物語はすでに、歩き出していた。@インフィニティ
2012年1月23日 タカラヅカ 『インフィニティ』の1幕最後、ドイツの場面。
ここのストーリーについて、まっつ自身がお茶会で語った。
……お茶会の感想を別立てで書こうと思っていたんだが、とりたてて書くことがナイので、公演感想の中に取り込んでしまおうかと思う。
どのジェンヌさんであっても、わたしがお茶会について書く場合はレポではなく、ただの「感想」なので、今回は別にする意味がないよなってことで。
1930年代のベルリンだと、わざわざ明記してある場面。
まっつは登場してすぐ、上着を着替える。目に痛いドピンクのジャケット。
背徳の街を嘲笑う彼の周囲で、男と女が踊る。エロティックに、本能的に。
だが、ひとりの女@あゆっちの登場で、まっつは変わる。それまで解説者だったのに、物語の中へ踏み込む。
あゆっちとのダンス、せき立てられるようなタンゴ。
それらは不吉なサイレンの音で断ち切られ、まっつはひとりになる。
最初に脱いだ上着に再度着替え、「夜明け」を歌う。彼の周りには、先ほどの背徳の街の男女が現れ、同じように明日を見つめる……。
てな流れなわけですが、どーゆーストーリーかというと。
まず、舞台はとある店。クラブ。……ここまでは、想定内。
問題は、次の設定。
まっつは、店のオーナー。
最初に上着をチェンジするのは、出勤してきて、仕事着に着替えているそうだ。
ええええ。
そ、そんな理由?!!
で、その店はショーなんかも見せるそうで、女の子たちが踊ったりしている。
えーと。
この設定ってさ……どこの『マリポーサの花』……。『Rpmance de Paris』でもいいよ……つまり、正塚定番設定。
それも、かなりトホホなハリー。ミュージカルをうまく作れない正塚おじさんが、歌とダンスを入れるための言い訳に、舞台をショーステージのあるクラブにしている、つーだけの……。
しかも、クラブ・オーナー自身が、「スターです!」てな派手な衣装着て、ステージで踊っちゃうとか、『マリポーサの花』のときも痛感したけど、まともに考えるとかなり残念な設定なんですけど……。
だって、雇われ人であるところの他のダンサーたちは、ナニも言えないわけじゃん? オーナーがノリノリでセンターで踊っても。オーナーにダンスの才能があろうとなかろうと、口出しできない。
オペラ座を買い取って主役を演じるカルロッタと同じ痛さ……。
この、正塚の残念設定をそのまま使いますか、正塚の愛弟子・稲葉せんせ!!(笑)
いちばん豪華な衣装を着て、舞台の真ん中で歌うのよ♪、だっけ、カルロッタ。
わざわざど派手なピンクジャケットに着替えて、真ん中で踊るまっつ……。
女の子はべらして踊ったり、男たちのセンターに立ったり、すっげーカッコイイまっつさんなのに、……やっていることがカルロッタだと思うと、肩が落ちます。
この「店のオーナー」「仕事着に着替える」てのを聞いた瞬間、この設定は、聞かなかったことにしようと思った(笑)。
いなばっちェ……。
まあ、それはともかく。
この店にいるみなさんは、とても刹那的に「今」を過ごしているらしい。
明日がどうなるかわかんないご時世だからね。
男女も妖しくもつれているし、男同士・女同士の恋人たちもいる。なんでもアリ。
「店には、同性愛者の人たちも来ている」と、まっつ自身の解説。
……えーと。
まっつはその店の、オーナーなんだよね?
ゲイにやさしいその店は、まっつが好んで作り、運営してるんだよね?
オーナー自身、バイとかありえる?(笑)
いなばっち、愉快な設定をありがとう。
んで、あゆっちはまっつの昔の恋人。
今はナチス将校の囲われ者らしい。
この辺はNOW ON STAGEで言っていた通り。
昔の恋人と再会しちゃうわけですなー。
でもこの場面は、どこまでが夢か現実かわからない作りになっている。
そう聞いたお茶会参加者たちが「おおー、深い~~」てな意味のリアクションをすると、「と、稲葉先生が言ってます」と、まっつさんはすぱっと斬り捨て。
深いのは稲葉せんせで、自分ではないと。
まっつは「自分でこう思って演じている」とは、あまり語らない人だなと。
場面や役の説明も、演出家の意向をそのまま語る。
自己アピールより、演出家の意志を体現することを是とするタイプの役者なんだなという印象。
自分主体ではなく、場や作品主体。先にあるモノに合わせる、求められるモノを正しく表現する。場や作品を「自分を表現するための道具」だとは思っていない。
ストーリーのあるドイツ場面にしても、演出家の作った「ストーリー」の説明はするが、それをまっつ自身がどう思っているかは語らない。
それは、スペイン場面で歌う歌詞が、「自分の気持ちそのまま」だと言いながら、「歌詞のどのへんがそうなのか」という質問に「ノーコメント」であるように。
ガード固いなああ。
ま、ともかくドイツ場面のストーリーがある程度わかって良かった。
それをそのまま受け取る気はなく、心の隅に置いただけで、あとはやっぱり自分で実際に、舞台から感じたことを優先する。
カルロッタ設定だからどうこうじゃなく(笑)。
お茶会の話で興味深かったのは、まっつ(と、出演者たち)はインドの場面に100%の自信を持って臨んでいたのではナイということ。
スベるかもしれない、と危惧していた。失笑されるかも、と。
聞いてて納得した。
初日のまっつが、インド場面から変わった、ナニか吹っ切れたと思ったのは、正しかったんだ。
スベるかも、と思って臨んだマッツマハラジャで、その一挙手一投足に観客大ウケ、大絶賛!だもん、うれしかったんだろうなあ。
黄色い歓声あびて、まっつがどんどん図に乗っていく様が、ムカつくくらい、かわいかった。うれしかった。
なんだよ、歓声あびると、うれしいんだ? 女の子にきゃーきゃー言われるの、うれしいんだ。クールなふりしてさー。やっぱ舞台人だねー。
……なんて感じでさ。
こちらの想像力をかき立ててくれる。
そんなステージであり、舞台人である。
『インフィニティ』と、まっつ。
だからもっと、その世界に漂っていたかった。
ここのストーリーについて、まっつ自身がお茶会で語った。
……お茶会の感想を別立てで書こうと思っていたんだが、とりたてて書くことがナイので、公演感想の中に取り込んでしまおうかと思う。
どのジェンヌさんであっても、わたしがお茶会について書く場合はレポではなく、ただの「感想」なので、今回は別にする意味がないよなってことで。
1930年代のベルリンだと、わざわざ明記してある場面。
まっつは登場してすぐ、上着を着替える。目に痛いドピンクのジャケット。
背徳の街を嘲笑う彼の周囲で、男と女が踊る。エロティックに、本能的に。
だが、ひとりの女@あゆっちの登場で、まっつは変わる。それまで解説者だったのに、物語の中へ踏み込む。
あゆっちとのダンス、せき立てられるようなタンゴ。
それらは不吉なサイレンの音で断ち切られ、まっつはひとりになる。
最初に脱いだ上着に再度着替え、「夜明け」を歌う。彼の周りには、先ほどの背徳の街の男女が現れ、同じように明日を見つめる……。
てな流れなわけですが、どーゆーストーリーかというと。
まず、舞台はとある店。クラブ。……ここまでは、想定内。
問題は、次の設定。
まっつは、店のオーナー。
最初に上着をチェンジするのは、出勤してきて、仕事着に着替えているそうだ。
ええええ。
そ、そんな理由?!!
で、その店はショーなんかも見せるそうで、女の子たちが踊ったりしている。
えーと。
この設定ってさ……どこの『マリポーサの花』……。『Rpmance de Paris』でもいいよ……つまり、正塚定番設定。
それも、かなりトホホなハリー。ミュージカルをうまく作れない正塚おじさんが、歌とダンスを入れるための言い訳に、舞台をショーステージのあるクラブにしている、つーだけの……。
しかも、クラブ・オーナー自身が、「スターです!」てな派手な衣装着て、ステージで踊っちゃうとか、『マリポーサの花』のときも痛感したけど、まともに考えるとかなり残念な設定なんですけど……。
だって、雇われ人であるところの他のダンサーたちは、ナニも言えないわけじゃん? オーナーがノリノリでセンターで踊っても。オーナーにダンスの才能があろうとなかろうと、口出しできない。
オペラ座を買い取って主役を演じるカルロッタと同じ痛さ……。
この、正塚の残念設定をそのまま使いますか、正塚の愛弟子・稲葉せんせ!!(笑)
いちばん豪華な衣装を着て、舞台の真ん中で歌うのよ♪、だっけ、カルロッタ。
わざわざど派手なピンクジャケットに着替えて、真ん中で踊るまっつ……。
女の子はべらして踊ったり、男たちのセンターに立ったり、すっげーカッコイイまっつさんなのに、……やっていることがカルロッタだと思うと、肩が落ちます。
この「店のオーナー」「仕事着に着替える」てのを聞いた瞬間、この設定は、聞かなかったことにしようと思った(笑)。
いなばっちェ……。
まあ、それはともかく。
この店にいるみなさんは、とても刹那的に「今」を過ごしているらしい。
明日がどうなるかわかんないご時世だからね。
男女も妖しくもつれているし、男同士・女同士の恋人たちもいる。なんでもアリ。
「店には、同性愛者の人たちも来ている」と、まっつ自身の解説。
……えーと。
まっつはその店の、オーナーなんだよね?
ゲイにやさしいその店は、まっつが好んで作り、運営してるんだよね?
オーナー自身、バイとかありえる?(笑)
いなばっち、愉快な設定をありがとう。
んで、あゆっちはまっつの昔の恋人。
今はナチス将校の囲われ者らしい。
この辺はNOW ON STAGEで言っていた通り。
昔の恋人と再会しちゃうわけですなー。
でもこの場面は、どこまでが夢か現実かわからない作りになっている。
そう聞いたお茶会参加者たちが「おおー、深い~~」てな意味のリアクションをすると、「と、稲葉先生が言ってます」と、まっつさんはすぱっと斬り捨て。
深いのは稲葉せんせで、自分ではないと。
まっつは「自分でこう思って演じている」とは、あまり語らない人だなと。
場面や役の説明も、演出家の意向をそのまま語る。
自己アピールより、演出家の意志を体現することを是とするタイプの役者なんだなという印象。
自分主体ではなく、場や作品主体。先にあるモノに合わせる、求められるモノを正しく表現する。場や作品を「自分を表現するための道具」だとは思っていない。
ストーリーのあるドイツ場面にしても、演出家の作った「ストーリー」の説明はするが、それをまっつ自身がどう思っているかは語らない。
それは、スペイン場面で歌う歌詞が、「自分の気持ちそのまま」だと言いながら、「歌詞のどのへんがそうなのか」という質問に「ノーコメント」であるように。
ガード固いなああ。
ま、ともかくドイツ場面のストーリーがある程度わかって良かった。
それをそのまま受け取る気はなく、心の隅に置いただけで、あとはやっぱり自分で実際に、舞台から感じたことを優先する。
カルロッタ設定だからどうこうじゃなく(笑)。
お茶会の話で興味深かったのは、まっつ(と、出演者たち)はインドの場面に100%の自信を持って臨んでいたのではナイということ。
スベるかもしれない、と危惧していた。失笑されるかも、と。
聞いてて納得した。
初日のまっつが、インド場面から変わった、ナニか吹っ切れたと思ったのは、正しかったんだ。
スベるかも、と思って臨んだマッツマハラジャで、その一挙手一投足に観客大ウケ、大絶賛!だもん、うれしかったんだろうなあ。
黄色い歓声あびて、まっつがどんどん図に乗っていく様が、ムカつくくらい、かわいかった。うれしかった。
なんだよ、歓声あびると、うれしいんだ? 女の子にきゃーきゃー言われるの、うれしいんだ。クールなふりしてさー。やっぱ舞台人だねー。
……なんて感じでさ。
こちらの想像力をかき立ててくれる。
そんなステージであり、舞台人である。
『インフィニティ』と、まっつ。
だからもっと、その世界に漂っていたかった。
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