回るミラーボール。@おかしな二人
2011年9月17日 タカラヅカ わたしは基本無知であるし、無教養である。自慢できたことじゃないが、事実なので仕方ない。
『おかしな二人』が原作付きであることはわかっているが、ストレートプレイだとは、わかっていなかった。
や、原作がそうなのは常識で理解している。
そうじゃなく、ヅカの舞台に脚色して上げるのだから、その辺はヅカ仕様になっているのかと思っていた。
出演者がみんな歌ウマだし。
台詞をはっきり歌で聴かせるミュージカルをやるのかと思った。
原作は原作でしかなく、演出家が好きにいじっていいと、わたしは思っている。
版権ガチガチで台詞の1語、動作のひとつも変えてはならないという契約での上演なら仕方ないけど。
そうではない、ふつーの「原作付き」なら、好きにしてよし。原作まんまじゃないからとクレームを言う人は原作だけ見てろ、メディアミックスされた別ジャンルに足を運ぶなと思う口。
たとえば、隣の劇場で今上演されている『仮面の男』も、デュマの原作とまったく違うこと自体は、どーでもいーと思っている。原作とも映画とも別、原作はただの原作、アイディア部分でしかなく、作品全体はそれを作った作家のオリジナルだ。『仮面の男』が問題なのは原作とかけ離れていることではなく、そのオリジナル部分がつまらなさすぎる、芝居として間違いまくっていることであり、ぶっちゃけ原作無しのオリジナル作品であっても失敗部分は同じだ。
『おかしな二人』がどこまで版権ガチガチなのか知らないが、もっとタカラヅカ的にやるのかと思っていたんだ。
ストレートプレイである、と気がついたのは1幕が終わってから。
1幕の間は、ぜんぜん気付いてなかった(笑)。
繰り出されるものを夢中で受け止めているだけで、歌やダンスがないことに気が回っていなかった。
休憩時間になってから、あれ、そーいや誰も歌ってないし踊ってないぞ、と思った。
ひょっとしてコレ、ストレートプレイなの? えええ、せっかく歌える人ばっかり集めたのに、マジかよ、と。
まあ大体「歌える人」っていうのは芝居もできる人が多いので、歌手を集めたんじゃなくて、芝居巧者を集めたってことなんだろうが。
もったいないわー。
あ、わたしゆあちゃんだけ歌の実力わかってません。出演者が発表になったとき、彼女はビジュアル枠だとすんなり思い込んだ……そして結局歌がなかったので、彼女の歌唱力はよくわかっていない。
や、歌がなくても無問題なんですけどね。
ちゃんと芝居だけで楽しかった。
ミュージカルじゃないからと文句を言う気はまったくない。
歌もダンスもない、芝居だけだからこその作品だということもわかる。
ないことに気が付かないくらい、芝居だけで面白い。
てゆーかもー、誰も彼も可愛すぎる。愛しすぎる。楽しい楽しい楽しい。
とても満足して、拍手して、3幕目の終演を迎えた。
ふつーならここで再度幕が上がり、出演者たちが一礼して終了だ。
良い芝居だったので、それで終わってくれていい。もちろんそれもありだと思う。
だけど。
ミラーボールが回り出したとき、血が沸き立った。
やったっ!! フィナーレありだ!!
興奮した。
めーっちゃ興奮した(笑)。
ふつうなら、ここで幕。ここでおしまい。
だけど、そこで終わりじゃないのが「タカラヅカ」。
そして、ここは「タカラヅカ」。
カジュアルな格好しかしていなかったぽっぽー姉妹が、ゴージャスなドレスに着替えて、ミラーボールの光が舞い踊る中、歌いながら客席登場。
三枚目に徹していたトド様が、ヅカ的びらびらの付いたキラキラ衣装で踊る。
歌う。
笑わせてくれていた星男たちが、キザりながら踊る。ザ・タカラヅカを見せる。
うわああ、タカラヅカだ~~。やっぱここはタカラヅカだー。
やっぱタカラヅカはいいなあ。
そして、ある意味究極のタカラヅカなのが、最後に登場するマヤさんだ。
お玉をマイクにして「マイウェイ」を歌う彼は、……この曲、この場面を彼のために作る、それはもお、「タカラヅカ」でしかありえないことだ。
ヅカファンならば誰もが理解する、別れの時が近付いているのだと。それゆえの演出であると。
出演者も口にしない、観客も声には出さない、だけどみんながわかってそこにいる。
タカラヅカって、そういうところだ。
「愛する舞台」と歌うマヤさんに、劇場が揺れるくらいの大きな拍手が送られる。
DVDにもならないんだっけか、そんな版権のきびしいらしい、よそからの締め付けのあるこの舞台もまた、まぎれもなく「タカラヅカ」だ。
ところでこの公演、とても時間が短かった。
こんなところにも、歌とダンスの有無を思う。
同じテキスト量だとして、歌とダンスがあれば通常のバウホール公演時間になったんだと思う。
3幕モノでもなく、ふつーに2幕になっただろうし。
大体3幕モノったって、実際は4幕+フィナーレだったし。2幕の途中に幕が下り、えんえん音楽だけ聴かされる時間があったので、あそこで一旦途切れている。休憩を挟んでいないってだけで。
起承転結の4コママンガみたいな作りなんだもんなー。
歌とダンスを挿入すれば、いちいち幕を下ろして休憩、3幕モノにしなくても、カーテン前の歌やダンスでしのいで、次の場面に行けたもんよ。2幕で済んだわ。
原作の縛りがどの程度あるのか知らないけど、今度はいっそミュージカルバージョンでやっちゃって欲しい(笑)。
ふたりの掛け合いが歌になるの。途中でダンスもしちゃうの。
それはそれで、楽しいと思うな。
ストレートプレイである今回の『おかしな二人』を否定する意味ではまったくなく、「タカラヅカ」の可能性の話として。
『おかしな二人』が原作付きであることはわかっているが、ストレートプレイだとは、わかっていなかった。
や、原作がそうなのは常識で理解している。
そうじゃなく、ヅカの舞台に脚色して上げるのだから、その辺はヅカ仕様になっているのかと思っていた。
出演者がみんな歌ウマだし。
台詞をはっきり歌で聴かせるミュージカルをやるのかと思った。
原作は原作でしかなく、演出家が好きにいじっていいと、わたしは思っている。
版権ガチガチで台詞の1語、動作のひとつも変えてはならないという契約での上演なら仕方ないけど。
そうではない、ふつーの「原作付き」なら、好きにしてよし。原作まんまじゃないからとクレームを言う人は原作だけ見てろ、メディアミックスされた別ジャンルに足を運ぶなと思う口。
たとえば、隣の劇場で今上演されている『仮面の男』も、デュマの原作とまったく違うこと自体は、どーでもいーと思っている。原作とも映画とも別、原作はただの原作、アイディア部分でしかなく、作品全体はそれを作った作家のオリジナルだ。『仮面の男』が問題なのは原作とかけ離れていることではなく、そのオリジナル部分がつまらなさすぎる、芝居として間違いまくっていることであり、ぶっちゃけ原作無しのオリジナル作品であっても失敗部分は同じだ。
『おかしな二人』がどこまで版権ガチガチなのか知らないが、もっとタカラヅカ的にやるのかと思っていたんだ。
ストレートプレイである、と気がついたのは1幕が終わってから。
1幕の間は、ぜんぜん気付いてなかった(笑)。
繰り出されるものを夢中で受け止めているだけで、歌やダンスがないことに気が回っていなかった。
休憩時間になってから、あれ、そーいや誰も歌ってないし踊ってないぞ、と思った。
ひょっとしてコレ、ストレートプレイなの? えええ、せっかく歌える人ばっかり集めたのに、マジかよ、と。
まあ大体「歌える人」っていうのは芝居もできる人が多いので、歌手を集めたんじゃなくて、芝居巧者を集めたってことなんだろうが。
もったいないわー。
あ、わたしゆあちゃんだけ歌の実力わかってません。出演者が発表になったとき、彼女はビジュアル枠だとすんなり思い込んだ……そして結局歌がなかったので、彼女の歌唱力はよくわかっていない。
や、歌がなくても無問題なんですけどね。
ちゃんと芝居だけで楽しかった。
ミュージカルじゃないからと文句を言う気はまったくない。
歌もダンスもない、芝居だけだからこその作品だということもわかる。
ないことに気が付かないくらい、芝居だけで面白い。
てゆーかもー、誰も彼も可愛すぎる。愛しすぎる。楽しい楽しい楽しい。
とても満足して、拍手して、3幕目の終演を迎えた。
ふつーならここで再度幕が上がり、出演者たちが一礼して終了だ。
良い芝居だったので、それで終わってくれていい。もちろんそれもありだと思う。
だけど。
ミラーボールが回り出したとき、血が沸き立った。
やったっ!! フィナーレありだ!!
興奮した。
めーっちゃ興奮した(笑)。
ふつうなら、ここで幕。ここでおしまい。
だけど、そこで終わりじゃないのが「タカラヅカ」。
そして、ここは「タカラヅカ」。
カジュアルな格好しかしていなかったぽっぽー姉妹が、ゴージャスなドレスに着替えて、ミラーボールの光が舞い踊る中、歌いながら客席登場。
三枚目に徹していたトド様が、ヅカ的びらびらの付いたキラキラ衣装で踊る。
歌う。
笑わせてくれていた星男たちが、キザりながら踊る。ザ・タカラヅカを見せる。
うわああ、タカラヅカだ~~。やっぱここはタカラヅカだー。
やっぱタカラヅカはいいなあ。
そして、ある意味究極のタカラヅカなのが、最後に登場するマヤさんだ。
お玉をマイクにして「マイウェイ」を歌う彼は、……この曲、この場面を彼のために作る、それはもお、「タカラヅカ」でしかありえないことだ。
ヅカファンならば誰もが理解する、別れの時が近付いているのだと。それゆえの演出であると。
出演者も口にしない、観客も声には出さない、だけどみんながわかってそこにいる。
タカラヅカって、そういうところだ。
「愛する舞台」と歌うマヤさんに、劇場が揺れるくらいの大きな拍手が送られる。
DVDにもならないんだっけか、そんな版権のきびしいらしい、よそからの締め付けのあるこの舞台もまた、まぎれもなく「タカラヅカ」だ。
ところでこの公演、とても時間が短かった。
こんなところにも、歌とダンスの有無を思う。
同じテキスト量だとして、歌とダンスがあれば通常のバウホール公演時間になったんだと思う。
3幕モノでもなく、ふつーに2幕になっただろうし。
大体3幕モノったって、実際は4幕+フィナーレだったし。2幕の途中に幕が下り、えんえん音楽だけ聴かされる時間があったので、あそこで一旦途切れている。休憩を挟んでいないってだけで。
起承転結の4コママンガみたいな作りなんだもんなー。
歌とダンスを挿入すれば、いちいち幕を下ろして休憩、3幕モノにしなくても、カーテン前の歌やダンスでしのいで、次の場面に行けたもんよ。2幕で済んだわ。
原作の縛りがどの程度あるのか知らないけど、今度はいっそミュージカルバージョンでやっちゃって欲しい(笑)。
ふたりの掛け合いが歌になるの。途中でダンスもしちゃうの。
それはそれで、楽しいと思うな。
ストレートプレイである今回の『おかしな二人』を否定する意味ではまったくなく、「タカラヅカ」の可能性の話として。
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