強く正しい光の英雄譚。@新人公演『夢の浮橋』
2008年12月2日 タカラヅカ 薫が、ふつーの人だった……!(震撼)
月組新人公演『夢の浮橋』、演出家は大野くん自身。
本公演とはあえて、「別の作品」を作っているように見えました。
まだ本公演の感想をまともに書いていないので、新公感想を書きにくいんだが、主人公である「匂宮」の存在が、まったくチガウ意味を持っていた……と、思う。
本公演では、女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸である、と書いた。
しかし新公では、匂宮が、完全独立した「主役」である。
匂宮は「視点」ではない。観客の視点も務めつつ、間違いなく物語の軸であり、語り手でもある。女一の宮はナレーションをしているだけ、薫は主要人物のひとりでしかない。
本公演では薫が登場したときから物語の本編がはじまるが、新公では匂宮が登場したときからが本編だ。
匂宮@みりおの『夢の浮橋』は、英雄譚だ。
みりおが演じる匂宮は、明るく、強い。
同じ物語、同じ台詞をたどっていてなお、彼は強い光を放っている。傷ついたときも彼の強さを損なうことはなく、その光は揺らぐことがない。
彼が「日嗣の皇子」となる……やがて、王としてこの国に君臨するのは、正しい。
そう思わせる、まっすぐな強さ。
生まれながら王の若き日の物語。英雄譚の一節のようだ。
浮舟@蘭ちゃんとの過ちも、薫@るうくんとの確執も、「若き日の出来事のひとつ」というか。
「タカラヅカ」としては、正しいのだと思う。
かっこいいヒーローが、かっこよく成長する物語。
明るさと強さと正しさにあふれ、かわりに色気はなく(笑)、保護者も安心、子どもに見せて大丈夫な英雄物語。
薫@るうくんは、あまりにふつーの人だった。
そ、そうか、やっぱきりやんがやばかったんだ……と、再確認。
匂宮と浮気中の浮舟を無言で見つめているときとか、霧矢さんはガクブルものでこわかったんだけど、るうくんはふつーに「可哀想」です。
るうくんの薫は、「こちら側」の人だ。狂ってない。ぜんぜん正常な、ふつうの人。
薫はミステリアスでもナニ考えてるのかわからない人でもなく、繊細で弱い、一般人が普通に理解して、共感できる青年でした。
浮舟を大君の身代わりに屋敷に住まわせるのも薫の凡人たる弱さゆえだし、彼女を匂宮に盗られて告げ口するのも、小人物たる弱さゆえ。出生にコンプレックスを抱え、母の愛に飢え、ヒツジのように悲しい目で恋人の裏切りを見つめる。
徹頭徹尾、薫はふつうの……凡庸な、愛すべき青年でした。
英雄・匂宮とはなにもかも、違いすぎる。
浮舟のことを匂宮に秘密にしていたのも、盗られたとわかった瞬間の身の振り方の素早さも、浮舟の自殺未遂を知ったときの匂宮への当たり方も、なにもかも、自分と匂宮の「器」の差を知って、意識しまくっているためだろう。
「天才」と幼なじみで、なにかと比較される身に生まれてしまった苦労と苦悩。それがしみじみと伝わってくる。
とにかく薫ときたら、草食動物系の可哀想さにあふれ、母性本能に訴えかけるいじらしいイキモノになってるよ~(笑)。
いつも泣きそうな顔してる。浮舟入水を知ったときの茫然自失ぶりなんか、どんだけ可哀想か。
最後の「跪いてプロポーズ」も、るうくんの場合は完全敗北、臣下としてお仕えします、だよなー。(別欄で語る予定だが、わたしはきりやんはチガウと思っている)
匂宮というヒーローの物語で、薫はちゃんと脇役だし、薫が脇役になった分、浮舟がヒロインらしく見える。
加えて、本公演は薫が登場したときから物語スタートだけど、新公は匂宮が登場したときから物語スタート。
って、それじゃまるで本公演のあさこちゃんがみりおに負けてるみたいじゃん?!
……てなことではないんで、誤解しないで欲しい。
タカラヅカ的に「正しい」のはみりお匂宮のヒーローっぷりなのかもしれないが、作者が描こうとしたのは、あさこの匂宮だということだ。
健康で正常なふつーの男の子である匂宮@あさこが、別のところへ到達する物語。
繊細さと淫靡さ、狂気を孕んだ、耽美の世界。
ストレートな英雄譚ではなく、ややこしい情念だの心理だのにこだわった物語。
それは、あさこの匂宮でなければならなかった。そのために、匂宮は「視点」からはじめ、「軸」となる薫によって「あの階段を上がる」ラストまでたどり着き、女一の宮@あーちゃんが悲しみを込めて「語る」必要があるんだ。
みりおくんの「明るい強さ」を見せられることによって、あさこちゃんの「弱さと繊細さ」を思い知ったわ……。
本公演、新人公演ともに、大野くん自身の演出。
新公は別物にしたんだな。つか、みりおくん、アテ書き。
作品のカラーも、キャラクタも、みりおくん中心に作り直してある。
みりおの匂宮に対し、他の子のキャラクタも考慮して、配置してある。
本公演のコピーをさせるつもりなら、あんなに「強い」ままの匂宮にはしないだろうし、感情(悲しみ)むき出しの薫にもしないだろう。
すげーなー……。
おもしろい作品は、技術の足りていない出演者の手による新人公演でも、やっぱりおもしろいものなんだけど、『夢の浮橋』はほんとーにおもしろかった。
演出意図の変更を別にしても、やっぱ好きだわ、この作品。
でもってみりおはほんと、真ん中向きだー。
目を引く美貌、そして、華。
なにより「強く正しい」光っぷり。これって、持ってる人意外に少ないよ。「正しい」だけならジェンヌはみんないい子たちだからか、放っておいても「善人」オーラが出てたりするんだけど。ただ「人が好い」ってだけだと、まぬけになっちゃうんだよね。ここに「強さ」がないと、かっこよくならない。ヒーローになれない。
得がたい力だ。
この素直な光をそのまま成長させていってほしい。
るうくんは芝居は手堅くうまいんだけど……日本物のお化粧苦手なのかな? あまりきれいに見えなかったのがつらい。『ME AND MY GIRL』のとき、あんなに色男だったのに、何故??
でもって歌、実は難しい曲だったのね……霧矢さんがふつーに歌ってたから気づいてなかった。るうくんは大変そうでした……そりゃあもお。
他の人の感想は、別欄で。
月組新人公演『夢の浮橋』、演出家は大野くん自身。
本公演とはあえて、「別の作品」を作っているように見えました。
まだ本公演の感想をまともに書いていないので、新公感想を書きにくいんだが、主人公である「匂宮」の存在が、まったくチガウ意味を持っていた……と、思う。
本公演では、女一の宮を語り手に、匂宮を視点に物語は進み、薫はそれらの軸である、と書いた。
しかし新公では、匂宮が、完全独立した「主役」である。
匂宮は「視点」ではない。観客の視点も務めつつ、間違いなく物語の軸であり、語り手でもある。女一の宮はナレーションをしているだけ、薫は主要人物のひとりでしかない。
本公演では薫が登場したときから物語の本編がはじまるが、新公では匂宮が登場したときからが本編だ。
匂宮@みりおの『夢の浮橋』は、英雄譚だ。
みりおが演じる匂宮は、明るく、強い。
同じ物語、同じ台詞をたどっていてなお、彼は強い光を放っている。傷ついたときも彼の強さを損なうことはなく、その光は揺らぐことがない。
彼が「日嗣の皇子」となる……やがて、王としてこの国に君臨するのは、正しい。
そう思わせる、まっすぐな強さ。
生まれながら王の若き日の物語。英雄譚の一節のようだ。
浮舟@蘭ちゃんとの過ちも、薫@るうくんとの確執も、「若き日の出来事のひとつ」というか。
「タカラヅカ」としては、正しいのだと思う。
かっこいいヒーローが、かっこよく成長する物語。
明るさと強さと正しさにあふれ、かわりに色気はなく(笑)、保護者も安心、子どもに見せて大丈夫な英雄物語。
薫@るうくんは、あまりにふつーの人だった。
そ、そうか、やっぱきりやんがやばかったんだ……と、再確認。
匂宮と浮気中の浮舟を無言で見つめているときとか、霧矢さんはガクブルものでこわかったんだけど、るうくんはふつーに「可哀想」です。
るうくんの薫は、「こちら側」の人だ。狂ってない。ぜんぜん正常な、ふつうの人。
薫はミステリアスでもナニ考えてるのかわからない人でもなく、繊細で弱い、一般人が普通に理解して、共感できる青年でした。
浮舟を大君の身代わりに屋敷に住まわせるのも薫の凡人たる弱さゆえだし、彼女を匂宮に盗られて告げ口するのも、小人物たる弱さゆえ。出生にコンプレックスを抱え、母の愛に飢え、ヒツジのように悲しい目で恋人の裏切りを見つめる。
徹頭徹尾、薫はふつうの……凡庸な、愛すべき青年でした。
英雄・匂宮とはなにもかも、違いすぎる。
浮舟のことを匂宮に秘密にしていたのも、盗られたとわかった瞬間の身の振り方の素早さも、浮舟の自殺未遂を知ったときの匂宮への当たり方も、なにもかも、自分と匂宮の「器」の差を知って、意識しまくっているためだろう。
「天才」と幼なじみで、なにかと比較される身に生まれてしまった苦労と苦悩。それがしみじみと伝わってくる。
とにかく薫ときたら、草食動物系の可哀想さにあふれ、母性本能に訴えかけるいじらしいイキモノになってるよ~(笑)。
いつも泣きそうな顔してる。浮舟入水を知ったときの茫然自失ぶりなんか、どんだけ可哀想か。
最後の「跪いてプロポーズ」も、るうくんの場合は完全敗北、臣下としてお仕えします、だよなー。(別欄で語る予定だが、わたしはきりやんはチガウと思っている)
匂宮というヒーローの物語で、薫はちゃんと脇役だし、薫が脇役になった分、浮舟がヒロインらしく見える。
加えて、本公演は薫が登場したときから物語スタートだけど、新公は匂宮が登場したときから物語スタート。
って、それじゃまるで本公演のあさこちゃんがみりおに負けてるみたいじゃん?!
……てなことではないんで、誤解しないで欲しい。
タカラヅカ的に「正しい」のはみりお匂宮のヒーローっぷりなのかもしれないが、作者が描こうとしたのは、あさこの匂宮だということだ。
健康で正常なふつーの男の子である匂宮@あさこが、別のところへ到達する物語。
繊細さと淫靡さ、狂気を孕んだ、耽美の世界。
ストレートな英雄譚ではなく、ややこしい情念だの心理だのにこだわった物語。
それは、あさこの匂宮でなければならなかった。そのために、匂宮は「視点」からはじめ、「軸」となる薫によって「あの階段を上がる」ラストまでたどり着き、女一の宮@あーちゃんが悲しみを込めて「語る」必要があるんだ。
みりおくんの「明るい強さ」を見せられることによって、あさこちゃんの「弱さと繊細さ」を思い知ったわ……。
本公演、新人公演ともに、大野くん自身の演出。
新公は別物にしたんだな。つか、みりおくん、アテ書き。
作品のカラーも、キャラクタも、みりおくん中心に作り直してある。
みりおの匂宮に対し、他の子のキャラクタも考慮して、配置してある。
本公演のコピーをさせるつもりなら、あんなに「強い」ままの匂宮にはしないだろうし、感情(悲しみ)むき出しの薫にもしないだろう。
すげーなー……。
おもしろい作品は、技術の足りていない出演者の手による新人公演でも、やっぱりおもしろいものなんだけど、『夢の浮橋』はほんとーにおもしろかった。
演出意図の変更を別にしても、やっぱ好きだわ、この作品。
でもってみりおはほんと、真ん中向きだー。
目を引く美貌、そして、華。
なにより「強く正しい」光っぷり。これって、持ってる人意外に少ないよ。「正しい」だけならジェンヌはみんないい子たちだからか、放っておいても「善人」オーラが出てたりするんだけど。ただ「人が好い」ってだけだと、まぬけになっちゃうんだよね。ここに「強さ」がないと、かっこよくならない。ヒーローになれない。
得がたい力だ。
この素直な光をそのまま成長させていってほしい。
るうくんは芝居は手堅くうまいんだけど……日本物のお化粧苦手なのかな? あまりきれいに見えなかったのがつらい。『ME AND MY GIRL』のとき、あんなに色男だったのに、何故??
でもって歌、実は難しい曲だったのね……霧矢さんがふつーに歌ってたから気づいてなかった。るうくんは大変そうでした……そりゃあもお。
他の人の感想は、別欄で。
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