でも、彼は現れない。永久に。@フェット・アンペリアル
2006年6月11日 タカラヅカ 『フェット・アンペリアル』の主人公ウィリアムのキャラ造形には、言いたいことありまくりだけど、そこはもう、都合良くアタマの中で別物に変換してます。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
わたしの脳内では、ウィリアムは「空気読めないただのバカ」でも「無能なくせに文句ばかり言う偽善者」でもありません。
しいちゃんが演じているやさしさとおおらかさ、不器用さ、そして未熟さゆえの棘や無神経さと、朴訥な魅力にあふれた青年とゆーことで納得しています。
ほんとは脚本上でもそう描くつもりだったんだろうと思う。失敗しているだけで。
脚本の失敗を、しいちゃんがナチュラルに(計算できているとは思えん)正しい方向に肉付けした結果が、あのウィリアムだろうなと思う。
だからわたしは、ウィリアム@しいちゃんに、救って欲しかった。
今いるこの場所から、連れ出して欲しかった。
たったひとつを選ぶということは、選ばなかった他のすべてを捨てるということ。
ウィリアムがわたしの目の前に現れて、手を取って走り出すとしたら。それについて行くとしたら。
わたしは、わたしのすべてを捨てることになる。
親とも兄弟とも、二度と会えない。
友だちとも会えない。
名前も仕事も、この緑野こあらというハンドルネームも全部捨てる。
……考えるだけで、せつなさに泣けてくるわ。
そーやってせつなくてたまらないのに、それでも、ウィリアムが現れたら、一緒に行くんだろうなと思う。
ウィリアムってゆーのは、そーゆー男なんだと思う。
きっと、ケンカするなぁ。
あんたのせいであたしはなにもかもなくしたのよ、って責める日があるだろうな。
それでも、それらの後悔や痛みを全部超えられるほど、彼の存在が意味を持つんだろう。
彼が、救いとなるんだろう。
……わたしはウィリアムに恋しているわけでもないし、ぶっちゃけ、しいちゃんがいちばんのご贔屓でもないんだが。
しいちゃんの魅力っていうのは、そーゆーところにあると思う。わたしにとって。
彼の存在が、ひとつのファンタジーである。
しいちゃんの持つ「厚み」が好きだ。カラダの話。
素のしいちゃんは知らないよ。ジェンヌさんはみんなすっげー細いし。
ただ、舞台の上のしいちゃんは、リアルな「厚み」を持つ。女を抱きしめることのできる、男の身体としての厚み。
アンドレをやったとき、オスカル@トウコ相手に「うわ、これからこのふたりセックスするんだ」と思い知らせた、牡としての生々しさ。
わたしが倒れ込んでいっても、びくともせずに支えてくれるだろうと思わせてくれる、「厚み」。
性を持たないタカラジェンヌでありながら、ナマの性を感じさせる危うさと、ひだまりのようなあたたかさ。
現実に疲れたとき、「逃げ場」として目の前に現れてくれるのに、彼ほど適した人もいない。
性を感じさせるくせに、強烈な「癒し」の君でもあるんだよなあ。
うん、性があるからいいんだよな。
女同士で救うの救われるの、癒すのどうのって、なんかチガウし。
彼が「男」だから、「女」であるわたしを救えるのだと思うよ。
言葉や感覚がチガウ、通じない部分は永遠に通じないままに、それでもカラダの交わりだけで「ま、いいか」と納得……安心させてしまう存在。
や、ファンタジーですから!
あくまでも、架空の話ですから!
男役は「男」認識ですから!
トウコやしいちゃんを語ると話がナマっぽくなって、書いていてふとアセる……(笑)。
そーゆー意味での「しいちゃん」を、改めて感じさせてくれたから、作品にも主人公造形にも、いろいろ物言いたいことはあっても、この作品はヲトメ心に響くんだよなあ。
素直に、ヒロインに同化できるから。
エンマになって、ウィリアムに恋できるから。
だから、気持ちいい。
でもって。
サトちゃん、ごめん。
なんか謝ってみる。
友だちのダーリン相手に、ひどいこといっぱい書いてしまったよーな気がする……。
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