映画を見たり、ゲームをやったり、忙しい今日このごろ。『SIREN2』発売までに『流行り神』を全部終わらせるつもりが、どーにもノれなくて断念。
 ねえ、『流行り神』ってアレどうなの? 「小説」とか「物語」とかいう観点でプレイすると、ものごっつーストレス溜まるんですが。
 ホラーとかオカルトとか好きでない人が頭の中だけで作った物語、って感じ……。システムとかいい感じなだけに、テキストも下手でないだけに、全編に漂う「鈍くささ」や「カンチガイ」がもどかしくて……。
 アタマのいい人が、アタマの良さのせいで大失敗してるっていうか。
 もったいないなー。おもしろくなる要素はちゃんとあるのに、ただのクソゲーですか……。

 とゆーひとりごとは置いておいて。

 それでもまだ、星組『ベルサイユのばら−フェルゼンとマリー・アントワネット編−』の話。

 『ベルばら』は祭りなので、祭り部分のみをたのしんだ。
 すなわち、役替わりだ。
 オスカル中心に観劇。それ以外はあんまり見てない。

 意識をシャットアウトしないとつらいんだもの。
 原作への冒涜のつぎはぎ台詞だとか破壊された日本語だとか無神経きわまりない音(言葉以下)の数々を脳みそに入れたくないもので。
 できるだけ無我の境地で、僧侶のように澄み切った心で、耳に入る「日本語に似た音」に意味を考えないよーに努力した。禅僧のような気合いですわ。

 オスカルを見て、アンドレを見て、ベルナールを見て、ジェローデルを見て、余力があったらアントワネットとかロザリーとか、衛兵隊だとか村人だとか貴族たちだとかを見て。

 ゆかりちゃんの美しさに心を洗われ、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ、みらんの色男ぶりに心ときめき、その扱いの悪さに腹が立ちそうになるのをぐっとこらえ。

 自分の視線の行き先に、現星組での贔屓順を思い知った。

 もともと好きなしいちゃんやトウコちゃんたちをのぞくと、わたしがいちばんよく注目しているのは、みらんくんのよーです。

 放っておくと、見てるよー。
 気を抜くと、見てるよー。
 意識していないとき、自然と彼をさがして眺めているよー。

 なんか彼、どんどんいい男になるよね。
 クドイ色男。

 舞台で「善人オーラ」を出していないのが、好みのよーです。

 若い子にありがちだけど、モブをやっているときとかに「善人オーラ」を出している人がわりといる。
 なんでそんなもんを出しているかというと、「素がそのまま出ている」から。
 若くてあんましモノ考えてなくて、それゆえに「まだ汚れてません」てな意味の「善人オーラ」を出している。
 演技じゃないからソレ。「無知」ってだけだから。
 背景役であったとしても、舞台人である以上、「無知」をそのまま放出しているのはどうかと思う。
 ……まあ、かわいいっちゃかわいいけど。

 みらんのいいところは、まだ若造の域にいながら、ソレがない。
 そんなもんはとっくの昔に卒業している。
 舞台の上に相応しい「色」をまとって、そこにいる。

 それが、わたしの目を奪うんだ。

 あーゆー、「自分の仕事」をわきまえ、きちっとこなしている子は、いいねえ。見ていて気持ちがいい。
 脇を支える役者としての基礎をきちんと持ちながらも、スターとしての計算も身に付いていそうなところが、素敵。
 ケロちゃんのポジを継ぐのはこの子だよなあ、と思う。

 kineさんと話していたんだけど、みらんくんの芸幅の広さは、武器だよねえ。

 白い善良なおぼっちゃまもできる。
 さわやかな二枚目もできる。
 黒いスパイスな役もできる。
 ぐだぐたの悪党もできる。
 若者も、大人の男もできる。

 ……できないのは、耽美キャラぐらい?(ごめん・笑)

 これからの大真みらんを、心からたのしみにしている。
 「歌劇」でイタさ全開の「えと文」を書いているよーだが、性格が多少アレでも才能ある舞台人なんだから問題ナシ(笑)。

 
 みらんを好きなのは、べつにいいんだ。
 自分的に、納得できる。

 そのう、わたし的にかなりびっくりだったことが、もうひとつ。

 大劇場の隅っこからぼーっと肉眼でモブを眺めていて、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいたとき。

 それがあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかし?!
 あかしですとっ?!

 なにかの間違いだと思ってみても。

 また別の日に、「あっ、あの子かっこいー。好みだわ」と思ってあわててオペラグラスでのぞいて。

 またしてもあかしだったときの衝撃ときたら。

 あかしなの。
 あかしなのよーっ。

 何度も何度も、えんえんえんえん、あかしなの。

 あかしが、わたしの目を奪うの。

 どうしよう。

 
 何故にこのよーに取り乱しているかというと。
 星のあかしといえば、雪のまちかめぐると同等だったんですよ、わたし的に。

 見るつもりもないのに、目に入る。
 ぶっちゃけ、見たくなくても、目につく。

 見ないように、視界に入れないように気を遣わなければならないキャラ(キャラ?)だったんだ。

 念のために言っておくが、嫌いなわけではない。
 わたしは苦手な人は目に入らないので、記憶にも残らないから、日記に書くことすらない。
 ただ、「見たい」という能動的な意識で見ている人と、「他にもっと見たい人がいる」状態なのに、目に飛び込んできて視界を奪ってしまうキャラとはチガウってことだ。
 他の人が見たいのに、つい目についてしまうから、意識して見ないようにしているの。

 ……雪のまちかもそうだけど、どっちかっちゅーと「好き」の変形であることが多い。
 でなきゃわざわざ視界に入ってこない。

 それはわかっている。
 もともと好きだよ、あかしくん。

 でもな、わたしの「色男センサー」からははずれていてな。
 他に見たい人がいるのに、目について目について、もうっ、わたしの視界に入らないでよーっ。……てな感じだったのよ、長い間。

 だって、利助なのよ?

 『巖流』で、あまりの色気のなさに腐女子ドリームをさまたげていた、小うるさいガキ。
 『花のいそぎ』の腐女子ロマンを確実に削いでいた、色気のカケラもないガキ。

 耽美とか退廃とか色気とかから、もっとも遠いところにいる、健康的な体力小僧。
 野球部とか体操部にいそうだ……。バスケとかサッカーとか剣道じゃないの。
 だから、好意はあっても、それだけだったのに。

 見たくないのに、目に入る。
     ↓
 かっこいい、と思って注目する。

 に、なってしまったんですけど、どうしよう?!

 どっちにしろ、「目に入る」「見ている」ことには変わりないんだけど。
 意味が180度ちがいます。
 どうしようどうしよう。

 なまじ、今まで「利助め!」と思ってきただけに。
 今さらそんないい男になられても、こまる。

 あかしめ。あかしったら。利助のくせに、そんなにかっこいいなんて、なにごとなの?!

 今まで「利助」扱いだったので、とまどってます。
 利助ってのはすなわち、「ポチ」と同意語ですよ。雑種の子犬です。丈夫だけど、きれいでもないし、アタマだってそんなによくない。そーゆー犬のイメージ。や、たしかにポチはポチで好きだったけど。
 ポチだと思ってそーゆーかわいがり方していた雑種犬が、ある日突然、かっこいー人間の騎士に変身して現れたてな衝撃です。
 どうしよう。かっこいい……どきどきどき。

 最初から「二枚目路線」だと思っていたら、ここまで衝撃受けない。
 ポチが二枚目になったから、あたふたしているの。
 泣き虫ちびっこだった年下の幼なじみが、たくましいイケメンになって帰ってきたよーなおどろきと、ときめき。
 ドンクサ眼鏡くんが、眼鏡を取ったら実は美形だったよーなおどろきと、ときめき。
 意識の落差が大きいだけに、大変です。事件です。

 
 つーことで今、あかしくん好きです。
 ときめいてます。

 ときめいている自分に、とまどっています(笑)。


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