ワタさんとコムちゃんの、個性のちがいを、興味深く思う。

 ふたりのさよなら公演。『愛するには短すぎる』と『堕天使の涙』。
 どちらも主人公あて書きで、どちらも複数の人々の人生が交差する物語だ。
 ワタさんの『愛するには短すぎる』は、悲喜こもごも、それでもあたたかくコメディ的に物語が進む。
 コム姫の『堕天使の涙』は、悲劇と孤独を耽美に描き、ドシリアスに物語が進む。

 どっちも、主軸となる物語に、ある意味不要ともいえる脇の話をいっぱい絡めてあるのにねえ。
 このちがいっぷりときたら。

 愉快だなあ。

 とっても大雑把に分類すると、話の骨組みもほぼ似通ってるんだよね。
 それでも、ワタさんがフレッドで、コム姫がルシファーであることがうれしい。

 ふたりのキャラクタのちがい、そしてソレは、「タカラヅカ」の懐の寛さだと思えるから。

 「よい」とされるものは、ひとつではない。
 さまざまなカタチの魅力があり、さまざまなカタチの表現がある。
 たったひとつだけを正義とし、それ以外を認めない・排除するのではなく、さまざまな魅力の存在を肯定する。

 そうすることで、タカラヅカは90年続いてきたんだろう。

 人間全部が同じ価値観・美意識しか持たなかったら、気持ち悪いよ。
 好きなモノ、嫌いなモノ、心地よいモノ、苦手なモノ、いろいろあっていいんだと思う。
 自分の価値観以外を、理解や同調できるかどうかは置くとして、とりあえず許容する。
 それが、すべてのはじまりだと思う。

 
 ええ、ほんとに。

 
 そして、宙組チケット発売日。
 梅田にはたった800人ほどしか並びませんでした。通常公演となんら変わりなし。前回の雪組の、半分強の人数か……ははは。
 なのになのに、白紙を引きました。わたしもハイディさんも。……人生無情。

 ああそして。
 美意識・価値観は人の数ほどあるとはいえ。

 チョンマゲに軍服、というらんとむさんの姿はあんまりぢゃないのかと、宙組の巨大看板の前で思いましたことよ。……苦苦苦。いくら史実とはいえなー。


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