絶望先生希望。@ベルサイユのばら−全国ツアー編−
2005年10月2日 タカラヅカ 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その7。
さーて、今までの『ベルばら』を超えた史上最悪の全ツ版『ベルばら』のまとめをしておこう。
・『ベルばら』に必要不可欠なシーンの欠如。
・不要どころか害悪なシーンがかなりのパーセンテージを占める構成の悪さ。
・ストーリーがつながっていない。物語として成立していない。
・ヒロインの人格破壊。
他にもセンスの悪さや日本語の間違い、原作への不理解やキャラの破綻、舞台効果の下手さや古さなど、枚挙にいとまがないが、それは植爺クオリティなので、ここでは触れない。
そーゆーのは植爺の全作品共通項だから、ここでは今回のダイジェスト版『ベルばら』の話にしぼる。
わたしは、今回のダイジェスト版を最低だと思う。
『ベルばら』のダイジェスト版なんてわかりやすいモノを、どーしてここまでまちがった作りにできるんだ。
わたしの理解の範囲を超える植爺。
わたしはいつも、今あるものを使って、どーやったら修正ができるかを考える。
だから、今回の『ベルサイユのばら』にしても、今現在ある植爺作『ベルばら』をなんとかマシにできねーかという観点で書いている。
1から別人が作り直した方がマシになるというのは全世界の共通認識だと思うけど、あえてそれはせずに、植爺作を尊重して作り直すと前日欄のよーな構成になるわけね。ちゃんと植爺ご自慢のネタ、ステファン人形だとか「アン・ドゥ・トロワ」だとか「行け行けフェルゼン」だとか、わたし個人はいらねーと思うモノも入れてるでしょ?
や、ほんと、誰か別の人、作り直してよ……植爺に『ベルばら』を汚され続けるの嫌だよ……。
植爺の『ベルばら』は、大嫌い。
まちがいだらけで、気持ち悪い。植爺の人間性がそのまま出ている狂った価値観世界観女性観が、大嫌い。
だけど。
植爺の『ベルサイユのばら』には、力がある。
それはたしかなんだ。
前日欄でわたしが「必要不可欠」としてあげた4つのシーン。
それらはみな、正しいとかまちがっているとか、そーゆーことは度外視して力のある場面だ。
エンタメなんてものは、ハッタリだと思う。
多少まちがっていよーが、タルかろーが、要所要所にどかんと一発、最後に一発、力一杯カマせばそれでオールOKだ。
今回のダイジェスト版は、ひどい出来だと思う。最低最悪だと思う。
だけど、最後の「牢獄から断頭台」のシーンのすばらしさとは、別問題なんだ。
もちろん、言いたいことは山ほどある。牢獄のアントワネットの台詞のおかしさだとか、使われているエピソードに物言いたい気持ちはいくらでもある。
だけどそれらを吹き飛ばす感動がある。
紗カーテン越しに毅然と断頭台の階段を上るアントワネット、その前舞台で絶叫するフェルゼン、このカタルシスはすごい。
素直に、すごいと思う。
この最悪な全ツ版ですら、善良な観客は最後の牢獄から断頭台ですすり泣く(まあ、善良な人々は舞台上で主要人物が死ねば泣くし、わかりやすく可哀想でも泣くけど)。
ラストシーンに唯一、「力のあるシーン」を持ってきたためだよ。
ちゃんと、いいものもあるんだ。植爺『ベルばら』にだって。
「バスティーユ」にしてもそうだ。このシーンにもおかしいところや勘弁してくれなところは山ほどあるが、それらを全部吹っ飛ばしてくれるんだ。絶大なハッタリで。
派手なハッタリで観客を騙す力。
『ベルばら』にはそれがある。
わたしは植爺は大嫌いだし、植爺作『ベルばら』も大嫌いだけど、「断頭台」「バスティーユ」のすばらしさは認めている。それと、さらにさらに言いたいことだらけで口があうあうしちゃうけど、「今宵一夜」もな。それよりもさらに言いたいことだらけでマイナス面多すぎだけど、ハッタリという点では「女王なのですから!」もな。
だからこそ、せっかくの「力のある」シーンを使わずに、駄シーンばかりを無駄に使ってつぎはぎしたダイジェスト版をなさけなく思う。
植爺が創作者として終わってるのは周知のこととしても、それでもまだ過去作品に「力のある」場面が残っている。その「過去の遺産」を巧く使うことで、現在作品を創る能力が枯渇していたとしてもなんとか取り繕うことはできる。
ダイジェスト版なんか、「必要不可欠」な4つのシーンをただ並べてあとは全部ナレーションでつないだって、勝てるのに。
そのハッタリ力で。
観客の感情を盛り上げることのできるシーンを使うことによって、「なんかいいもん観た気がする」と思わせることができるのに。
それすらできない植爺のダメぶりと、それを正すことができない劇団のダメぶりに絶望するばかり。
このブログをはじめてから、ちゃんと『ベルサイユのばら』を書いたことがなかったので、つい長くなった。
全ツ初日を観て、来年のタカラヅカに絶望したもんなー。
久米田康治にネタにして欲しいほどですよ! やってくんないかなー、ヅカファンの絶望。
あまりの不快感に、「来年はムラは封印して映画館にでも通うかなー」と思ったほどだ。
されど。
なにしろわたしは、骨の髄までヅカファンで。
絶望の中、不幸のどん底にもしあわせを見つける小市民。
作品は大嫌いだけど、出演者は好き。
役替わりだらけで、その大好きな出演者をいろんな組み合わせで観ることが出来る。
そのことだけを救いにしよーと思います。
んじゃ次はよーやく、キャストの話。
続く〜〜。
さーて、今までの『ベルばら』を超えた史上最悪の全ツ版『ベルばら』のまとめをしておこう。
・『ベルばら』に必要不可欠なシーンの欠如。
・不要どころか害悪なシーンがかなりのパーセンテージを占める構成の悪さ。
・ストーリーがつながっていない。物語として成立していない。
・ヒロインの人格破壊。
他にもセンスの悪さや日本語の間違い、原作への不理解やキャラの破綻、舞台効果の下手さや古さなど、枚挙にいとまがないが、それは植爺クオリティなので、ここでは触れない。
そーゆーのは植爺の全作品共通項だから、ここでは今回のダイジェスト版『ベルばら』の話にしぼる。
わたしは、今回のダイジェスト版を最低だと思う。
『ベルばら』のダイジェスト版なんてわかりやすいモノを、どーしてここまでまちがった作りにできるんだ。
わたしの理解の範囲を超える植爺。
わたしはいつも、今あるものを使って、どーやったら修正ができるかを考える。
だから、今回の『ベルサイユのばら』にしても、今現在ある植爺作『ベルばら』をなんとかマシにできねーかという観点で書いている。
1から別人が作り直した方がマシになるというのは全世界の共通認識だと思うけど、あえてそれはせずに、植爺作を尊重して作り直すと前日欄のよーな構成になるわけね。ちゃんと植爺ご自慢のネタ、ステファン人形だとか「アン・ドゥ・トロワ」だとか「行け行けフェルゼン」だとか、わたし個人はいらねーと思うモノも入れてるでしょ?
や、ほんと、誰か別の人、作り直してよ……植爺に『ベルばら』を汚され続けるの嫌だよ……。
植爺の『ベルばら』は、大嫌い。
まちがいだらけで、気持ち悪い。植爺の人間性がそのまま出ている狂った価値観世界観女性観が、大嫌い。
だけど。
植爺の『ベルサイユのばら』には、力がある。
それはたしかなんだ。
前日欄でわたしが「必要不可欠」としてあげた4つのシーン。
それらはみな、正しいとかまちがっているとか、そーゆーことは度外視して力のある場面だ。
エンタメなんてものは、ハッタリだと思う。
多少まちがっていよーが、タルかろーが、要所要所にどかんと一発、最後に一発、力一杯カマせばそれでオールOKだ。
今回のダイジェスト版は、ひどい出来だと思う。最低最悪だと思う。
だけど、最後の「牢獄から断頭台」のシーンのすばらしさとは、別問題なんだ。
もちろん、言いたいことは山ほどある。牢獄のアントワネットの台詞のおかしさだとか、使われているエピソードに物言いたい気持ちはいくらでもある。
だけどそれらを吹き飛ばす感動がある。
紗カーテン越しに毅然と断頭台の階段を上るアントワネット、その前舞台で絶叫するフェルゼン、このカタルシスはすごい。
素直に、すごいと思う。
この最悪な全ツ版ですら、善良な観客は最後の牢獄から断頭台ですすり泣く(まあ、善良な人々は舞台上で主要人物が死ねば泣くし、わかりやすく可哀想でも泣くけど)。
ラストシーンに唯一、「力のあるシーン」を持ってきたためだよ。
ちゃんと、いいものもあるんだ。植爺『ベルばら』にだって。
「バスティーユ」にしてもそうだ。このシーンにもおかしいところや勘弁してくれなところは山ほどあるが、それらを全部吹っ飛ばしてくれるんだ。絶大なハッタリで。
派手なハッタリで観客を騙す力。
『ベルばら』にはそれがある。
わたしは植爺は大嫌いだし、植爺作『ベルばら』も大嫌いだけど、「断頭台」「バスティーユ」のすばらしさは認めている。それと、さらにさらに言いたいことだらけで口があうあうしちゃうけど、「今宵一夜」もな。それよりもさらに言いたいことだらけでマイナス面多すぎだけど、ハッタリという点では「女王なのですから!」もな。
だからこそ、せっかくの「力のある」シーンを使わずに、駄シーンばかりを無駄に使ってつぎはぎしたダイジェスト版をなさけなく思う。
植爺が創作者として終わってるのは周知のこととしても、それでもまだ過去作品に「力のある」場面が残っている。その「過去の遺産」を巧く使うことで、現在作品を創る能力が枯渇していたとしてもなんとか取り繕うことはできる。
ダイジェスト版なんか、「必要不可欠」な4つのシーンをただ並べてあとは全部ナレーションでつないだって、勝てるのに。
そのハッタリ力で。
観客の感情を盛り上げることのできるシーンを使うことによって、「なんかいいもん観た気がする」と思わせることができるのに。
それすらできない植爺のダメぶりと、それを正すことができない劇団のダメぶりに絶望するばかり。
このブログをはじめてから、ちゃんと『ベルサイユのばら』を書いたことがなかったので、つい長くなった。
全ツ初日を観て、来年のタカラヅカに絶望したもんなー。
久米田康治にネタにして欲しいほどですよ! やってくんないかなー、ヅカファンの絶望。
あまりの不快感に、「来年はムラは封印して映画館にでも通うかなー」と思ったほどだ。
されど。
なにしろわたしは、骨の髄までヅカファンで。
絶望の中、不幸のどん底にもしあわせを見つける小市民。
作品は大嫌いだけど、出演者は好き。
役替わりだらけで、その大好きな出演者をいろんな組み合わせで観ることが出来る。
そのことだけを救いにしよーと思います。
んじゃ次はよーやく、キャストの話。
続く〜〜。
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