小さな地球を抱きしめて・その2。−壮一帆万歳・4−@愛と死のアラビア
2008年6月18日 タカラヅカ トマス@まとぶを助けるために、意気揚々と牢獄へ侵入してきたトゥスン@壮くん。
そのキラッキラッしまくった瞳。
誉められること、感謝されることを前提にした物言い。
自分の正しさを疑いもしないトゥスンに突きつけられたのは、トマスの拒絶だった。
正しいことをしているはずなのに、ヒーローとして助けに来たのに、何故最愛のトマスは、トゥスンを拒絶する? そんなこと、ありえない。
トゥスンの手を取ることを拒み、彼は処刑を受け入れるという。
青天の霹靂。
そんな事態はトゥスンの小さなアタマにはない。存在しない。
だからトゥスンはいつもここで、叫ぶだけ叫んでいた。
トマスの決意を覆すために。懇願した。
宮殿で、父ムハンマド・アリ@星原先輩に対して、したように。
駄々をこねた。
イヤイヤをした。
「君を殺したくないんだ!!」……心の底から、叫んでいた。
それが。
『愛と死のアラビア』千秋楽。
トゥスンは、叫ばなかった。
絞り出すように、言った。
ずっとずっと、もっとも強く叫ぶ台詞を。強すぎて、叫びすぎて、「君を〜〜たくない」と、なにを言ってんだか、正直良く聞き取れないくらい(笑)、イッちゃってる絶叫台詞を。
わたしはずーっと壮一帆くんを愛でておりますが、彼の芝居をいいと思うことは、ほとんどありません。
なにをやっても壮一帆、いつもハイテンションで吠えまくるのが、壮くんの芸風。
モーリスだろうとスタンだろうと大差なし。受でも攻でもSでもMでも、とにかくヒステリック。とにかくうるさい。
芝居の善し悪しは個人の好みに寄るところが大きく、ある人にとっての「名演! なんて演技巧者なのかしら!」が、別のある人にとっては「この大根役者、芝居壊すな!」だったりすることも、めずらしくありません。好みに合うかどうかです、よーするに。
わたしは壮くんを大根役者側だと思っているし、また、「タカラヅカ・スタァ」である以上、ソレはアリだと思っています。
空気なんか読めなくても、場面をぶち壊していても、「スタァ」はソレで良いんです。世界や役に染まりきり、作品ごとに完璧に別人になられたら、そりゃそのスター個人の顔が見えず「地味」な存在になってしまう。
華がなく、美しくもなく、ただ芝居がヘタで場を壊すだけの人は苦手ですが、無駄なほどにキラキラ輝いちゃってる人は、ソレだけでいいんです。非現実を見たくてヅカを観に行ってるんだ、ありえないくらい美しく輝いてくれるなら、文句なんかあるはずがない。
なにをやっても壮一帆、ソレでイイと思ってる。
『さすらいの果てに』で大爆笑させてくれたように、『DAYTIME HUSTLER』で途方に暮れさせてくれたように、壮くんの演技はかなりアレだと思っている。
その、壮くんの演技で。
マジ泣きしたんですが、どうしましょう!!
楽の前から、絶叫台詞を絶叫しないようにはなってきていた。だけど前後のつながり的に、それほど胸に来るモノはなかったんだが。
千秋楽は、キた。
どうしようもなく、キた。
それまでのトゥスンの無邪気っぷりがまた、突き抜けていた。
なんの疑問もなく明日を信じる、さわやかなハイテンションぶりが、いつもにも増してあざやかで。
パパへのダダのコネ方が、痛々しいほどの激しさで。
自分の思い通りにいかないことに、ただ駄々をこねるしかできなかった子ども。
その幼い魂が、「世界」に裏切られてなお、駄々をこねられずにいる。
はじめての、裏切り。はじめての、挫折。
「世界」はいつでもトゥスンの味方で、彼の心を折るようなことは、存在しなかった。わがままナイリお嬢様じゃないけれど、トゥスンだって大切に守られて生きてきた、小さな世界の王子様だ。
それを「世界」だと信じて、小さな地球のおもちゃを抱きしめてきた。
それがニセモノだと、おもちゃだと気づかされて。
衝撃の大きさに、駄々をこねることさえ、できずに。
トマスに言い募っているところへ、兄イブラヒム@ゆーひが現れた。
彼はたった今、「世界」に裏切られたところだ。
真の意味での挫折も絶望も知らなかった、地球を自分中心に回してきた子どもが、はじめてどうすることもできない現実を知り、絶望しているところだ。
最愛の人に拒絶されているところなのに、愛する兄までもが、自分を否定する。
「邪魔をするモノは、たとえ兄上でも撃つ」と、銃を構えるトゥスンが、あまりに痛々しくて。
彼の悲しみが、理不尽な怒りが、破裂したように広がるんだ。
追いつめられた小動物が、巨大な肉食獣相手に、逃げるという選択肢をなくして牙を剥くような、破滅的な絶望感。
八方塞がりで、なにもかもに否定されて拒絶されて、もうほんとうに、今度こそ、駄々をこねるしかなくて。
ここでイブラヒムを撃ったところで、兵士に囲まれている現状がどーにかなるわけじゃないのに。
トゥスンは生まれてはじめての絶望のなかで、本当の駄々をこねて。
彼の愚かさが、愛しくて。
イブラヒムにトゥスンを撃てるはずがないとトマスに諭され、トゥスンは生還する。
絶望の底から、これまた彼ならではの単純さで、猛スピードでぽーんと浮上してくる。
一旦浮上しても、結局のところトマスが決心を変えないので、トゥスンはまた絶望することになるんだけど。
忙しくもまた彼は嘆くのだけど。
ただ。
これまでずっと、エジプトのために死ぬと言い切るトマスに対し、嘆きを表現していたトゥスンが、千秋楽は違ったんだ。
それまでずっと、ダダをこねて泣くだけだった男の子が。
泣かずに、現実を、受け入れた。
「インシャラー」と歌うトマスに、泣きながら同じ歌を返し、泣きながら名を呼ぶ。トマスは背を向けて、トゥスンの未練を拒絶する。
……のが、通常だった。
いつも、「可哀想だから、ちょっとぐらい振り向いてやってよ〜〜」とトマスの意志の強さを責めたくなるんだが。
千秋楽、トゥスンは悲しみだけではなく、力強く「インシャラー」と返した。
そして。
トマスを振り返り、その名を呼んだ。
嘆きではなく、肯定として。
悲鳴ではなく、意志のこもった声だった。強い瞳だった。
対するトマスも。
……ここってトマス、いつも背を向けてたよね? なのにちゃんと、トゥスンを見ていた。
頷いた。
トゥスンが「トマス」と呼びかけ、トマスが、頷いた。
トゥスンはトマスの意志を酌み、トマスはトゥスンの覚悟を受け止めた。
ふたりは頷き合い、トマスは背を向ける。トゥスンもまた、去っていく。
……なんなの、これ。
最後の最後に、なにやってんの、あんたら?!
トゥスンが、成長している。
泣くだけの、駄々をこねるだけの子どもが、「男」として、去っていくよ。
親友の志を受け継ぎ、新しい明日を生きるために去っていくよ。
なんだそれは。
びっくりして、とまどって、盛大に泣いた。
トマスがいい男で。トゥスンがいい男で。
てゆーか、壮くんなのに? 壮一帆に泣かされてるのかあたしは?!
トゥスンのバカさが好きだ。
まっすぐな愚かさ、汚れを知らないでいられたからこその純粋さが好きだ。
そしてさらに彼が、抱きしめていた小さな地球を、自分の手で叩き割り、大きな世界へ向けて歩き出してくれるのなら……これほどの、カタルシスはない。
千秋楽でいちばん泣かされたのは、トゥスン@壮くんだ。
この子、愛しすぎる。
そのキラッキラッしまくった瞳。
誉められること、感謝されることを前提にした物言い。
自分の正しさを疑いもしないトゥスンに突きつけられたのは、トマスの拒絶だった。
正しいことをしているはずなのに、ヒーローとして助けに来たのに、何故最愛のトマスは、トゥスンを拒絶する? そんなこと、ありえない。
トゥスンの手を取ることを拒み、彼は処刑を受け入れるという。
青天の霹靂。
そんな事態はトゥスンの小さなアタマにはない。存在しない。
だからトゥスンはいつもここで、叫ぶだけ叫んでいた。
トマスの決意を覆すために。懇願した。
宮殿で、父ムハンマド・アリ@星原先輩に対して、したように。
駄々をこねた。
イヤイヤをした。
「君を殺したくないんだ!!」……心の底から、叫んでいた。
それが。
『愛と死のアラビア』千秋楽。
トゥスンは、叫ばなかった。
絞り出すように、言った。
ずっとずっと、もっとも強く叫ぶ台詞を。強すぎて、叫びすぎて、「君を〜〜たくない」と、なにを言ってんだか、正直良く聞き取れないくらい(笑)、イッちゃってる絶叫台詞を。
わたしはずーっと壮一帆くんを愛でておりますが、彼の芝居をいいと思うことは、ほとんどありません。
なにをやっても壮一帆、いつもハイテンションで吠えまくるのが、壮くんの芸風。
モーリスだろうとスタンだろうと大差なし。受でも攻でもSでもMでも、とにかくヒステリック。とにかくうるさい。
芝居の善し悪しは個人の好みに寄るところが大きく、ある人にとっての「名演! なんて演技巧者なのかしら!」が、別のある人にとっては「この大根役者、芝居壊すな!」だったりすることも、めずらしくありません。好みに合うかどうかです、よーするに。
わたしは壮くんを大根役者側だと思っているし、また、「タカラヅカ・スタァ」である以上、ソレはアリだと思っています。
空気なんか読めなくても、場面をぶち壊していても、「スタァ」はソレで良いんです。世界や役に染まりきり、作品ごとに完璧に別人になられたら、そりゃそのスター個人の顔が見えず「地味」な存在になってしまう。
華がなく、美しくもなく、ただ芝居がヘタで場を壊すだけの人は苦手ですが、無駄なほどにキラキラ輝いちゃってる人は、ソレだけでいいんです。非現実を見たくてヅカを観に行ってるんだ、ありえないくらい美しく輝いてくれるなら、文句なんかあるはずがない。
なにをやっても壮一帆、ソレでイイと思ってる。
『さすらいの果てに』で大爆笑させてくれたように、『DAYTIME HUSTLER』で途方に暮れさせてくれたように、壮くんの演技はかなりアレだと思っている。
その、壮くんの演技で。
マジ泣きしたんですが、どうしましょう!!
楽の前から、絶叫台詞を絶叫しないようにはなってきていた。だけど前後のつながり的に、それほど胸に来るモノはなかったんだが。
千秋楽は、キた。
どうしようもなく、キた。
それまでのトゥスンの無邪気っぷりがまた、突き抜けていた。
なんの疑問もなく明日を信じる、さわやかなハイテンションぶりが、いつもにも増してあざやかで。
パパへのダダのコネ方が、痛々しいほどの激しさで。
自分の思い通りにいかないことに、ただ駄々をこねるしかできなかった子ども。
その幼い魂が、「世界」に裏切られてなお、駄々をこねられずにいる。
はじめての、裏切り。はじめての、挫折。
「世界」はいつでもトゥスンの味方で、彼の心を折るようなことは、存在しなかった。わがままナイリお嬢様じゃないけれど、トゥスンだって大切に守られて生きてきた、小さな世界の王子様だ。
それを「世界」だと信じて、小さな地球のおもちゃを抱きしめてきた。
それがニセモノだと、おもちゃだと気づかされて。
衝撃の大きさに、駄々をこねることさえ、できずに。
トマスに言い募っているところへ、兄イブラヒム@ゆーひが現れた。
彼はたった今、「世界」に裏切られたところだ。
真の意味での挫折も絶望も知らなかった、地球を自分中心に回してきた子どもが、はじめてどうすることもできない現実を知り、絶望しているところだ。
最愛の人に拒絶されているところなのに、愛する兄までもが、自分を否定する。
「邪魔をするモノは、たとえ兄上でも撃つ」と、銃を構えるトゥスンが、あまりに痛々しくて。
彼の悲しみが、理不尽な怒りが、破裂したように広がるんだ。
追いつめられた小動物が、巨大な肉食獣相手に、逃げるという選択肢をなくして牙を剥くような、破滅的な絶望感。
八方塞がりで、なにもかもに否定されて拒絶されて、もうほんとうに、今度こそ、駄々をこねるしかなくて。
ここでイブラヒムを撃ったところで、兵士に囲まれている現状がどーにかなるわけじゃないのに。
トゥスンは生まれてはじめての絶望のなかで、本当の駄々をこねて。
彼の愚かさが、愛しくて。
イブラヒムにトゥスンを撃てるはずがないとトマスに諭され、トゥスンは生還する。
絶望の底から、これまた彼ならではの単純さで、猛スピードでぽーんと浮上してくる。
一旦浮上しても、結局のところトマスが決心を変えないので、トゥスンはまた絶望することになるんだけど。
忙しくもまた彼は嘆くのだけど。
ただ。
これまでずっと、エジプトのために死ぬと言い切るトマスに対し、嘆きを表現していたトゥスンが、千秋楽は違ったんだ。
それまでずっと、ダダをこねて泣くだけだった男の子が。
泣かずに、現実を、受け入れた。
「インシャラー」と歌うトマスに、泣きながら同じ歌を返し、泣きながら名を呼ぶ。トマスは背を向けて、トゥスンの未練を拒絶する。
……のが、通常だった。
いつも、「可哀想だから、ちょっとぐらい振り向いてやってよ〜〜」とトマスの意志の強さを責めたくなるんだが。
千秋楽、トゥスンは悲しみだけではなく、力強く「インシャラー」と返した。
そして。
トマスを振り返り、その名を呼んだ。
嘆きではなく、肯定として。
悲鳴ではなく、意志のこもった声だった。強い瞳だった。
対するトマスも。
……ここってトマス、いつも背を向けてたよね? なのにちゃんと、トゥスンを見ていた。
頷いた。
トゥスンが「トマス」と呼びかけ、トマスが、頷いた。
トゥスンはトマスの意志を酌み、トマスはトゥスンの覚悟を受け止めた。
ふたりは頷き合い、トマスは背を向ける。トゥスンもまた、去っていく。
……なんなの、これ。
最後の最後に、なにやってんの、あんたら?!
トゥスンが、成長している。
泣くだけの、駄々をこねるだけの子どもが、「男」として、去っていくよ。
親友の志を受け継ぎ、新しい明日を生きるために去っていくよ。
なんだそれは。
びっくりして、とまどって、盛大に泣いた。
トマスがいい男で。トゥスンがいい男で。
てゆーか、壮くんなのに? 壮一帆に泣かされてるのかあたしは?!
トゥスンのバカさが好きだ。
まっすぐな愚かさ、汚れを知らないでいられたからこその純粋さが好きだ。
そしてさらに彼が、抱きしめていた小さな地球を、自分の手で叩き割り、大きな世界へ向けて歩き出してくれるのなら……これほどの、カタルシスはない。
千秋楽でいちばん泣かされたのは、トゥスン@壮くんだ。
この子、愛しすぎる。
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