神様、阪神タイガースが惨敗しますように。

 もう二度と、阪神が優勝しませんように。思いっきり負けていてくれると、ありがたいです。
 神様、お願い。合掌。

 わたしはプロ野球にも阪神にも興味がないし、勝敗なんぞどーでもいいが、『1万人の第九』阪神マンセー強要される限り、呪い続けることにします。
 阪神マンセーしたいなら、「1万人の阪神ファンの集い」でも催してください。

 あれほど恥ずかしい惨敗をした特定の球団を、わざわざ『1万人の第九』で持ち上げるのがわからない。
 「阪神」=「大阪」というのもわからないし(阪神は大阪の球団じゃない。「宝塚」=「大阪」ぐらい別)、大阪を連呼するなら前日優勝したガンバ大阪こそ持ち上げるべきだろう。
 大体、『1万人の第九』はグローバル化して全国都道府県から参加者がいると言ったその口で言うのもおかしい。
 「終戦60年」ってことで、「平和」をテーマのひとつにあげた『1万人の第九』で、「勝利のための応援歌」つまり、敵を倒せ!とゆー意味の歌を何故、歌わなければならないのか。
 なにもかも、変だ。

 「世界の人々がひとつになる」「みんなが家族になる」という美しいテーマを掲げて、やっていることは「阪神マンセー」。

 ……こわいと思ったのは、わたしだけですか?

 第九を歌う、という目的で集まった1万人に、なんの了承も得ず、だまし討ちで特定球団の応援を強要したわけですよ。
 これってさ、別のこともできるじゃん。
 特定の宗教とか、政党とか。
 だまし討ちで、拒否できないムードやシステムで囲い込んで。

 たしかに、某球団は人気があるんでしょー。わたしはよく知らないけど。
 だから、『1万人の第九』で某球団を讃える歌を歌えばよろこぶ人も多いのかもしれない。
 でもその理屈でいくと、「某政党を『1万人の第九』で応援すると、よろこぶ人も大勢いる。だからいいじゃないか」も同じ理屈だよな?

 こわいなー。

 思想統制したいなら、別でやってくださいよ。
 『1万人の第九』を汚染しないで。

 
 つーことで、今年も恒例の『1万人の第九』に参加してきました。

 たのしかったですよ。
 阪神マンセーの他は。

 前日のリハーサルから、けっこー感動していたんだか、本番のだまし討ちで冷水を浴びせられ、気を取り直すのに精神力が必要だった(笑)。

 やっぱ、権力ってのは必要なんだなあ、と思った。

 わたしがものすごい実力者になって、人気者になって、『1万人の第九』をプロデュースできるよーなえらい人になったら、公私混同で「『1万人の第九』で『タカラヅカ・グローリー』を歌いましょう!」つーこともできるのね。
 わたしが総監督だもーん、みんなわたしの名前で集まってきたんだもん、いいよね、なにやっても。わたしがタカラヅカ好きなんだし、タカラヅカといえば大阪のカオだし、みんなよろこぶよね?
 ……権力ってのは、そーゆーことだな。しみじみ。

 わたしはしがない一般人なので、『1万人の第九』に参加して、1万人でひとつのことを成し遂げる感動を味わいたかったら、思想統制に耐えなければならないわけですよ。
 嫌なら参加しなければいい、わけだから。
 思想統制への嫌悪感と、第九の感動を秤に掛け、選ばなければならない。
 毎年「阪神マンセー」させられるなら、マジで参加を考えるが、今のところ「優勝したときのみ」やるつもりらしい(今年はあんな負け方したのにな)。
 ならば天災と同じだ。
 わたしの住んでいる家は超絶古いボロ屋で、もう一度阪神大震災レベルの地震が来たら、おそらく潰れる。でも、建て替える経済力がないので「たぶん大丈夫」と思い、住み続けている。
 大地震よ、来るな。
 そう祈り続ける。
 それと同じことだ。阪神が勝たなければいいんだ。
 天災と同じ。大地震よ来るな。阪神よ優勝するな。平和を祈る、同じ気持ち。
 来るかどうかもわからない天災を恐れて引っ越さないのと同じで、阪神を恐れて第九を嫌いになるのはやめよう。

 佐渡裕はすばらしいアーティストだと思う。
 そしてやっぱ、才能のある人って、変なんだな。

 まあ、まったり眺めていよう。
 あ、阪神の敗北を祈りつつ。


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