今さらですが、『オグリ! ~小栗判官物語より~』の話。

 これ以上ないほどの、「壮一帆」の正しい使い方。

 壮くんは「タカラヅカ・スタァ」の中でもちょっと変わったキャラクタを持つ。使い方を誤ると、彼の魅力は激減してしまうのだ。
 雪組時代はそのために悪目立ちしたり芝居の空気を壊したり、いろいろあった。
 それが花組に戻ってきてから、彼の個性と組……というか、組のカラーを決める当時のトップスター、オサ様と相性が良かったこともあり、すんなりと馴染んだ。
 空気の合った花組で、イキイキと「壮一帆」をやっているえりたん。脂がのった今、彼とこれまた相性のいい演出家、キムシンの書き下ろし作品で主演。

 人が「時」と出会い、「人」と出会う。
 その気持ちよさに浸った。

 今このとき、この人がこの人と出会うことで創り上げられる、奇跡。

 壮一帆という特異なキャラクタを、キムシンが絶妙の活かし方をしている。

 トウコちゃん主演の『花吹雪恋吹雪』を観たときみたいだ。
 よくぞこの人でこの作品を作った!! と、体温がぐはーっと上がる感じ。

 
 もともとわたしはキムシンファンで、彼の作品が大好きだ。また、壮くん単体が好きだし、キムシン作品の壮くんも好きだった。つーことで、公演が決まったときからわくわくしっぱなしだったけれど、ここまで正しく「壮一帆!」な作品に仕上げてくるとは(笑)。

 原作はカケラも存じません。説教節ってなんだ?レベル。てゆーか「説教節」ってふつーに「え、キムシンの作風?」って思っちゃうよ?(笑) 作品中で自分の主義主張を叫んで、観ている人に説教たれる勢いな、キムシン作品を揶揄しているの?って。

 京都・二条の大納言様のおぼっちゃまである小栗@壮くんは、文武両道以上にとにかく美貌のお貴族サマ。その美貌でなにをしても許される。嫁を72人使い捨てしても、ヘビと契ってもなんでもアリ、OK、OK、壮くんならアリだ! ……ちがう、壮くんじゃなくてオグリさんオグリさん(笑)。
 しかしまあ、さすがにやりすぎで外聞悪いっつーんで東国へ追放される。でも、ぜんぜん平気。追放された先でも美男子な親衛隊をはべらしてお山の大将としてのさばりまくり。人生ちょろい。
 互いの顔も知らないままのネット交際……もとい、文通で愛をはぐくんだ照手姫@すみかちゃんとラヴラヴ・ゴールインしたはいいが、照手ちゃんの家族の猛反発を喰らう。
 人生いつでもちょろかったオグリだが、ついに年貢の収め時。照手パパたちの奸計により、親衛隊ともども毒殺されてしまう。……て、ヲイ、主人公死んじゃったよ? 残りの時間どーするんだ??

 荒唐無稽なんでもありーのの音楽劇。
 舞台中央にずーっと鎮座している巨大な馬の首。
 この首がもお、無駄にリアルで(笑)。てゆーか、泣くし。
 泣くのかよ?!(笑)
 頭の上に、壮くん乗るし。いやその、縮尺いくらなんでも変だからっ!(笑)
 馬とオグリのすごさを語るからくり絵本というかおもちゃ?のすばらしさ。ああ、昔あったよなこーゆーの。
 優美な曲線の仏掌。
 仏様も閻魔様も目玉オバケも貞子もなんでもアリ!!

 常識なんて狭い枠組みは取っ払って、力尽くな異世界に酔う。

 それはまさに、「壮一帆」で。

 観たかった「壮一帆」がそこにいた。

 そして、なにしろ主人公途中で死んじゃうので(笑)、タイトルロールのオグリが唯一無二の主人公なのはたしかだけれど、実はヒロイン照手姫も、十分ピンで張ってる主人公なのだわ。
 途中から、「あれ、この話って主人公どっちだっけ?」てくらい、ののすみが主人公として場を支配する。

 次々と降りかかる苦難を、美しい心で誠実に務めて乗り越えていく、由緒正しい日本人好みのヒロイン、照手。
 彼女のけなげさに落涙必至。

 巨大怪獣オグリ@壮くんがどっかんどっかんミニチュアの街を壊しまくって、そのオグリの暴れている街の中、合成だと丸わかりの巨大オグリを背景に、老舗旅館の下働き照手@ののすみが緻密でリアルな演技をしている感じ。
 巨大怪獣オグリはこの下働きの娘と見つめ合い、ラヴラヴ・デュエットを繰り広げるのよ。

 それはひとつの、異種格闘戦。だけどそれぞれがたしかな「世界」を持っているから、「異次元」ぶりは同じで、わたしたちとは別の次元で確実なフィクションを創り上げている。
 壮くんもののすみも、ぶっとんでいることは同じ。

 彼らが作り出す「本気のファンタジー」が、心地よくてならない。

 
 理屈はともかく、「壮一帆」というイキモノが好きな人には堪えられないオモシロさ。
 観た人の口から口へ、「オグリすげえ! えりたんすげえ!!(笑)」と伝わっていく、その強さ。
 喋らずにはいられない作品って、実は滅多にないよ? 見終わってから「誰かに話したい、誰かと共有したい」とじたばたするパワーを持つ作品なんて。誰彼構わず「いいから観て! 観てくんなきゃ話せなくてつまんないっ」と、感動の共有を求め、強要しちゃうほどの強さって。

 わたしは初日から数日観劇できなかったんだけど、あちこちから「早く観て!!」とせっつかれた(笑)。「この興奮をアナタにも!」てなもんで。

 仲間内で総見するべきだったね、『さすらいの果てに』や『忘れ雪』のときのように。
 みんなで一緒に観て、みんなで悶絶するべきだった。

 
 壮くんはわたしにとってなくてはならない癒しの君。
 あったかくほんのり包んで癒してくれるのではなく、闇とか絶望とか哀しみとか寂寥とか、抱え込んでいるいろんなものをかこーんっとぶっ飛ばしてくれる(ベースボールなユニフォームを着た壮一帆がホームランをかっとばしている図をアメコミ調の絵柄で想像してください)、そーゆー癒し方。
 巨大怪獣がミニチュアの作り物の街を踏みつぶしていく、あのノリで、全部まるっとぶっ壊す。
 あまりにトンデモな方法で来るので、抱えていた闇も忘れて爆笑したり、アタマの上で星がちかちか舞ったりするんだ。

 壮くんのそーゆーところが全編に渡って全開で、ゲラゲラ笑いながらも、泣けて仕方なかった。

 常識の枠なんかぶっとばして、壮一帆が君臨する。
 ぺかーっとか、てかーっとか、擬音付きの光を発して。

 ちょっと不自然な、でもわかりやすくまぶしいその光で、彼はわたしを救ってくれるんだ。
 なにから救うのかもわかんないけど、とにかく救ってくれるんだ。

 いやあもお、とにかくたのしかったよ、『オグリ!』。

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