東宝のチケットも持たずに飛び乗った夜行バス。前楽だけでも観られればいいや。観られるよね?

 ジャジー、不人気だし。

 人気公演なら、こんなあやふやなことしない。なにがなんでもチケットを押さえてから上京する。でもま、ジャジーだし。大丈夫、なんとかなるよ。

 なった。
 劇場前に到着してすぐに、サバキGET。
 サバキGETに協力してくれたリエさん、ありがとー。

 寒い中早朝から当日券に並んでいるkineさんを残し、わたしはリエさんとあったかいところに移動しちゃった(ごめんよぅ)。

  
 まあそんなこんなで、無事に東宝『JAZZYな妖精たち』を観劇してきました。

 変更があることは聞いていた。
 でもそれがどーゆーことになっているのかは、自分で観てみなきゃわかんない。
 『JAZZYな妖精たち』のいちばんの失敗は妖精を出したことだから、妖精が消えてなくなってない以上、どうあがいたって失敗作だろーし(笑顔)。
 その失敗作が改稿されてどうなっているのか、たのしみだわー。

 冒頭に子どもたちのシーンが付け加えられ、パトリック@あさこがその冒頭の子どもたち=幼なじみの移民たちの話を怒濤の説明台詞で初登場時に解説し、ラストシーンが途中でぶった切られていた。
 他にも、細々した説明台詞が増えていた。

 ははははは、おもしれー。

 改稿の方向性としては、まちがってない。
 幼なじみの少年たちが移民先のアメリカで成長し、心ならずもすれちがってしまう。だけど妖精たちの存在をキーワードに、彼らの心がまたひとつになる。
 とゆーストーリーラインを明確にするために、彼ら5人の関係を説明する方向に改稿するのは正しい。
 でもラストのぶった切りはひどいもんだし、根本的な解決には至っていない。

 今回の改稿で、思い出したのは同じく谷正純作の『バッカスと呼ばれた男』だ。

 これもひどい失敗作でねえ(笑)。
 地位も名誉も王妃の愛も捨て、流浪のシャンソニエとなった男が老三銃士と手を組み大活躍し、フランスとドイツの戦争を終わらせてしまう、という景気のいい話だったんだが。
 なんとも構成の悪い、それゆえに散漫でぶっ壊れているばたばたとした話だったのだわ。

 それが、東宝では改稿され、シャンソニエと王妃の関係と、何故彼が王妃と宮廷を捨てたのかが説明されるよーになったんだわ。

 なんだよ、よくなってるじゃん。それでもまだ、壊れてるけどさー。

 散漫で壊れているいちばんの理由は、老三銃士がいらないってことだったのね。
 王妃との関係、そしてバッカスの聖戦。物語の本筋はこれだけなのに、そこに無意味な老三銃士が加わり、なんの役にも立たないのに多大な出番を費やしごちゃごちゃやっていたの。
 不必要なキャラクタが出張っているから、物語が壊れた。

 なにかに似てない?
 『JAZZYな妖精たち』観たとき、あたしゃこの『バッカスと呼ばれた男』を彷彿としたよ。

 『バッカス…』の売りのひとつが、老三銃士たちだったのね。彼らが笑いを取り、日替わりのアドリブで作品の見せ場を作っていた。
 『JAZZYな妖精たち』の売りのひとつが、妖精たちよね。彼らが笑いを取り、テーマソングを歌う。

 でもソレ、いらないから。

 『バッカス…』はさらにこのあと、地方公演版で改稿されたの。
 そこでは、老三銃士が、いなくなっていた。
 爆笑したよ、追いかけていった広島の劇場で。
 あれほど作品の売りだったのに、さくっといなくなってる。そして、不要なキャラクタに物語を壊されていないので、物語が正しく機能している。

 なんだよ谷、やればできんじゃん。
 てゆーか、最初からやれよ。
 なにが必要で、なにがいらないか、物語を作るときに整理しろよー。

 と、思いましたもん。

 谷せんせは改稿するタイプの作家だから。
 昔から、ムラ→東宝で改稿はお約束だった。
 そして、2回の改稿ではまだ、完成には行きつかない。3回目でよーやく、「作品」になる。

 中日公演が『JAZZYな妖精たち』だったら、妖精はいなくなっていたな、こりゃ。

 移民の少年たちだけの話になってたよ、きっと。
 役の水増しのために、不要な役を作って作品を壊す。本拠地以外の劇場では、役の水増しをしなくてすむからな。まっとーにストーリーラインを追う役だけで、作品を書ける。

 谷せんせらしい改稿ぶりに、なんか笑えて仕方なかった。

 
 改稿が中途半端なのは、ひとえに時間がないせいだろう。
 ラストシーンは、ムラ版は壊れていたが、東宝版ではただの「ぶった切り」になっていた。

 唐突にシャノン@かなみが死んで、死んでるっつーのに「みんな踊ってくれ」でキャラ総出演で「ジャジーじゃじー♪」と超のーてんきなバカ踊りをして終わる、というわけのわからなさが、シャノンが死ぬ前に話を全部ぶった切って終わり、になっていた。
 古い野菜の処分方法みたい。
 買ってきたキャベツ、端っこだけ傷んでるの。だから、その傷んでる部分だけ切り取って、捨ててしまいましょう。そうしたらほら、きれいな丸いカタチではなくなったけど、不自然に端が欠けているけれど、とりあえず食べられるキャベツになったわ。
 そーゆー手法ですな、コレ。

 とどのつまりが、失敗作(笑)。

 やっぱ改稿するには時間がなかったね。あと1回、本拠地以外の劇場での上演が必要だね。秋の全ツを『JAZZYな妖精たち』にすればいいよ(笑顔)。そしたらきっと、この作品の完成系が観られるでしょう。

 今のままだと、主役が誰かわからない。
 なにしろ、パトリックを主役とするための最大の見せ場は、不治の病のシャノンとのシーン。
 シャノンが彼の腕の中で死ぬから、彼が主役たり得るのよ。

 なのに、その前で話がぶった切られてしまうから。
 シャノンとのシーンがなくなると、その前にある話の山場は、ウォルター@きりやんの改心だ。
 ウォルターはパトリックゆえに改心するのではなく、移民メンバー勢揃いで説得することによってだ。つまりコレは、パトリック主役の山場ではない。

 ここで話が終わると、主役がウォルターになってしまいますがな。

 いいのか、ソレで?
 や、わたしはいいけどさ(笑)。

 でもやっぱ、まずいだろ。
 またきりやんがうまいから。ウォルターの心の動きが、揺れや機微が、いちいち精細に伝わってくるから。
 物語が動くのがウォルターで、パトリックはそれを見ているだけだから、どうしてもここで主役の逆転が起きてしまう。

 改稿の方向はまちがっていない。
 でも、やっぱ今のままでは失敗作。

 さあ、ここはやっぱ、次の全ツだな。
 谷せんせ、『JAZZYな妖精たち』完成版を見せてくださいよ。

 所詮植田芝居の『ベルばら』を改稿するより、価値があると思うぞ(笑)。


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