「彼の時代」の落陽に。−腐女子注意報?−@落陽のパレルモ
2006年1月24日 タカラヅカ 1週間ズレてますが、実は東宝花組公演観ました。新公の日に。
組替え発表の翌日だから、らんとむ、そのか、あすかの姿を見るのがせつなかったっすよ。
つってもわたし、所詮、ショーはまっつさんしか見てないんですけどね。他の人を見る余裕がなくてね。
チケット持たずに旅立って、なんとか5列目GETしてね。
まっつ目の前でね。
あたしのためだけに微笑んでる? なんてカンチガイをしていられてね。幸福でしたわ。
ショーはそんなだから、まっつ以外記憶にないんだけど。
『落陽のパレルモ』がさあ。
ラストに説明台詞がちょっくら加わって、少しマシになったとはいえ、やっぱり「パパの力でハッピーエンド」「世の中金次第」というテーマがせちがらい、「景子タン、ラスト失敗しちゃったね……」な作品であることは変わりなし。
演説するのはパパでなくヴィットリオでなきゃイカンのよ、作劇的に……と、じれったさ満載。
ヴィットリオ@オサ様はナルシス全開、変な癖全開、日本語が崩壊しつつあるし(なに言ってんのかわかんねー)、得意の歌もくどすぎてえらいことになってるしと愉快に暴走。いや、わたしは好きだからぜんぜんかまわないんだけど、世間的にやばくないか? と首を傾げつつ。
わたしが惚れ込んだのは、ロドリーゴ@まとぶんだ。
か……っ、かっこいー!!
ムラ初日に見たときに、あまりのヘタレっぷりに目眩がした。星の御曹司をこんな使い方して! 返せ! 戻せ! と思った。役がひどいと思った。バカにしか見えねえ、と。
それが、回を重ねるごとにいい男になっていっていた。
ロドリーゴいいじゃん。いい役じゃん。まとぶ、かっこいー。
と、思うようになっていたよ。
いたけど。
ここまで、かっこいいとはっ。
ただの恋敵、貴族であるという事実にしがみついているだけの人、ぢゃない。
信念が見える。
彼の人生が見えるのね。
何故彼がここにいて、この言葉を口にするのか。
ゆるがないものがあって、立っていることがわかるひとりの男。
貴族であること。
それは、得をするのがあたりまえ、な人たちじゃないんだ。平民を見下すことでも、えらそーにすることでもない。
ノブレス・オブリージュ、「高貴な者の義務」を負う者のことなんだ。
矜持を持って生きているからこそ、それを負わずにすむ者たちと、区別をしている。
差別ではない。区別。
その信念の強さが、ロドリーゴをめちゃくちゃオトコマエにしている。
貴族社会の落陽を眼前にするこの物語、ロドリーゴ主役で見てみたいっす。
彼にとっての「落陽」は、愛した女性アンリエッタ@ふーちゃんの存在に象徴されている。
信じていた世界が変わる、壊れる、それを目の当たりにしながら、理解できず苦悩しながら、それでも最後は毅然とそれらを受け入れる。
ロドリーゴ、いい男だ……。まとぶ、かっこええ……。
こんなにいい男だなんて、知らなかったよう。
だからこそ、ヴィットリオと萌えたいですよぅ。
ヴィットリオ×ロドリーゴでいいですから!
ヴィットリオってほら、「母の復讐のために、大貴族の娘を騙して結婚する」のが目的の鬼畜色男でしょ?
大貴族の娘、でなくてもいいじゃん。ロドリーゴ様は大貴族のぼんぼんよ、母を捨てた貴族の父にも似た身分の男よ? 復讐するために近づくのよ。
軍隊で、部下としてロドリーゴの信任を得ていたヴィットリオ、実はそのつもりで近づいたんじゃないの? アンリエッタに反応したのは、ロドリーゴの「婚約者」だからだよね?
村祭りのときに、アンリエッタを挟んで見つめ合うヴィットリオとロドリーゴが、すげー好きだ(笑)。
あそこではいつも(いつもなのか)、「逃げてロドリーゴ! ヴィットリオの目的はアンタよぉー!」と思うもの。
射殺されたニコラたち、その事件についての訊問のあと、ふたりきりになったときヴィットリオがロドリーゴに告げたりしてな。アンリエッタと契ったことを。
もちろん、ロドリーゴを傷つけるだけが目的で。鬼畜ヴィットリオならそれぐらいしろ! てか、する! するよなオサ様。まとぶを追いつめたいよな! 美人はいたぶってナンボだよなっ!(役名で語りましょう、誤解を受けます)
嫉妬に取り乱すロドリーゴ、それを見て冷ややかに悦に入るヴィットリオ。
アンリエッタが正の意味で「ロドリーゴの時代」の「落陽」を表す存在ならば、ヴィットリオは負の意味で「落陽」を表す。
ロドリーゴを追いつめ、破壊する者として。
……考えれば考えるほど好みだわ、ヴィットリオ×ロドリーゴ。マジでぞくぞくします(笑)。
組替え発表の翌日だから、らんとむ、そのか、あすかの姿を見るのがせつなかったっすよ。
つってもわたし、所詮、ショーはまっつさんしか見てないんですけどね。他の人を見る余裕がなくてね。
チケット持たずに旅立って、なんとか5列目GETしてね。
まっつ目の前でね。
あたしのためだけに微笑んでる? なんてカンチガイをしていられてね。幸福でしたわ。
ショーはそんなだから、まっつ以外記憶にないんだけど。
『落陽のパレルモ』がさあ。
ラストに説明台詞がちょっくら加わって、少しマシになったとはいえ、やっぱり「パパの力でハッピーエンド」「世の中金次第」というテーマがせちがらい、「景子タン、ラスト失敗しちゃったね……」な作品であることは変わりなし。
演説するのはパパでなくヴィットリオでなきゃイカンのよ、作劇的に……と、じれったさ満載。
ヴィットリオ@オサ様はナルシス全開、変な癖全開、日本語が崩壊しつつあるし(なに言ってんのかわかんねー)、得意の歌もくどすぎてえらいことになってるしと愉快に暴走。いや、わたしは好きだからぜんぜんかまわないんだけど、世間的にやばくないか? と首を傾げつつ。
わたしが惚れ込んだのは、ロドリーゴ@まとぶんだ。
か……っ、かっこいー!!
ムラ初日に見たときに、あまりのヘタレっぷりに目眩がした。星の御曹司をこんな使い方して! 返せ! 戻せ! と思った。役がひどいと思った。バカにしか見えねえ、と。
それが、回を重ねるごとにいい男になっていっていた。
ロドリーゴいいじゃん。いい役じゃん。まとぶ、かっこいー。
と、思うようになっていたよ。
いたけど。
ここまで、かっこいいとはっ。
ただの恋敵、貴族であるという事実にしがみついているだけの人、ぢゃない。
信念が見える。
彼の人生が見えるのね。
何故彼がここにいて、この言葉を口にするのか。
ゆるがないものがあって、立っていることがわかるひとりの男。
貴族であること。
それは、得をするのがあたりまえ、な人たちじゃないんだ。平民を見下すことでも、えらそーにすることでもない。
ノブレス・オブリージュ、「高貴な者の義務」を負う者のことなんだ。
矜持を持って生きているからこそ、それを負わずにすむ者たちと、区別をしている。
差別ではない。区別。
その信念の強さが、ロドリーゴをめちゃくちゃオトコマエにしている。
貴族社会の落陽を眼前にするこの物語、ロドリーゴ主役で見てみたいっす。
彼にとっての「落陽」は、愛した女性アンリエッタ@ふーちゃんの存在に象徴されている。
信じていた世界が変わる、壊れる、それを目の当たりにしながら、理解できず苦悩しながら、それでも最後は毅然とそれらを受け入れる。
ロドリーゴ、いい男だ……。まとぶ、かっこええ……。
こんなにいい男だなんて、知らなかったよう。
だからこそ、ヴィットリオと萌えたいですよぅ。
ヴィットリオ×ロドリーゴでいいですから!
ヴィットリオってほら、「母の復讐のために、大貴族の娘を騙して結婚する」のが目的の鬼畜色男でしょ?
大貴族の娘、でなくてもいいじゃん。ロドリーゴ様は大貴族のぼんぼんよ、母を捨てた貴族の父にも似た身分の男よ? 復讐するために近づくのよ。
軍隊で、部下としてロドリーゴの信任を得ていたヴィットリオ、実はそのつもりで近づいたんじゃないの? アンリエッタに反応したのは、ロドリーゴの「婚約者」だからだよね?
村祭りのときに、アンリエッタを挟んで見つめ合うヴィットリオとロドリーゴが、すげー好きだ(笑)。
あそこではいつも(いつもなのか)、「逃げてロドリーゴ! ヴィットリオの目的はアンタよぉー!」と思うもの。
射殺されたニコラたち、その事件についての訊問のあと、ふたりきりになったときヴィットリオがロドリーゴに告げたりしてな。アンリエッタと契ったことを。
もちろん、ロドリーゴを傷つけるだけが目的で。鬼畜ヴィットリオならそれぐらいしろ! てか、する! するよなオサ様。まとぶを追いつめたいよな! 美人はいたぶってナンボだよなっ!(役名で語りましょう、誤解を受けます)
嫉妬に取り乱すロドリーゴ、それを見て冷ややかに悦に入るヴィットリオ。
アンリエッタが正の意味で「ロドリーゴの時代」の「落陽」を表す存在ならば、ヴィットリオは負の意味で「落陽」を表す。
ロドリーゴを追いつめ、破壊する者として。
……考えれば考えるほど好みだわ、ヴィットリオ×ロドリーゴ。マジでぞくぞくします(笑)。
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