過分摂取注意。@アルバトロス、南へ
2006年8月7日 タカラヅカ あいかわらず、なんの予備知識もなく観た。
芝居なのかショーなのか、なにも知らない。
わかっているのは『アルバトロス、南へ』というタイトルと、出演者だけ。
ハマコ、キム、いづるん、ゆめみちゃんとゆー出演メンバーを知ったとき、興奮したねー。オギーのお気に入りばっかぢゃん!!と。
オギー世界を表現しうる舞台人を集めましたか、そうですか。有沙姉さんと舞咲りんちゃんが過去のオギー作品でどういう使われ方をしていたかわたしの記憶にないんだけど、有沙姉さんはコム姫の同期だからそーゆーことだろうと納得。
6人の共演者のうち、4人までが確実にオギー系芝居のできる人だよ。期待するでしょそりゃ。
構えて観た、青年館初見時。
1部のショーは正直言って、肩すかしだった。
あ、なんだ、こんなもんか。
過去のコム姫出演作品を細密につなぎあわせ、オシャレでたのしい小品として再構築。うまいと思うし、鋭さと甘さ、かろやかさのなかにわずかな棘、と絶妙に作ってあることには感嘆するよ。
でも。
わたしはすっかり身構えていたから。
「オギー×コム」(受攻ではナイ)なら、そしてハマコ、キム、いづるん、ゆめみなら、どれほどオギー全開の痛いものを持ってくるかと、警戒しまくっていたのね。
なんだ、こんななんだ。ぜんぜんふつーの範疇じゃん?
映像の使い方や、要所で輝くコムのダンス、「鳥」「旅」「羽ばたく」「旅立つ」など美しく痛いモチーフは随所にちりばめられているけれど。
純粋にコムのダンスをたのしみ、お別れを惜しめばいいのかー、とぼーっとしていたところに、最後に『銀の狼』がキて、胸を突かれたが。
朝海ひかる、という舞台人のハマり役は、そして代表作は、よりによって全国ツアーでやったシルバ@『銀の狼』なんだなあ。本拠地公演ぢゃないから、観ることができた人が通常より少ないだろうに……そんなイレギュラーぶりも、コム姫らしいなと思ってみたり。
あの痛くて美しい物語、『銀の狼』のコーラスが流れ、「うわっ、キたか!」と身構えたところに、「かわらぬ想い」@『ブラックジャック』が来た。この構成には、うならされた。絶望の入口を見せておいて、希望に続けるの。
よかったー、「かわらぬ想い」だー、人間肯定のあたたかい歌だー、と安心させておいて。
最後の最後、幕が下りる寸前のメロディは『銀の狼』なの。
……持ち上げたくせに!
ほっとさせたくせに!
最後に突き落とすのかよ!!
しかもメロディだけだよ。言葉に頼らず、言葉で判断させず、これがなんのメロディなのか、どういう意味のメロディなのかを知っている人間だけを、奈落へ叩き落とす。
ほっとした直後だっただけに。
ラストのどんでん返しに硬直した。
呆然としている間に、幕が下りるし。
……ラストのどんでん返しは、すごかったけど。明るくおしゃれな作品だっただけに、ラストの毒でトドメ刺されたけど。
それでもなお、肩すかしだったんだ。
オギー×コムだよ? 『パッサージュ』ぐらいはやってくれるだろうと思っていたから。
『パッサージュ』を再現しろと言っているのではなく、『パッサージュ』レベルという意味ね。
『パッサージュ』を観たあとわたし、マジで立てなくなって大変だったからなあ。駅で倒れて、道で倒れて。ヨッパライにからかわれ(夜に倒れていると、ヨッパライ女だと思われるらしい)、親切な人に助けられ、ヨボヨボになって家に帰り着いたなー。
それくらいの破壊力を期待していたから。
1部が終わって、「なんだ、ぜんぜんふつーだ」と思った。
これはこれでいい舞台だけど……『アルジャーノンに花束を』を観たときと同じかな。すばらしいクオリティだけど、「それだけ」だ。
わたしが求めていたモノではない。
なんの予備知識もなかったから。
2部がはじまり、「芝居」であることにおどろいた。
あ、なんだ、芝居あるんだ。1部がショーだから、もう芝居はやらないんだと思ってた。
2部構成なら、どーしても2部がメインで、1部が前座になる。
わざわざショーを前に持ってきたのは、「芝居」をメインにしたかったからだ。
本領を発揮するのは、この「芝居」の方だ。
コムちゃんだから、てっきり「ショー」がメインだと思っていたから。
「芝居」か。「芝居」なのか。
「物語」を見せてくれるのか。
そして。
この「物語」が、すごかった。
「朝海ひかる」というファンタジーの魅力を、あますところなく見せてくれた。
それを目的にしているよーでありながら、ゆっくりと、静かに毒を浸透させていった。
「芝居」のものすごさに、正気を保つのに必死になっているところへ、だめ押しのよーに、「Holiday」@『パッサージュ』がはじまる。
いやはや。
たぶんこれで、息の根を止められた。
作品の流れに沿って、アレはこう、コレはソレ、と感想羅列だとかシーンの読みときだとか、しよーかとも思ったけど、トシだからやめた。
や、ほんとにもー、体力ないんですよ、ばばあだから。
つきつめてがんばるとバテるんで、ほどほどに。
だもんでこの公演に関しては散漫なままいきます。
具体的なことは語らず、説明もせず、感想だけだー。なにのどこをどう語っているのか、はたして読んでいる人にわかるのだろーか。
青年館初見で貧血起こして立てなくなったけど、翌日の2回目はなんとか大丈夫。よいお席だったし、素直に作品を堪能して「世界」に自分を浸す感覚を味わった。
わたしが細胞レベルまで分解して、『アルバトロス』世界の空気と同化する。
あのとき同じ客席にいたみなさん、みなさんが吸っていた空気のなかに、分子レベルまで細かくなったわたしがいたかもよー(笑)。
あとは、バウホールで1回。
残念ながらそれ以上のチケットは取れなかった。
かしちゃんお披露目初日をあきらめれば、もう1回観られたんだけど。……わたしはかしちゃんファンでもあるんだ。生涯にただ一度きりの、トップお披露目初日を見逃すことは出来なかった。
欲を出せば、きりがない。
ずっとずっと、何度でも観たかったよ、『アルバトロス』。
だけどわたしは正直こわがっていたし、疲れてもいた。
立てなくなるよーな破壊力のあるモノを、過分に摂取するのはカラダに悪い。
どれだけそれが甘美だとしてもだ。
わたしはわたしを守るため、楽な方に逃げた。
丸1日サバキ待ちをし、「これで手に入らなかったら、それを理由にあきらめよう」と思った。
朝からバウホール前に行き、夕方までチケットを探した。開演したあとも、別日程が出ないかと探し続けた。
本当に観たかったら、札ビラさえ切れば、観られる時代だ。
それをせず、「タカラヅカの良心」であるサバキに懸けたのは、わたしなりのけじめだった。
まだ観たい、と思う心を、理由をつけてあきらめさせた。
そーでもしないと、カラダが保ちませんて。わたしもう、若くないんだから。
まだ、大劇場公演があるんだから。
大劇ではきっと、毒は薄められ、もっと一般的になっていることだろう。もっとわかりやすく、やさしくなったなかから、それでも「オギー×コム」らしいものを、わたしは探し、感じ、味わうだろう。
それを味わいつくすために今は引かなければ。
しあわせだなあ。
オギーがいてくれて、コム姫がいてくれる。
このふたりが出会って、舞台をつくりあげてくれる。
なんて、幸運なことだろう。
芝居なのかショーなのか、なにも知らない。
わかっているのは『アルバトロス、南へ』というタイトルと、出演者だけ。
ハマコ、キム、いづるん、ゆめみちゃんとゆー出演メンバーを知ったとき、興奮したねー。オギーのお気に入りばっかぢゃん!!と。
オギー世界を表現しうる舞台人を集めましたか、そうですか。有沙姉さんと舞咲りんちゃんが過去のオギー作品でどういう使われ方をしていたかわたしの記憶にないんだけど、有沙姉さんはコム姫の同期だからそーゆーことだろうと納得。
6人の共演者のうち、4人までが確実にオギー系芝居のできる人だよ。期待するでしょそりゃ。
構えて観た、青年館初見時。
1部のショーは正直言って、肩すかしだった。
あ、なんだ、こんなもんか。
過去のコム姫出演作品を細密につなぎあわせ、オシャレでたのしい小品として再構築。うまいと思うし、鋭さと甘さ、かろやかさのなかにわずかな棘、と絶妙に作ってあることには感嘆するよ。
でも。
わたしはすっかり身構えていたから。
「オギー×コム」(受攻ではナイ)なら、そしてハマコ、キム、いづるん、ゆめみなら、どれほどオギー全開の痛いものを持ってくるかと、警戒しまくっていたのね。
なんだ、こんななんだ。ぜんぜんふつーの範疇じゃん?
映像の使い方や、要所で輝くコムのダンス、「鳥」「旅」「羽ばたく」「旅立つ」など美しく痛いモチーフは随所にちりばめられているけれど。
純粋にコムのダンスをたのしみ、お別れを惜しめばいいのかー、とぼーっとしていたところに、最後に『銀の狼』がキて、胸を突かれたが。
朝海ひかる、という舞台人のハマり役は、そして代表作は、よりによって全国ツアーでやったシルバ@『銀の狼』なんだなあ。本拠地公演ぢゃないから、観ることができた人が通常より少ないだろうに……そんなイレギュラーぶりも、コム姫らしいなと思ってみたり。
あの痛くて美しい物語、『銀の狼』のコーラスが流れ、「うわっ、キたか!」と身構えたところに、「かわらぬ想い」@『ブラックジャック』が来た。この構成には、うならされた。絶望の入口を見せておいて、希望に続けるの。
よかったー、「かわらぬ想い」だー、人間肯定のあたたかい歌だー、と安心させておいて。
最後の最後、幕が下りる寸前のメロディは『銀の狼』なの。
……持ち上げたくせに!
ほっとさせたくせに!
最後に突き落とすのかよ!!
しかもメロディだけだよ。言葉に頼らず、言葉で判断させず、これがなんのメロディなのか、どういう意味のメロディなのかを知っている人間だけを、奈落へ叩き落とす。
ほっとした直後だっただけに。
ラストのどんでん返しに硬直した。
呆然としている間に、幕が下りるし。
……ラストのどんでん返しは、すごかったけど。明るくおしゃれな作品だっただけに、ラストの毒でトドメ刺されたけど。
それでもなお、肩すかしだったんだ。
オギー×コムだよ? 『パッサージュ』ぐらいはやってくれるだろうと思っていたから。
『パッサージュ』を再現しろと言っているのではなく、『パッサージュ』レベルという意味ね。
『パッサージュ』を観たあとわたし、マジで立てなくなって大変だったからなあ。駅で倒れて、道で倒れて。ヨッパライにからかわれ(夜に倒れていると、ヨッパライ女だと思われるらしい)、親切な人に助けられ、ヨボヨボになって家に帰り着いたなー。
それくらいの破壊力を期待していたから。
1部が終わって、「なんだ、ぜんぜんふつーだ」と思った。
これはこれでいい舞台だけど……『アルジャーノンに花束を』を観たときと同じかな。すばらしいクオリティだけど、「それだけ」だ。
わたしが求めていたモノではない。
なんの予備知識もなかったから。
2部がはじまり、「芝居」であることにおどろいた。
あ、なんだ、芝居あるんだ。1部がショーだから、もう芝居はやらないんだと思ってた。
2部構成なら、どーしても2部がメインで、1部が前座になる。
わざわざショーを前に持ってきたのは、「芝居」をメインにしたかったからだ。
本領を発揮するのは、この「芝居」の方だ。
コムちゃんだから、てっきり「ショー」がメインだと思っていたから。
「芝居」か。「芝居」なのか。
「物語」を見せてくれるのか。
そして。
この「物語」が、すごかった。
「朝海ひかる」というファンタジーの魅力を、あますところなく見せてくれた。
それを目的にしているよーでありながら、ゆっくりと、静かに毒を浸透させていった。
「芝居」のものすごさに、正気を保つのに必死になっているところへ、だめ押しのよーに、「Holiday」@『パッサージュ』がはじまる。
いやはや。
たぶんこれで、息の根を止められた。
作品の流れに沿って、アレはこう、コレはソレ、と感想羅列だとかシーンの読みときだとか、しよーかとも思ったけど、トシだからやめた。
や、ほんとにもー、体力ないんですよ、ばばあだから。
つきつめてがんばるとバテるんで、ほどほどに。
だもんでこの公演に関しては散漫なままいきます。
具体的なことは語らず、説明もせず、感想だけだー。なにのどこをどう語っているのか、はたして読んでいる人にわかるのだろーか。
青年館初見で貧血起こして立てなくなったけど、翌日の2回目はなんとか大丈夫。よいお席だったし、素直に作品を堪能して「世界」に自分を浸す感覚を味わった。
わたしが細胞レベルまで分解して、『アルバトロス』世界の空気と同化する。
あのとき同じ客席にいたみなさん、みなさんが吸っていた空気のなかに、分子レベルまで細かくなったわたしがいたかもよー(笑)。
あとは、バウホールで1回。
残念ながらそれ以上のチケットは取れなかった。
かしちゃんお披露目初日をあきらめれば、もう1回観られたんだけど。……わたしはかしちゃんファンでもあるんだ。生涯にただ一度きりの、トップお披露目初日を見逃すことは出来なかった。
欲を出せば、きりがない。
ずっとずっと、何度でも観たかったよ、『アルバトロス』。
だけどわたしは正直こわがっていたし、疲れてもいた。
立てなくなるよーな破壊力のあるモノを、過分に摂取するのはカラダに悪い。
どれだけそれが甘美だとしてもだ。
わたしはわたしを守るため、楽な方に逃げた。
丸1日サバキ待ちをし、「これで手に入らなかったら、それを理由にあきらめよう」と思った。
朝からバウホール前に行き、夕方までチケットを探した。開演したあとも、別日程が出ないかと探し続けた。
本当に観たかったら、札ビラさえ切れば、観られる時代だ。
それをせず、「タカラヅカの良心」であるサバキに懸けたのは、わたしなりのけじめだった。
まだ観たい、と思う心を、理由をつけてあきらめさせた。
そーでもしないと、カラダが保ちませんて。わたしもう、若くないんだから。
まだ、大劇場公演があるんだから。
大劇ではきっと、毒は薄められ、もっと一般的になっていることだろう。もっとわかりやすく、やさしくなったなかから、それでも「オギー×コム」らしいものを、わたしは探し、感じ、味わうだろう。
それを味わいつくすために今は引かなければ。
しあわせだなあ。
オギーがいてくれて、コム姫がいてくれる。
このふたりが出会って、舞台をつくりあげてくれる。
なんて、幸運なことだろう。
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