彼女の人格が崩壊する瞬間。@ベルサイユのばら−全国ツアー編−
2005年10月1日 タカラヅカ 星組全国ツアー『ベルサイユのばら』の話、その6。
いつまで続くんだ、この連載。
いーかげんフィニッシュしたいもんだ。
あ、全ツのダイジェスト版のタイトルは『ベルサイユのばら』とあるだけで、「フェルゼンとアントワネット編」とは表記していないそうなので、わたしもそれに従いました。
しかし、それはさらにまずいやろ! と思うんだが。
「〜〜編」と書かず、まるで『ベルばら』集大成のよーなふりで、韓国へ持っていくの?
やめようよ、恥ずかしいから。
これを『ベルばら』だと思われたら、嫌だ……せめて「フェルゼン編」とぐらい書こうよ。「フェルゼン編」がひどいのね、ほんとうの『ベルばら』はきっとすばらしいのね、と好意的に解釈してもらえるかもしんないじゃん〜〜。
オスカルが「死にました」で終わって笑われるよーなモノが、『ベルばら』なわけないじゃん!
なに考えてるんだろう……。溜息。
さて、「フェルゼンとアントワネット編」でさえないと思う、この全ツ。
だって、アントワネット出番なさ過ぎ。
「マリー・アントワネット生誕250周年記念」ってなんなんだろ? そもそもなんでそんなもん記念しなきゃなんないのかわかんないんだけど。
それを掲げて作ったのが、コレ。
グスタフ3世から「免罪符」をもらって、責任逃れのアテを得てからフランスにやってきたフェルゼンくん。
大仰にやってきたわりに、ただの役立たずで、「今ごろなにしに来たの?」感いっぱいですが。
今日たった今から処刑されます、というアントワネットは、すでに別人になってます。
たしか彼女は、「政略結婚させられたあたしって可哀想。フェルゼンと別れなければならないあたしって可哀想。慰めてくれないオスカル最低、あんたなんか人間じゃないわ!」と、愚痴たれて被害者ぶって逆ギレして他人傷つけて退場した、だけだよね?
アントワネットに関しては、最低女であることしか描かれていない。
なのに、牢獄のシーンで彼女は唐突に聖人になっている。
なんだそりゃ。
現状への愚痴しか言わずに、「政略結婚だもん、不倫しても当然」「可哀想なんだもん、他人なんか傷つけて当然」となにもかも正当化して「王妃」という立場にふんぞり返っていた女が、突然「我がフランス」だの「子どもたちを見捨てられない」だの言われても、わけわかりません。
フェルゼンは終始一貫ただのバカだけど、アントワネットは人格変わりすぎ。
何故彼女がそう思うに至ったかを描かないと、「物語」として成り立たない。
ダイジェスト版だから、というのは言い訳にならない。
「オスカルは死にました」に匹敵するひどさだ。
逆ギレして罵って退場、という最悪な人格を披露した直後の登場がコレで、そのまま「さようなら!」で断頭台の露と消えるなんて。ありえないから!
ギャグですか。
ねえ、どのへんが「マリー・アントワネット生誕250周年記念」なんですか?
アントワネット、オスカル以下の描き方ですがな。
死ぬシーンがあっただけ。彼女の「人生」はオスカルより描かれてないっすよ。
この作品がまちがいまくり、そもそも「物語」として成立していないことは何度も述べた。
では、どーすりゃ良かったのか。
んなもん、簡単ですよ。
『ベルサイユのばら』というタイトルで、90分ダイジェストの作り方なんか、ひとつしかないっすよ。
まず、必要なシーンをピックアップする。
フェルゼンとアントワネット中心だから、「牢獄と断頭台」シーン。これは必須。
それからアントワネット最大の見せ場「フランスの女王なのですから」シーン。
そして、『ベルばら』の最大の見せ場「今宵一夜」、最大の盛り上がりシーン「バスティーユ」、これも必須。
そして、この「必要不可欠」な4つの他に「必要」なシーンとして、フェルゼンとアントワネットの関係を説明する「夜のデート」を入れる。
全部で5つ。
これらのシーンを最大限再現することを、念頭に置く。
この必要場面を描くだけでたぶん、90分のほとんどは費やされるだろう。
残った時間で、「ストーリー解説」をする。
時間があるなら、今回書き下ろしの「仮面舞踏会」を入れていい。ただし、あとの「夜のデート」の台詞はちゃんと「お忍びではない」と変更して(笑)。
1・フェルゼン登場〜お人形を持ってアントワネットをしのぶ独唱〜彼の回想で物語がはじまる。
2・仮面舞踏会〜フェルゼンとアントワネットの出会い。
↓
フェルゼンとアントワネットのデュエット。〜恋のとまどいを歌う〜ヒロインはアントワネットなんだから、オスカルとデュエットするのは間違い。
3・夜のデート〜フェルゼンとアントワネットの立場・関係説明。
4・宮廷のスケッチ〜オスカルとブイエ将軍等のやりとり〜アンドレとオスカル〜あくまでもフェルゼンの回想ということで、彼自身がナレーションをしながら、フランスの現状説明と他キャラ説明。
5・別れの決意〜前景の宮廷のスケッチで、自分の存在がアントワネットとフランスの害になっていることに気づき、フェルゼンはひとり苦悩する。
↓
歌いたければ、新曲「アン・ドゥ・トロワ」を歌え。
6・フェルゼンとアントワネットの別れ〜アントワネット逆ギレしない。
↓
フェルゼンとオスカル〜続けてフェルゼンとアンドレ。
7・今宵一夜〜強引に両想いGO!
8・バスティーユ〜フェルゼンのナレーションでつなぎつつ、大急ぎでアンドレ死んで、総踊りだ、「バスティーユに白旗が〜〜!!」
9・ベルサイユの危機〜アントワネットが女王として母として自覚する〜決め台詞GO!
10・行け行けフェルゼン〜革命の報を受けた、と台詞でさっさと言っちゃって、フェルゼンはフランスを目指す! 歌っていいから!
11・牢獄〜メルシー伯登場〜ステファン人形のフォロー。
↓
物語は徹頭徹尾フェルゼンの回想。だからここで、冒頭とリンクすること。
必要な5つのシーンを描くことが最優先だから、時間がなければ他のシーンは削ってヨシ。ナレーションでいいんだ。ダイジェスト版なんだから。
「『ベルばら』というタイトルを堪能できること」「原作を知らなくてもふつーに筋がわかること」「キャラクタの人格が破壊されないこと」だけを追及すればヨシ。
なんのために冒頭でフェルゼンが回想してるの? ステファン人形持って歌ってるの? 全部彼のナレーションでつないでいいんだってば。
それでも「バスティーユ」と「断頭台」があれば勝てるから。
そう。
ここまでクサしておいてなんだが、『ベルサイユのばら』には、パワーがあるのだ。
続く〜。
いつまで続くんだ、この連載。
いーかげんフィニッシュしたいもんだ。
あ、全ツのダイジェスト版のタイトルは『ベルサイユのばら』とあるだけで、「フェルゼンとアントワネット編」とは表記していないそうなので、わたしもそれに従いました。
しかし、それはさらにまずいやろ! と思うんだが。
「〜〜編」と書かず、まるで『ベルばら』集大成のよーなふりで、韓国へ持っていくの?
やめようよ、恥ずかしいから。
これを『ベルばら』だと思われたら、嫌だ……せめて「フェルゼン編」とぐらい書こうよ。「フェルゼン編」がひどいのね、ほんとうの『ベルばら』はきっとすばらしいのね、と好意的に解釈してもらえるかもしんないじゃん〜〜。
オスカルが「死にました」で終わって笑われるよーなモノが、『ベルばら』なわけないじゃん!
なに考えてるんだろう……。溜息。
さて、「フェルゼンとアントワネット編」でさえないと思う、この全ツ。
だって、アントワネット出番なさ過ぎ。
「マリー・アントワネット生誕250周年記念」ってなんなんだろ? そもそもなんでそんなもん記念しなきゃなんないのかわかんないんだけど。
それを掲げて作ったのが、コレ。
グスタフ3世から「免罪符」をもらって、責任逃れのアテを得てからフランスにやってきたフェルゼンくん。
大仰にやってきたわりに、ただの役立たずで、「今ごろなにしに来たの?」感いっぱいですが。
今日たった今から処刑されます、というアントワネットは、すでに別人になってます。
たしか彼女は、「政略結婚させられたあたしって可哀想。フェルゼンと別れなければならないあたしって可哀想。慰めてくれないオスカル最低、あんたなんか人間じゃないわ!」と、愚痴たれて被害者ぶって逆ギレして他人傷つけて退場した、だけだよね?
アントワネットに関しては、最低女であることしか描かれていない。
なのに、牢獄のシーンで彼女は唐突に聖人になっている。
なんだそりゃ。
現状への愚痴しか言わずに、「政略結婚だもん、不倫しても当然」「可哀想なんだもん、他人なんか傷つけて当然」となにもかも正当化して「王妃」という立場にふんぞり返っていた女が、突然「我がフランス」だの「子どもたちを見捨てられない」だの言われても、わけわかりません。
フェルゼンは終始一貫ただのバカだけど、アントワネットは人格変わりすぎ。
何故彼女がそう思うに至ったかを描かないと、「物語」として成り立たない。
ダイジェスト版だから、というのは言い訳にならない。
「オスカルは死にました」に匹敵するひどさだ。
逆ギレして罵って退場、という最悪な人格を披露した直後の登場がコレで、そのまま「さようなら!」で断頭台の露と消えるなんて。ありえないから!
ギャグですか。
ねえ、どのへんが「マリー・アントワネット生誕250周年記念」なんですか?
アントワネット、オスカル以下の描き方ですがな。
死ぬシーンがあっただけ。彼女の「人生」はオスカルより描かれてないっすよ。
この作品がまちがいまくり、そもそも「物語」として成立していないことは何度も述べた。
では、どーすりゃ良かったのか。
んなもん、簡単ですよ。
『ベルサイユのばら』というタイトルで、90分ダイジェストの作り方なんか、ひとつしかないっすよ。
まず、必要なシーンをピックアップする。
フェルゼンとアントワネット中心だから、「牢獄と断頭台」シーン。これは必須。
それからアントワネット最大の見せ場「フランスの女王なのですから」シーン。
そして、『ベルばら』の最大の見せ場「今宵一夜」、最大の盛り上がりシーン「バスティーユ」、これも必須。
そして、この「必要不可欠」な4つの他に「必要」なシーンとして、フェルゼンとアントワネットの関係を説明する「夜のデート」を入れる。
全部で5つ。
これらのシーンを最大限再現することを、念頭に置く。
この必要場面を描くだけでたぶん、90分のほとんどは費やされるだろう。
残った時間で、「ストーリー解説」をする。
時間があるなら、今回書き下ろしの「仮面舞踏会」を入れていい。ただし、あとの「夜のデート」の台詞はちゃんと「お忍びではない」と変更して(笑)。
1・フェルゼン登場〜お人形を持ってアントワネットをしのぶ独唱〜彼の回想で物語がはじまる。
2・仮面舞踏会〜フェルゼンとアントワネットの出会い。
↓
フェルゼンとアントワネットのデュエット。〜恋のとまどいを歌う〜ヒロインはアントワネットなんだから、オスカルとデュエットするのは間違い。
3・夜のデート〜フェルゼンとアントワネットの立場・関係説明。
4・宮廷のスケッチ〜オスカルとブイエ将軍等のやりとり〜アンドレとオスカル〜あくまでもフェルゼンの回想ということで、彼自身がナレーションをしながら、フランスの現状説明と他キャラ説明。
5・別れの決意〜前景の宮廷のスケッチで、自分の存在がアントワネットとフランスの害になっていることに気づき、フェルゼンはひとり苦悩する。
↓
歌いたければ、新曲「アン・ドゥ・トロワ」を歌え。
6・フェルゼンとアントワネットの別れ〜アントワネット逆ギレしない。
↓
フェルゼンとオスカル〜続けてフェルゼンとアンドレ。
7・今宵一夜〜強引に両想いGO!
8・バスティーユ〜フェルゼンのナレーションでつなぎつつ、大急ぎでアンドレ死んで、総踊りだ、「バスティーユに白旗が〜〜!!」
9・ベルサイユの危機〜アントワネットが女王として母として自覚する〜決め台詞GO!
10・行け行けフェルゼン〜革命の報を受けた、と台詞でさっさと言っちゃって、フェルゼンはフランスを目指す! 歌っていいから!
11・牢獄〜メルシー伯登場〜ステファン人形のフォロー。
↓
物語は徹頭徹尾フェルゼンの回想。だからここで、冒頭とリンクすること。
必要な5つのシーンを描くことが最優先だから、時間がなければ他のシーンは削ってヨシ。ナレーションでいいんだ。ダイジェスト版なんだから。
「『ベルばら』というタイトルを堪能できること」「原作を知らなくてもふつーに筋がわかること」「キャラクタの人格が破壊されないこと」だけを追及すればヨシ。
なんのために冒頭でフェルゼンが回想してるの? ステファン人形持って歌ってるの? 全部彼のナレーションでつないでいいんだってば。
それでも「バスティーユ」と「断頭台」があれば勝てるから。
そう。
ここまでクサしておいてなんだが、『ベルサイユのばら』には、パワーがあるのだ。
続く〜。
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