『ダンサ セレナータ』を観ながら、やたら思い出したのは、『ブエノスアイレスの風』だ。
 あれってえーと、4年前?
 れおんくん、ねねちゃん、ベニー、マカゼと、中心メンバーがそのまんまだったよなあと。

 いやあ……うまくなったね!!

 れおんくんは大人の男をちゃんと演じられるようになったし、ねねちゃんも落ち着いた感じだ。
 なにより、ベニー……。

 『ブエノスアイレスの風』のときは、あまりのへたっぴさにアタマを抱えた。
 スーツの着こなしから所作、お化粧、なにもかもアレ過ぎて、途方に暮れた。
 そのベニーが……。

 うまくなったなああ、ベニー!

 ひたすら感動。
 ベニーはうまくない人だけど、それでも一歩一歩前進しているし、彼には彼ならではの味があるので、最低限の技術さえあれば楽しい舞台人だ。

 もうひとり、マカゼも……ええっと、さすがに『ブエノスアイレスの風』のときよりは、うまくなっている。あんときは「男役」をやることでいっぱいいっぱいという、最低ラインと闘ってたもんなー。
 マカゼさんは、もっともっとうまくなってほしいです(笑)。


 メンバー的には『ブエノスアイレスの風』を思い出し、ストーリー的には『マリポーサの花』を思い出し、しかもこの2作はほとんど同じモチーフで出来上がった作者自身のセルフカバー作っぽいし。
 したがって、『ダンサ セレナータ』が既視感ばりばりなのは、当たり前ってことで。

 正塚的いつもの「ある国」が舞台。そこへアンジェロ@まさこがやって来たことから、物語スタート。そーだった、正塚せんせ、まさこ好きだったよね-。
 アンジェロは植民地出身。独立運動グループのリーダー。……ってことで、秘密警察のホアキン@ベニーに目を付けられている。
 酔っ払い軍人に絡まれたアンジェロとその妹モニカ@ねねちゃんを、偶然助けたイサアク@れおんは、必然的に秘密警察の監視下に置かれることになる。しかもモニカは、またまた偶然、イサアクがトップダンサーとして働く店にやってくるし。彼女もダンサーとして働くことになるし。
 主人公はイサアクなんだが、見事に巻き込まれただけの人。アンジェロが秘密警察に捕まり、モニカも連行される。……ので、革命も独立運動もどーでもいい、モニカだけ大切、モニカと彼女の家族を助けられたらそれでいい、と秘密警察を敵に回して裏工作。あー、すごい既視感。
 モニカを外国へ逃がし、ホアキンと対決……するも、革命が起こり、政局が一変した。イサアクの店も閉店、さあラストダンス、ただしヒロイン抜きで。
 それから数年後。マリポーサの花を送り続けてはいなかったけれど、イサアクとモニカが再会してハッピーエンド。
 ……すずみさんの役も、れみちゃんの役も、あらすじには出てこないっすねー……。本筋と無関係のにぎやかしさんだもんなあ。

 えーと。
 自分のためにもキャラクタ整理。『ダンサ セレナータ』と『マリポーサの花』の共通項を地の文に、( )の中は、『マリポーサの花』のみの設定。

 イサアク@れおん=ネロ@水しぇん
 クラブのトップダンサー(ネロは経営者でもあり、ステージセンターでも踊る)。過去あり、それゆえに腕っ節強いです。

 アンジェロ@まさこ=リナレス@キム
 革命運動家。プランテーション経営者を父に持つ、おぼっちゃま。秘密警察に捕まり、拷問される。そしてイサアク(ネロ)の裏工作によって救出される。

 モニカ@ねね=セリア@となみ
 アンジェロの妹(リナレスの姉)で、反政府運動には無関係。お嬢様育ちだからか、ダンスが出来る。クラブでダンサーとして活躍。兄(弟)のことでイサアク(ネロ)を頼る、助けられる。革命が起こり、イサアク(ネロ)とは離ればなれになる。

 ホアキン@ベニー=ロジャー@かなめ
 政府の犬(ロジャーはCIAだが、舞台の国の政府側)。国益のために革命運動撲滅、最初は友好的にイサアク(ネロ)に近づき、ラストは対決する。

 革命どっかーん、で離ればなれになったあと、ネロはセリアにマリポーサの花を送り続け、いつかふたりが再会する未来を暗示する。
 イサアクとモニカは、んなまだるっこしいことはせず、実際に再会して完。

 いちばん大きな違いは、主人公に「親友」がいるかどうか、なんだなあ。
 そして物語的に、「親友」はいてもいなくても、ストーリーは同じなんだ。

 印象として、『マリポーサの花』よりは、まともな話になっている、と思う。
 『マリポーサの花』の魅力はなんつってもエスコバル@ゆみこの存在だったんだが、このキャラクタがいたために、いろいろ歪んでしまっていたと思う。

 ネロとエスコバルの依存関係が強く、ふたりだけで世界が完結、他者を閉め出していた。
 だからヒロインとの恋愛も弱いし、他に仲間も友人もおらず、社会生活感が希薄だった。

 エスコバルという枷を持たないイサアクは、親友こそいないが、友人や仲間はふつーにいる。本当の意味で心を開くには至っていないが、彼なりに社会生活しているらしい。
 イサアク自身が心に扉がある状態でも、周囲が彼のそんな部分を含めて認め、愛している様子がある。
 アンジェリータ@れみちゃんが「思いやりも優しさもあるつもりなんでしょうけど、それは自分の決めた範囲の中だけ。本当は自分にしか興味のない男」てな意味のことをすぱっと言っちゃう。元カノの彼女は「別れて良かった」と笑う。
 イサアクが困ったちゃんだとわかっていて、それでも受け入れている。アンジェリータがこういう立ち位置である以上、彼女と結ばれるジョゼ@すずみんも、たぶん同じようにイサアクを思っているのだろう。
 ダンサー仲間たちに檄を飛ばしたり、リーダーっぽいことしているし。けっこー辛辣なことを言っているのに、それでも仲間たちが離れていかないのは、そーゆー部分も含め、認められてるんだろう。

 で、仲間に囲まれつつも孤独感のあるイサアクは、何故かよくわかんないけど、モニカに惹かれ、モニカを強く愛する。
 強引なキス、「お前」呼び、「守る」宣言。
 おー、恋愛モノだー。

 エスコバルがいないだけで、こんだけふつーになるのか(笑)。
 友情パートを、敵役であるホアキンがちょっくら兼ねる。ホアキンは最初からイサアク大好きだしな(笑)。ラヴコールぶりがちょっとキモ……いやその、薄ら寒い。
 正塚お約束の「主人公とその親友の銀橋渡り」が、イサアクとホアキンだったことに、最初からびびったわ。

 イサアクの抱えている過去が、とても個人的なものだったために、作品スケールは小さくなっている。
 『マリポーサの花』では、ネロは元軍人で現政府樹立の陰の功労者、大統領の弱みを握っている裏社会のボス的存在で、青年実業家だったからなー。クライマックスは彼自身が銃を取り、戦場で華々しく闘うわけですから。
 ネロの腹のうちひとつで、「この国」が大きく揺らぐ、そんな大物設定だったもの。(でも、本人は小さくまとまって、ちまちませせこましいことをして満足していた……ってのが、正塚せんせのスケール感の限界・笑)
 『ダンサ セレナータ』では、イサアクはあくまでも「一般人」。戦場にも駆けつけないし、銃を取って闘わない。革命も起こさない。政変で職場が閉店するのを黙って受け入れるしかない人。

 主人公が他人と関わっている、という点で、『ダンサ セレナータ』の方が良い作りになっていると思う。
 ……いろいろ言いたいことあるけどなー。なんでこんな構成なのか、ツッコミだらけだけどなー。

 でもやっぱ、エスコバルは魅力的なキャラクタだったよ……。

 エスコバルを踏襲しつつ、もっとヒロインと恋愛して、社会不適応者で終始しない、ふつーの主人公は書けないものなのか、ハリー。
 そして、何度同じ話を書けば気が済むんだ、ハリー(笑)。

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