『THE SECOND LIFE』の問題点の根っこは、「主人公が安直に入れ替わる」ことだ。
 そのために「主役がだれかわからない」という致命的な事態になっているし、主人公マークと恋人ルシア以外のキャラが無意味になっている。

 舞台となっているのは、「ジェイク」が生きていた世界だ。最初物語は、さもジェイクが主人公のようにスタートする。そこへ異邦人のルシアが現れることになるんだ。

 さらに、ルシアにくっついてもうひとり異邦人マークがやってくる。そして主人公は途中からマークに変更される。
 マークにとって舞台となるホテルもそこに暮らす人々も「知らない人」だ。愛着も思い出もなにもない。
 必然的に、彼が大切なのはルシアと自分だけになる。彼をジェイクだと信じて頼ったり親切にしたりする人たちはすべて彼にとって「障害」でしかない。
 観客もマークと同じ視点ならいいが、生憎ジェイクとしての人生や人間関係をも見せられて知っているから、「障害」としてだけ受け止められない。
 ここでも作品の「不誠実さ」が如実になる。

 2番手格として配役されるべき、若手スターのちぎ。
 彼は気の毒なことにこの不誠実な物語の割を食らい、2番手ではなくなってしまった。
 ストーリー上、存在しなくていいキャラクタは、準主役ではない。
 ただのにぎやかし。おいしい場面ひとつ与えられて、それでおしまい。名前がついているだけの、脇役のひとりでしかない。

 主人公がマークに途中変更されてしまったため、ケリー@ちぎの存在意義は主人公視点ではゼロになった。ストーリーにまったく絡まない。いなくても問題ナシ。意味なく出てきて「ブートキャンプ」を踊るだけの人。

 マークが主人公なのだから、主要人物はマークと関係がある人のみということになる。
 マークとジェイクが入れ替わり、ジェイク役をほっくんが演じることがハズせない「決まり」ならば、準主役はマーク役以外にない。上記の通り、マーク入りジェイクにとって、ジェイクの関係者はすべて「知らない人」でしかないからだ。

 何故マーク役をちぎにしなかったんだろう。
 1幕目は2番手かいくんかと思ってびっくりした。
 「入れ替わりモノ」で入れ替わる前と後を同じ役者を主役で描くならば、入れ替わることになるふたりは「同等」でなくてはならない。そうしないと物語のバランスが崩れる。

 この作品はコワレまくっていて手が付けられないが、マーク役を2番手男役に演じさせれば、まだ少しはマシだったんじゃないのか?
 かいくん自身に問題がなくても、タカラヅカのルールとして、新公主演経験アリの路線スターをさしおいて、現時点で路線扱いを受けていない子が2番手役としての役割や露出をするわけにはいかない、から。

 主要人物がマークしかいないのだから、マーク役を2番手が演じる。
 そうすれば、ジェイクの中に入ったあとも、なにかとマーク(魂)として登場できる。
 ジェイクは本当に死んでしまい、魂も地上にはないとしても、マーク(魂)として真情を吐露したりできるし、時折戻ってくるジェイクの魂に励まされたりなんだり愉快なこともできる。
 入れ替わりモノの王道として、マークの姿のままジェイク(魂)としてキザりまくってヨシ、もしくは、ヘタレジェイクの後ろでヘタレマイクのまま2個イチで行動するとか。

 マーク(魂)役が舞台上から抹殺された理由って、演じているのがかいくんだから、でしょう?
 現時点でちぎより上の扱いをしてはならない子の演じる役だから、これ以上2番手のように扱ってはならない。すなわち、マーク(魂)役は二度と出せない。

 番手だけが理由なら、最初から2番手に演じさせておけばいいのに。
 そーすりゃ入れ替わったあとも、どちらの役も舞台に出すことが出来る。タカラヅカ的に問題ない。

 繰り返すが、かいくん自身がどうとか、ちぎの現在の役がどうとかという意味ではなく、「物語」として見た場合、変だろコレ、と言っているんだ。や、ちぎの扱いは不満っつーか疑問だらけだが、ちぎが「いらない役」でも、そうすることによって「物語」が正しく機能するなら、そーゆーもんか、と思うよ。
 そうでなく、ちぎの扱いは気の毒なことになってるし、それによって「物語」も壊れてるし、かいくんも着ぐるみに入るくらいしか仕事がなくなる。……いったいどーゆーことなんだ?ってこと。

 主人公であるマーク役を抹殺し、主役だったはずのジェイクを殺し、2番手スターのはずのちぎの存在価値を粉砕し、鈴木圭はなにがしたかったのだろう。
 

 マークがジェイクになるなら、ジェイクとしての前半場面は不要。描かなくていい。ジェイクのことは観客もなにも知らない。マーク視点で「ええっ、ボクがギャング?!」と驚いていけばいい。
 そしてあくまでもマークとして、ジェイクを取り巻く人々と「心の関係」を築いていく。ルシアのことだけにかまけないで、ジェイクとして生きるならその仲間や環境にも興味を持て。
 ジェイクの弟分ケリーとの間に友情を成立させろ。たとえばケリーにだけは真実を告げ、仲間になってもらうとか。2番手スターの演じる役を、ストーリーに絡めろ。

 それまで観客にわざわざ時間と手間をかけて見せていた、ホテルの人々との人間関係、設定すべて反故にする意味はどこに。

 「みっちゃんをステキに描くためだ。これはストーリーをたのしむものではなく、ファンだけが『ステキなみっちゃん』を見てたのしむモノだからだ」……ということも、理由にはならない。

 だって、主人公を固定しても、誠実な作劇にしても、みっちゃんを魅力的に描くことは可能だもの。

 ジェイク役を描かずマークひとりを主役にしても、ファン・アイテムは成立する。かわいいヘタレなマーク、ピアニストで弾き語りをするマークは描ける。かっこいいジェイクとしてのシーンも「死んだばかりのカラダに入ったので、生前の記憶がある」という設定ゆえにいくらでもキザにかっこよくも描ける。
 何故安直な「入れ替わり」で「主役が誰かわからない」ことにしてしまったのか。
 物語として致命的な失敗をして、平気でいられるのか。

 わけわかんねえ。

 たしかにこの作品は「ファン・アイテム」であり、「主役さえおいしければそれでいい」という作りになっているが、そしてソレはタカラヅカでは正しいのだが、それにしても作品自体は失敗しているだろ。あきらかに。壊れているし、まちがっている。

 たのしいし、おしゃれなんだけどなあ。ラストシーンとかきれいなんだけどなあ。
 みっちゃんもたっちんもちぎも、がんばっているしステキなんだけどなあ。

 脚本が、アレすぎるよなあ。


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