船は進む、別れに向かって。@愛するには短すぎる
2006年8月11日 タカラヅカ 「ふつーでないこと」を賛美するのが物語の常、「こうして貧しい少女は、王子様に愛されしあわせに暮らしました」ーー日常の否定、夢の成就、愛の勝利はエンタメのお約束。
平凡なままじゃダメ、手に入れろ、勝利しろ、ステップアップしろ。
現状よりも上の状況を手に入れることを「ハッピーエンド」とする価値観。
そうでなければ反対に「セレブな生活にあこがれていたけど、実際に玉の輿に乗ったら大変だったわ、やっぱり平凡がいちばんね」な「青い鳥は家にいました」思想。
もちろんそれは当然のこと。
みんな平凡な日常にあきあきしているもの。「物語」の中でくらい非日常を味わいたい。もしくはその非日常のあとで「平凡な日常が一番」と持ち上げて、満足するようにする。
それが「物語」ってもん。
でも、『愛するには短すぎる』は、そうではなくて。
留学が終わり、さあ帰国して待っているのは途中下車できないエリート列車、結婚も仕事も決められていて墓場まで進むレールが見えている……そんなフレッド@ワタさんがモラトリアム最後の船旅で、バーバラ@となみというショーガールと出会った。
彼女はなんとフレッドの幼なじみで初恋の相手だ。バーバラもまたこの船旅が終わればショーガールを廃業し、故郷で母親の介護をして地味に生きることが決まっている。
人生最後の「自由時間」でフレッドとバーバラの恋がはじまる。
……はじまってみても、終わりは見えている。船が港に着けば、非日常はおしまい、待っているのは長い長い日常。限られた時間の中で、フレッドははじめて「自分の人生」と対峙する……。
非日常と出会い、結局日常に帰っていくストーリーラインだけど、どちらを否定しているわけでもない。
なにも否定しない。
封印されていた初恋、住む世界のちがう男女の船の上でだけの恋ーー非日常ーーも。
そして、彼らが生きてきた、これからも生きていく「人生」ーー日常ーーも。
否定しない。
平凡な日常を捨てて、ドラマティックな恋愛至上主義、「ほんとうの恋に生きてこそ!」的価値観を満たすチャンスなのに。
フレッドもバーバラも恋だけにすべてを懸けない。「物語」ならふつー、ここでなにもかも捨てて恋に生きることをヨシとするけれど。
「なにも捨てない、犠牲を払わないなんて、所詮その程度の恋だったんでしょ」というわけでもない。
フレッドもバーバラも、誠実に自分の人生を生きてきた。
思い通りにならなかったこともあるし、後悔していることもある。
だけど。
誠実に生きていたら、それら全部を捨てることなど、できるはずがない。
なにもかも捨てて、走れない。
両手に抱えているものは清も濁もあわせて全部かけがえのないものだし、カラダに残る傷のひとつひとつは誇りである。すべてが叶った人生ではなかったけれど、踏みしめてきた一歩一歩の意味、出会ってきた人との絆の大切さを知っている。
だから、走れない。
だから、別れる。
今、人生が交差し、この瞬間だけ同じ時を過ごすことが出来た。
今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそここで出会い、愛し合った。
そして。
今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそ、他の誰でもないフレッドでありバーバラであるからこそ、ここで別れる。
今までの自分や出会いや思い出や、ひととひとの絆すべて裏切り捨てて、己れの欲望だけで走り出せる人間なら、ここで恋などしなかった。
なんて愛しい物語。
なにも否定しない。
人生は素晴らしい。
この世は生きるに値する。
失われることがわかっている有限の楽園で、男と女は恋をする。
困惑し、あがきながら。
きれいなだけぢゃなく、みっともなく迷いながら、立ちつくしながら。
フレッドとバーバラだけでなく、出てくる人たちみんなが、なにかしら「呼吸」していて、やさしく、おかしい。
あたたかな、せつなさに満ちた物語。
なにも否定しない。
これまでの人生も。
これからの人生も。
今、この決断も。
泣けるくらいやさしい目線で描かれた物語。
人間賛歌、人生肯定。
ごちゃごちゃと画面のあちこちでなにかしらもつれている人たち。ただのモブなのに、表情豊かに個性豊かに「存在」している。
フレッドの人生も、バーバラの人生も、脇のごちゃごちゃした人々の人生も、わたしの人生も、偶然隣に坐った誰かの人生も、愛しくなる。
そして、これは「仕掛け」の部分だろう。
今までの湖月わたる時代の星組作品を彷彿とさせる作り。
『ドルチェ・ヴィータ!』の、まぶしい笑顔で甲板掃除していたセーラーC@しいちゃんは出世して船長に。
『それでも船は行く』のジョニー・ケイス@すずみんは、セレブなプロデューサーに。今の名前はペンネームだよね(笑)。家に帰れば美人だけどめっぽー気の強い奥さん@せあらがいて、船の上ぐらいしか浮気できないのかも(笑)。
七つの顔を持つ怪盗(笑)@きんさんは、やはりここでも変装の名人の宝石泥棒。相棒のにしきさんとふたりして、うさんくささはタダモノぢゃない。
『それ船』のジョニーとマイクのような、身分(笑)はちがいまくってるのに気の置けない親友同士、フレッドとアンソニー@トウコ。
『1914/愛』のアリスティドと執事長アナトールのような、おぼっちゃまと執事の関係、フレッドとブランドン@まやさん。
誘惑者で脅迫者、今回悪役のれおんは、『永遠の祈り』風味かな?
みらんくんは『コパカバーナ』に続いて振付師?(チガウって!・笑)
「コレってアレだよね?」と、にやりとしながらたのしむ作り。
思い出と現実とを同時にたのしみつつ、船は進む。別れに向かって。
これは、湖月わたるの退団公演でもある。
別れがまず前提にあり、ソレが覆されることはない。
別れを、旅立ちを、人生を、「終わってしまう時間」を意識させながらも、そこにあるのはかなしみだけではない。
別れてなお、別の人生を歩んでなお、輝く想いがある。
胸を張って、自分の人生を生きよう。
あの人を愛したことは、灯火となるから。
たとえ海が荒れて、進む方角がわからなくなっても。
遠く道しるべとなる灯台のように。
たくさん笑って、しあわせで、しあわせなのに涙が止まらない、やさしいせつなさに満ちた物語。
大好き。
平凡なままじゃダメ、手に入れろ、勝利しろ、ステップアップしろ。
現状よりも上の状況を手に入れることを「ハッピーエンド」とする価値観。
そうでなければ反対に「セレブな生活にあこがれていたけど、実際に玉の輿に乗ったら大変だったわ、やっぱり平凡がいちばんね」な「青い鳥は家にいました」思想。
もちろんそれは当然のこと。
みんな平凡な日常にあきあきしているもの。「物語」の中でくらい非日常を味わいたい。もしくはその非日常のあとで「平凡な日常が一番」と持ち上げて、満足するようにする。
それが「物語」ってもん。
でも、『愛するには短すぎる』は、そうではなくて。
留学が終わり、さあ帰国して待っているのは途中下車できないエリート列車、結婚も仕事も決められていて墓場まで進むレールが見えている……そんなフレッド@ワタさんがモラトリアム最後の船旅で、バーバラ@となみというショーガールと出会った。
彼女はなんとフレッドの幼なじみで初恋の相手だ。バーバラもまたこの船旅が終わればショーガールを廃業し、故郷で母親の介護をして地味に生きることが決まっている。
人生最後の「自由時間」でフレッドとバーバラの恋がはじまる。
……はじまってみても、終わりは見えている。船が港に着けば、非日常はおしまい、待っているのは長い長い日常。限られた時間の中で、フレッドははじめて「自分の人生」と対峙する……。
非日常と出会い、結局日常に帰っていくストーリーラインだけど、どちらを否定しているわけでもない。
なにも否定しない。
封印されていた初恋、住む世界のちがう男女の船の上でだけの恋ーー非日常ーーも。
そして、彼らが生きてきた、これからも生きていく「人生」ーー日常ーーも。
否定しない。
平凡な日常を捨てて、ドラマティックな恋愛至上主義、「ほんとうの恋に生きてこそ!」的価値観を満たすチャンスなのに。
フレッドもバーバラも恋だけにすべてを懸けない。「物語」ならふつー、ここでなにもかも捨てて恋に生きることをヨシとするけれど。
「なにも捨てない、犠牲を払わないなんて、所詮その程度の恋だったんでしょ」というわけでもない。
フレッドもバーバラも、誠実に自分の人生を生きてきた。
思い通りにならなかったこともあるし、後悔していることもある。
だけど。
誠実に生きていたら、それら全部を捨てることなど、できるはずがない。
なにもかも捨てて、走れない。
両手に抱えているものは清も濁もあわせて全部かけがえのないものだし、カラダに残る傷のひとつひとつは誇りである。すべてが叶った人生ではなかったけれど、踏みしめてきた一歩一歩の意味、出会ってきた人との絆の大切さを知っている。
だから、走れない。
だから、別れる。
今、人生が交差し、この瞬間だけ同じ時を過ごすことが出来た。
今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそここで出会い、愛し合った。
そして。
今までフレッドとしてバーバラとして生きてきたからこそ、他の誰でもないフレッドでありバーバラであるからこそ、ここで別れる。
今までの自分や出会いや思い出や、ひととひとの絆すべて裏切り捨てて、己れの欲望だけで走り出せる人間なら、ここで恋などしなかった。
なんて愛しい物語。
なにも否定しない。
人生は素晴らしい。
この世は生きるに値する。
失われることがわかっている有限の楽園で、男と女は恋をする。
困惑し、あがきながら。
きれいなだけぢゃなく、みっともなく迷いながら、立ちつくしながら。
フレッドとバーバラだけでなく、出てくる人たちみんなが、なにかしら「呼吸」していて、やさしく、おかしい。
あたたかな、せつなさに満ちた物語。
なにも否定しない。
これまでの人生も。
これからの人生も。
今、この決断も。
泣けるくらいやさしい目線で描かれた物語。
人間賛歌、人生肯定。
ごちゃごちゃと画面のあちこちでなにかしらもつれている人たち。ただのモブなのに、表情豊かに個性豊かに「存在」している。
フレッドの人生も、バーバラの人生も、脇のごちゃごちゃした人々の人生も、わたしの人生も、偶然隣に坐った誰かの人生も、愛しくなる。
そして、これは「仕掛け」の部分だろう。
今までの湖月わたる時代の星組作品を彷彿とさせる作り。
『ドルチェ・ヴィータ!』の、まぶしい笑顔で甲板掃除していたセーラーC@しいちゃんは出世して船長に。
『それでも船は行く』のジョニー・ケイス@すずみんは、セレブなプロデューサーに。今の名前はペンネームだよね(笑)。家に帰れば美人だけどめっぽー気の強い奥さん@せあらがいて、船の上ぐらいしか浮気できないのかも(笑)。
七つの顔を持つ怪盗(笑)@きんさんは、やはりここでも変装の名人の宝石泥棒。相棒のにしきさんとふたりして、うさんくささはタダモノぢゃない。
『それ船』のジョニーとマイクのような、身分(笑)はちがいまくってるのに気の置けない親友同士、フレッドとアンソニー@トウコ。
『1914/愛』のアリスティドと執事長アナトールのような、おぼっちゃまと執事の関係、フレッドとブランドン@まやさん。
誘惑者で脅迫者、今回悪役のれおんは、『永遠の祈り』風味かな?
みらんくんは『コパカバーナ』に続いて振付師?(チガウって!・笑)
「コレってアレだよね?」と、にやりとしながらたのしむ作り。
思い出と現実とを同時にたのしみつつ、船は進む。別れに向かって。
これは、湖月わたるの退団公演でもある。
別れがまず前提にあり、ソレが覆されることはない。
別れを、旅立ちを、人生を、「終わってしまう時間」を意識させながらも、そこにあるのはかなしみだけではない。
別れてなお、別の人生を歩んでなお、輝く想いがある。
胸を張って、自分の人生を生きよう。
あの人を愛したことは、灯火となるから。
たとえ海が荒れて、進む方角がわからなくなっても。
遠く道しるべとなる灯台のように。
たくさん笑って、しあわせで、しあわせなのに涙が止まらない、やさしいせつなさに満ちた物語。
大好き。
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