1週間ズレてますが、実は東宝花組公演観ました。新公の日に。
 組替え発表の翌日だから、らんとむ、そのか、あすかの姿を見るのがせつなかったっすよ。

 つってもわたし、所詮、ショーはまっつさんしか見てないんですけどね。他の人を見る余裕がなくてね。
 チケット持たずに旅立って、なんとか5列目GETしてね。
 まっつ目の前でね。
 あたしのためだけに微笑んでる? なんてカンチガイをしていられてね。幸福でしたわ。

 ショーはそんなだから、まっつ以外記憶にないんだけど。

 
 『落陽のパレルモ』がさあ。
 ラストに説明台詞がちょっくら加わって、少しマシになったとはいえ、やっぱり「パパの力でハッピーエンド」「世の中金次第」というテーマがせちがらい、「景子タン、ラスト失敗しちゃったね……」な作品であることは変わりなし。
 演説するのはパパでなくヴィットリオでなきゃイカンのよ、作劇的に……と、じれったさ満載。
 ヴィットリオ@オサ様はナルシス全開、変な癖全開、日本語が崩壊しつつあるし(なに言ってんのかわかんねー)、得意の歌もくどすぎてえらいことになってるしと愉快に暴走。いや、わたしは好きだからぜんぜんかまわないんだけど、世間的にやばくないか? と首を傾げつつ。

 
 わたしが惚れ込んだのは、ロドリーゴ@まとぶんだ。

 か……っ、かっこいー!!

 ムラ初日に見たときに、あまりのヘタレっぷりに目眩がした。星の御曹司をこんな使い方して! 返せ! 戻せ! と思った。役がひどいと思った。バカにしか見えねえ、と。
 それが、回を重ねるごとにいい男になっていっていた。
 ロドリーゴいいじゃん。いい役じゃん。まとぶ、かっこいー。
 と、思うようになっていたよ。
 いたけど。

 ここまで、かっこいいとはっ。

 ただの恋敵、貴族であるという事実にしがみついているだけの人、ぢゃない。

 信念が見える。

 彼の人生が見えるのね。
 何故彼がここにいて、この言葉を口にするのか。
 ゆるがないものがあって、立っていることがわかるひとりの男。

 貴族であること。
 それは、得をするのがあたりまえ、な人たちじゃないんだ。平民を見下すことでも、えらそーにすることでもない。
 ノブレス・オブリージュ、「高貴な者の義務」を負う者のことなんだ。

 矜持を持って生きているからこそ、それを負わずにすむ者たちと、区別をしている。
 差別ではない。区別。

 その信念の強さが、ロドリーゴをめちゃくちゃオトコマエにしている。

 貴族社会の落陽を眼前にするこの物語、ロドリーゴ主役で見てみたいっす。
 彼にとっての「落陽」は、愛した女性アンリエッタ@ふーちゃんの存在に象徴されている。
 信じていた世界が変わる、壊れる、それを目の当たりにしながら、理解できず苦悩しながら、それでも最後は毅然とそれらを受け入れる。

 ロドリーゴ、いい男だ……。まとぶ、かっこええ……。
 こんなにいい男だなんて、知らなかったよう。

 だからこそ、ヴィットリオと萌えたいですよぅ。
 ヴィットリオ×ロドリーゴでいいですから!

 ヴィットリオってほら、「母の復讐のために、大貴族の娘を騙して結婚する」のが目的の鬼畜色男でしょ?
 大貴族の娘、でなくてもいいじゃん。ロドリーゴ様は大貴族のぼんぼんよ、母を捨てた貴族の父にも似た身分の男よ? 復讐するために近づくのよ。
 軍隊で、部下としてロドリーゴの信任を得ていたヴィットリオ、実はそのつもりで近づいたんじゃないの? アンリエッタに反応したのは、ロドリーゴの「婚約者」だからだよね?

 村祭りのときに、アンリエッタを挟んで見つめ合うヴィットリオとロドリーゴが、すげー好きだ(笑)。
 あそこではいつも(いつもなのか)、「逃げてロドリーゴ! ヴィットリオの目的はアンタよぉー!」と思うもの。

 射殺されたニコラたち、その事件についての訊問のあと、ふたりきりになったときヴィットリオがロドリーゴに告げたりしてな。アンリエッタと契ったことを。
 もちろん、ロドリーゴを傷つけるだけが目的で。鬼畜ヴィットリオならそれぐらいしろ! てか、する! するよなオサ様。まとぶを追いつめたいよな! 美人はいたぶってナンボだよなっ!(役名で語りましょう、誤解を受けます)

 嫉妬に取り乱すロドリーゴ、それを見て冷ややかに悦に入るヴィットリオ。
 アンリエッタが正の意味で「ロドリーゴの時代」の「落陽」を表す存在ならば、ヴィットリオは負の意味で「落陽」を表す。
 ロドリーゴを追いつめ、破壊する者として。

 ……考えれば考えるほど好みだわ、ヴィットリオ×ロドリーゴ。マジでぞくぞくします(笑)。


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