あの人の歌声に。@NEVER SAY GOODBYE千秋楽
2006年5月10日 タカラヅカ「私の姿が見えている方も声しか聞こえない方も、聞いてください」
それまでは、「イベント」だった。
歴史に刻まれる日にナマで立ち会っている高揚感があった。
ありえないほどのたくさんの人々、ド派手な演出の数々。
それを素直に楽しんでいた。
人が人の力で行う「祭り」に感動していた。
たかちゃんが現れ、ゆっくりとお立ち台に上る。
わたしが場所取りをはじめてから5時間半。ただこの瞬間のために、わたしは並び続けた。
流れる曲は「世界でひとつの花」……想い出の『W-WING』の。
イベントだった。祭りだった。FCにも入っていないわたしは、外側から眺めることでしか参加できず、実感できないまま、なにかをどこかに置き去りにした感を抱えたまま、早朝からムラにいた。
だけど。
さあ 涙を拭き
顔を上げて 歩くんだ
僕は生きている 君の中に
決して言いはしない サヨナラだけは
NEVER SAY GOODBYE
たかちゃんが歌い出した瞬間、なにもかもが消えた。
涙が出た。
「世界でひとつの花」が奏でられているとゆーのに、たかちゃんはそんなことはものともせず、高らかに歌った。
アカペラで。
とびきりオトコマエな、「男役」の声で。
「和央ようか」の声で。
不意打ちだ。
お立ち台があった。マイクが用意されていた。
だからといって、歌い出すなんて、思ってなかった。
彼は、舞台人なんだ。
ナマの女性の姿ではなく、オフで喋っているマイペースな姿でもなく、彼がほんとうに生き、魅力を放っていたのは、舞台での姿だ。
誇るべき舞台人だ。
だからこそ。
最後まで、舞台人としての姿を見せてくれるんだ。
舞台で歌うのと遜色ない歌声を、こんな音響もなにもあったもんぢゃないところで、だけど愛だけで埋まった空間で、響かせる。
和央ようかという人。
万全の体調でもなく過酷な退団公演の舞台を勤め上げ、愛と感謝を歌って去っていく。
白一色で埋まった夜のステージで。
ずっと見てきた。18年間。
イメージはいつだって血統書付きの大型犬。
優雅に美しいのに、ひとなつこくて盛大にしっぽを振ったりじゃれついたりするから、ちとありがたみに欠ける、親しみやすいやさしい大きな犬。
細いくせに大きなカラダも、ふさふさの毛並みも、きっときっと、誰かをあたためるためだね。寒い夜によりそって、凍えないようにあたためてくれる。
このぬくもりがあるから、生きていける。そう、思わせてくれる。
拍手と、愛を呼ぶ声だけに満ちる空間。
白い花と白い人々と、フラッシュの点滅と。
白い服の人々が振る、やわらかい色のライトと。
ここは、美しいところだ。
神様、ここは、美しいところです。
とても無意味で、なんの役にも立たない、だけど愛だけが詰まっています。
これは「祭り」。大きな祭祀。
人の心がただ愛と感謝だけを語る。
無力で、カタチに残らなくて、だけど、だからこそ、うつくしいもの。
かみさまがいるなら、ここに降りてきて。
どうか、このひとたちに、祝福を。
みんなみんな、しあわせでありますように。
たかちゃんが、最後までしあわせに「和央ようか」であれますように。
たかちゃんを愛する人たちが、最後までしあわせに「和央ようか」を見守れますように。
神社が美しいように、教会が美しいように、祈りの場は美しいものだから。
ここもまた、祈る美しさに満ちているから。
わたしは宗教とかさっぱりわかんないが、それでも祈る。
大好き。ありがとう。しあわせに。……祈りの言葉は、とても単純。
オープンカーに乗って遠ざかっていくたかちゃんを、いつまでもしぶとく見つめながら。
祭りの終わりの呆けたようなざわめきを、感じていた。
一定のルールのある空間はきれい。どんなに雑多な場所であったとしても。
その一定のルールで整列した大勢の人々の輪が、崩れる。ルールが崩れ、人垣が崩れる。ダムが決壊するように。
それも、壮観だ。
この一大イベントを最初から眺めていた者にすれば。
うわー、すげー。
ぽかんと眺める。
崩れていく人垣を。ゲートに向かって流れていく一般人たちの波を。
歴史が今、動いた。
あの人の退団は、歴史の大きな1ページ。
わたしはソレを見守る。
見守ることしか、できない。
花の道からパレードを見ていたというハイディさんと合流し、ずぶ濡れ(いろいろあってね・笑)なのをおどろかれつつも、千秋楽の話を聞かせてもらう。
ハイディさんと入れ替わりに別の場所にいたジュンタンと合流、誠さんにもちらりと会って、ついでに某店で麻尋しゅんくんとすれ違い(こんな店でふつーにメシ食ってんのか、こんな日に・笑)、2日連続終電を逃さないよう気をつけながら解散する。
帰りの電車でひとり、思わず携帯電話で録画した、たかちゃんのお立ち台の姿を眺める。わたしカメラも録音機器もなにも持ってないんだわ。ナマが命の人なんで、そーゆーの興味なくて。
でもさすがに「お立ち台+マイク」まで出たときゃ「音だけでも記録したいっ」と携帯のビデオカメラを立ち上げた。
画面はハレーション起こしていて、ろくに映ってないんだが。
歌は、聴ける。
泣いた。
それまでは、「イベント」だった。
歴史に刻まれる日にナマで立ち会っている高揚感があった。
ありえないほどのたくさんの人々、ド派手な演出の数々。
それを素直に楽しんでいた。
人が人の力で行う「祭り」に感動していた。
たかちゃんが現れ、ゆっくりとお立ち台に上る。
わたしが場所取りをはじめてから5時間半。ただこの瞬間のために、わたしは並び続けた。
流れる曲は「世界でひとつの花」……想い出の『W-WING』の。
イベントだった。祭りだった。FCにも入っていないわたしは、外側から眺めることでしか参加できず、実感できないまま、なにかをどこかに置き去りにした感を抱えたまま、早朝からムラにいた。
だけど。
さあ 涙を拭き
顔を上げて 歩くんだ
僕は生きている 君の中に
決して言いはしない サヨナラだけは
NEVER SAY GOODBYE
たかちゃんが歌い出した瞬間、なにもかもが消えた。
涙が出た。
「世界でひとつの花」が奏でられているとゆーのに、たかちゃんはそんなことはものともせず、高らかに歌った。
アカペラで。
とびきりオトコマエな、「男役」の声で。
「和央ようか」の声で。
不意打ちだ。
お立ち台があった。マイクが用意されていた。
だからといって、歌い出すなんて、思ってなかった。
彼は、舞台人なんだ。
ナマの女性の姿ではなく、オフで喋っているマイペースな姿でもなく、彼がほんとうに生き、魅力を放っていたのは、舞台での姿だ。
誇るべき舞台人だ。
だからこそ。
最後まで、舞台人としての姿を見せてくれるんだ。
舞台で歌うのと遜色ない歌声を、こんな音響もなにもあったもんぢゃないところで、だけど愛だけで埋まった空間で、響かせる。
和央ようかという人。
万全の体調でもなく過酷な退団公演の舞台を勤め上げ、愛と感謝を歌って去っていく。
白一色で埋まった夜のステージで。
ずっと見てきた。18年間。
イメージはいつだって血統書付きの大型犬。
優雅に美しいのに、ひとなつこくて盛大にしっぽを振ったりじゃれついたりするから、ちとありがたみに欠ける、親しみやすいやさしい大きな犬。
細いくせに大きなカラダも、ふさふさの毛並みも、きっときっと、誰かをあたためるためだね。寒い夜によりそって、凍えないようにあたためてくれる。
このぬくもりがあるから、生きていける。そう、思わせてくれる。
拍手と、愛を呼ぶ声だけに満ちる空間。
白い花と白い人々と、フラッシュの点滅と。
白い服の人々が振る、やわらかい色のライトと。
ここは、美しいところだ。
神様、ここは、美しいところです。
とても無意味で、なんの役にも立たない、だけど愛だけが詰まっています。
これは「祭り」。大きな祭祀。
人の心がただ愛と感謝だけを語る。
無力で、カタチに残らなくて、だけど、だからこそ、うつくしいもの。
かみさまがいるなら、ここに降りてきて。
どうか、このひとたちに、祝福を。
みんなみんな、しあわせでありますように。
たかちゃんが、最後までしあわせに「和央ようか」であれますように。
たかちゃんを愛する人たちが、最後までしあわせに「和央ようか」を見守れますように。
神社が美しいように、教会が美しいように、祈りの場は美しいものだから。
ここもまた、祈る美しさに満ちているから。
わたしは宗教とかさっぱりわかんないが、それでも祈る。
大好き。ありがとう。しあわせに。……祈りの言葉は、とても単純。
オープンカーに乗って遠ざかっていくたかちゃんを、いつまでもしぶとく見つめながら。
祭りの終わりの呆けたようなざわめきを、感じていた。
一定のルールのある空間はきれい。どんなに雑多な場所であったとしても。
その一定のルールで整列した大勢の人々の輪が、崩れる。ルールが崩れ、人垣が崩れる。ダムが決壊するように。
それも、壮観だ。
この一大イベントを最初から眺めていた者にすれば。
うわー、すげー。
ぽかんと眺める。
崩れていく人垣を。ゲートに向かって流れていく一般人たちの波を。
歴史が今、動いた。
あの人の退団は、歴史の大きな1ページ。
わたしはソレを見守る。
見守ることしか、できない。
花の道からパレードを見ていたというハイディさんと合流し、ずぶ濡れ(いろいろあってね・笑)なのをおどろかれつつも、千秋楽の話を聞かせてもらう。
ハイディさんと入れ替わりに別の場所にいたジュンタンと合流、誠さんにもちらりと会って、ついでに某店で麻尋しゅんくんとすれ違い(こんな店でふつーにメシ食ってんのか、こんな日に・笑)、2日連続終電を逃さないよう気をつけながら解散する。
帰りの電車でひとり、思わず携帯電話で録画した、たかちゃんのお立ち台の姿を眺める。わたしカメラも録音機器もなにも持ってないんだわ。ナマが命の人なんで、そーゆーの興味なくて。
でもさすがに「お立ち台+マイク」まで出たときゃ「音だけでも記録したいっ」と携帯のビデオカメラを立ち上げた。
画面はハレーション起こしていて、ろくに映ってないんだが。
歌は、聴ける。
泣いた。
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