『フェット・アンペリアル』の主人公ウィリアムのキャラ造形には、言いたいことありまくりだけど、そこはもう、都合良くアタマの中で別物に変換してます。
 わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
 しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
 ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
 脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。

 だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。

 今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。

 
 たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。

 ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。

 わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。

 親とも兄弟とも、二度と会えない。
 友だちとも会えない。
 名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。

 ……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
 そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
 ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。

 きっと、ケンカするなぁ。
 あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
 それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。

 彼が、救いとなるんだろう。

 
 ……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
 しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。

 彼の存在が、ひとつのファンタジーである。

 しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
 素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
 ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
 アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
 わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
 性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。

 現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。

 性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。

 うん、性があるからいいんだよな。
 女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
 彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。

 言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。

 や、ファンタジーですから!
 あくまでも、架空の話ですから!
 男役は「男」認識ですから!

 トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。

 そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。

 素直に、ヒロインに同化できるから。
 エンマになって、ウィリアムに恋できるから。

 だから、気持ちいい。

 
 でもって。
 サトちゃん、ごめん。
 なんか謝ってみる。
 友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。


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