それはあきらかにムジュンしています・その2。@懐かしの宝塚イブニングコンサート
2009年9月14日 タカラヅカ 『懐かしの宝塚イブニングコンサート』汐美真帆の回の構成について、グダグダ語ってます、続き。
ケロの立場が中途半端すぎるんだ。
たとえば最初から、「わたしが選んだ曲に、カラーセラピストの張さんに色を選んでもらいました」ならば、混乱はない。
曲ごとの色は、「カラーセラピストとしての知識に基づいて」選ばれているとわかる。
だが、なにしろ最初の1曲のボトルをスタンドから取り出して歌ったのはケロで、「曲に合わせて選びました」と言う。
まるでケロ自身が選んだかのように。
ケロが選んでいないとは言わない。選んでいるのはたしかだから、嘘を言っていないことはわかる。
でも、ケロの立ち位置がわからない。
カラーセラピーの知識とは無関係に、「この曲にはこの色!」と思って選んでいるのか、知識を元に「この色の持つ意味はこうだから、この曲にはこの色」と思って選んでいるのか。
「この曲にはこの色!」と選んでいるのならば、色に対するイメージを語ったあとに「合ってますか?」と張さんに聞くのはおかしい。
カラーセラピー的にどういう意味があろうと、「わたしはこう思った」で済むはず。
もしもセラピー的に意味が違っていたとしても、それを軌道修正するのはセラピストの張さんの仕事でケロがいちいち「カラーセラピー的正解」で色の説明をする必要はない。
おそらく、ケロは打ち合わせ段階、このハンドメイドな企画段階で「この曲にはこの色!」をやり、プロの張さんから「この色の意味はね……」とレクチャーを受けているんだろう。
そのために、立ち位置がおかしくなった。
打ち合わせでそれをやるのはかまわないが、本番で「客に伝えるのはなにか」を客観的に考えて欲しかった。
イベントだから台本があるのはいい。当たり前だ。
ただ、その台本通りに披露してもらわないと。
今回のコンサートは、台本を読んだ上での感想、になっている。
テレビドラマを見た視聴者が自分目線も入れてストーリーを解説している状態になってるの。だから、そのドラマを見ていない人には、本筋がどれで、どれが語り手の主観なのかがわかんないという。
曲の色を選んだのは誰か。歌い手のケロなのか、カラーセラピストの張さんなのか。
ケロが選んだというならば、ケロ個人の意志で張さんの意志はまったく含まれていないのかどうか。
また、ケロにはどの程度カラーセラピーの知識があり、それに左右されて色を選んでいるのかどうか。
それをまず、明確にする。
ケロがカラーセラピー的には素人で、自由に色を選び、それによってケロ主体のコンサートにカラーセラピストの張さんが色を添える、という意味ならば、ケロが「わたしが選んだ、わたしはこう思う」と意見をブレさせずに貫き通し、それに対して張さんが「yokoちゃんの選んだ色にはこういう意味があって……」と解説すればいい。
ケロははじめて聞く顔をして「そーなんですかー」と言うべきで、「合ってますか?」と言う必要はない。
最初に選んだのがケロで、打ち合わせ段階で張さんの指導がすでに入っているというならば「わたしは単純にこの曲はこの色っぽいかなと選んだんですけど、張さんに聞くとこの色にはこーゆー意味もあるそうで、なるほどと思いました」とやり、最後に自分の語ったうんちく(指導済みの内容)を間違えずに言うことが出来たかを確かめるために「合ってますか?」と聞く。これならアリ。
張さんとケロが一緒に選んだというならば、「この色にはこういう意味があって、この曲にはこういうイメージをわたしは持っているので、コレを選びました」と説明する。ふたりで決めたことをちゃんと間違えずに言えたかどうかを確かめるために「合ってますか?」と聞く。これならアリ。
台本があるのは前提ですよ。ケロがナニも知らない、という設定でも、本当になにも知らないでぶっつけ本番にセラピーやれという意味じゃない。
客にナニを伝えるかを考え、そのためにどう演出するかを考えるってこと。
なのに今回ケロは「わたしが選びました、こんなイメージを持ってます……で、合ってますか?」とやっている。
「異議あり!」の連続だわ。
「わたしが選んだ」の「わたし」はどの位置で選んだのか、「選んだ」と言いながら語る内容は自分の意見や感想なのかカラーセラピー的見解なのか不明だし、最後にいちいち「カラーセラピー的正解」を得ようとするし。自分の意志や感性ならば「カラーセラピー的正解」とは無関係なはずなのに。
立ち位置、視点がめちゃくちゃなままだから、色の意味やこの曲にはこの色ってのはわかるけど、それがなんなのかがわからない。
ぶっちゃけ色の意味なんて、調べればわかることだ。それを解説することに必死になるより、彼らだけにしかできないこと(何故、誰が、どの位置からソレを選んだか)を大切にして欲しかった。
誰かプロに仕切って欲しかったなあ……。
この客観性の欠如は、身内だけでやっているために起こっているんだろう。
今後もこういったカラーセラピー・コンサートをやっていきそうな感じなのに、このグダグダっぷりってば。
一度プロに脚本書いてもらって、骨組みを理解してからあとはその展開でやっていけばいいのに。
試みはおもしろいと思うし、なによりケロを好きだからいろいろと残念で。
今までも多分同じようなコンサートをしてきて、「汐美真帆コンサートと言えば、カラーセラピー」だと身内同士では常識になっているとしても、永久に身内相手だけで終わらせるならともかく、新規客が欲しいなら基本は押さえて欲しいと思ったナリ。
ただの余計なお世話、老婆心に過ぎないのだけど。
ケロの立場が中途半端すぎるんだ。
たとえば最初から、「わたしが選んだ曲に、カラーセラピストの張さんに色を選んでもらいました」ならば、混乱はない。
曲ごとの色は、「カラーセラピストとしての知識に基づいて」選ばれているとわかる。
だが、なにしろ最初の1曲のボトルをスタンドから取り出して歌ったのはケロで、「曲に合わせて選びました」と言う。
まるでケロ自身が選んだかのように。
ケロが選んでいないとは言わない。選んでいるのはたしかだから、嘘を言っていないことはわかる。
でも、ケロの立ち位置がわからない。
カラーセラピーの知識とは無関係に、「この曲にはこの色!」と思って選んでいるのか、知識を元に「この色の持つ意味はこうだから、この曲にはこの色」と思って選んでいるのか。
「この曲にはこの色!」と選んでいるのならば、色に対するイメージを語ったあとに「合ってますか?」と張さんに聞くのはおかしい。
カラーセラピー的にどういう意味があろうと、「わたしはこう思った」で済むはず。
もしもセラピー的に意味が違っていたとしても、それを軌道修正するのはセラピストの張さんの仕事でケロがいちいち「カラーセラピー的正解」で色の説明をする必要はない。
おそらく、ケロは打ち合わせ段階、このハンドメイドな企画段階で「この曲にはこの色!」をやり、プロの張さんから「この色の意味はね……」とレクチャーを受けているんだろう。
そのために、立ち位置がおかしくなった。
打ち合わせでそれをやるのはかまわないが、本番で「客に伝えるのはなにか」を客観的に考えて欲しかった。
イベントだから台本があるのはいい。当たり前だ。
ただ、その台本通りに披露してもらわないと。
今回のコンサートは、台本を読んだ上での感想、になっている。
テレビドラマを見た視聴者が自分目線も入れてストーリーを解説している状態になってるの。だから、そのドラマを見ていない人には、本筋がどれで、どれが語り手の主観なのかがわかんないという。
曲の色を選んだのは誰か。歌い手のケロなのか、カラーセラピストの張さんなのか。
ケロが選んだというならば、ケロ個人の意志で張さんの意志はまったく含まれていないのかどうか。
また、ケロにはどの程度カラーセラピーの知識があり、それに左右されて色を選んでいるのかどうか。
それをまず、明確にする。
ケロがカラーセラピー的には素人で、自由に色を選び、それによってケロ主体のコンサートにカラーセラピストの張さんが色を添える、という意味ならば、ケロが「わたしが選んだ、わたしはこう思う」と意見をブレさせずに貫き通し、それに対して張さんが「yokoちゃんの選んだ色にはこういう意味があって……」と解説すればいい。
ケロははじめて聞く顔をして「そーなんですかー」と言うべきで、「合ってますか?」と言う必要はない。
最初に選んだのがケロで、打ち合わせ段階で張さんの指導がすでに入っているというならば「わたしは単純にこの曲はこの色っぽいかなと選んだんですけど、張さんに聞くとこの色にはこーゆー意味もあるそうで、なるほどと思いました」とやり、最後に自分の語ったうんちく(指導済みの内容)を間違えずに言うことが出来たかを確かめるために「合ってますか?」と聞く。これならアリ。
張さんとケロが一緒に選んだというならば、「この色にはこういう意味があって、この曲にはこういうイメージをわたしは持っているので、コレを選びました」と説明する。ふたりで決めたことをちゃんと間違えずに言えたかどうかを確かめるために「合ってますか?」と聞く。これならアリ。
台本があるのは前提ですよ。ケロがナニも知らない、という設定でも、本当になにも知らないでぶっつけ本番にセラピーやれという意味じゃない。
客にナニを伝えるかを考え、そのためにどう演出するかを考えるってこと。
なのに今回ケロは「わたしが選びました、こんなイメージを持ってます……で、合ってますか?」とやっている。
「異議あり!」の連続だわ。
「わたしが選んだ」の「わたし」はどの位置で選んだのか、「選んだ」と言いながら語る内容は自分の意見や感想なのかカラーセラピー的見解なのか不明だし、最後にいちいち「カラーセラピー的正解」を得ようとするし。自分の意志や感性ならば「カラーセラピー的正解」とは無関係なはずなのに。
立ち位置、視点がめちゃくちゃなままだから、色の意味やこの曲にはこの色ってのはわかるけど、それがなんなのかがわからない。
ぶっちゃけ色の意味なんて、調べればわかることだ。それを解説することに必死になるより、彼らだけにしかできないこと(何故、誰が、どの位置からソレを選んだか)を大切にして欲しかった。
誰かプロに仕切って欲しかったなあ……。
この客観性の欠如は、身内だけでやっているために起こっているんだろう。
今後もこういったカラーセラピー・コンサートをやっていきそうな感じなのに、このグダグダっぷりってば。
一度プロに脚本書いてもらって、骨組みを理解してからあとはその展開でやっていけばいいのに。
試みはおもしろいと思うし、なによりケロを好きだからいろいろと残念で。
今までも多分同じようなコンサートをしてきて、「汐美真帆コンサートと言えば、カラーセラピー」だと身内同士では常識になっているとしても、永久に身内相手だけで終わらせるならともかく、新規客が欲しいなら基本は押さえて欲しいと思ったナリ。
ただの余計なお世話、老婆心に過ぎないのだけど。
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