今さらだが、よーやく『Red Hot Sea II』の感想。月『エリザベート』をだらだら書きすぎて、花全ツが後回しになったという(笑)。

  
 『Red Hot Sea II』は、本公演時の『Red Hot Sea 無印』とほとんど変わっていない。
 トップスターまとぶんが客席いじりをする場面がひとつ、地方巡業専用にできただけ。

 その「変わらなさ」に、「これってもともと地方公演用だったのか?」という疑問を感じ、客席で首を傾げた。

 それは演出が変わっていない、場面や出演者が変わっていない、というだけではなくて。

 装置・演出を基本的に変えないで、地方公演が出来る大劇場公演ショー作品って、どうよ? という意味。

 最初から、全国ツアーを想定して作ったのか?
 セリも盆も不要。大人数も不要。
 大掛かりで豪華なセットも不要。

 書き割りだけのチープなセット、平面的な視覚、紙芝居上等な構成。

 「タカラヅカ」ならではの、豪華なショーではぜんぜんなかったんだなあ……おさかなだのデニムだのと、衣装の奇天烈さで誤魔化していたけど。

 『無印』でちょっと凝ったセットといえば、ペドロの家と、空飛ぶ棺桶だったもんよ……ペドロの家がぽんぽん船である意味はなかったし、棺桶に至っては、空を飛ばせる意味がわからないし。
 そんなことでしか、凝ったセットを使わなかった草野のセンスがマジでわからん。

 その他でちょっと凝っていたのは灯台か。
 下手端に大きな灯台が鎮座しており、ライトがぴんぴかしていたけど、あれって客席直撃ビームでまともに目に入ったら、その強烈さに視界に星が飛び、しばらく舞台が見られなくなる殺人光線だったんだけど。演出家がどんだけ客のことを考えていないか、思い知らされるセットだった。

 あとは「幽霊船」やペドロ父@まとぶんとかでわずかにセリを使っただけ。舞台上下の感覚はないらしく、いつも平面だけ使用した平坦な作り。

 もっと大劇場ならではの舞台装置を駆使して、大掛かりなセットであの大きな空間を縦横無尽に使って「Red Hot Sea」を表現してくれてもいいだろうに。タイトルは熱いけど、舞台の風通しはやたら良かったよなと。

 カモメ、縄VS棒、と、長いスパンの場面がなんにもない舞台での群舞で、さらに引き潮というもっとなんにもない少人数場面があるので、メリハリを付けるためにも、なにかしら大掛かりなセットを使った場面があってしかるべきだよな。

 と、思うけれど、全ツ使用を前提に作っていたなら、それは全部「仕方なかった」のかもしれない。
 全ツではセリも盆も使用できないし、セットは書き割りだけだもの。

 ……だとしたら、全ツ仕様のモノを、本拠地でやるなと思うけどな。
 地方巡業も大切だけど、まず本拠地でしょう? 本公演を充実させるべきでしょう? 終業後のアルバイトに体力温存すべく、本業の手を抜く社員@だって不景気だから仕方ない、みたいなもんじゃないですか。不景気だからってみんなが手を抜いた仕事してたら、会社がなくなっちゃうわよ?

 たとえその後全ツに持っていくとわかっていても、大劇では力の限り大劇らしい大掛かりなものを作り、ソレが終わったあとに全ツ用に1から作り直すくらいの気合いが欲しいっす。
 たんにめんどーだからやってないんぢゃあ……? と、勘ぐってしまうよ。(たとえば、オギーならソレ絶対やるよな、とか。フジイくんでも自作の描き直し・手直しはかなりやるよな、と)

 
 草野に限らず、本拠地大劇場作品が軒並み「制作費削られたんです」系の、寂しい作りになってきていることは、否めないが。
 制作費がふんだんにあるショーがどんだけ重厚になるか、『ドリーム・キングダム』とか観ればわかるけど、金のあるなしでしか計れないはずはないんだから、もう少しがんばって欲しいと思うっす。
 ああそれにしても、世知辛い世の中だなあ。

 い、いやいや、そんなことを言っていてもはじまらない。こんなときこそ、ポジティヴ・シンキング!
 大劇場と印象の変わらないショーを全ツでやるなんて、すごいわ~~!
 と、ゆーことですな。うん。

 
 ほとんど変わり映えのしなかった『赤熱海2』だが、心からよかった! と思ったのは、舞台奥の階段の存在だ。
 全ツ名物のささやかな階段。セリのない舞台の唯一の立体。

 プロローグ、すでにおさかなさんたちがぴちぴち踊っているところに、あとからまとぶんひとり登場する。それは大劇場と同じ。
 演出は同じだけど、全ツには舞台奥に階段がある。その段の上から、まとぶんは登場した。
 
 まとぶんが見える……! 

 て、なんでそんな当たり前のことに感動しなきゃなんないんだ、てなもんだが、草野せんせは大劇場では気づかなかったらしい。
 何十人も人がいる場所で、いちばん後ろから登場しても、センター以外からは見えない、ということを。
 まとぶんが登場したときに、舞台にいるおさかなさんたちは真ん中を空けるので、センターに坐っている人なら「人混みの奥」のまとぶんが見えるけど、センター以外の人には真ん中を空けられたって結局舞台のおさかなさんたちにかぶってまとぶんが見えないのよ。ちょっと考えればわかる、ごく当たり前の出来事なんだが。
 その当たり前のことを演出家が理解してないおかげで、まとぶんが登場したことに客席の何割かが気づかず、ときによっては「トップスターがはじめて登場した」のに「拍手がない」という状態が起こった。
 いつの間にか現れた人が、いつの間にかおさかなさんたちの真ん中に来て踊っている……いつ出てきたんだろう、拍手し忘れた~~、みたいな感じ?

 全ツでは台の上に登場するので、気づいてもらえないことも、忘れられることもない。「スターが登場しましたよ」とわかる。よかったね、まとぶん……。(大劇のアレは草野の演出ミスだっ)

 
 とまあ、いろいろゆってますが、本公演で20回観て、愛着のある作品ではあるのですよ。
 アタマの隅で文句垂れてる部分があり、それをこうやって文字にしてみたけれど、とどのつまり毎回楽しんで観ている。

 作品としてどこうではなく、贔屓がステキだから全部許せる(はぁと)という、ヅカファンらしい観点で、この作品は好きです。

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