あれは、何年前になる?
 東京宝塚劇場前で、わたしは出てくる生徒さんたちを待っていた。はじめての出待ちってやつ。

 雪組新人公演『天国と地獄』観劇後。

 当時、母の知り合いだった生徒さんを通して、はじめて東宝チケットを取ってもらった。ムラでなら新公も観れるけれど、東宝ははじめて。今も昔もびんぼーだったわたしは、もちろん夜行バスを利用。
 バスの時間まで、他にやることがなかったから出待ちをした。……ごめん、そんな理由だ。積極的な意味で出待ちをしたわけじゃない。
 なんとなくギャラリーにまじっていたわたしは、隣にいた知らない人から話しかけられた。

「和央さんのファンですか?」

 バスまでの時間つぶしに出待ちをしている、とは言いにくい。雪組ファンだから新公はずっと観ているけど、べつに新公学年の誰かのファンってわけでもない。
 うだうだ説明するのもなんだかな、と思ったので、肯定しておいた。

「はい、和央さんのファンです」

 ごめん、そんな理由だ。積極的な意味で答えたわけじゃない。
 でも、たかこのことはずっと見ているよ。わたしがはじめて見た新公ですでに2番手やってたもんな。あのときたかこまだ研3だっけ? 研2だっけか。そのあとタータンが組替えしてきて一時期2番手から3番手に落ちたりしてた。
 それがついに、新公主役するよーになったわけだ、感慨深いよな、と。

「和央さん、よかったですよね」
 とかなんとか、その見知らぬ人の話にてきとーに相槌を打っていた。

 そしてよーやく、たかこが楽屋から出てきた。
 ファンがずらりと並び、たかこがそこを通るのを待ちわびている。

 なのに。

 たかこは自分のファンには目もくれず、端っこのギャラリーの中にすっ飛んでいった。

「きゃ〜〜っ、**ちゃん、来てくれたのぉ〜〜っ?!!」

 ぴょんこぴょんこ跳ねながら、甲高い声できゃーきゅー喋る。
 それは「男役スター」ではなく、ふつーの女の子そのまんまだった。

 ファンもギャラリーも、唖然。
 わたしも、隣の人も言葉を失った。

 さんざん「ふつーの女の子」としてきゃあきゃあやったあとで、たかこはふと我に返り(カオに、「しまった!」と書いてある)、あわててファンが列をなしているところへ「男役スターです!」というカオで戻っていったが……遅いって。

 わたしの中の和央ようか観は、自分がスターだってことを自覚してるんだかいないんだか、いまいちあやしい天然ボケの女の子とゆーことで固定された。

 雑誌のポートを見ても、他のスターが奇抜な「ヅカのスターですが、なにか?」というような衣装で写っているのに、たかこはいつ見てもふつーの白いシャツにジーンズ。
 ……地味っていうより、あまりにもふつー。そりゃきれいに着こなしているけど、周囲がアレだけ派手というか現実無視している中でここまで一般人な格好してるのって……こ、個性的な子だな……かえって。

 新公主演時の終演後の挨拶はいつも、いまいち焦点の定まらない目で、「正直、手も足も出なかったって言うか……」ではじまるし。
 聞くたびに、またかい!と思った(笑)。
 CSやインターネットのある時代なら、まちがいなく叩かれているトホホな挨拶。いったいいつになったら手や足が出るんだ、いつもいつも同じ言い訳をするなーっ、と言われること請け合い。

 とくに、最後の新公では、当時のトップスターのいっちゃんに、舞台上から礼を言った……はいいが、見当はずれの方角に向けて礼をし、そのあとで「あたしってなんでいつもこうなんだろ」と泣き声でパニクっていた。

 とにかく、ものすごーくトホホなたかこちゃん。

 どんくさいというか、なさけないというか、そーゆーところがまた、かわいいというか。

 舞台でのスマートな長身男役スターぶりと、素の天然ぶりのギャップが魅力だった。

 
 2006年7月2日。

 東京宝塚劇場前で、わたしはたかちゃんを待っていた。

 今も昔もびんぼーなわたしは、もちろん夜行バスを利用。東京まで往復18時間さ。もうすっかりいいトシだが、負けないぞっと。

 そうやって、バスの出発時間を気にしながらも、人であふれかえった沿道にいた。

 千秋楽のチケットなど、手に入るはずもない。そればかりか、中継のチケットさえ、手に入れられなかった。
 それでも見送りだけでもしたくて、わたしは早朝から東宝前にいた。

 朝、案の定体調悪くて(なんでイベント時にいつも立てなくなるんだ、このババアは)隅っこでへたり込んでいたが、それでも退団者が現れた瞬間だけは立ち上がって、ギャラリーの後ろから伸び上がって見ていた。

 たかちゃんは、思いもかけないところから現れた。
 予定の行動なんだろうけれど、一般人のわたしには想定外の登場だったからおどろいた。
 他の人たちはみんな帝国ホテル側から現れたのに、たかちゃんだけは反対側、ゴジラ像のある辻から、嫣然と登場したんだ。

 白ジャケット姿で、赤い薔薇を持って。

 どこのホストですかっ?!

 わたしは迷わず、走っていた。
 たかちゃんのいるところへ。
 そして、たかちゃんと一緒に歩く。ガードの人たちの後ろ、さらにギャラリーの人たちの後ろ。いちばん外側を、たかちゃんと同じ速さで歩く。
 たかちゃんは一般女性よりアタマひとつ大きいし、わたしもまあでかいから、人垣があるなしは関係ない。ちゃんと顔が見える。
 たかちゃんが、わたしの2mくらい横を歩いていた。並んで。
 もちろん、わたしとたかちゃんの間には、たくさんの人たちが列を成しているのだけど、それは置いておいて。

 なんて美しい人だろうと思う。

 わたしがずっとPCの壁紙にしていたタキシードの素顔たかちゃん写真を彷彿とさせる姿で現れたのが、ニクい。
 いやその、わたしの思い込みなんかなんの関係もないことはわかっているけれど。
 わかっていてなお、「こうきたか!」とニクかった。

 最後まで、わたしを感嘆させるのだなと。

 
 そして、出待ち。
 わたしとkineさんたちは、某ビルの窓越しに沿道を見ていた。
 どの退団者もわたしたちのいる窓の下を通ってくれるし、中にはわざわざ2階にいるわたしたちの方を見上げてくれる人たちもいた。
 ここにいれば、障害物ナシで退団者を見送れる。
 天候も人混みも関係ない。
 でもわたしは、前もって宣言していた。

「たかちゃんが現れたら、わたし、下に走るかも」

 どんなに楽に眺められたとしても。
 窓越しの見送りは嫌だ。

 そしてやはり、たかちゃんが現れたとわかった瞬間に、荷物全部握って、走っていた。

 少しでも、近くへ。

 開演は1時半だったはずなのに、初夏の1日はすっかり暮れていた。
 世界は暗く、かわりに人工の光が灯されている。

 たかちゃんは劇場前の道を、端から端まで歩いてくれた。
 わたしはその半分の距離を、朝と同じようにたかちゃんと並んで歩いた。
 間に人垣があるが、関係ない。たかちゃんは袴姿でもギャラリーよりアタマひとつ背が高く、幸か不幸かわたしもギャラリーよりは背が高い。

 やっぱり、間は2mくらいかな。
 人で埋め尽くされたパレード道はとてもせまく、退団者が歩ける幅は限られていた。
 そのおかげで、ずいぶんたかちゃんが近かった。

 夜。
 出待ち。
 ファンの人たちが待つ前を歩くたかちゃん。

 ふと、昔のことを思い出した。

 たかちゃんのはじめての新公主演作品『天国と地獄』を観たときのこと。
 わたしはこの場所で、はじめて出待ちってやつをしたんだ。
 べつに、とりたててファンじゃなかった。夜行バスまでの時間つぶしだった。
 たかこはボケボケで、ファンの前を素通りして、友だちと円陣組んできゃーきゃー黄色い声をあげていたっけ。

 そして、今。

 わたしはたかこに会うためだけにやってきて、思ったより終演が遅かったために帰りのバスに間に合わないかも、最悪バスを捨てるしかないのか?と悶々していた。(キャンセル・時間変更できないか手を尽くしたが、できなかったんだわ)

 そうだ、ここだった。
 それまで大して意識もしていなかった「和央ようか」というタカラジェンヌを、強烈に印象づけられた、あの出待ち。

 たかちゃんがふつーに「男役スターですが、なにか?」という態度で出てきていたら、なんの印象もなかったはずだよ。
 あまりにふつーの女の子で、そのふつーさが、トホホさが、好ましかったんだ。
 この子がこれからどう変わっていくのか、見届けたいと思わせてくれた。

 夜。
 バスの時間。
 東宝前。

 ここだ。
 ここからはじまったんだ。

 そしてここで、終わるんだ。

 終わってしまうんだ。

 
 たかちゃんと並んで歩く。
 過ぎた時間、過ごした時間と共に、並んで歩く。

 一緒に歩けるのは、途中まで。
 残りの半分は人がいっぱいでもう人垣の後ろですら歩ける余地がない。

 見えなくなるまで、ずーっと見送った。

 いつまでもしつこくしつこく見送っていた。いい加減人垣が崩れはじめたころ、振り返ると後ろにkineさんがいた。

 えへ。
 ちょっと、照れ笑い。
 一緒にいた友だち放って、走っちゃった。予告していたとはいえ。
 ベソかいてるのも、照れ笑いで誤魔化して。

 すぐに、バスに乗るためにみんなと別れた。
 ちぇっ。ひとりになりたくないような、ひとりになりたいような。

 泣きたいような。

 バカ話でもしたいような。

 
 2006年7月2日。

 新しく旅立つ人たちは、みんなみんなきれいでした。


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