東宝版『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』を見終わったあと、わたしは鼻息荒く言った。

「トウコなら、相手がタニでもテクニシャンに見せられるわ」

 いかにもアレが下手っぴそうな男が相手でも、女がうまく演技すれば騙せる。当の男本人も、観客も。
 「ひょっとして**って、テクニシャン?」と、誤解させることができる。

 わたしのこの言葉に、星『ベルばら』未見だったドリーさんは、
「それって、最高級の誉め言葉じゃないですか」
 と、感心していた。

 そうさ。
 最高級の誉め言葉さ。

 以前わたしは、「抱かれたくない男役」として、タニの名をあげた。べつにタニちゃんが嫌いなわけじゃない。純粋に下手そうだから、あげただけだ。
 実際彼は『不滅の恋人たちへ』で、壊滅的なラブシーンを見せてくれ、客席に笑いと悶絶を振りまいていた。いやその、タニちゃんはそーゆーとこが愛しいキャラだから、それでいいのだけど。

 そのタニをもってすら。
 トウコなら、「テクニシャン」だと誤解させてしまえるだろう!!

 それくらい、トウコはすごいのだ。

 つか。

 トウコ、エロ過ぎ。

 トウコが、ラヴシーンがうまいとかエロいとかは、アイーダのときにわかっていたことだ。
 わかっていたけど……。

 エロい。やばいくらいエロい(笑)。

 
 わたしは、「今宵一夜」を古いと思っている。時代遅れで、美しくもないし、ときめきもない、ただの形式、ただの型。
 いかにも「手順」て感じにポーズを変えるだけの、見せ物。
 そーゆーものだ、とあきらめて眺めている。

 なのにその「今宵一夜」でドキドキ+赤面させるよーな、エロいラヴシーンをかますって、どーなのよ?!

 び、びっくりした。
 目からウロコ。
 「今宵一夜」って、ここまでできるもんなんだ?
 やる人によって、これほどまでにチガウもんなんだ?

 トウコ、すげえ。

 なんか、ひとさまのラヴシーンをデバガメしているよーな、いたたまれない気恥ずかしさで、ドキドキした。

 だってさぁ……。
 トウカル、細かいんだもん。
 シイドレの膝の上で仰向けられたときの、一瞬のおびえた瞳と、次の瞬間の恍惚としたあえぎのよーな吐息はなんなんですかありゃ。
 オペラグラス釘付けだったあたしゃ、興奮のあまり手が震えて、画面が揺れたよ(笑)。

 わたしは今の今まで、知らなかった。考えたことがなかった。
 「今宵一夜」って、この暗転したあと、幕が下りたそのあと、オスカルとアンドレはやっちゃうんだわー……。
 原作はともかくヅカの「今宵一夜」は、口では「抱け」だの「今宵一夜アンドレ・グランディエの妻に」とか言ってるけど、現実問題として、考えたことがなかった。
 だって、リアリティのカケラもない「型通り」のラヴシーンで、そこに愛はあっても「性」はなかったんだもの。
 生身の男女の恋愛だなんて、考えたことがなかった。
 セックスの存在する、ふつーの恋愛だったなんて、マジ、ただの一度も考えたことなかったのよ。

 だから、びびった。

 あ、このふたり、これからやるんだ。
 ……という、リアルさに。

 
 どうなんだろうね、トウコちゃん。このリアルな演技は、ヅカとしていかがなものか。

 安蘭けいという役者は、好き嫌いが大きく分かれる人だと思う。
 この精神面に訴えかけてくるリアルで繊細な演技は、大味であることをヨシとされるタカラヅカの舞台において、特異なものだなと。
 嫌いな人は、とことん嫌いだろーなー。生理的にダメ!ってぐらい、ダメだろーなー。
 そのことが、よーっくわかった(笑)。

 でも、わたしは大好きだ。

 好きでよかった。すごくたのしい。すごくうれしい。

 お笑い作『ベルばら』でさえ、型芝居の「今宵一夜」さえ、ふつーの芝居のようにドキドキさせてくれるんだもん。
 トウコを好きでよかった。得した(笑)。

 トウコのエロさは、男たち目線ではなく、あくまでも女性のもの。
 いわばハーレクインなんだよね。女が見てドキドキする、美しいラヴシーンのエロさ。

 オスカルというキャラクタに「性」が存在すると、彼女の「厚み」が変わってくる。
 絵に描いた餅じゃないの。わたしたちと同じ、「人間」の女なの。
 恋もするし、セックスもする、ふつーの女。「劇画の中の主人公」ではなく、生身の女として、そこにいる。

 
 もちろん、「今宵一夜」以前も、すげーよかった。
 普段は強い女性、だからこそ、彼女の「女の子」の部分が垣間見える瞬間が、とてつもなく魅力的。

 フェルゼンに「もしかして、君は僕のことを……」と隠していた恋心を指摘されるところ。
「ちがいます」
 と、必死に言うオスカルの、大きな瞳が潤んでいるのを見て、こちらも胸が詰まる。
 うわ、泣いちゃうよ泣いちゃうよ、この強く美しい人が。
 否定して、強がって、真正面を見据えて背筋を伸ばす「軍人」「男として生きる」彼女の瞳に盛り上がる涙。

 なんなの、この痛々しさ。

 誰か彼女を抱きしめてあげて。……そう思って、ハンカチ握りしめちゃうよ(笑)。

 そんな、ぎりぎりのところで強がって生きている女の子が、自分をずっと見守っていてくれた幼なじみの男性に身をゆだねる。
 それまでの彼女の強い姿、そのくせ傷ついていた姿を知っているだけに、「初夜」を前にした「女」としての恥じらいやとまどい、おびえと陶酔を見せつけられると……どどどどーしよー、すげーエロいんですけど。
 対するシイドレは、そんな処女の繊細な機微に気づくよーな男ではないが(笑)、大丈夫、愛情とやさしさだけは持ち合わせている。安心していいよ。この男となら、きっとしあわせになれる。
 と、はじめて知る男の腕に抱擁におびえ、身を固くしているトウカルに、教えてあげたい(笑)。
 大丈夫。君は、しあわせになれるよ。しあわせになるべき人だよ。
 心からそう思い、「うわっうわっ、これからやっちゃうんだ、やっちゃうんだなどーしよー!!」と、オペラの視界が地震を起こすほど動揺しながら、暗転を迎えたのですよ、わたしは(笑)。

 えーいっ、アンドレのしあわせもの!! あんないじらしい女の子(しかもヴァー……いかんいかん、自重)をモノにしやがってぇー!!

 そして。
 翌朝。

 わたしたちの前に姿を表したオスカルは。

 まぶしいほど毅然としていた。

 きらきらしていた。
 魂が、足場を確立し、力強く輝いている。
 危なっかしかった女の子は、もういない。彼女はもう、迷わない。
 男の腕の中でおびえていたあの女の子が。
 愛を知り、性を知り、ひとりの人間として女として、ここにたどりついた。

 ここまできたんだ……!

 彼女は、ここまできた。
 さんざん迷って、傷ついて、そしてたどりついたんだ。悩み抜いてボロボロになって、そして得た輝きなんだ。
 ここ、てのは場所ではなくて。
 魂のいる階層というか。

 すべてのものが、彼女をここへ導いた。
 すべての人、すべての出会い、すべての痛みやかなしみ、よろこびや愛情、なにもかもが、無駄ではなかった。
 彼女は、ここ、に、たどりついたのだから。

 オスカルの美しさが、その迷いない毅然とした態度が。
 なんかもー、見ていて泣けてきて。

 ひとりの人間の、魂の成長、カタルシスを見せてもらった。

 ひとは、ここまでくることができるんだ! みたいな。

 闇を突き抜け、自分の力で光を掴んだ女性。
 もー、ここでENDマークでいいよ、ってくらい、輝いていた。

 でも、ご存じの通り、物語はまだ先があって。
 迷いなくブイエ将軍に絶縁と王家への反逆を宣言したオスカルは、戦いに身を投じることになる。
 彼女の目の前でアンドレが殺され、彼女自身も戦場で散ることになる。
 アンドレの最期に取り乱す姿、そのくせ立ち上がり、軍人としてバスティーユ攻撃の先陣を切り、銃弾倒れるその壮絶な最期まで、痛々しさ全開。

 その直前の、魂の輝き、幸福感がすさまじいだけに、直後の悲劇が際立つのなんのって。

 もう見飽きたバスティーユなのに。
 今回星も雪も、さんざん『ベルばら』を観てきたのに。

 はじめて、「バスティーユ」で号泣した。

 あんまり泣きすぎて、幕が下りたあとも芝居に戻れなかった。すずみんがなにか言ってるし、ワタさんとなにか話しているんだけど、耳に入らなかった。
 しばらく、そのまま泣いてた。

 ……立ち直れたのは、牢獄のシーンになったころかな(ダメぢゃん)。

 
 なんか、やっぱしバランス壊しているよーな気もするなー、トウカル……(笑)。
 盛り上げすぎっていうか。

 なんにせよ、すごすぎるよトウコ。
 演技は相性だから、ソレがよくない人にはまったく通じないと思うけど。
 わたしはトウコちゃんとは相性いいので、もー感動しまくりだよ。あーもー、トウコすげートウコ大好きートウコエロエロ〜〜。

 でもって。

 フィナーレの「薔薇のタンゴ」がまた、新鮮な衝撃でした。

 あのけなげでかわいー女の子が、男になって、
   「オラオラオラ〜〜ッッ!!(巻き舌)」って言ってる……!

                               (白目・背景ベタフラ)



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