世界の真ん中がどこかを叫ぶ。@新人公演『NEVER SAY GOODBYE』
2006年5月18日 タカラヅカ 今さらだが、『NEVER SAY GOODBYE』新人公演の話。
こっそり、こっそりと、空いた日にちを埋めていく(笑)。
それにしても、1本モノの本公演を1時間半の新公にまとめるのは、演出家の力量を表していて、おもしろいね。
まあ、新公担当の演出家ひとりの独断でどうこうできるわけではなく、いろんなしがらみがあって、どのシーンを使ってどのシーンをカットするとか、自由にはならないんだろうけど。
今回の新公は、構成がまた愉快なことになっていて。
半ばまで、主役が誰かわからなかった。
とゆーのもだ。
現代パートのペギー@妃宮さくらとエンリケ@澄輝さやととのシーンの次に、本舞台中央にスポットライトを浴びて立つのが、ヴィセント@春風弥里だ。
派手なマタドール衣装で、カポーテを振りながら、これまた派手こく踊る。彼が群舞のセンター、彼が舞台の中心だ。
見るからに「ナレーター」であるペギーとエンリケの解説台詞を背景に、スポットライトを浴びて踊る男。
主役登場!! だよな。
本舞台にスポットライトを浴びて登場した派手な男がいたら、そちらを見るだろう? 人の生理として、まちがってないよな?
わたしはごくあたりまえに、センターで踊る男をオペラグラスで見ていた。ペギーとエンリケが長々と解説台詞を喋り続けているのをBGMにな。
なにしろわたし、キャスティング、ぜんぜん知らないし。主演がちぎなのは知っていたけど、ヒロインが誰なのかも、わかってなかった。
とーぜんヴィセント役が誰なのかも知らない。だからあわててカオの確認をしていたわけだ。
おお、あの子知ってる。名前は知らないけど(笑)、『W-WING』で目立っていた子だー。
そうしてふと、オペラグラスを下げると。
あれ?
銀橋から去っていく人たちがいる?
スーツの背中は、たぶんちぎ。
いつの間に、出ていたの?
ええー? ちぎってたしか、主役だよね?
脇役がライト浴びて本舞台で派手に踊って登場している間に、無言で銀橋を歩いて終わりだったの?!
ヴィセントを見ていたわたしは、ジョルジュ@ちぎに会えずじまいでした。
背中をちらりと見られただけ。キャサリン役は誰なのか、カオも確認できなかった。てゆーか、ペギーと別人がやっていたのか!
そしていきなり、話はバルセロナ、開会式のリハーサル突入。
群舞だコーラスだ、画面派手に大騒ぎ!
センターにいるのはひたすらヴィセント。
で。
そんな「中心」な彼らの元にやってくる、カンチガイテイストの女優とその一行。女優のツレのカメラマンが……えええ、アレが主役?
銀橋を歩いて終わりだったジョルジュ、次の登場もまた超地味。
ちぎがやっているから「あ、あれが主役なんだ」とわかるけど、そーでなかったらまずわからない演出。
そこへ遅れて登場するキャサリン@アリスもまた、最初の銀橋で背中しか見ていない者からすりゃ、「アンタ誰?」状態。ヒロインだなんてまったくわからない……。
あー、あのカメラマンの知り合いかー、で終わり。
こまった。
誰を「視点」にしていいのかわからない。
幕開きでヴィセントを見ていて、主役の登場を見逃したのはわたしのミスかもしれんが、それにしたってコレじゃ主役が誰だかわかんないよ。
ハリウッドでのジョルジュとキャサリンの「出会い」は、場面としてはタルかったけれど、彼らが「主役」で、彼らの信念を解説する上で必要なんだと再確認。
バルセロナで大騒ぎをしている以上、外国人旅行者であるジョルジュとキャサリンは「脇役」認定になるよそりゃ。
誰が主役か理解できないままに、内戦勃発、そしてソレに続くのが、またしてもヴィセントのシーン。
競技場の控え室とやらで、ヴィセントを中心としたマタドールたちがわいわい、そしてヴィセントとその恋人のやたらと濃いラヴシーンで終わる。
あ、さっきあまりに登場人物が多すぎて混乱したけど、やっぱりヴィセントが主役で合ってるんだ。
と、腑に落ち……ちゃイカンだろう?! ジョルジュ中心のシーンはどこ? 彼はどーゆー人でなにを考えているの?
次がまた大勢でわいわいやっている市街戦シーン。とーぜんヴィセントもいるし。
主役がわからない……。
ジョルジュが主役だとわかったのは、サクラダ・ファミリアの外でメロドラマをはじめてから、だ。よーやく主役とヒロインのシーン。そこにたどりつくまでは、ひたすら大勢でわいわい、登場人物いっぱい。モブシーンばかり。
そっか、ヴィセントって主役じゃなかったんだ。こっちのジョルジュって人が主役だったんだな、とわかるまでのこの長い道のり。
3分の1以上、半分近くまで、主役が誰かわからなかった……。
ジョルジュが主役、ヴィセントは脇役、とわかったあとはふつーに観ることができたけど。
「視点」が定まらないままで半分近く終わってしまったから、とても散漫な印象が残る。
わたしは本公演を観ているから、主役がわからなくても物語がわからなくても、かまわないっちゃーかまわないんだが、「視点の確定」「視点の流れ」という意味で勉強になった。
短縮版であるからこそ、視点となる主役をまず紹介しなければならないんだ。
それも、ただ黙って現れてナレーションをつける、ではなくて、本人たちになにかしらアクションを起こさせる。
このあと彼らの出番が長い間ないのだとしても、視点の混乱がおこらないよーに、「どこが世界の中心か」を印象づける。
なにもない舞台にジョルジュとキャサリンが現れ、簡単な口論と信念を語らせちゃえばよかったんだ。でもってジョルジュが一発「僕はデラシネ」を歌う。
彼らがどーゆー人でどーゆー関係か、なにを思って生きているのか。
最初の5分で無理矢理披露しちゃえ! ペギーとエンリケはその上でのナレーターとして登場。全部彼らに解説させて終わり、じゃダメだ。
本来のストーリーとは別に、「短縮版」の構成もたのしみにしていたわたしは、ヴィセント主役物語として観劇しました、『NEVER SAY GOODBYE』新公。
春風弥里、新公主演おめでとー! って感じ。や、途中までだけどね(笑)。
半分までがソレだっただけに、後半もかなりヴィセント寄りで観ちゃったし。
そっかあ、こんなにおいしい役だったんだ、ヴィセント。知らなかった。
また、春風弥里くんとやらが、やたらいい男でね。
男臭くてセクシーダイナマイツ。体臭のしそうな男だ(笑)。
そーゆー男臭く暑苦しいキャラ立てのためか、わたしにとっての鬼門台詞とシーンも、さほど不快にならなかった。あー、こーゆータイプの男なら、ここでつい激昂してこう言っちゃうのもアリか、と。神経質さがナイってのも、いい方向に働くんだな。
新公演出担当は、小柳せんせ。
前日欄で小柳演出『NAKED CITY』に萌えてますが、やっぱ小柳せんせ、構成力ないな(笑)と、短縮版制作についてだけは、思いますな。月組『エリザベート』の短縮版もひどかった……。
こっそり、こっそりと、空いた日にちを埋めていく(笑)。
それにしても、1本モノの本公演を1時間半の新公にまとめるのは、演出家の力量を表していて、おもしろいね。
まあ、新公担当の演出家ひとりの独断でどうこうできるわけではなく、いろんなしがらみがあって、どのシーンを使ってどのシーンをカットするとか、自由にはならないんだろうけど。
今回の新公は、構成がまた愉快なことになっていて。
半ばまで、主役が誰かわからなかった。
とゆーのもだ。
現代パートのペギー@妃宮さくらとエンリケ@澄輝さやととのシーンの次に、本舞台中央にスポットライトを浴びて立つのが、ヴィセント@春風弥里だ。
派手なマタドール衣装で、カポーテを振りながら、これまた派手こく踊る。彼が群舞のセンター、彼が舞台の中心だ。
見るからに「ナレーター」であるペギーとエンリケの解説台詞を背景に、スポットライトを浴びて踊る男。
主役登場!! だよな。
本舞台にスポットライトを浴びて登場した派手な男がいたら、そちらを見るだろう? 人の生理として、まちがってないよな?
わたしはごくあたりまえに、センターで踊る男をオペラグラスで見ていた。ペギーとエンリケが長々と解説台詞を喋り続けているのをBGMにな。
なにしろわたし、キャスティング、ぜんぜん知らないし。主演がちぎなのは知っていたけど、ヒロインが誰なのかも、わかってなかった。
とーぜんヴィセント役が誰なのかも知らない。だからあわててカオの確認をしていたわけだ。
おお、あの子知ってる。名前は知らないけど(笑)、『W-WING』で目立っていた子だー。
そうしてふと、オペラグラスを下げると。
あれ?
銀橋から去っていく人たちがいる?
スーツの背中は、たぶんちぎ。
いつの間に、出ていたの?
ええー? ちぎってたしか、主役だよね?
脇役がライト浴びて本舞台で派手に踊って登場している間に、無言で銀橋を歩いて終わりだったの?!
ヴィセントを見ていたわたしは、ジョルジュ@ちぎに会えずじまいでした。
背中をちらりと見られただけ。キャサリン役は誰なのか、カオも確認できなかった。てゆーか、ペギーと別人がやっていたのか!
そしていきなり、話はバルセロナ、開会式のリハーサル突入。
群舞だコーラスだ、画面派手に大騒ぎ!
センターにいるのはひたすらヴィセント。
で。
そんな「中心」な彼らの元にやってくる、カンチガイテイストの女優とその一行。女優のツレのカメラマンが……えええ、アレが主役?
銀橋を歩いて終わりだったジョルジュ、次の登場もまた超地味。
ちぎがやっているから「あ、あれが主役なんだ」とわかるけど、そーでなかったらまずわからない演出。
そこへ遅れて登場するキャサリン@アリスもまた、最初の銀橋で背中しか見ていない者からすりゃ、「アンタ誰?」状態。ヒロインだなんてまったくわからない……。
あー、あのカメラマンの知り合いかー、で終わり。
こまった。
誰を「視点」にしていいのかわからない。
幕開きでヴィセントを見ていて、主役の登場を見逃したのはわたしのミスかもしれんが、それにしたってコレじゃ主役が誰だかわかんないよ。
ハリウッドでのジョルジュとキャサリンの「出会い」は、場面としてはタルかったけれど、彼らが「主役」で、彼らの信念を解説する上で必要なんだと再確認。
バルセロナで大騒ぎをしている以上、外国人旅行者であるジョルジュとキャサリンは「脇役」認定になるよそりゃ。
誰が主役か理解できないままに、内戦勃発、そしてソレに続くのが、またしてもヴィセントのシーン。
競技場の控え室とやらで、ヴィセントを中心としたマタドールたちがわいわい、そしてヴィセントとその恋人のやたらと濃いラヴシーンで終わる。
あ、さっきあまりに登場人物が多すぎて混乱したけど、やっぱりヴィセントが主役で合ってるんだ。
と、腑に落ち……ちゃイカンだろう?! ジョルジュ中心のシーンはどこ? 彼はどーゆー人でなにを考えているの?
次がまた大勢でわいわいやっている市街戦シーン。とーぜんヴィセントもいるし。
主役がわからない……。
ジョルジュが主役だとわかったのは、サクラダ・ファミリアの外でメロドラマをはじめてから、だ。よーやく主役とヒロインのシーン。そこにたどりつくまでは、ひたすら大勢でわいわい、登場人物いっぱい。モブシーンばかり。
そっか、ヴィセントって主役じゃなかったんだ。こっちのジョルジュって人が主役だったんだな、とわかるまでのこの長い道のり。
3分の1以上、半分近くまで、主役が誰かわからなかった……。
ジョルジュが主役、ヴィセントは脇役、とわかったあとはふつーに観ることができたけど。
「視点」が定まらないままで半分近く終わってしまったから、とても散漫な印象が残る。
わたしは本公演を観ているから、主役がわからなくても物語がわからなくても、かまわないっちゃーかまわないんだが、「視点の確定」「視点の流れ」という意味で勉強になった。
短縮版であるからこそ、視点となる主役をまず紹介しなければならないんだ。
それも、ただ黙って現れてナレーションをつける、ではなくて、本人たちになにかしらアクションを起こさせる。
このあと彼らの出番が長い間ないのだとしても、視点の混乱がおこらないよーに、「どこが世界の中心か」を印象づける。
なにもない舞台にジョルジュとキャサリンが現れ、簡単な口論と信念を語らせちゃえばよかったんだ。でもってジョルジュが一発「僕はデラシネ」を歌う。
彼らがどーゆー人でどーゆー関係か、なにを思って生きているのか。
最初の5分で無理矢理披露しちゃえ! ペギーとエンリケはその上でのナレーターとして登場。全部彼らに解説させて終わり、じゃダメだ。
本来のストーリーとは別に、「短縮版」の構成もたのしみにしていたわたしは、ヴィセント主役物語として観劇しました、『NEVER SAY GOODBYE』新公。
春風弥里、新公主演おめでとー! って感じ。や、途中までだけどね(笑)。
半分までがソレだっただけに、後半もかなりヴィセント寄りで観ちゃったし。
そっかあ、こんなにおいしい役だったんだ、ヴィセント。知らなかった。
また、春風弥里くんとやらが、やたらいい男でね。
男臭くてセクシーダイナマイツ。体臭のしそうな男だ(笑)。
そーゆー男臭く暑苦しいキャラ立てのためか、わたしにとっての鬼門台詞とシーンも、さほど不快にならなかった。あー、こーゆータイプの男なら、ここでつい激昂してこう言っちゃうのもアリか、と。神経質さがナイってのも、いい方向に働くんだな。
新公演出担当は、小柳せんせ。
前日欄で小柳演出『NAKED CITY』に萌えてますが、やっぱ小柳せんせ、構成力ないな(笑)と、短縮版制作についてだけは、思いますな。月組『エリザベート』の短縮版もひどかった……。
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