日付めちゃくちゃだから、いつどこでどの話を書くべきか迷うけれど。
 ゆーひ『THE LAST PARTY』の話を書いたから、も少し続けておこう。

 ゆうひくんが成長したなと思ったのは、ちゃんとヒロインを愛していたこと。もそうだ。

 初演のとき、台詞ほどるいるいゼルダを愛しているようには見えなかったので。

 昔から一貫して、ゆーひくんは「人を愛する演技」が下手だった。
 恋してめろめろになっているよりは、嫉妬だとか憎しみだとかを表現する方が得意だった。(実にナイスな芸風だ)
 かわいがる、演技はできるけど、愛することは苦手。「演出」通りの規定動作をするだけ。
 ゆうひくんのルックスで、「愛」や「恋」を表現できたら、こわいものなしだろうと常々思っていた。
 だって、観客は総オトメだからね。小学生でも80歳過ぎのばーさまでも、みんな「オトメ」。甘いハンサムに甘い恋をささやかれることを求めている。
 ゆーひくんが恋にめろめろになって、本気で女の子を口説けるよーになったら、客席で一緒にとろけている女性続出だろーなと。
 まあ、ゆーひくんのクールでシャイな持ち味ゆえに、「一緒にいたいとか言ってんじゃねーよ」って、冷たく言い捨てられた方がゾクゾクくる、てな好みの人もいると思うけど(あたしゃ、ちょっと言われたい)。

 スコットは、ゼルダを愛している。

 それが「わかる」ことが、おどろきだった。

 めろめろのくたくたになってるわけじゃないけれど。
 大人の男が、その範疇で恋していることが、ちゃーんとわかるよ。

 そっかあ、成長したんだねぇえ。大人になっちゃったんだねぇえ。
 ゆーひくんが、あのゆーひくんが、ふつーに相手役を愛してるよお。

 もちろん、ゼルダ@かなみちゃんがものごっつうまいこともあると思う。

 ああ、かなみちゃん、ほんとすごいなあ。
 あの華やかさ、そして安定した実力。
 弱い男役なんか消し飛ばしてしまいそうな存在感。

 初演のとき、持ち味に合っているのはるいるいで、実力で役をモノにしているのがかなみちゃんだと思った。
 それにさらに磨きを掛けて、今のゼルダがいる。大輪の牡丹の花が咲いている。(何故か、薔薇ではない)

 かなみちゃんの力強いゼルダを愛し、愛しきるだけの器を持たないスコットが、人生に倦んでいる。
 それは美しく、かなしい姿だ。

 初演を見たとき、「美しいけれど、『痛み』のない作品」だと思った。
 それは『THE LAST PARTY』に限らず、植田景子作品すべてに共通している。
 人間のほんとうの意味での汚さは絶対に描かず、きれいな部分だけをきれいに描く。それが景子女史作品。

 透明に美しい、少女マンガの世界。

 もちろん、ここはタカラヅカだからそーゆー芸風はアリだし、景子女史のそーゆーところが好きだ。

 でも、「痛いモノ好き」なわたしは、ちょっと物足りなくもある。

 それが今回、ゆーひスコットに「翼」がなくなっていたため、「痛み」があったのよ。

 スコットは翼なんか持たない、ふつーの男。
 ただちょっと器用だっただけ。早熟だっただけ。
 でも、彼自身もまわりも、彼に翼があると信じ込んでしまった。

 飛べない空を、地面から見上げる、その生き方。

 伸ばす手と、地を蹴る足、そのたびに倒れて土にまみれる身体。
 翼なんかないのに。
 決して、飛べないのに。
 何度も彼は、地を蹴り続ける。

 やがて、自分に翼がないのだと気づいた彼は。
 彼の背中の翼を信じる愛する者のために、いつでも飛べる、今も飛んでいるふりをし。
 空を、見上げる。

 でも。
 飛びながら見つめる空と、地面から見上げる空。
 どちらが美しいかなんて、誰にもわからない。だれにも決められない。

 ……そーゆー話。そーゆー痛み。

 そうか。
 ゆうひくんのスキルが上がると、こーゆー役が出来るようになるんだ。

 もともと、「屈折した瞳」を得意とする子だった。
 満たされない心の飢え、を、瞳にやどした子だった。
 寂寥とか鬱屈とか退廃とか、そーゆーの得意分野だったじゃん!!

 持ち味に演技力が加わると、こーゆーくすんだ大人の男をやれるよーになっちゃいますか、おーぞらゆーひ!

 そのくせ、屈託なく笑うと、幼児のよーなあどけなさで、ファンを悩殺していましたよね、おーぞらゆーひ!

 だんだん必殺技の増える、油断ならないヤツだな、おーぞらゆーひ!

 
 ゆうひくんが安定したせいか、かなみちゃんが安定しているせいか、初演のときよりマックス@嘉月さんが薄くなっていた。
 初演のときはさー、嘉月さんがかなりのウエイトで舞台を支えている感じがしていたんだけど。
 今回はもう少し薄いというか控え目というか、脇のひとりとして落ち着いた感じ。それはそれで、いいよなー。

 
 ラストでわざわざ役者が役を離れて「Dear スコット」とか、役に話しかける蛇足は健在。
 まあ、景子女史はコレがやりたくて作家やってんだろうなーと思う。キムシンが説教したがるのと同じで。

 しかし、謎の説明台詞があちこち増えていて、おどろいたり興醒めしたり(笑)。
 ただでさえ説明くさい芸風なのに、さらに説明増やすか(笑)。

 オギーといい景子タンといい、必要な説明は書かないのに、不要な部分で説明を増やすのは、法則なんですかねえ。
 才能ある人たちって、やっぱちょっと感覚チガウのかな。

 加筆されていた部分で良いと思ったのは、アーネストの食事シーンぐらいのものだ。

 そして、食事が出たことでまた景子タンらしさが上がったし。
 食べ物が出なきゃ、景子作品ぢゃないよな(笑)、という。

 アーネスト@ほっくんは、これまたものすげーよかったし。

 ただ。
 えーとこれは、ドリーさんのお友だちの台詞だっけ。
 「アーネストの役替わり、どうだった?」という質問に対して。

「おもしろくなくなって、ふつーになった」

 すっごい共感。
 そうなの、そーなのよ。

 さららんのときは、すっごいおもしろかったもの、アーネスト!

 ……はい、ここでツッコミ。

 アーネストは、おもしろがる役じゃないから!

 わかってるけど、おもしろかった。さららんがあのテンションで出てきたときには大ウケ、声殺すのに必死。
 さららんのあーゆー芸風、好きだったなあ。
 作品を壊していたことは、たしかだけど(笑)。

 ほっくんはちっとも笑えなかった。てゆーか、マジによかった。
 そのことにも、すっげーおどろいた。
 やっぱほっくん、うまい人なんだな。

 しかも、ほくしょーさんなのに、美形です。

 ハンサムなんだよ、かっこいいんだよ!
 演技しているときのほっくんって、最近やっぱいい男だ。

 そして。
 ラストの蛇足部分で、ほっくんは「アーネスト」ではなく、それを演じる役者HOKUSHOになる。
 すると、途端、いつもの鈍くさいみっちゃんのカオになる。

 うわわ。
 すげえよ、ほくしょーさん。
 役者ってすげえ、と思わせてくれるよ。
 

 いい舞台だった、『THE LAST PARTY』。


コメント

日記内を検索