誤った。
彼女は多額の借金を抱えて風俗店で働く夜の女だった。
彼女の店に通い詰め、彼女のために指名と散財を繰り返し、会社の金にも手を付けた。
父に叱られ姉になじられ、それでも彼は恋をあきらめられないと主張した。
恍惚。
彼は彼女を抱く。
彼は彼女に愛を語る。
欲しかったモノを、手に入れた。
たったひとつの愛。
命以上に大切な愛。
彼女の借金には、やくざも絡んでいた。
すべてを捨てて逃げるしか、ふたりが共に生きる道はない。
ふたりが共に生きる……?
ちがう。
共に、死ぬ。
心中するしか、ふたりが愛を貫く術はない。
彼は彼女と共に逃げた。
すべてを捨てて。
恍惚。
彼は彼女を抱く。
彼は彼女に愛を語る。
欲しかったモノを、手に入れた。
たったひとつの愛。
命以上に大切な愛。
……という、自分。
あの映画のように、愛のためにすべてを捨て、心中する自分自身。
恍惚。
欲しかった自分を、手に入れた。
共に死ぬ彼女を見つめる。
実は、彼女がどんな顔をしているのか、よくおぼえていない。こうしてふたりでいるときはおぼえていられるが、他の中にまざってしまうと、どれが彼女かわからなくなる。
それくらい、平凡な女。
気に入ったのは、彼女の背景だ。多額の借金、やくざ絡みの店……映画のヒロインと同じように不幸な身の上。
あの映画の主人公のように、なりたかった。
あのように生き、死にたかった。
決められた道、決められた人生を、投げ捨てて。
行き詰まっていたのは、彼だ。
彼の中で、ナニかが切れた。
ぷつん、と、音がした。
彼は愛を語る。
なんて愛しい愛しい、顔もおぼえていない恋人。
誰でもいい、今この瞬間、別の女と入れ替わっていても、問題ない。
このシチュエーションさえあるならば。
美しく心中して果てる。
その目的さえ、達成できるなら。
彼は、しあわせだった。
☆
言っても詮無きことだが、エリス@ののすみはすごかったんだなあ……。
あのみわっちの熱と狂気をがっぷり受け止め、さらに輝かせていたよ……。
『近松・恋の道行』で、いちばん物足りなかったのは、実は主役カップルだった。
というのも、さが@みりおんが、足りてなくてなああ。
嘉平次@みわさんは、みわさんらしいいい仕事っぷりなんだが。
心中するほどの相愛カップルなのに、ふたりのパワーバランスが悪すぎてなあ。
さががすごくうれしそうに、うっとり平様を見ていることはわかる。恋しているのだろうとわかる。
でもそれは、みわっちの嘉平次に相応しい恋だろうか。小娘ではない遊女さがとして、あの熱と狂気を孕んだ嘉平次と同じ世界に生きる女の姿だろうか。
みりおんが悪いというわけじゃない。
新進娘役として破綻なくそつなく舞台にいるのだと思う。歌唱力はすばらしいのだし。
『カナリア』のように、やることがたくさんあるというか、きりきり舞いに動き回るアクティヴな役ならば、表面的な技術で形作ることもできる。
『ファントム』のように、歌がメインのものは、他のなにをさておいても歌唱力があればなんとかなる。
しかし今回のような「受けの芝居」は、実力や経験がまんま出るなああ。
いろんなことに経験不足な、下級生娘役の姿が、そこにあった。
相手がみわっちではなく、ワークショップの下級生スター主演さんだったら、こんなに残念な気持ちにはならないだろう。
新公にしろWSにしろ、周囲のレベルが一定なら違和感なく楽しめる。
がっつり恋愛しているふたりを楽しむ場合、わたしはどちらかの視点のみになるのではなく、彼女になって彼に恋をしたり、彼の目に映る彼女に切なくなったり、相乗効果で味わい尽くす。
だからパワーバランスが悪いと、その感覚の行ったり来たり、相乗効果が楽しめなくて寂しいのですよ。
ぶっちゃけ、嘉平次が何故さがを愛したのか、わからない……。
遊女たちの間に混ざると、さがが見分けられなくなってしまう。物売りの清吉さん@みつるが店に来て子弁ちゃん@べーちゃんのことを聞いているときに、あとから声を掛けてきた姐さんがさがだと、マジで気づかなかった……。
みわっちがどーんと走り出し、足りていないみりおんを抱きしめ、彼女が転ばないようにしていた。
それはそれでみわっちのすごさがわかったけれど、わたしはみわっちひとりで走る姿を見たかったんじゃなく、ヒロインも一緒に走る姿を見たかったんだ。
置き去りにするんじゃなく、抱きしめて彼女が走れていないことを隠してしまうのは、みわっちらしいフォローの仕方だと思うけど……たとえまともに走れないにしろ転んでしまうにしろ、彼女自身の足で走らせてみるべきだったんじゃないかなあ?
みわっちに余裕がなかった、ようにも見えた。
舞台人として、役者としての余裕ではなくて。
嘉平次として『近松・恋の道行』を演じるということなら、みわっちは問題なく過ごしている。そのことではなくて。
なんだろ、時間を気にしている意味での、余裕のなさ。
みりおん云々ではなく、みわっちはとにかく今、前へ進むしかないんだ、みたいな焦燥感。
時間がないんだ。……そんな感覚。
もどかしさが、残る。
コメント