その昔、『薔薇の封印』という作品を観た。
 ポスターがステキだし、キャストも好きなので、張り切って初日に駆けつけた。
 そして。

 しょんぼりと、肩を落として帰った。

 過去作品の劣化コピーであったことや、ストーリーの破綻ぶり、キャストの使い方にも不満はあった。
 だがそこにさらに、分の悪いことがあった。

「同じテーマなら、『**』の方が好きだわ」

 と、思ってしまったことだ。

 『**』は別作家の別作品だ。
 『薔薇の封印』との類似点を上げるのもばかばかしい。てか、「なに見当はずれのことを言ってるの? 『**』と『薔薇の封印』はまったくチガウ作品じゃない!」と言われるだろーなー、とも思う。
 だが、わたしのなかでは同系統の話なのだ。

 永遠の命を持ってしまった、男の物語。
 愛する人を失い、それでも生き続ける孤独な魂の物語。

 『**』で感じた「痛さ」を、『薔薇の封印』では感じなかった。
 『**』の雰囲気だけを転化したよーな印象を受けた。
 大人の読み物だった江戸川乱歩作品から、エログロと耽美を削除して、子ども向けの少年探偵小説にしたよーな。
 「痛い」部分、いちばんわたしを惹きつけてやまなかった、やるせない部分を除いて、もっと一般向けにわかりやすく、やさしくやわらかくしたよーな。

 もちろん、わたしの勝手な思いこみだ。
 ふたつの作品を結びつけて考える必要なんて、他の人にはまったくない。

 だが、他の人はどーでもいー、「わたし」は、すでに『**』を知っている。
 『**』を知ってしまったあとでは、『薔薇の封印』を観てもたのしめないのだ。
 心が躍らない。わくわくしない。
 せつなさに胸が締め付けられることもなく、やるせなさに人生を考えることもなかった。

 ただ、「好きな人がコレで退団してしまう。男役の彼を見るのはこれが最後なんだ」という寂寥のみで泣いた。
 作品とはまったく別のところで。

 
 時は流れ、わたしは『NEVER SAY GOODBYE−ある愛の軌跡−』を観た。
 そして。

 しょんぼりと、肩を落として帰った。

「同じテーマなら、『**』の方が好きだわ」

 『**』で感じた「痛さ」を、『ネバー』では感じなかった。
 『**』の雰囲気だけを転化したよーな印象を受けた。
 大人の読み物だった江戸川乱歩作品から(以下略)。
 「痛い」部分、いちばんわたしを惹きつけてやまなかった、やるせない部分を除いて、もっと一般向けに(以下略)。

 もちろん、わたしの勝手な思いこみだ。
 ふたつの作品を結びつけて考える必要なんて、他の人にはまったくない。

 だが、他の人はどーでもいー、「わたし」は、すでに『**』を知っている。
 『**』を知ってしまったあとでは、『ネバー』を観てもたのしめないのだ。
 心が躍らない。わくわくしない。
 せつなさに胸が締め付けられることもなく、やるせなさに人生を考えることもなかった。

 ただ、「好きな人がコレで退団してしまう。男役の彼を見るのはこれが最後なんだ」という寂寥のみで泣いた。
 作品とはまったく別のところで。

 
 さすがになー……2作連続で、まったく同じことが起こると、頭を抱える。

 そして、わたしが言う『**』が、同じ作家による別作品であったりするもんだから。
 さらに、頭を抱える。

 前者の『**』とは、『不滅の棘』だ。
 後者の『**』とは、『炎にくちづけを』だ。

 わたしが『不滅の棘』を知らずに『薔薇の封印』を観ていれば、もっとちがった感想があったかもしれない。
 でもわたしは、すでに『不滅の棘』を観ていた。
 だから『薔薇の封印』を観ても、心が動かなかった。

 好みの問題だ。
 わたしは『不滅の棘』の、救いのなさや痛さが好きだった。
 そしてその奥にある壮絶な「叫び」に魅せられた。

 わたしが『炎にくちづけを』を知らずに『ネバー』を観ていれば、もっとちがった感想があったかもしれない。
 でもわたしは、すでに『炎にくちづけを』を観ていた。
 だから『ネバー』を観ても、心が動かなかった。

 好みの問題だ。
 わたしは『炎にくちづけを』の、救いのなさや痛さが好きだった。
 そしてその奥にある壮絶な「叫び」に魅せられた。

 
 今回はほんとに分が悪い。
 『炎にくちづけを』はついこの間、同じキャストで上演されていたもんだから。
 あれほどのカタルシスを味わったあとで、同じテイストの、ものすげー薄いものを見せられても、ノれないっす。

 ああ、薄い……薄いよコレ……。
 やってることは同じなのに、すごい薄い……。
 作者が「叫びたい」と思っているのはわかるけど、「叫びたいと思っている」っていうのはすでに「叫び」ぢゃないから。
 「叫び」っつーのは、本人が意図しなくても叫んでしまうから「叫び」なんだよ……。

 小池氏が「叫びたい」「叫ぶ作家になりたい」ことは、よーっくわかった。
 「カンチガイしてんぢゃねーよ、てめーの説教なんか誰も聞きたくないんだよ」と叩かれるよーなアクの強いモノを作りたいのは、よーっく伝わった。
 一般的でわかりやすくて、誰が観てもふつーにたのしめるよーな佳作よりは、大半の人にはよろこばれた上で、「問題作」と言って一部の人に嫌われ攻撃されるが、一部の人には熱狂的に支持されるようなものを作りたいのはわかった。

 わかったけどさ……。

 小池氏の持ち味は、そんなところにないのに。
 一般的なものを否定されているよーで、かなしい。
 みんながふつーにたのしめて、嫌悪感や拒絶反応を見せない作品って、いいじゃない。タカラヅカはそーゆーものが愛される世界なんだからさー。
 全部の作家に叫ばれても、観ている方は疲れるから。
 小池氏は叫んだりせず、ふつーにやってくれよー。
 叫んでみて、それが成功しているならともかく、こーやってスベってるんだからさ。薄い、一般的なものにしかなってないから。
 最初から『DAYTIME HUSTLER』みたいな、他愛ない作品でいいんだよ。オサダくんみたいな他愛ない作品でいいんだよ。
 他愛ないほっこりする作品を創るのだって、才能なんだからさ。

 てゆーか小池氏の本懐はやはり、「演出」であって、「物語を作る」ことではないからさー。
 原作が他にあった方がいいよなあ。
 ドラマティックな「大作」をやりたいなら、原作付きがいいよ。
 「演出家」としてはほんと、非凡な人なんだからさ。

 でも。

 「作家」になりたい、よりによって「叫ぶ作家」になりたい、と思って失敗している小池氏は、ある意味とても、愛しかったりする。
 そーゆーの、好きだ(笑)。


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