なにをどの順番で書けばいいのやら。
 先に星組大劇書くべきなのかしら。大爆笑した雪エンカレはいつ書けるかしら。てゆーか月東宝の話を、今さら書けるかしら……。今日の段階で実はもう、七帆バウも観てるんだけど。
 でもこれ以上遅れても忘れちゃいそうだしな。とりあえず、時系列に従って。

 『アルバトロス、南へ』の、女の子たちの話。

 わたしはオギーが、いづるんをどうするのか、とても興味があった。

 『パッサージュ』のとき、天勢いづるの新しい魅力を開花させたのがオギーだ。
 もともと、そーゆー使い方をしていい子だった。小柄で美形、耽美系の少年だったんだから。
 コム姫ほど人間離れしてはおらず、影も体重もありそうな、小悪魔。
 コム姫の役を演じることになった博多座『パッサージュ』では正直「足りていない」と思ったけれど……大劇版では見事に魅力を発揮していた。

 いづるんが性転換してから、はじめてのオギー作品。
 さて、オギーは女となったいづるんをどう使う?

 
 わたしは男役いづるんのファンで、彼の耽美っぷりと被虐とヘタレが似合う芸風に魅力を感じていた。
 娘役転向はショックだったけれど、性別が変わっても変わらずファンでいられると思っていた。

 が。

 性別が変わるっていうのは、ただズボンからスカートに変わるだけじゃないんだ。
 芸風が変わるんだ。

 いづるんが持っていた繊細さや弱さを表現できるしなやかさは、「男役」としての持ち味だったんだ。
 「娘役」になると、別人になってしまうんだ。

 それをいちばん感じたのが、『DAYTIME HUSTLER』のとき。
 繊細であってしかるべきヒロインが、どーにも大味だった。
 女らしい仕草、女らしい喋り方、なにかと「女」を前面に押し出したわざとらしい女……うわー、きっつー。
 女らしい仕草をする前に、どう感じているのか、心の揺らめきを見せてくれよ。男の前でシナを作る、女が嫌う女のいやらしさを見せつけないで。
 繊細な少年、いづるんはどこへ……こんな無神経系の女、あたしの知ってるいづるんぢゃないー。

 ま、そのあとのルイーズ@『ベルばら』はある意味よかったんだけどね。正しく、無神経な女で。

 苦手な女の子になっちゃったなあ、いづるん……。
 そうしょんぼりしていただけに。

 あああ、ありがとうオギー。

 女いづるんの、「無神経」なところをとても魅力的に使ってくれて!!

 すばらしいと思ったのは、2幕のサーカスのシーン。

「囚われた鳥が歌う もがれた翼の歌 遠い国に売られ 喉をからし歌う かなしいさだめから 助けて誰か」

 『パッサージュ』でまひるが悲劇のヒロイン的に歌っていたこの歌を、ゼンマイ仕掛けの人形のように歌ういづるんに、ぞくぞくした。

 いづるんを無機質にすることで、無神経さが「こわい」意味で、「毒」の意味で映える。
 悪夢のサーカスで歌うに相応しい美少女。

 そして、「4人目の女」としてアルバトロス@コムに絡む、内戦の続く土地の娘……裸足で、膝を抱えている孤独な少女。
 ヲイヲイ、『DAYTIME HUSTLER』のときと同一人物とは思えないよ。あの「女」が鼻につく演技がぬけている? 表に出ていない?
 男だったときの繊細さに、女である今の強さが加えられたような。

 この「強さ」がいいな。
 強い、でも傷ついている。
 吹けば飛ぶようなか弱い娘じゃない。だからこそ、こうしてここにいる。でも、それ以上の強さはないから、ここで膝を抱えている。そのせつなさ。

 いい感じに乾いている。
 なのに、舞台にはずっと雨が降り続く。
 湿った夜の、乾いた女。
 それは、アルバトロス@コムの持ち味とも調和している。

 女の子のいづるんのことも、愛していけそうだ。
 この作品と、このいづるんに、出会えてよかった。

 
 いづるんが「ヒロイン」という記号を持った女の子なら、舞咲りんちゃんは「アイドル」という記号を持っていると思う。
 キティお嬢様から何年経つんだっけ。あれ以来わたしにはどうも強烈に刷り込まれていて。
 4人の女の子キャストのなかで、「アイドル」ポジが舞咲りんちゃん。
 現実のアイドルとか、本公演で通用するほどの華だとか美貌だとか、そーゆー話をしているのではなくて、「記号」としてね。微妙だろうとイロモノっぽかろーと、彼女の記号は「アイドル」。
 ヒロインよりももっと比重は軽く、そのぶん無責任に「華」を添える。
 かわいいことが第一条件。キュートでガーリッシュ。等身大で感情移入しやすく、気まぐれで一途で、そして、ときに残酷。
 どこのシーンでだっけ、舞咲りんちゃんが「ミッフィ」のぬいぐるみを抱いているのがこわかった。
 芝居では道化の衣装を着た男女がいつもアルバトロスを冷ややかに見守っているのだけど、無表情なキティお嬢様が無表情なミッフィを抱いているのは、ものすげーこわい。

「ミッフィって、こわいよね?」
「ミッフィはこわいよ!」

 と、終演後にkineさんと話したけれど(笑)。
 ミッフィって「無表情」だから、かわいい半面、一歩間違えるとすごーくこわいんだよ。
 ソレを、あーゆー使い方されると、こわさ倍増。

 毒を含んだ無表情で人形のように立つ少女が、無表情な人形を抱いているのよ?
 こわいって!

 「かわいい女の子」という設定を、逆手に取ったこわさ。
 ああ、女の子ってほんとにいいなー。女の子大好きだー。

 放浪者アルバトロスをいっときつなぎとめる港町の少女、としても、とてもいい。
 彼女がかわいくて、力無い少女なのがいい。
 「行かないで」「ずっとここにいて」と言葉にしない彼女の、心の祈りが聞こえてくる。

 かわいいこと。でも、絶世の美女だったりなにか「特別」なものがあってはいけないこと。
 記号は「アイドル」。「ヒロイン」ではない。でも、とても重要な持ち味。

 
 有沙姉さんがいちばん、違和感があるままだったかな。
 いろんな意味で「足りない」ものを感じてしまった。「ココ」で必要なモノは「コレ」で、有沙姉さんだと「コレ」の何割かの仕事しか果たしていない気がした。
 わたしが感じただけなので、好みの問題、感性の問題だと思うけれど。
 彼女の役割はやはり、「同期」ということだろうなと納得して観ていた。
 平均点の仕事をする人だけど、容量が少ないからそれ以上がはじめからなさそーで、それがつらいかなと。
 愛着のある娘役さんなので、彼女がいい役でやりがいを持って舞台に立ってくれたことは嬉しい。ただ、作品ファンとしてはちょい疑問が残った。

 
 博多座『パッサージュ』の歌姫、ゆめみちゃんは歌担当だよね。……そのわりに、彼女ひとりが歌いまくるわけではなく、他の女の子たちもみんな歌っていた。わー、みんな歌えるんだね、この公演すげえや。
 でも、「天使の夢を見たわ」の『パッサージュ』部分を歌うのは、世界を導くのは、ゆめみちゃんの歌声。

 てか、演技しているゆめみちゃん見るの、ずいぶんひさしぶりな気がする……。役者として、あんまし役ついてないもんなあ。『追憶のバルセロナ』新公以来か? や、ピンポイントではいろいろやってるけど(ハマコの女房とか・笑)、がつんと芝居をしていたのは、準ヒロだった『バルセロナ』かなと。はっ、あんときの旦那役はいづるん(男)ぢゃん。
 ふつーに大人の女性として、リアルに余裕で演技できちゃうんだ。かっこいー。
 1部の浮気者キムの彼女役も、かわいかったけれど。

 えー、そんでもってやっぱし、ケロに似ていると思うの……顔……。
 ようするに好みの顔なんだと思う。
 ゆめみちゃんは、広大な大劇場のどこにいてもわかる(笑)。月組のフジコちゃんがどこにいてもわかるよーに。

 
 にしても、オギーの衣装センスはすごいなー。
 あの全員パーツ色違いでおそろいの、黒い道化衣装、すげー素敵。かわいくて、ユーモラス、そして毒まである。
 みんなみんな、かわいくて魅力的だった。


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