彼の目に映る世界に。@銀の狼
2005年12月8日 タカラヅカ とまあ、レイ@水目当てで旅立ち、実際水しぇんにめろめろしていたわけなんですが。
それでいてなお。
ミレイユ@まーちゃんに、骨抜きになって帰りました。
梅田で観たときは、レイとシルバのラヴストーリーにしか見えなかったんだが。
なんだよ、シルバとミレイユのラヴストーリーじゃん、コレ!!
まことに潔く、レイが舞台にいる間はレイしか見てなかったんですが。
幸か不幸か、レイとミレイユはあまり出番が重ならなくてね。
レイがいるときはレイを、それ以外はキムとハマコ(同列ですか。てゆーか役名ぢゃないのか)を、そしてさらにそれ以外は、ミレイユを見ていたのですよ。
人生でいちばん、コムちゃんを見なかった公演だな。
わたしのコム好き人生において、もっともコムちゃんを見なかった公演。見なかった作品。
最初からとにかく、一度も見てない気がする……ゲフンゲフン。
ほらその、再演だから、ストーリーわかってるし。
主人公を中心に展開するミステリだけど、主人公は「視点」だからべつに、見なくても大丈夫な作りになっている。
3D画面のアドベンチャーみたいなもん。主人公=プレイヤー視点で進むから、プレイヤーキャラクタは画面にいなくてもいいの。いても、いつも後ろ姿。彼が向く方向に画面も動き、彼が見たものがそのままコントローラを握っているプレイヤーが見ているものになる。
シルバ@コム姫は「視点」。彼自身は画面にいなくても問題はない。
そんな感じだったのだわ。
だから、彼の周囲がとてもよく見えた。
主人公が視点となっているアドベンチャーゲームでは、大体主人公の性格は希薄だ。
プレイヤー自身が感情移入しやすいようになっている。
ニュートラルでクセのない「いれもの」であること。それが、主人公に必要なんだ。
シルバはとても、いい仕事をしていた。
クールで希薄で美しい。
プレイヤーキャラとしての条件を全クリア。
プレイヤーであり、彼の物語をロールプレイングする「わたし」は、とてもなめらかに「シルバ」という男とシンクロすることができた。
女たちにちやほやされながら、それをクールに振り払う。おおっ、オレってかっこいーぞ。
男前で年上、男として尊敬できる相棒が、愛情ダダ漏れの目でオレを見ている。レベルの高い同性を惚れさせるオレってかっこいー。
記憶喪失で苦悩なんかしちゃうぞ。おおっ、オレってかっこいー。
悪を討つ殺し屋だってよ。オレってかっこいー。
優秀な外科医で美しい妻と娘がいた? おおっ、セレブじゃんエリートじゃん、オレってかっこいー。
なにもかもが、プレイヤーにとってオイシイ。とても気分良く「シルバ」の人生を追体験。
彼の苦悩はわたしの苦悩、てなふーに。
シルバがなにを考えているかは、考える必要もなかった。ストーリーがとてもわかりやすく親切に、彼の心情を教えてくれるからだ。
こう行動するということは、こう考えている。出来事がこう展開し、このキャラがこう動くから、こう考えている。
シルバを見る必要はない。
シルバ自身となり、シルバの目に映っている人を見ていればいい。
コムちゃん自身の演技力は、わたしにはよくわからない。そちらが秀でている人だという認識は、わたしにはない。
ただ、彼がセンシティヴなキャラクタを演じるときにのみ、そのへんの演技巧者たちが足元にも及ばない「魅力」を放つ人だと思っている。
シルバは、視点だった。
それはコム姫がシルバと正しくシンクロしていたからだろう。
わたしは安心してシルバになり、彼の目で世界を見、人を見、彼として生きることができた。
シルバとしてあの暗くやるせない世界に立つことは、せつない恍惚感があった。
だからこそ。
シルバに対するレイの愛情に反応したし、シルバと対峙するミレイユに惹かれた。
初見のときは、レイとシルバのラヴストーリーだと思った。
レイの、シルバへの愛情の温度、そして欲望の温度が皮膚を焦がす感覚があったからだ。
彼と話しているときに、ちりちりと感じていた。
直接皮膚を焦がす感覚だから、なにより先に反応した。
そして今回。
シルバとして生き、ミレイユを見つめることで、シルバの物語としての「相手役」が誰かを悟った。
たしかにレイはシルバを愛しているし、欲してもいる。それは強い衝動であり、ある種の粘度をも伴っている。
でも、シルバはその愛に応えていない。向けられた愛を受け入れているだけだ。
では、シルバ自身の愛は?
彼が見つめているのは、ミレイユだ。
共に荒野を歩くことを、認めた相手。
初見のときに、客席降りが見られなかったことも大きいんだよな。
ラストの客席から登場するシルバとミレイユ。このふたりに、撃ち抜かれた。
暗い客席の、狭い通路を歩くふたり。
前を歩くシルバと、そのあとを歩くミレイユ。
そこには甘さなどなく。
張りつめた、しんと悲しい清涼さがあって。
たくさんの人が固唾をのんで見守るなかを、歩く男と女。
こんなにたくさんの人間がいる「無人」の荒野を歩いているんだ。
世界に、たったふたりきり。
同じ罪を抱いて。
地上最後の、男と女。
どれだけ他に人間がいても、関係ない。彼らの荒廃に届くものはいない。
座席に観客たちがどれほどいても、通路を歩く彼らに声もかけられないのと同じに。彼らだけが別世界の住人であると、ライトに浮かび上がるのと同じに。
その凄絶な孤独と、美しさ。
甘さがない、恋愛という逃げ道のない男と女が、それでも共に生きることの痛さに、涙が出た。
男はいいんだ、男は。
かっこいーオレは、そーゆー生き方するの平気だ。つーかそれでこそ、オレってかっこいー。
問題は、オレを見つめている女だ。オレと共に堕ちた女だ。
ミレイユの美しさが、空気を席巻する。
彼女の絶望が、孤独が。
それでもなお、凛とのびた背筋が。
傷つきながら、汚れながら、それでも自分の脚と意志で、シルバのあとを歩いてくる強さが。
彼女が、愛しくて。
ずっと重なり合うことなく歩いていたふたりが、最後にそっと近づくのが好き。ミレイユが、シルバに寄り添うラストシーンが好き。
うわああぁん、ミレイユ好きだ〜〜!!
まーちゃんの演じる女性は何故、こうまで透明に澄んで美しいのか。
水のようなひとだ。(水くんぢゃなくてなっ)
やさしく、美しく、だけど冷たくもあり、あたたかくも熱くもあり、自在にカタチを変え、相手の器に合わせてよりそい、そのくせ岩を砕き大地を流すほどの力を秘めている。
でしゃばらず、場を壊さず、場を満たす包容力を見せる。
ミレイユの美しさに、感動した。
彼女の生き方の清冽さに、感動したんだ。
シルバがわたしの視点だから。わたしはシルバだから。
罪と孤独の荒野で。
振り返ると、彼女がいた。
救いだ。彼女が。彼女の存在が。
彼女の罪が。彼女のかなしみが。
わたしを救う。
シルバとミレイユの、究極のラヴストーリー。
ミレイユ、好きだ〜〜。
それでいてなお。
ミレイユ@まーちゃんに、骨抜きになって帰りました。
梅田で観たときは、レイとシルバのラヴストーリーにしか見えなかったんだが。
なんだよ、シルバとミレイユのラヴストーリーじゃん、コレ!!
まことに潔く、レイが舞台にいる間はレイしか見てなかったんですが。
幸か不幸か、レイとミレイユはあまり出番が重ならなくてね。
レイがいるときはレイを、それ以外はキムとハマコ(同列ですか。てゆーか役名ぢゃないのか)を、そしてさらにそれ以外は、ミレイユを見ていたのですよ。
人生でいちばん、コムちゃんを見なかった公演だな。
わたしのコム好き人生において、もっともコムちゃんを見なかった公演。見なかった作品。
最初からとにかく、一度も見てない気がする……ゲフンゲフン。
ほらその、再演だから、ストーリーわかってるし。
主人公を中心に展開するミステリだけど、主人公は「視点」だからべつに、見なくても大丈夫な作りになっている。
3D画面のアドベンチャーみたいなもん。主人公=プレイヤー視点で進むから、プレイヤーキャラクタは画面にいなくてもいいの。いても、いつも後ろ姿。彼が向く方向に画面も動き、彼が見たものがそのままコントローラを握っているプレイヤーが見ているものになる。
シルバ@コム姫は「視点」。彼自身は画面にいなくても問題はない。
そんな感じだったのだわ。
だから、彼の周囲がとてもよく見えた。
主人公が視点となっているアドベンチャーゲームでは、大体主人公の性格は希薄だ。
プレイヤー自身が感情移入しやすいようになっている。
ニュートラルでクセのない「いれもの」であること。それが、主人公に必要なんだ。
シルバはとても、いい仕事をしていた。
クールで希薄で美しい。
プレイヤーキャラとしての条件を全クリア。
プレイヤーであり、彼の物語をロールプレイングする「わたし」は、とてもなめらかに「シルバ」という男とシンクロすることができた。
女たちにちやほやされながら、それをクールに振り払う。おおっ、オレってかっこいーぞ。
男前で年上、男として尊敬できる相棒が、愛情ダダ漏れの目でオレを見ている。レベルの高い同性を惚れさせるオレってかっこいー。
記憶喪失で苦悩なんかしちゃうぞ。おおっ、オレってかっこいー。
悪を討つ殺し屋だってよ。オレってかっこいー。
優秀な外科医で美しい妻と娘がいた? おおっ、セレブじゃんエリートじゃん、オレってかっこいー。
なにもかもが、プレイヤーにとってオイシイ。とても気分良く「シルバ」の人生を追体験。
彼の苦悩はわたしの苦悩、てなふーに。
シルバがなにを考えているかは、考える必要もなかった。ストーリーがとてもわかりやすく親切に、彼の心情を教えてくれるからだ。
こう行動するということは、こう考えている。出来事がこう展開し、このキャラがこう動くから、こう考えている。
シルバを見る必要はない。
シルバ自身となり、シルバの目に映っている人を見ていればいい。
コムちゃん自身の演技力は、わたしにはよくわからない。そちらが秀でている人だという認識は、わたしにはない。
ただ、彼がセンシティヴなキャラクタを演じるときにのみ、そのへんの演技巧者たちが足元にも及ばない「魅力」を放つ人だと思っている。
シルバは、視点だった。
それはコム姫がシルバと正しくシンクロしていたからだろう。
わたしは安心してシルバになり、彼の目で世界を見、人を見、彼として生きることができた。
シルバとしてあの暗くやるせない世界に立つことは、せつない恍惚感があった。
だからこそ。
シルバに対するレイの愛情に反応したし、シルバと対峙するミレイユに惹かれた。
初見のときは、レイとシルバのラヴストーリーだと思った。
レイの、シルバへの愛情の温度、そして欲望の温度が皮膚を焦がす感覚があったからだ。
彼と話しているときに、ちりちりと感じていた。
直接皮膚を焦がす感覚だから、なにより先に反応した。
そして今回。
シルバとして生き、ミレイユを見つめることで、シルバの物語としての「相手役」が誰かを悟った。
たしかにレイはシルバを愛しているし、欲してもいる。それは強い衝動であり、ある種の粘度をも伴っている。
でも、シルバはその愛に応えていない。向けられた愛を受け入れているだけだ。
では、シルバ自身の愛は?
彼が見つめているのは、ミレイユだ。
共に荒野を歩くことを、認めた相手。
初見のときに、客席降りが見られなかったことも大きいんだよな。
ラストの客席から登場するシルバとミレイユ。このふたりに、撃ち抜かれた。
暗い客席の、狭い通路を歩くふたり。
前を歩くシルバと、そのあとを歩くミレイユ。
そこには甘さなどなく。
張りつめた、しんと悲しい清涼さがあって。
たくさんの人が固唾をのんで見守るなかを、歩く男と女。
こんなにたくさんの人間がいる「無人」の荒野を歩いているんだ。
世界に、たったふたりきり。
同じ罪を抱いて。
地上最後の、男と女。
どれだけ他に人間がいても、関係ない。彼らの荒廃に届くものはいない。
座席に観客たちがどれほどいても、通路を歩く彼らに声もかけられないのと同じに。彼らだけが別世界の住人であると、ライトに浮かび上がるのと同じに。
その凄絶な孤独と、美しさ。
甘さがない、恋愛という逃げ道のない男と女が、それでも共に生きることの痛さに、涙が出た。
男はいいんだ、男は。
かっこいーオレは、そーゆー生き方するの平気だ。つーかそれでこそ、オレってかっこいー。
問題は、オレを見つめている女だ。オレと共に堕ちた女だ。
ミレイユの美しさが、空気を席巻する。
彼女の絶望が、孤独が。
それでもなお、凛とのびた背筋が。
傷つきながら、汚れながら、それでも自分の脚と意志で、シルバのあとを歩いてくる強さが。
彼女が、愛しくて。
ずっと重なり合うことなく歩いていたふたりが、最後にそっと近づくのが好き。ミレイユが、シルバに寄り添うラストシーンが好き。
うわああぁん、ミレイユ好きだ〜〜!!
まーちゃんの演じる女性は何故、こうまで透明に澄んで美しいのか。
水のようなひとだ。(水くんぢゃなくてなっ)
やさしく、美しく、だけど冷たくもあり、あたたかくも熱くもあり、自在にカタチを変え、相手の器に合わせてよりそい、そのくせ岩を砕き大地を流すほどの力を秘めている。
でしゃばらず、場を壊さず、場を満たす包容力を見せる。
ミレイユの美しさに、感動した。
彼女の生き方の清冽さに、感動したんだ。
シルバがわたしの視点だから。わたしはシルバだから。
罪と孤独の荒野で。
振り返ると、彼女がいた。
救いだ。彼女が。彼女の存在が。
彼女の罪が。彼女のかなしみが。
わたしを救う。
シルバとミレイユの、究極のラヴストーリー。
ミレイユ、好きだ〜〜。
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