地球は今、わたしたちの内側で回っている。@1万人の第九
2009年12月7日 その他 よく聞かれるけど、『1万人の第九』のテレビ放送は、12月23日の昼間です。キー局が大阪のMBSなので、TBS系で全国ネット、のはず。
毎年12月最初の土日にリハと本番、23日がテレビ放送。これは決まりごとらしく、確かめるまでもなく11年間同じパターン。
テレビ放送はもう何年も見たことナイ(笑)。や、見たくないわけではなくて、正直忘れてる。気が付いたら、終わってるんだもんよ。
『1万人の第九』コンサート自体を放送するのではなく、あくまでダイジェスト+ゲストに重きを置いた舞台裏とかのドキュメント風になっている。コンサート全部放送したら、1時間枠では無理だもん、「第九」だけでCM抜きで1時間超えるっつーの。
コンサート中継はDVD販売しているから、そっちで見てね、ってことで、テレビ放送は別物と考えるべき。
ちなみに、DVDは買ったことナイので、ほんとに出演はしても映像はろくに見たことがない……(笑)。
あ、それと、『1万人の第九』参加者募集は毎年6月で、レッスン会場は大阪が中心だけど、東京クラスもあるよー。抽選なんで、参加できるかどうかは時の運だけどな。
参加費は6000円、12回(経験者は6回)もレッスンしてもらって、コンサートを聴けて、参加できて、この価格はアリエナイ安さ。カルチャースクールの価格を思えば、サントリーが広告活動でやってるからこの価格であのレベルのイベントができるんだなと思う。レッスンに参加するとわかるけど、先生たちの情熱もすごいよ。本気で第九を愛し、「1万人の第九」を作り上げようとしている。
大人が時間捻出してレッスンに通うのは大変だけど、それを超えた感動が得られるよ。
と、宣伝してみる(笑)。
コンサートは、2部構成。
1部がゲストを交えての、ふつーのコンサート。基本わたしたち「1万人の合唱団」もお客さん感覚で自分の座席で聴いている。
2部がまるまる「第九」。長い曲だから、ソレだけではじまり終わる。
今年の『10000人の第9 歌のある星へ』のゲストは、槇原敬之。
1部はあり得ないほどの盛り上がりで、カオスでフリーダムなまま終了。
2部構成のイベントで、1部のラストが盛り上がりすぎてカーテンコールおさまらないとか、ふつーナイから!
あんまり盛り上がりすぎて、「え、まだ第2部あるの?」とゆー雰囲気に。
お祭り騒ぎで大興奮!の1部、幕間休憩を経て、次にステージがはじまるときには、空気が、変わっている。
この変わりっぷりがすごい。
お笑いとお祭りに徹していた佐渡先生のまとう空気も、まったくチガウ。
なんのトークもなく説明もなく、いきなり、はじまる。
司会者の小倉智昭氏もステージにいない。演奏者だけの舞台。
……ここまで「変わる」コンサートも、めずらしいんじゃないだろうか。
1部と2部の別物っぷりが半端ナイ。
特に今年はもお。
1部のぶっ飛び方がものすごかったから、こんなにこんなに「祭りだわっしょい」をやって、みんな立ち上がって大騒ぎで、歓声と拍手で盛大にカオスだった直後に、同じステージで、ここまで厳粛になるっつーのは。
どちらも、「音楽」なんだ。
わたしたち、人間の作る、人間の愛する、「音楽」というものなんだ。
なんて広いんだろう。なんて奥が深いんだろう。
「音楽」って。
両手を打ち鳴らし、カラダを動かしながらきゃーきゃーに参加するのも「音楽」ならば、厳粛に緊張感を持って参加するのも「音楽」なんだ。
そして、それを同時に体験できる、『1万人の第九』。
おもしろいなあ。
『1万人の第九』って、おもしろい。
例年にない、ぞくぞくした感じが、あった。
自分が今、すごい場所にいるんだと思った。
「第九」という音楽の力。
それを奏でる人々の力、指揮する人の力、聴き入る人々の集中力……すべてのものが、ひとつの場所に集約する感覚。
ベクトルが、ひとつになる。
ばらばらであるはずのものが、今このときだけ、たしかにひとつになる……その、感覚。
肌にぴりぴり感じる、不思議さ。興奮。
広大な大阪城ホール内部の空気が、「気」が、濃縮され圧縮され、なんかチガウものに変換されていく。
そしてソレが、解き放たれる。
ぎりぎりまで引き絞った矢が、放たれるみたいに。ぱんぱんの水風船が、はち切れるみたいに、
大きさは変わっても質量は変わっていない、小さく小さく凝縮した分、濃く濃くなったナニかが、一気に爆発する。
合唱となって。
「声」があって良かった。
「楽器」を持って生まれてきて良かった。
オーケストラの奏でる音と共に、自分自身の声という楽器で、共に奏でることが出来て、良かった。
内側からわきあがる不思議な力に押されて、外側からわきあがり続ける頼もしい力と手を取り合って、ただ、歌う。
歌う。
喜びの歌。
歓喜の歌。
細胞のひとつひとつまでもが、うわーーっと声を出している。
…………いやあ。
脳内麻薬出まくってんじゃないの、あの空間。あそこにいた人々。
テンション、熱気、なんかもお例年にない温度で、皮膚感で、曲はフィニッシュを迎える。
ブラボー!を叫ぶ人たち、拍手と歓声と。
てゆーか、なんかみんな興奮状態で。なんかハイになってて。
歌い終わった瞬間、声出てんじゃん、叫ばないだけで。
すごいことになってるな今年の『第九』。
心からもお、ひたすら、おもしろかった。
人間ってすごい。
音楽ってすごい。
生きるって、おもしろいよ。
毎年12月最初の土日にリハと本番、23日がテレビ放送。これは決まりごとらしく、確かめるまでもなく11年間同じパターン。
テレビ放送はもう何年も見たことナイ(笑)。や、見たくないわけではなくて、正直忘れてる。気が付いたら、終わってるんだもんよ。
『1万人の第九』コンサート自体を放送するのではなく、あくまでダイジェスト+ゲストに重きを置いた舞台裏とかのドキュメント風になっている。コンサート全部放送したら、1時間枠では無理だもん、「第九」だけでCM抜きで1時間超えるっつーの。
コンサート中継はDVD販売しているから、そっちで見てね、ってことで、テレビ放送は別物と考えるべき。
ちなみに、DVDは買ったことナイので、ほんとに出演はしても映像はろくに見たことがない……(笑)。
あ、それと、『1万人の第九』参加者募集は毎年6月で、レッスン会場は大阪が中心だけど、東京クラスもあるよー。抽選なんで、参加できるかどうかは時の運だけどな。
参加費は6000円、12回(経験者は6回)もレッスンしてもらって、コンサートを聴けて、参加できて、この価格はアリエナイ安さ。カルチャースクールの価格を思えば、サントリーが広告活動でやってるからこの価格であのレベルのイベントができるんだなと思う。レッスンに参加するとわかるけど、先生たちの情熱もすごいよ。本気で第九を愛し、「1万人の第九」を作り上げようとしている。
大人が時間捻出してレッスンに通うのは大変だけど、それを超えた感動が得られるよ。
と、宣伝してみる(笑)。
コンサートは、2部構成。
1部がゲストを交えての、ふつーのコンサート。基本わたしたち「1万人の合唱団」もお客さん感覚で自分の座席で聴いている。
2部がまるまる「第九」。長い曲だから、ソレだけではじまり終わる。
今年の『10000人の第9 歌のある星へ』のゲストは、槇原敬之。
1部はあり得ないほどの盛り上がりで、カオスでフリーダムなまま終了。
2部構成のイベントで、1部のラストが盛り上がりすぎてカーテンコールおさまらないとか、ふつーナイから!
あんまり盛り上がりすぎて、「え、まだ第2部あるの?」とゆー雰囲気に。
お祭り騒ぎで大興奮!の1部、幕間休憩を経て、次にステージがはじまるときには、空気が、変わっている。
この変わりっぷりがすごい。
お笑いとお祭りに徹していた佐渡先生のまとう空気も、まったくチガウ。
なんのトークもなく説明もなく、いきなり、はじまる。
司会者の小倉智昭氏もステージにいない。演奏者だけの舞台。
……ここまで「変わる」コンサートも、めずらしいんじゃないだろうか。
1部と2部の別物っぷりが半端ナイ。
特に今年はもお。
1部のぶっ飛び方がものすごかったから、こんなにこんなに「祭りだわっしょい」をやって、みんな立ち上がって大騒ぎで、歓声と拍手で盛大にカオスだった直後に、同じステージで、ここまで厳粛になるっつーのは。
どちらも、「音楽」なんだ。
わたしたち、人間の作る、人間の愛する、「音楽」というものなんだ。
なんて広いんだろう。なんて奥が深いんだろう。
「音楽」って。
両手を打ち鳴らし、カラダを動かしながらきゃーきゃーに参加するのも「音楽」ならば、厳粛に緊張感を持って参加するのも「音楽」なんだ。
そして、それを同時に体験できる、『1万人の第九』。
おもしろいなあ。
『1万人の第九』って、おもしろい。
例年にない、ぞくぞくした感じが、あった。
自分が今、すごい場所にいるんだと思った。
「第九」という音楽の力。
それを奏でる人々の力、指揮する人の力、聴き入る人々の集中力……すべてのものが、ひとつの場所に集約する感覚。
ベクトルが、ひとつになる。
ばらばらであるはずのものが、今このときだけ、たしかにひとつになる……その、感覚。
肌にぴりぴり感じる、不思議さ。興奮。
広大な大阪城ホール内部の空気が、「気」が、濃縮され圧縮され、なんかチガウものに変換されていく。
そしてソレが、解き放たれる。
ぎりぎりまで引き絞った矢が、放たれるみたいに。ぱんぱんの水風船が、はち切れるみたいに、
大きさは変わっても質量は変わっていない、小さく小さく凝縮した分、濃く濃くなったナニかが、一気に爆発する。
合唱となって。
「声」があって良かった。
「楽器」を持って生まれてきて良かった。
オーケストラの奏でる音と共に、自分自身の声という楽器で、共に奏でることが出来て、良かった。
内側からわきあがる不思議な力に押されて、外側からわきあがり続ける頼もしい力と手を取り合って、ただ、歌う。
歌う。
喜びの歌。
歓喜の歌。
細胞のひとつひとつまでもが、うわーーっと声を出している。
…………いやあ。
脳内麻薬出まくってんじゃないの、あの空間。あそこにいた人々。
テンション、熱気、なんかもお例年にない温度で、皮膚感で、曲はフィニッシュを迎える。
ブラボー!を叫ぶ人たち、拍手と歓声と。
てゆーか、なんかみんな興奮状態で。なんかハイになってて。
歌い終わった瞬間、声出てんじゃん、叫ばないだけで。
すごいことになってるな今年の『第九』。
心からもお、ひたすら、おもしろかった。
人間ってすごい。
音楽ってすごい。
生きるって、おもしろいよ。
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