ケンシロウとバカボンパパ。@JAZZYな妖精たち
2005年10月23日 タカラヅカ えー、これはたぶん、世の中のほとんどの人がすでに言っていることだと思うけど。
妖精、いらないよね?
月組公演『JAZZYな妖精たち』の話。
もちろん、「時間がなくて打ち切り」とか、「未完成だけどまあいいじゃん、てきとーで」とかいうことがなく、ほんとうに作り込むことができたなら、いてもいいんだよ、妖精。
正しく使えるなら、使ってくれてかまわない。
でも、現実にはそうじゃないだろ?
『JAZZYな妖精たち』はぶっ壊れた「未完成品」だろ?
ただでさえ壊れてるのに、そこに要りもしない「妖精」を出したことで、さらに駄作感UP!
物語が壊れていて未完成、そのうえセンス最悪前世紀の遺物的なまちがいまくったメルヘンな妖精にがちゃがちゃやられちゃ、正視に耐えなくなるよ、谷せんせ。
これって、典型的な「タイトル先行型の失敗」だよね?
まだプロットもろくに固まっていないときに『JAZZYな妖精たち』というタイトルを思いつき、「コレだ!!」と思っちゃったんだね、谷せんせ。
神様が降りてきた瞬間。
これほどすばらしいタイトルはない! 『JAZZYな妖精たち』!! 誰もが夢を抱きわくわくする、美しくてたのしいタカラヅカを代表するよーなタイトル! こんなすばらしいタイトルは他にない。このタイトルを考えた段階で「勝った!」って感じ? イケてる! COOL!! オレって天才!
……とゆー気持ちで、このタイトルに惚れ込んだんだよね?
話の内容なんか、あとで考えればいい。とにかく、このすばらしいタイトルをまず世に出さなければ、それが創作者の使命だ!
って、わたしは谷せんせじゃないから、真実は知らんが、とりあえずお気に入りのタイトルだったとは思うよ。
本編を観て、タイトルの無意味さと悪影響に口が開いたので。
最初に発表したタイトルが『JAZZYな妖精たち』でさえなければ、別の内容にすることもできたのに。
タイトルがアレだから、どんなに無意味で不要でも妖精を出さなければならなかった。結果、駄作になった。
タイトルに縛られなければ、まだもう少しマシな話になったろうに。
好みはさておき、たしかにいいタイトルだとは思う。
だって、インパクト絶大だもの。
前世紀というか、昭和30年代を彷彿とさせるそのセンス。一度目にすれば忘れられない字面、ロゴデザイン。音も、略したり遊んだりして、愛称をつけられる親しみやすさ……というか、ツッコミやすさ。
他の「お茶濁し」的などーでもいいタイトルより、商業価値は高い。
まず目を引いてナンボだもんな。
これで、タイトル通りのインパクトのある良作だったら、なんの問題もなかったんだ。
タイトルになっている「妖精たち」がいらないなんて、ほんとに意味ないよ……。
すでに世の中の人のほとんどが言っていることだと思うけれど、この話、妖精を出す必要はなかった。概念上でよかったんだ。
アイルランド移民の若者たちが、幼いころ聞いた妖精の話を今も信じているってことにすれば。
『JAZZYな妖精たち』だからって、ほんとーに妖精が出てきて「じゃじー、じゃじー」と歌い踊る必要は、どこにもない。てゆーかその方があり得ない感覚だから。
『ベルサイユのばら』だからって、ばら役の人が出てきて「私はベルサイユに咲くばら〜〜」と歌って踊るよーなもんでしょ。
直接的すぎ。
また、この妖精たちのビジュアルが、ひどすぎ。
端的に言うなら、時代錯誤な、まちがったメルヘン。
最初に出てきた瞬間、あまりの悪趣味さに顎が落ちたもんなー。
「妖精」ってさ、こんなもん?
もっときれいで幻想的なものじゃないの?
コミケのコスプレ娘たちだって、もー少しマシなビジュアルしてないか……?
演じている人たちに罪はない。ひとりずつは美しい人だし、単体で間近で見ればそれなりに凝ったファッションなのかもしれない。
しかし、2500人収容の大劇場でトータルに見て、ありえないくらい悪趣味な姿と言動。
小学生以下を対象とするファミリーミュージカル的解釈と演出。
てゆーか、ぶっちゃけて言うと、幼稚? 「妖精」の解釈と演出が。
大人を観劇対象にしているタカラヅカと、主人公パトリックをはじめとする「大人の男たちのドラマ」と相容れない幼稚さなんだ、妖精たちの存在が。
物語全体が「ファミリーミュージカル」テイストなら、あの妖精たちでもかまわない。
『白夜伝説』がそうだった。ヅカで観たい話じゃカケラもなかったにしろ、低年齢向き世界観に基づいた低年齢向き物語だったから、筋は通っていた。
『白夜伝説』にジャジーな妖精たちが出てわいわいやっていてもなんの違和感もないが、『エールの残照』に妖精たちが出てきて「白い血の病気! ミャハ!」とかやられると、観客がドン引きするってことだ。(ともに谷作品をあげてみました)
妖精を出す意味がストーリー的にないうえに、ビジュアルが最悪。悪趣味で演じている人が気の毒になる姿。
そして致命的に、「世界観」があっていない演出。
劇画『北斗の拳』の画面に、バカボンのパパがいて「これでいいのだ」と言っているよーなもん。
絵柄も世界観もまったく別モノだから! 共存できないから!
レイが愛するマミヤのために死んでいく壮絶な絵の中に、レレレおじさんがいて「レレレのレ〜?」とか言われたら、レレレおじさんを憎んでしまうから! レレレおじさんのせいじゃないのに。出した作者が悪いのに。
『北斗の拳』にバカボンのパパやレレレおじさんが必要なら、それらしい絵柄に描き直さなきゃダメだよ。世界観に合った演出にしなきゃ。(いや、北斗調バカボンキャラなんか見たくないけどな)
パトリックたちの物語に妖精を出したいなら、そこに合った姿と演出にしなきゃ。
大人が見て納得できるものに。
そーじゃないから、妖精たちの存在は百害あって一利ナシと言われてしまうんだよ……。
☆
ジャジー語りの途中ですが。
どなたか、『美の旅人たち』の緒月遠麻の回、持ってないですか。
今日の放送、見逃しました。今日がファイナルランだよね?
オヅキが気になりだしたのは最近のことゆえ、本放送時はスルーしてたんだよぅ。
素顔のオヅキが見たいよぅ。
仲間内でも、オヅキ番組を残しているツワモノはいなさそうだしなあ。
どなたか貸して下さいませ〜〜。
あ、メルアドは koala@104.net っす。
妖精、いらないよね?
月組公演『JAZZYな妖精たち』の話。
もちろん、「時間がなくて打ち切り」とか、「未完成だけどまあいいじゃん、てきとーで」とかいうことがなく、ほんとうに作り込むことができたなら、いてもいいんだよ、妖精。
正しく使えるなら、使ってくれてかまわない。
でも、現実にはそうじゃないだろ?
『JAZZYな妖精たち』はぶっ壊れた「未完成品」だろ?
ただでさえ壊れてるのに、そこに要りもしない「妖精」を出したことで、さらに駄作感UP!
物語が壊れていて未完成、そのうえセンス最悪前世紀の遺物的なまちがいまくったメルヘンな妖精にがちゃがちゃやられちゃ、正視に耐えなくなるよ、谷せんせ。
これって、典型的な「タイトル先行型の失敗」だよね?
まだプロットもろくに固まっていないときに『JAZZYな妖精たち』というタイトルを思いつき、「コレだ!!」と思っちゃったんだね、谷せんせ。
神様が降りてきた瞬間。
これほどすばらしいタイトルはない! 『JAZZYな妖精たち』!! 誰もが夢を抱きわくわくする、美しくてたのしいタカラヅカを代表するよーなタイトル! こんなすばらしいタイトルは他にない。このタイトルを考えた段階で「勝った!」って感じ? イケてる! COOL!! オレって天才!
……とゆー気持ちで、このタイトルに惚れ込んだんだよね?
話の内容なんか、あとで考えればいい。とにかく、このすばらしいタイトルをまず世に出さなければ、それが創作者の使命だ!
って、わたしは谷せんせじゃないから、真実は知らんが、とりあえずお気に入りのタイトルだったとは思うよ。
本編を観て、タイトルの無意味さと悪影響に口が開いたので。
最初に発表したタイトルが『JAZZYな妖精たち』でさえなければ、別の内容にすることもできたのに。
タイトルがアレだから、どんなに無意味で不要でも妖精を出さなければならなかった。結果、駄作になった。
タイトルに縛られなければ、まだもう少しマシな話になったろうに。
好みはさておき、たしかにいいタイトルだとは思う。
だって、インパクト絶大だもの。
前世紀というか、昭和30年代を彷彿とさせるそのセンス。一度目にすれば忘れられない字面、ロゴデザイン。音も、略したり遊んだりして、愛称をつけられる親しみやすさ……というか、ツッコミやすさ。
他の「お茶濁し」的などーでもいいタイトルより、商業価値は高い。
まず目を引いてナンボだもんな。
これで、タイトル通りのインパクトのある良作だったら、なんの問題もなかったんだ。
タイトルになっている「妖精たち」がいらないなんて、ほんとに意味ないよ……。
すでに世の中の人のほとんどが言っていることだと思うけれど、この話、妖精を出す必要はなかった。概念上でよかったんだ。
アイルランド移民の若者たちが、幼いころ聞いた妖精の話を今も信じているってことにすれば。
『JAZZYな妖精たち』だからって、ほんとーに妖精が出てきて「じゃじー、じゃじー」と歌い踊る必要は、どこにもない。てゆーかその方があり得ない感覚だから。
『ベルサイユのばら』だからって、ばら役の人が出てきて「私はベルサイユに咲くばら〜〜」と歌って踊るよーなもんでしょ。
直接的すぎ。
また、この妖精たちのビジュアルが、ひどすぎ。
端的に言うなら、時代錯誤な、まちがったメルヘン。
最初に出てきた瞬間、あまりの悪趣味さに顎が落ちたもんなー。
「妖精」ってさ、こんなもん?
もっときれいで幻想的なものじゃないの?
コミケのコスプレ娘たちだって、もー少しマシなビジュアルしてないか……?
演じている人たちに罪はない。ひとりずつは美しい人だし、単体で間近で見ればそれなりに凝ったファッションなのかもしれない。
しかし、2500人収容の大劇場でトータルに見て、ありえないくらい悪趣味な姿と言動。
小学生以下を対象とするファミリーミュージカル的解釈と演出。
てゆーか、ぶっちゃけて言うと、幼稚? 「妖精」の解釈と演出が。
大人を観劇対象にしているタカラヅカと、主人公パトリックをはじめとする「大人の男たちのドラマ」と相容れない幼稚さなんだ、妖精たちの存在が。
物語全体が「ファミリーミュージカル」テイストなら、あの妖精たちでもかまわない。
『白夜伝説』がそうだった。ヅカで観たい話じゃカケラもなかったにしろ、低年齢向き世界観に基づいた低年齢向き物語だったから、筋は通っていた。
『白夜伝説』にジャジーな妖精たちが出てわいわいやっていてもなんの違和感もないが、『エールの残照』に妖精たちが出てきて「白い血の病気! ミャハ!」とかやられると、観客がドン引きするってことだ。(ともに谷作品をあげてみました)
妖精を出す意味がストーリー的にないうえに、ビジュアルが最悪。悪趣味で演じている人が気の毒になる姿。
そして致命的に、「世界観」があっていない演出。
劇画『北斗の拳』の画面に、バカボンのパパがいて「これでいいのだ」と言っているよーなもん。
絵柄も世界観もまったく別モノだから! 共存できないから!
レイが愛するマミヤのために死んでいく壮絶な絵の中に、レレレおじさんがいて「レレレのレ〜?」とか言われたら、レレレおじさんを憎んでしまうから! レレレおじさんのせいじゃないのに。出した作者が悪いのに。
『北斗の拳』にバカボンのパパやレレレおじさんが必要なら、それらしい絵柄に描き直さなきゃダメだよ。世界観に合った演出にしなきゃ。(いや、北斗調バカボンキャラなんか見たくないけどな)
パトリックたちの物語に妖精を出したいなら、そこに合った姿と演出にしなきゃ。
大人が見て納得できるものに。
そーじゃないから、妖精たちの存在は百害あって一利ナシと言われてしまうんだよ……。
☆
ジャジー語りの途中ですが。
どなたか、『美の旅人たち』の緒月遠麻の回、持ってないですか。
今日の放送、見逃しました。今日がファイナルランだよね?
オヅキが気になりだしたのは最近のことゆえ、本放送時はスルーしてたんだよぅ。
素顔のオヅキが見たいよぅ。
仲間内でも、オヅキ番組を残しているツワモノはいなさそうだしなあ。
どなたか貸して下さいませ〜〜。
あ、メルアドは koala@104.net っす。
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