ちなみに。
 わたしの、現在のPCの壁紙は、ルドルフ@ゆうひくんです。

 ついでに。
 携帯の待ち受け画像は、ひとりぼっちの王子様@ゆうひin蜷川写真です。

 まっつじゃないです。
 まっつの画像、持ってないしな(笑)。

 わたしはバウ公演『LAST STEP』で一目惚れして以来のゆーひファンで、ナマ生徒に興味がないので、あくまでも舞台上の姿しか知らないまったりファンであるわけなんですが。

 ゆうひくん、変わった?

 『JAZZYな妖精たち』を最初に観に行ったとき、思ったの。

 『宝塚舞踊会』のときも、思ったけれど。
 本公演では、さらに思い知ったのね。

 変わった? って。

 なんだか、わたしの知っている、わたしの好きなゆーひくんではなくなってしまった気がして、ヘコんだのですよ。
 で、月公演はほとんど観ませんでした。ゆうひくんが変わってしまったら、もう月組はいいや、てな気持ちになって。1回観ればそれでいいや。1回観たんだから、もういいや、って。

 わたしの知る、わたしの愛した大空祐飛は、ちょっと脇でふてくされてるよーな男の子でした。やる気があるのかないのか、気分屋で、出来にムラがあって、笑っていても翳りのある、ヒネた不良少年のよーな子でした。
 記念撮影で、ひとりだけ横を向いているよーなイメージ。

 わたし個人の、勝手な印象です。ほんとーの彼がどんな人なのか知らないし、べつに知りたくもないっす。わたしは「タカラジェンヌ」という幻想を愛している人間なので。
 舞台の上で、大空祐飛さんはそーゆーキャラに見えていました。あくまでも、わたしには。

 陰と陽なら、陰のイメージ。黒と白なら、黒。月と太陽なら、月。
 クールとハートフルなら、クール。

 わたしは勝手にジェンヌにイメージを持ち、勝手にそれを愛でていました。

 だから、勝手に「変わっちゃったんだ、くすん」と遠ざかるのも、仕方のないことかと。

 
 わたしの大好きだった憂愁の貴公子は、きらきらあったかく輝くお日様のような人になっていました。

 『舞踊会』のときも、表情がやわらかく、雰囲気が変わっていたことにおどろいたけれど。
 そうか、こーゆーことになってたのか。

 陰に咲くひっそりとした花は今、花壇の真ん中でたくさんの人をよろこばせているんだ。太陽に向かって咲いているんだ。
 知る人ぞ知るうつむいた花ではないんだ。

 
 ゆうひくんてば、ほんとに正しく「タカラヅカのスター」になっちゃってました。
 真ん中で、ふつーにライト浴びて、きらきらしている。
 あたたかい光が、満たされた心が、客席へ向かって放たれている。

 たのしそうだ。充実してるんだろうな。

 幸福そうなゆーひくんを見て、「よかったね」と思い、そしてさみしく背を向けました。「もう、お母さんは必要ないわね」みたいな。
 いやその、わたしは彼のおかーさんであったことは一度もありませんが。ファンっつったって、なにひとつしたことないしな。
 ただ、気分的にはそんな感じだったの。「もうわたしはいらないんだな」と。

 
 わたしはたぶん、「欠けた人」が好きなんだな。
 大空祐飛に一目惚れしたとき、彼はとてつもなく美しかったけれど、確実になにかが欠けていた。
 あれほど美しい若者が、いくらでも幸福になってしかるべき人が、なにか「欠けたモノ」を抱えていて、存在に、表情に、影を刻んでいる。
 それが、たまらなくわたしを惹きつけた。

 笑っていても、やんちゃをしていても、かわいい役を演じていても、ゆうひくんはどこか「欠けたモノ」を抱いていた。影を刻んでいた。
 そんな彼から、目が離せなかった。

 それが今。
 彼は満たされ、幸福そうに笑っている。
 欠けていたゆえにあった影が消え、艶やかな光を放っている。

 あー……「真ん中」のひとの光だ。
 なんてすばらしいのかしら。得難い才能。ふつーの人が持つことの出来ない力。

 でもソレ、わたしが求めていたモノじゃない……。

 
 さようなら、ゆうひくん。しあわせになってね。
 ずっとずっと、君のしあわせを祈っているよ。

 
 とゆー気持ちだったのですよ。ええ(笑)。

 『ジャジー』のティモシーという役は、「オイシイ役」です。ちと説明不足でコウモリ的な言動を取りますが、それは観客側で補完可能な、十分過ぎるほど「いい役」です。
 こーゆー役をやって、きらきらしちゃう人ではなかったのよ、ゆーひくん。
 一般好みのキャラを、一般好みに演じちゃえる持ち味の人じゃなかったのよ。

 ティモシーを演じるゆーひくんは、あまりにど真ん中にかっこよすぎて、素敵すぎて、わたしはたじろぎました。

 『REVUE OF DREAMS』で、妖しい場面に出てみても、やっぱりそれは「真ん中」の人の持つ美しさと輝きに充ちていて、わたしを鼻白ませました。

 信じられないくらい大きな羽根を背負っているフィナーレも、わたしを逃げ出したい気持ちにさせました。

 劇団の思惑は知らないし、番手がどうとか路線がどうとかも、知らないしどーでもいいです。
 わたしは、わたしの気持ちがいちばん大切なので。

 大空祐飛の立場がどういうものであろうと、これからどうなっていくのであろうと、そんな「外側」のこととは関係なく、わたしは今の彼に「太陽」を感じてしまったの。
 世界の中心に立つことができる、光を。

 そしてそれは、わたしの求めるモノでも、愛するモノでもなかったので、ヘコんだの。

 めそめそめそ。

 わたしの愛した、愛に飢えた不良少年はいなくなってしまったけど、ずっとずっとしあわせでいてね。遠くで見守っているよ。
 と、勝手に感じ、勝手にさみしがっておりました。

 えー、繰り返しますが、わたし個人の勝手な思いこみの話です。
 世間一般の話でもないし、劇団の番手の話とかではないです。人事のことなんぞ知りませんし。

 見当はずれのことを書いているのかもしれません。あらゆる意味で。
 でもわたし個人の気持ちだから。感じたことだから。
 阿呆丸出しのたわごと並べてますが、許してください。
 

 さようなら、わたしの愛したゆーひくん。 
 ……とゆー気持ちだったのですが。

 楽前に、よーやく2回目の観劇をして。

 やっぱり、大空祐飛が好きだ。

 と、思い直しました(笑)。

 わたしの愛したゆーひくんとは、やっぱりチガウ人になっちゃってるんだけど。
 でもでも、やっぱり好き。
 一度好きになった人のことは、なにがあっても好きなのよ。あたしは、しつこいのよ。

 真ん中でまーるい光を放っている彼のことも、やっぱり愛しいです。
 ときおり見せる「昔のカオ」がまた、わたしの心をかき乱します。

 非の打ち所もなくかっこよくて、素敵すぎて、もー完璧に手の届かない大スター様になっちゃったけど、それでも地球の片隅で応援してます。愛を送り続けます。

 
 てゆーかたんに、わたしのイタタファン濃度が上がっただけのことなのかしら……ゆーひくんがまぶしすぎて、正視できないというのは。


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