ふたつの『ファントム』について、私感。
 

 宙組版を見たとき、主人公はエリックで、その相手役はキャリエールに思えた。物語のもっとも盛り上がるところが親子の銀橋で、クリスティーヌは影が薄かった。
 孤独な怪人エリックは銀橋でキャリエールの告白を聞き、不器用に男の胸にもたれかかる。自分から抱きしめることもできないエリックを、キャリエールが強く抱きしめる。
 わたしが腐っている(笑)せいだけではなく、一般的にも「ふたりの物語」だと認知されていたのだと思う。「宙組『ファントム』ってどう?」「たかこさんの相手役が、樹里ちゃんだった」とゆー、罪なき会話をあちこちで耳にしたもんなー(笑)。
 演出的にも、キャリエールは登場時に1曲歌いながら銀橋を渡り、「主役のひとりである」ことを印象づけている。
 『ファントム』は親子の物語であるから、ムラ版のラストシーンが不評だった。タカラヅカだからといって、なんの脈絡もなく死んだはずのエリックと生きているクリスが抱き合ってENDはおかしい、と。そしてラストシーンは東宝では改変された。

 花組版は、主人公はエリックで、相手役はクリスティーヌだと思う。物語のもっとも盛り上がるところが、最後のクリスの腕の中で死ぬエリックであり、キャリエールは影が薄い。
 もちろん、見せ場のひとつである親子の銀橋が盛り上がっているのは事実だけれど、物語の力点が移動しているため、宙版とは異なる。
 花エリックは、キャリエールが父であることをあらかじめ知っている。銀橋での告白でも、おどろきはなく愛情の確認をしているんだな。言葉にして聞いたことはなくても、彼はわかったいた。キャリの愛情がだだ漏れ(笑)で、自分がちゃんと愛された子どもであること。もともと甘えっ子モードでキャリに接していたエリックだから、最後の抱擁も積極的。がっつりと腕を回して強く抱き合う。
 エリックが物語の冒頭でブケーを殺さない、殺人鬼設定ではないのは、彼が「愛された子ども」だからだ。たしかに顔の痣もオペラ座の地下で暮らすしかないのも不幸だが、それ以外の大切なものを彼はちゃんと与えられて育った。母に愛され、父に愛され。顔で選んだとしか思えない(笑)浮浪者たちもいっぱい一緒に暮らし、ひとりぼっちではない。
 父との和解は、花組版の力点ではない。演出的にも、キャリエールは登場時の銀橋ソロがまるっと削られ、「主役のひとりではない」という扱いにされている。
 物語のポイントは、タカラヅカらしく、ヒロインとの恋愛にある。
 フィリップという暑苦しい恋敵(笑)も絡み、正統派に三角関係やって、恋愛的ハッピーエンドを決めてくれる。もちろんクリスは母の象徴であり、その母性が大きな意味を持つけれど、ママの代わりってわけぢゃない。歌のレッスンという名のデート中、クリスを見つめるエリックが、とろとろに溶けきった顔をしているからだ。
 恋するエリック。初々しい少年の恋。バスケットにサンドイッチを詰めて、森へ行こう。ピクニックシートを広げて、詩を朗読するの。
 すれちがってなお、エリックとクリスは恋人同士。もしもクリスを止める者が誰もいなかったら、ふたりは手を取り合って秘密の森へ走って行ったんだろう。エリックを「仮面の悪魔」だと思いこんだ人々が邪魔をして、彼は死んでしまうけれど。

 
 「オペラ座の怪人」として正しいのは宙『ファントム』かな。
 でも、「タカラヅカ」として正しいのは花『ファントム』だろう。

 主人公が殺人鬼でなく、逆境で生きる純粋な人物で、暗い過去背負っていて、障害を乗り越えてヒロインと恋愛してその腕の中で死んでいくんだからなー。
 これでもう少し年齢設定が高ければ、ほんとにふつーの「タカラヅカ」だ。

 わたしはやっぱり宙『ファントム』の方が好きだし萌えだし、たかこエリックの歪み方と樹里キャリエールの色気(ついでにトウコフィリップのうさんくささ・笑)が大好物だったし、それは今も変わっていないけれど。

 それでもなお、花『ファントム』とオサエリックが、愛しくてならない。

 おもしろいなあ。
 これだけちがう作品になると。


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