10月に入ったころから、なにかにつけて言っていた。

「あれから1年、経つんだねえ……」

 あれから。
 去年のケロ祭りから。

 10月のうちは、「『ドルチェ・ヴィータ!』ムラ公演から、1年だねえ」。
 11月になれば、「ケロちゃんのディナーショーから、1年だねえ」。
 12月になれば、「『ドルチェ・ヴィータ!』東宝公演から、1年だねえ」。

 ケロ祭りを基準に、ものを考える。時を測る。
 あれは特別の空間だった。時間だった。

  
 あれから1年。
 ヘタレなわたしは、しばらく冬の東宝には近寄りたくなかったの。
 クリスマスなんて、とんでもない。銀のサンタをやっていたかの人を思い出すぢゃないか(笑)。そーいや、ケロサンタが登場した日もわたし、貧血起こしてシャンテの喫茶店で坐り込んでたっけ。なんとか血糖値上げて、よたよた劇場前に来たら、銀のサンタが現れたんだった。
 冬の夜の東宝前は鬼門。1年前を思い出すから。
 感情が高ぶりすぎて貧血起こし、そのたび倒れていたヘタレ過ぎな自分ごと、思い出すのがこわい。
 や、その、それでまた感情メーターがMAX越えて、倒れたらシャレならん。いい大人が自己を律せないなんてただの恥です。

 だから、冬の東宝には近づかない。
 千秋楽なんか、絶対ダメ。
 袴姿と白い衣装の人たちなんて、見ちゃダメだよ。

 
 そう思って、びびっていたのだけど。

 月組東宝千秋楽。
 さららんとうーさんの退団日。

 わたしは、日比谷にいた。
 東宝前の道で、白い服の人たちと一緒に、彼らを見送った。

 
 二重写しになる記憶。
 1年前と、今。

 思い出してしまう、いや、思い出に翻弄されてしまうことがこわかったのだけど。

 そんなことはなく、穏やかに退団者を見送ることが出来た。

 楽を見なかったことが大きいと思う。
 千秋楽のチケットなんか当然手に入るはずもないから、わたしとkineさんとジュンタさん、それからサトリちゃんの4人は終演時刻より前からシャンテ前で場所取りしていた。
 千秋楽の舞台と客席の熱狂と、大階段を降りて挨拶をする、退団者の姿をこの目にしていないままだから、たぶん楽を観られた場合よりずっと冷静でいられたはず。

 わたしが知っているのは、舞台のアツいままのさららんで。
 袴姿ではなく、ヅカならではの派手派手衣装のさららんで。

 その印象のまま出待ちをして。

 実際に、袴姿で現れたさららんを見ても、イメージがうまく結べなかった。

 だって、聞いてないもん。
 さららんの退団挨拶なんか。
 締めを見ていないまま、こうやって最後のパレードを見ても、現実味がないというか。

「あれは、さららんじゃない」

 そう言ってしまうくらいに、イメージが結べない。

 わたしの知ってるさららんは、熱くてひたすら暑苦しくて、暴走していて自爆していて、きれいなカオを歪めて慟哭芝居をする人で。
 高温ゆえのわけのわかんねー演説をする人で。

 なのに、そこにいるさららんは、きれいで。
 温度なんて関係なく、ただ透きとおるようにきれいで。

 暴走山岳機関車さららんぢゃない。
 いやその、さららんは同じ暴走車でも、車でなく列車、特急とかではなく機関車、平地ではなく山岳っつーイメージで。

 それなのに、目の前のさららんは、突き抜けた退団者オーラに包まれていて。
 わたしの知っているさららんじゃない。結びつかない。
 でもこれはたしかにさららんで。

 ああ、辞めるんだなあ。
 と、思った。

 あれから1年。
 またこうして、好きな人が去っていくんだなあ。と。

 
 千秋楽を観ず、お見送りだけでよかったのかもしれない。
 こうして、ひとつずつ段階を踏んで、1年前の祭りを正しく消化していこう。

 タカラヅカは別れを前提としたファンタジー。
 すべての人と、いつか別れることを知った上で、愛するところ。
 別れのつらさを知ってなお、愛することをやめないでいるところ。
 

 あれから1年。
 遠くてなつかしい、そして愛しい記憶。

 汐美真帆というファンタジーを愛し、彼が創るものを一瞬たりとも見逃したくなくて、暴走しまくっていた。
 大好きだよケロちゃん。
 記憶は大切に両手で包んで、胸の奥にしまってある。

 あれから1年、と言い続けて。
 思い出すだけで泣けてくる、このせつなくてあたたかい気持ちがわたしのなかに加わったことは、大きな財産だ。

 人生の節目節目に、きっと何度でも思い出すんだろう。

 夜の日比谷、道を埋めた白い服の人々。
 楽を見終わったあと、危惧していた通り倒れてしまったわたしは閉場したあとも劇場で休ませてもらっていた。(時効だから、言ってもいいだろー・笑)
 劇場の4階ロビーから眺めた、下の道には人があふれていた。
 白い服が、花のようで。

 人生2度目の車椅子で救護室に運ばれ、あわや救急車を呼ばれるところで、人生2度目の救急車は嫌だ、と気力で踏みとどまり、仲間の助けを借りてよたよたと劇場をあとにした。

 人混みのいちばん後ろから、kineさんの肩を支えにケロちゃんを待った。

 あの夜と、白い服と、報道のライトと、瞬き続けるフラッシュの光と影と。

 ケロちゃんの袴姿の美しさと、見送る人たちのあたたかさと。
 そして、それをこの目で見送れること、そのために受けたたくさんのひとたちの厚意とやさしさと。

 それらのことがすべて、わたしの宝物になっている。

 きっと何度も思い出す。
 記憶はただ、あたたかくて。
 別れのかなしさは薄れ、ただ、愛しさだけが残る。
 ありがとう。
 ケロちゃんに、ありがとう。
 そして、仲間たちにありがとう。
 みんな、やさしかった。たくさんのひとたちの無償の厚意で、わたしはたくさん救われた。

 へこたれて泣いているわたしを、たくさんの手が助け起こしてくれた。
 わたしが泣いていたから、思いやってくれたの。やさしくしてくれたの。
 わたしが泣いてなかったら、きっとみんな、ただの通りすがりの人だった。
 泣いてよかった。かなしんでよかった。くるしんでよかった。
 そのおかげで、たくさんのやさしさを知れた。

 それは、わたしの宝物。
 かなしさやくるしさは薄れ、愛しさだけが残っている。

 それを再確認するために。
 咀嚼し、血肉にするために。

 わたしはまた、冬の東宝にやってきたの。
 去っていく人を、見送りに来たの。

 大好きだよ。

 

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