『灼熱の彼方』「オデュセウス編」観劇。
 なんというか。
 そう、なんと言っていいのか。

 わたしの中で、スズキケイ株が暴落の一途、奈落へ向かってフリーホール状態っす。

 ひっでー話。というのが、いちばんの感想……。

 ナイわー。コレはナイわー。

 作品のひどさは、『愛のプレリュード』と同じくらい?
 退団マジックのない『愛プレ』で、演じているのが文化祭に毛が生えた程度のひよっこたちだから、力尽くで破壊作をねじ伏せることなんぞ出来るはずもなく、盛大に共倒れ、屍累々って感じっす。

 話は、『愛プレ』と同じです。
 昔なじみの親友同士が久々に再会すると、主人公の方は昔通りのいい人、親友はよくわかんないけどグレて悪の人に。
 主人公には仕事があるけど、公私混同、きれいごとは人一倍語るけれど責任は果たさない。他人のミスはとことん責めるけど自分の大失敗はスルーするタイプ。
 主人公はなにかっちゃー説教をはじめる。一見いいこと言ってるみたいだが、内容は支離滅裂。偽善が基本、オマエが言うなクラーッシュ!!
 主人公とヒロイン星空の下でえんえんラヴシーン、うふふあはは。
 主人公は欲望のままにわけわかんないこをするが、物語の中では彼が正義、素晴らしい行いということになっている。
 ヒロインは設定とその場のアクションがあるだけで、人格ナシ。
 大芝居で歌舞伎、時代設定関係なく、とにかく「昭和」な時代劇。
 話の内容と関係なく繰り返される大仰な主題歌。洗脳ソング。
 主要キャラは数名だけ、あとはモブ、背景。

 で、『愛プレ』と違って、主人公と親友くんの話をふたつに分けているため、『愛プレ』の「親友くんも大変だったんだよ、悪い人じゃないんだよ」話が書かれていないため、「オデュセウス編」ではひでーことになっている。
 や、『愛プレ』の「親友くんも大変だったんだよ」話も破綻しまくりでわけわかんなかったけど。理解できないモノでも、とりあえず描いてあるのとナイのでは大きくチガウ。
 『愛プレ』の親友くんのグレた理由があんなだったこともあり、『灼熱の彼方』の親友くんも、きっとかなりアレなことでグレてるだけなんだろうなあ、と肩を落とす効果はある。ぶっちゃけ、観なくていいか……なくらい。いや、観るけど。

 後半日程の「コモドゥス編」はかなり不利ぢゃないか?
 「2本とも観ないと話がわからない」的な宣伝をスカステ等で繰り返しているから、ただでさえ「第1話を見逃したから、全部見ない」「映画は最初から見る、数分でもはじまっていたらその回は見ない、またの機会にする」層が確実にいるから。
 第2話や続編に相当する「コモドゥス編」だけを観る人は、「オデュセウス編」より最初から少ないだろう。
 なのに、この上さらに、「オデュセウス編」を観た人たちが、そのあまりの作品のひどさに辟易して、「こんな話にもう5000円も出せない」と観劇意欲を消滅させる場合も少なくないと思う。

 ひどいなあ、スズキケイ。

 とにかく、主要キャラ3人に誰ひとり共感できないし、理解も好意も持てないのは、なんとかならんのか……。いちばん人格がない分、ヒロインがいちばんマシ……?
 って、コレ『H2$』感想にも書いたような……って、そんな作品、そんなキャラクタばかりかよ、受難だな雪組。

 で、これも何度も書いてきているけれど、個人的な好みの問題として、愛を免罪符にする人が嫌いなんですよ、わたし。
 植爺作品のテンプレ。「愛しているならよその国の王妃をかっさらってこい、愛がこの世でもっとも尊いから正義!」と王様が言っちゃう、それが感動シーンだという世界観。そんなことしたら戦争になるやん、何万もの罪なき国民よりたったひとりの不倫愛が大切なの?
 てなふーに、「愛さえあれば、どんな非道なこともしてよい、だって愛は正義」と思っている人が嫌。愛してるからOK!なら、世のストーカー殺人はすべて美談ですよ。

 愛があろうと罪は罪。間違いは間違い。
 罪だとわかった上で、間違いだとわかった上で、「それでも愛してる」「愛を止められない」は大好きです。

 だって愛ってのは所詮の欲ですよ、その人自身の。
 個人的な欲を満たすために他人を傷つけたり酷いことをしておいて、「愛を貫いたから正義!」とドヤ顔されても。

 スズキケイはほんっとーに植爺の弟子なんだなあ。
 ミニマム植爺、プチ植爺。
 植爺ほどの華はなく、小さくまとまった植爺。
 『愛プレ』初日観劇時と同じ感想。まったくもって彼は小物なんだな、と。

 それでもスズキケイにはまだ愛らしさはある……かなあ。
 彼自身の萌えが、夢見る男子的ドリーム全開で、老人の妄想でない分、わたしの年代には受け入れやすいんだと思う。植爺の「敬老精神」「母息子神話」「男尊女卑」も彼と同世代の人には心地よいモノなのかもしれないし。

 とりあえず、主人公とヒロインが星空の下でラヴラヴはじめたとき、盛大に吹きました。

 来たぞテンプレ!! スズキケイ作品コンプリート場面。
 オデュセウス@咲ちゃんが「あれは、星の輝く夜だった」と言い出した瞬間から、ぶっはー!だったもんなあ。声出さないよう、腹筋使って苦しかった。

 んで、ラストシーンもやはり「星空の下」で、しかも「海」来ました、スズキケイのお約束!!
 こ、こらえろわたし、声出して笑っちゃだめーっ。

 先に仲間内から「腹筋鍛えられる」という話は聞いていたけど、ほんとにそうだったよ……笑わせてどうするんだ、スズキケイ。いやむしろ、彼はすでに狙っているのかもしれない、「お約束ネタによるお笑い」を。

 いちおーここまでは、わりに好意的に、なまあたたかく観ていたんだけど、そのあとの蛇足部分で両足を上げて「ギャフン!」と椅子から転げ落ちそうになった。

 オデュセウスは英雄で、先の皇帝@ホタテの信任も厚い将軍様。ローマ帝国を支え、導く義務と使命のある男。
 ところが彼はそーんなことカケラも気にしていない。大切なのは自分だけ。自分の欲……つまり、愛だけ。
 ローマも軍隊も屋敷の人々も、とにかく一切合切すべて投げ出して、好きな女の子とランナウェイ。
 それがラストの星空と海の場面。

 なんちゅー無責任な。と、アゴは落ちていたけど、まあ笑える範囲。
 主人公だから正しくなければならないわけじゃない、間違っていても好きに生きる様を愛でるのはアリ。
 問題はその直後、オデュセウスの乳母@カレンが出てきて、コロスのダンスを背景に実に感動的に、オデュセウスが愛を貫いたことを褒め称え、
「オデュセウス様、アナタはまさにローマの太陽です……っ!!」
 と、絶叫。

 ちょお待て。

 その太陽は、ローマを捨ててますがな。

 ローマなんか滅んじゃえ! ローマを滅ぼすオデュセウス万歳! って意味なの? チガウっしょ?
 オデュセウスがどんだけ人格破綻した酷い男でもいいの、そんな男の愛を描いているなら。
 でもこのラストでオデュセウスが正義の人だと解説された。
 えええ。
 ちっとも正義じゃないよ。ナニこれキモチワルイ。わたしの苦手な「愛は免罪符」かよ……。「愛があれば、ナニをしても正義」かよ……。
 がっくり。

 
 てことで、↓『愛プレ』初日観劇感想の、最後の1文をコピペしておきます。

 スズキケイさん、放課後屋上に来てください。話したいことがあります(笑)。

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