彼はエリック。@ファントム
2006年9月25日 タカラヅカ 春野寿美礼には、ビデオ記録が無意味だ。
『マラケシュ』の東宝楽をスカステで見たとき、わたしが知っている『マラケシュ』とあまりにちがっていることに愕然とした。
わたしの知っているリュドヴィークは、テレビ放送されているリュドヴィークとは、あまりに別人だった。
なにコレ。
コレ、わたしが見たかった『マラケシュ』ぢゃない。わたしの愛したリュドヴィークぢゃない。
……もちろんコレが『マラケシュ』でリュドヴィークだということは、わかるけれど。
だってオサ様、同じ演技は二度としないんだもの!!
日によって公演によって、別人があたりまえなんだもの!!
わたしは、わたしが「視た」ときのリュドヴィークをリュドヴィークだと思うし、複数のリュドのなかでも、いちばんわたしの感性に合うリュドをリュドだと認識して、記憶に刻んでいるのよ。
だから、今さら映像で、別のリュドヴィークを見せられても、混乱する。落胆する。
わたしが愛したリュドヴィークは、もうどこにもいないんだ。
記録映像の中にさえ。
その事実が、悲しい。
泣けてくるほどせつない。
オサ様は、ナマで視てなんぼの人。
スカステやDVDが無意味な人。
変わり続ける、ナマの感情で、感覚で、酔わせる人。
『ファントム』でも、そうだ。
ムラで『ファントム』を観たとき、エリック@オサがあまりに幼くなりすぎていて、興醒めした。
いたいけでせつない少年だけど、わたしが見たいオサ様は子役ぢゃない。
どんなにエリックが愛されていて、キャリパパ@ゆみこといちゃいちゃしていても、ショタの気のないわたしには、萎えるばかり。
ムラの当日B席で観劇したときのエリックが、いちばんよかった。適度に青年で、そして可哀想で。
歌声も冴え渡り、キャリパパとの銀橋の響き合いは素晴らしかった。
『ファントム』という作品自体に萎え気味だったけれど、それを持ち直させてくれる出来の良さだった。
なんだ、『ファントム』もけっこーいいじゃん。……そう思ったけれど、次に観たときはまた、そのときほどの昂揚は得られず、気分は下を向いた。
なんとなく盛り上がりに欠けるままの、東宝観劇。
席はそこそこ、1階S席センター。……てゆーか、わたしの位置、0番? こんなにど真ん中で『ファントム』観るのはじめてだ。
やはり、今までのどの回ともチガウ、新しいエリックがいた。
観る前から、「幼児化が進んで、ひどいことになってるよ」とさんざん威されていたんだけど。
べつに、幼児じゃなかった。
ふつーに青年だった。あわれで、いたいけな青年だった。
キャリパパとの銀橋、キャリパパをはじめて見た。
ど真ん中の席だと、両方見えるんだ。今まで、どこに坐っていようと、たとえ後頭部しか見えなかろうと、エリックしか見てなかったからな。
はじめてちらりとだがキャリパパも見て、そしてあとはずーっとエリックだけ見つめて、だだ泣きした。
銀橋、べつに泣けなかったのになー。泣けたのはムラBB席の1回だけだったのになー。
傷ついた魂が、あえいでいる。
誰を恨むこともない、愛を知る人。
すべての運命を受け入れながら、微笑む人。
なにも欲しがらなかった彼が、ただひとつ欲した少女、クリスティーヌ。
「彼女は僕の顔を見たんだ。彼女は僕のものだ」
……痛みに耐えるような、かなしい顔で、つぶやく。ひとりごとのように。うわごとのように。
泣いているように。あきらめているように。でもどこか、微笑んでいるように。……なにかを耐えた、かなしい顔で、彼はつぶやく。
エリックだ。
あまりに痛々しい、エリックがそこにいる。
無惨なのは顔の傷じゃない。心の傷だ。
ズタズタになりながらも光と愛を信じ生きてきた青年が、すべてを受け入れてなお、手を伸ばさずにいられなかったもの。なにかに背を押されるかのように。運命であるかのように。
エリックの元へ行こうとあがくクリスティーヌ。
クリスティーヌの元へ行こうとあがくエリック。
運命に引き裂かれる恋人たち。
……エリックが、好きだ。
たかこエリックは大好きだったけれど、オサ様エリックは幼児過ぎて好みぢゃなかった。
でも今、このエリックのことは、大好きだ。
子どもじゃない。
少年の魂を持った、あわれな大人の男だ。
ひとり女に恋をする、大人の男だ。
やっぱり、春野寿美礼は、すごい。
この人、すごいよ。
目を離せない。なんなの、この魅力。カリスマ性。
計算してやっているというより、過分に本能的な演技が、ツボにハマったときのカタルシスは他では考えられない。
そして、この人のすごさは、ビデオでは伝わらないんだ。
変わり続ける日々の演技の中にあるんだ。
きっと、この先花組『ファントム』の映像を見ることがあっても、首を傾げるんだろうな。
これは、わたしの視た『ファントム』じゃない。わたしの愛したエリックじゃない、って。
うわあぁぁああん、大好きだオサ様。
どうしよう。もー、どうしよう。なんて人なの。
と、ここまで感動させてくれておいてさ。
フィリップとの対決で、ナイフを落とすのは、どうなの。
いやあ、すばらしい空気でした、劇場内。
フィリップを羽交い締めにして、後ろからナイフを振り下ろそうとして、クリスに止められるシーンね。
あそこでエリックわざわざ、ナイフを投げて持ち替えるじゃん。なんでそんなことするのか謎のアクション。落としたらどーすんだ、とはらはらするシーン。
あそこで、ほんとに落とした。
「あ」
全員が、止まった。
……しーん……。
エリックもフィリップも、彼らの下方にいるクリスも警官たちも、みーんな。
固唾をのんだ。
どうしようって。
ナイフがないまま、あるふりをして続けるのか。
それともナイフではなく素手で殺すふりをするのか。
まとぶんが混乱してぐるぐるしているのがわかる。「オレか? オレがなんとかするのか? どーすんだオレ?!!」
静まりかえる客席。静まりかえる舞台。
高まる緊張感、ああまさにクライマックス!!
エリックが、動いた。
フィリップを羽交い締めにしたまま、じりじりと横に動き、落ちているナイフへ、手を伸ばした。
フィリップも、抵抗するふりをしながら、協力。
ふたりでカニ歩きして、無事にナイフ取得。
で、なにごともなかったかのよーに舞台再開。
「うおおおっ」
「お願いやめてエリック!!」
……おもしろいぞキミら。
いやあ、いいもん見ました。
あの、舞台全員の「あ」ってゆー顔。
それでも最後の、クリスティーヌの腕の中で事切れるエリックに、再び号泣しましたとも。
オサ様大好き。
『マラケシュ』の東宝楽をスカステで見たとき、わたしが知っている『マラケシュ』とあまりにちがっていることに愕然とした。
わたしの知っているリュドヴィークは、テレビ放送されているリュドヴィークとは、あまりに別人だった。
なにコレ。
コレ、わたしが見たかった『マラケシュ』ぢゃない。わたしの愛したリュドヴィークぢゃない。
……もちろんコレが『マラケシュ』でリュドヴィークだということは、わかるけれど。
だってオサ様、同じ演技は二度としないんだもの!!
日によって公演によって、別人があたりまえなんだもの!!
わたしは、わたしが「視た」ときのリュドヴィークをリュドヴィークだと思うし、複数のリュドのなかでも、いちばんわたしの感性に合うリュドをリュドだと認識して、記憶に刻んでいるのよ。
だから、今さら映像で、別のリュドヴィークを見せられても、混乱する。落胆する。
わたしが愛したリュドヴィークは、もうどこにもいないんだ。
記録映像の中にさえ。
その事実が、悲しい。
泣けてくるほどせつない。
オサ様は、ナマで視てなんぼの人。
スカステやDVDが無意味な人。
変わり続ける、ナマの感情で、感覚で、酔わせる人。
『ファントム』でも、そうだ。
ムラで『ファントム』を観たとき、エリック@オサがあまりに幼くなりすぎていて、興醒めした。
いたいけでせつない少年だけど、わたしが見たいオサ様は子役ぢゃない。
どんなにエリックが愛されていて、キャリパパ@ゆみこといちゃいちゃしていても、ショタの気のないわたしには、萎えるばかり。
ムラの当日B席で観劇したときのエリックが、いちばんよかった。適度に青年で、そして可哀想で。
歌声も冴え渡り、キャリパパとの銀橋の響き合いは素晴らしかった。
『ファントム』という作品自体に萎え気味だったけれど、それを持ち直させてくれる出来の良さだった。
なんだ、『ファントム』もけっこーいいじゃん。……そう思ったけれど、次に観たときはまた、そのときほどの昂揚は得られず、気分は下を向いた。
なんとなく盛り上がりに欠けるままの、東宝観劇。
席はそこそこ、1階S席センター。……てゆーか、わたしの位置、0番? こんなにど真ん中で『ファントム』観るのはじめてだ。
やはり、今までのどの回ともチガウ、新しいエリックがいた。
観る前から、「幼児化が進んで、ひどいことになってるよ」とさんざん威されていたんだけど。
べつに、幼児じゃなかった。
ふつーに青年だった。あわれで、いたいけな青年だった。
キャリパパとの銀橋、キャリパパをはじめて見た。
ど真ん中の席だと、両方見えるんだ。今まで、どこに坐っていようと、たとえ後頭部しか見えなかろうと、エリックしか見てなかったからな。
はじめてちらりとだがキャリパパも見て、そしてあとはずーっとエリックだけ見つめて、だだ泣きした。
銀橋、べつに泣けなかったのになー。泣けたのはムラBB席の1回だけだったのになー。
傷ついた魂が、あえいでいる。
誰を恨むこともない、愛を知る人。
すべての運命を受け入れながら、微笑む人。
なにも欲しがらなかった彼が、ただひとつ欲した少女、クリスティーヌ。
「彼女は僕の顔を見たんだ。彼女は僕のものだ」
……痛みに耐えるような、かなしい顔で、つぶやく。ひとりごとのように。うわごとのように。
泣いているように。あきらめているように。でもどこか、微笑んでいるように。……なにかを耐えた、かなしい顔で、彼はつぶやく。
エリックだ。
あまりに痛々しい、エリックがそこにいる。
無惨なのは顔の傷じゃない。心の傷だ。
ズタズタになりながらも光と愛を信じ生きてきた青年が、すべてを受け入れてなお、手を伸ばさずにいられなかったもの。なにかに背を押されるかのように。運命であるかのように。
エリックの元へ行こうとあがくクリスティーヌ。
クリスティーヌの元へ行こうとあがくエリック。
運命に引き裂かれる恋人たち。
……エリックが、好きだ。
たかこエリックは大好きだったけれど、オサ様エリックは幼児過ぎて好みぢゃなかった。
でも今、このエリックのことは、大好きだ。
子どもじゃない。
少年の魂を持った、あわれな大人の男だ。
ひとり女に恋をする、大人の男だ。
やっぱり、春野寿美礼は、すごい。
この人、すごいよ。
目を離せない。なんなの、この魅力。カリスマ性。
計算してやっているというより、過分に本能的な演技が、ツボにハマったときのカタルシスは他では考えられない。
そして、この人のすごさは、ビデオでは伝わらないんだ。
変わり続ける日々の演技の中にあるんだ。
きっと、この先花組『ファントム』の映像を見ることがあっても、首を傾げるんだろうな。
これは、わたしの視た『ファントム』じゃない。わたしの愛したエリックじゃない、って。
うわあぁぁああん、大好きだオサ様。
どうしよう。もー、どうしよう。なんて人なの。
と、ここまで感動させてくれておいてさ。
フィリップとの対決で、ナイフを落とすのは、どうなの。
いやあ、すばらしい空気でした、劇場内。
フィリップを羽交い締めにして、後ろからナイフを振り下ろそうとして、クリスに止められるシーンね。
あそこでエリックわざわざ、ナイフを投げて持ち替えるじゃん。なんでそんなことするのか謎のアクション。落としたらどーすんだ、とはらはらするシーン。
あそこで、ほんとに落とした。
「あ」
全員が、止まった。
……しーん……。
エリックもフィリップも、彼らの下方にいるクリスも警官たちも、みーんな。
固唾をのんだ。
どうしようって。
ナイフがないまま、あるふりをして続けるのか。
それともナイフではなく素手で殺すふりをするのか。
まとぶんが混乱してぐるぐるしているのがわかる。「オレか? オレがなんとかするのか? どーすんだオレ?!!」
静まりかえる客席。静まりかえる舞台。
高まる緊張感、ああまさにクライマックス!!
エリックが、動いた。
フィリップを羽交い締めにしたまま、じりじりと横に動き、落ちているナイフへ、手を伸ばした。
フィリップも、抵抗するふりをしながら、協力。
ふたりでカニ歩きして、無事にナイフ取得。
で、なにごともなかったかのよーに舞台再開。
「うおおおっ」
「お願いやめてエリック!!」
……おもしろいぞキミら。
いやあ、いいもん見ました。
あの、舞台全員の「あ」ってゆー顔。
それでも最後の、クリスティーヌの腕の中で事切れるエリックに、再び号泣しましたとも。
オサ様大好き。
コメント