今さらだが『フェット・アンペリアル』

 しいファンのはしくれとして初日に駆けつけ、そしてちょっとしょぼんだった。
 大野せんせの新作っつーんで、期待しすぎたんだと思う。ストーリーなさ過ぎ、主人公なにもしなさ過ぎと、肩すかしを食らった。
 冗長な1幕と、端折りすぎた2幕。なにがやりたかったのか意味不明な悪役、唐突に出てきては去っていく脇キャラたち、主張はするけど有益なことはなにもしない主人公、思わせぶりだけどべつに深いところまで考えられていなさそーなあれこれ。
 えーとコレ、ただのキャラもの?
 萌え〜なキャラクタが出てきて、そのキャラらしい萌え〜な会話をしたりする、ただそれをたのしむだけのもの?
 キャラを好きになってくれ、その他のことは全部気にするな。……そーゆー作り?

 もちろん、そーゆー世界観はアリだと思う。実際さいとーくんやこだまっちなんか、ソレだけの作家だ。
 アニメやコミックやライトノベル、シリーズもののコメディドラマだとか、「キャラの人気」だけで成り立っているモノは多くある。
 タカラヅカもまた、キャストを魅力的に見せてなんぼ、「**ちゃんで**な役が見たいわ(はぁと)」を満たしてくれればそれでOK、ストーリーも辻褄もなにもいらない! つーのは、アリだと思っているよ。

 ただ、大野せんせだから。
 TCAで1シーン演じればそれでOKな、ただのキャラものなんか描かないはずだという思いこみがあってな。
 それで、しょぼんとしたのよ。
 大野作品としては、レベル低い……。

 誤解しないでくれ。
 大野作品としては低レベル、なのであって、タカラヅカ的に水準は超えてるから!

 誤解しないでくれ。
 大野作品としてただのキャラものっつーのはわたし的に「どうなのよソレ」と思うだけで、キャラものとしても高水準だから!

 大野作品だから、もっと上をのぞんでしまうのよ。
 消費者は貪欲なの。

 実際、キャラクタは、すげーイイ。

 魅力的。誰も彼もが。

 「この役者で、この役が見たかった……っ!!」という願望を、全部まるっとかなえてくれている。
 すげえ。

 構成的にとほほと思いながらも、ウィリアム@しいちゃんに腕を取られて一緒に駆け出したい、と思った。
 ヒロイン・エンマ@ウメとシンクロして。
 共に逃げるこの瞬間こそが世界のすべて、人生のすべて。
 そう思えて、幸福な切なさで涙が出た。

 しかし、繰り返すがわたしは「ただのキャラ萌え」を大野作品に求めていなかったので、いまいちノりきれずに初日を過ごした。
 ただのキャラ萌えなら、翌日初日を迎えた『コパカバーナ』の方が萌えた。せつなさもパワーで押し切る『コパ』の方に感じた。

 コメディだと思って観たのに大泣きに泣けたので、『コパ』の点数は高くついてしまったのだな(笑)。
 『フェット…』が、大野作品だからと構えて観て期待していたほどではなかったので、点数が低くついてしまったのと対照的に。

 その『コパ』初日に、2日連続観劇したkineさんが太鼓判を押す。「『フェット…』がよくなっていた」と。
 初日はたしかに、微妙な脚本を誇張するかのように出演者たちも微妙だったが、今日は脚本の微妙さをカバーできるくらい出演者たちがよくなっていたと。

 舞台はナマモノだ。
 そーゆーことは多分にある。

 実際、脚本が微妙だっつってもだ、植爺だの谷だの酒井だのとちがい、大野せんせの脚本は「出演者次第でいくらでもカバーできる」程度のアレさだ。植爺の某作品などは、元が腐りきっているから誰がどうあがいてもキ○ガイ作品でしかないが、『フェット…』なら、上演回数を重ね、出演者の熱が上がれば充分佳作になりうる。

 てゆーか、最初からそう思っていたし。こんなにノりが悪いのは、初日だからだろうな、と。

 だもんでわたしは、初日のみの感想をUPするのは控えておいた。
 2回目を観てから書こう。そう思った。

 ちといろいろばたばたしていて、結局2回目に観ることができたのは、千秋楽の前、ドリーズ総見のときだった。

 集まってきた仲間たちと並んで観劇。

 続けて千秋楽も観たのだけど、この楽の前公演の方がよかった。
 出演者が脚本を埋めている、熱と演出の絶妙のバランス。こなれていて、だけど慣れきってもいなくて。

 そして、『フェット…』は初老の男が青春時代を回想するカタチではじまる作品だから、2回目以上の観劇ではじめて「作品と同じ目線」になれるのね。
 なにもかも知ったうえで、キャラも出来事も結末も、なにもかもわかったうえで、「過ぎ去りし日の想い出」をたどる。そこではじめて、物語は正しく回転をはじめる。
 「過ぎ去りし日」はもうそこにないからこそ、せつなさを帯びる。

 誠実に生きたことがわかる落ち着いた初老の男が、若さゆえに勇み足な女性をエスコートして踊る。彼は、ダンスの名手らしい。
 恋人の身を案じて浮き足立つ女性に、彼は寛くあたたかな強さで言う。「誰も見捨てたりはしない」と。
 時は戻り、その初老の男の青年時代の話になる。
 ダンスがへたっぴーで、女性に特訓を受けたりしている。それが主人公のウィリアム@しい、見るからに不器用そうな好青年なのに、スパイになるんだってさ。
 ウィリアムのダンス教師がエンマ@ウメ、ふたりの相性は最悪。
 ウィリアムに必要なのは、ダンスの腕だけじゃない。女を手玉に取る能力だ。女には男、男には女。人を操るには色事師としてのスキルを求めるのがいちばん早い……らしいよ、英国情報部。
 表立って戦争してるだけじゃ足りないこの時代、政治の要職につく男たちを影で操るのは女、どの国も色仕掛けで歴史を動かそうと高級娼婦を装った女スパイたちを投入。騙し合いの化かし合い。
 ウィリアムの仕事はその、英国の「国家機密」とも言える女スパイ・エンマの補佐。
 エンマは女の武器でフランス皇帝の弟に取り入るのだが……ウィリアムは彼女のそんな生き方を黙って見ていられない。女スパイの仮面からときおりのぞく素顔が、その強さが、とても痛々しいからだ。
 彼女のためになにかできないのだろうか……つまずく現実ゆえに、ウィリアムは成長していく。
 青く愚かで勇み足ばかりの彼が、冒頭の落ち着いた初老の紳士へたどりつくまでの、「エンマ」という名の甘い痛みの記憶。

 初老のウィリアム@ヒロさんの目線で再び物語を味わうことこそが、この物語の真髄。

 正直、もう少し整理してくれればさらによくなったのになあ、と惜しい気持ちは変わっていない。
 初日に受けた印象、冗長な1幕と、端折りすぎた2幕、つーのは最後まで同じだったから。

 それでも、「キャラクタが魅力的である」というだけで、乗り切れてしまう。
 過去はせつなく、甘美なものだから。
 「失われたもの」を見つめる視線は、傷さえも愛しいものに変えてしまうから。

 つまりは、キャラものなんだと思うよ。
 あて書き勝ちというか。

 出演者を好きなら、少なくとも嫌いでないのなら、充分酔える作品。

 出演者のことを、さらに好きになれる。
 これって、「キャラもの」としてのいちばん正しい姿じゃないだろうか。


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