この星に生まれて。@1万人の第九2009
 ベルリンの壁が崩壊した年。
 東西ドイツの演奏者たちが集まって「第九」を演奏したそうだ。「歓喜」という歌詞を「自由」に変えて。
 それから20年。
 ベルリンの壁が壊される映像からスタートした今年の『1万人の第九』は、ものすごーく、フリーダムだった(笑)。

 第一部には毎年ポップス界からゲストシンガーが出演するんだが、今年のゲストは槇原敬之だった。
 歌うのは新曲の「ムゲンノカナタヘ」と、定番曲「見上げてごらん夜の星を」、マッキーといえばコレでしょ、の、「世界に一つだけの花」。
 ゲストの持ち歌に、1万人の合唱団がコーラスを入れる、てのがこのイベントのお約束。
 今年ももちろん、「世界に一つだけの花」にコーラスを入れることになり、前もって楽譜が配られそれぞれのクラスで練習もしていた。

 が、前日リハーサルのときに。
 『1万人の第九』の指揮者であり総監督の佐渡せんせーが言うわけだ。

「最後のとこは何回やるか決めてないけど、まあいいよね」

 「世界に…」のラストの「♪ラララ~」部分を何回リピートするか、決めないでやるとゆーんだ。まあなんとかなるでしょと。

 ヲイヲイ。
 訓練された少数のコーラス団ぢゃなく、素人×1万人だよ? いいの?

 なんとかなるでしょ、ではじまったリハーサル。
 おとなしく拝聴する「ムゲンノカナタヘ」はともかく、「見上げてごらん夜の星を」は「てきとーに歌ってヨシ」と言われたので、みんな好きなときに勝手に歌い出す。
 そして楽譜もらって練習した唯一の「世界に…」は……みんな、音合ってる?!(笑) けっこーばらばらとやってるよーな気が……。
 そして問題のリフレイン。
 オーケストラも演奏を止め、手拍子だけでアカペラで「ラララ」が続く。
 えーとこれ、どこまでやるの、いつまでやるの? マッキー踊ってるし、佐渡せんせも式台から離れてあおってるし。
 カオスのまま、リハ終了(笑)。

「好きに歌っちゃっていいから。ねえ?」
 世界の佐渡裕はあっけらかんと、そんなことを言う。
 せんせに振られて、マッキーも「ええ」と言う。
「作曲者がイイって言ってるから、イイってことで!」

 いいのかよ?!

 ……で、『1万人の第九』当日。
 ゲネプロ時に合唱指導のせんせがフォローする(笑)。
「オーケストラが演奏やめてアカペラになってる間はGパートを繰り返して、佐渡先生が式台に戻ってオケに合図をしたら演奏はじまるから、そしたらそこからHパートね」
 同じ「ラララ」でもメロディがチガウんだよ、楽譜もらってんだよ(笑)。

 しかし。
 ゲネプロの「ラララ」リフレインは、めちゃくちゃ(笑)。

 わたしと周囲は生真面目にGパート歌ってるんだけど、左スタンドの方からはHパートの「ラララ」が聞こえる。勝手にスタンディングはじめるし、マッキー踊ってるし佐渡せんせもあおってるし……カオス。

 駄目出し来るかなと思ったけれど、それもなくゲネプロ終了。えええ、あれでいいの? コーラスめちゃくちゃでしたよ?!

「ここは『ラララ』で、佐渡先生が式台に上がって伴奏がついてからが『ラララ』よねえ?」
 後ろの席の人たちが、楽譜を開いて首を傾げている。や、あなたたちは合ってます、楽譜を無視して最初から最後までHパートで歌っていた人たちが何百人だか何千人だかいただけで。
 Hパートの方が歌いやすい旋律で、なおかつ盛り上がるのね。編曲した人の意図としては、はじめは押さえ気味の地味なラララで、最後にどかんと派手なラララで盛り上げて感動エンディング!という演出だったと思うの。でも練習不足かつ、「本番も楽譜を見て歌うので、暗譜しなくていいですよ」と練習時間を取れない言い訳にしていた運営側にも問題があると思うの。
 危惧したとおり、楽譜なんて見られなかったもの。演出効果でマッキーのいるステージ以外は真っ暗だもの。楽譜開いても読めない。

 毎年のことだけど、「楽譜見ていいからね」と練習時間を取れないままなし崩しで本番、で、本番は楽譜なんか見られない真っ暗な演出……ての、いい加減やめて欲しい。
 音楽のプロは「この程度、そもそも楽譜なくても1回聴けばできるはず」と思うのかもしれないが、素人×1万人にナニを求めてるんだ。はじめてのことをやらせるんだから、それなりの練習は必要だっつの。
 ゲストの曲にコーラスを入れる都合上、演出が決まり楽譜が出来上がるのがいつも本番直前だからそもそも物理的に時間が取れないことと、本当の意味で練習するにはゲストとも合わせなきゃいけないわけで、んな高名なスター様を素人の練習につきあわせるわけにもいかないので、内輪の事情的にも不可能。つーことで、毎年毎年練習不足。
 そして毎年毎年、練習不足の言い訳は「楽譜見ながら歌っていいからね」……そして本番は照明真っ暗で楽譜見えず、の繰り返し。
 進歩はないのか、運営側。
 どうせテレビ放送するのはほんの一部で編集加工前提なので、ぐたぐだでもいいんだろうな(笑)。

 まあそのへんは毎年のことなのであきらめている。今年も「前言に偽りあり」ですな、MBS。

 ぐだぐだ上等! のまま、いざ本番。

 不思議なことに、本番は合っていた、気がする、コーラス(笑)。
 何故だ(笑)。

 曲の合間合間にMCが入るんだが、マッキーがそこで伴奏している子どもばかりのオーケストラの音について言及していた。
 「見上げて…」は子どもたちばかりが伴奏をしている。彼らの、純粋に「音」と向き合ったゆえに奏でる音に胸を突かれる、よーな意味のことを。途中で佐渡せんせが話を奪っちゃっていたけど、双方そーゆー意味のことを語っていたと思う。

 そう。
 リハもゲネもゆるくて、なんかカオスだった。
 その延長にあるはずの、本番。
 なんだかとても純粋に、剥き出しの「音楽」が、そこにあった。……気がする。

 「ムゲンノ…」を歌うマッキーと、その歌声に集中する空気。1万人の手拍子は鳴っているけれど、ソレとは別に、1万人が耳をそばだてているのがわかる。
 「見上げて…」のマッキーの声にかぶせて、静かにわきあがるコーラス。
 まるで、教会の中のようだ。
 祈りがしんしんと響き、歌声になるような。

 そして、「世界に…」。
 楽譜があるんだかないんだか、守る気があるんだかないんだか。
 がちがちに決める気のない、「余白」の部分、楽譜には印刷されないナニかを解き放った、1曲。フリーダムな、ひととき。

 マッキーが踊り、佐渡せんせが踊る。客席に、1万人の合唱団に、「歌え」と訴えかける。

 歌歌え。歌歌う。
 2009年の『10000人の第九』のサブタイトルは「歌のある星へ」だ。

 「歌はなくても生きていけるけど、歌があると楽しい」……マッキーがそう語るように。

 歌は楽しい。歌は幸せだ。
 歌歌う、今は、楽しい。今は、しあわせだ。

 歌のある星に生まれた幸福を、声にして歌う。
 なくても生きていけるものを、必要として、声を上げる。
 立ち上がり、手を打ち鳴らしながら歌う。

 リフレイン。心のままに、波のままに繰り返されて。
 伴奏もなく、ただひとの声だけで。

 そして。
 子どもたち、学生たちの伴奏を得て、曲は終着する。プロではない、お金のためではなく演奏する者たちの音で、1万人の素人の歌声と共に。

 鳴りやまない拍手。
 マッキーが退場して、第1部は終了、休憩になる予定だ。
 なのに、鳴りやまない。

 こんなの、はじめてだ。
 『1万人の第九』に参加し続けて11年、佐渡せんせと同じ年数やってきたけど、こんなの見たことナイ。聞いたことナイ。

 退場したマッキーが戻ってきた。
 まさかのカーテンコール。
 沸き上がる会場。

 カオス。
 なんかもお、カオスすぎる(笑)。
 いやこれは、フリーダムなのか(笑)。

 
 休憩になったあと、後ろの席の人たちの会話が聞こえた。

「あんまり盛り上がったから、これで『終了』って感じよね」
「ほんとにねー。終わったー、って感じよね」

 同感です。

「ちょっと待って、これからが本番だってば」

 はい。『1万人の第九』ですから。まだ第九歌ってませんから(笑)。

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