いいかげん『マラケシュ』語りの最終回を書かねばならんと思いつつも、まだ別の話。

 演出が悪い・古い・悪趣味と大評判の『ベルサイユのばら』

 それならいっそ、演出家を変えて、1から作り直せばどうだ、という声をよく聞く。てゆーか、ファンのほとんどはソレを望んでいる。植爺が生きている限り無理だろうけど。

 あー、わたしねえ、見たいバージョンがあるわ。

 木村信司演出『フェルゼンとアントワネット編』!!

 フランス革命をガチで描いてもらいましょう!!
 民衆の大コーラスですよ! 対する貴族たちも大コーラスですよ!
 大衆という名の無責任な暴力野放しですよ。愚かしさ爆発ですよ。
 キムシンテーマ叫びまくり! 説教しまくり!(笑)

 その一方で、フェルゼンとアントワネットは純愛貫くんですよ。

 地下牢で抱きあっちゃったりしてね。
「あなたが生きている、それだけが我が望み」
 とか歌っちゃってね。

 キムシンの舞台はきれいだから、きっとものすげー美しい世界が見られるぞ。
 音楽ももちろん甲斐せんせの全編書き下ろしでさ。
 宮廷や貴婦人たちのドレス、軍服もさぞやセンス良く配置されることでしょー。

 ベルナール編とか黒い騎士編とかやるより、フェルゼンとアントワネット編をやった方が、よりキムシンらしいモノが書けると思う。
 大仰で華やかで、だけど群衆芝居で。説教しやすそうで(笑)。

 そしてキムシンなら絶対、アントワネットの処刑シーンで終わったりしないと思うわ。

 そのあと、フェルゼンが民衆に虐殺されるところまで、書くと思うの(笑)。

 あー、心から観たいわ。
 キムシン作の『フェルゼンとアントワネット編』。

 
 それから、植田景子演出『オスカル編』。

 女性作家ならではの、「男社会で働く自立した女性の生き様」を繊細なタッチで書いてくれることだろう。
 仕事と自分。結婚と自分。そんな、現代女性の普遍のテーマを、華やかな歴史ロマンに織り込んで、表現してくれるだろう。

 さわやかに甘く、美しい舞台美術。
 食べ物の話題も絶対に盛り込んでね。女性が好む「甘さ」は、おやぢたちには理解できない。おやぢ脳では創り得ない「少女マンガ」な世界を構築して。

 オスカルは働く女性。
 自立した女性。
 そして、社会と対峙することで、「自分自身」と出会い、向き合い、葛藤の末に生き方を自分で決めていく人間。
 植爺オスカルのなにが気持ち悪いかって言えば、オスカルがおやぢ脳で描かれた「男にとって都合のいいアタマの弱い女」であること。「男の真似をしているだけの、所詮女(男視点)という生き物」であること。
 なにしろ植爺だから、何故女性がオスカルを好きなのか、理解できないんだろう。女が男の格好をしているからきゃーきゃー言ってるだけだと思ってるんだろう。
 植爺に汚染されたオスカルではなく、原作のイメージを踏襲した、凛とした、しかし悩み多い繊細なオスカルを創り上げて欲しい。景子せんせになら、できると思う。

 最後のガラスの馬車はありえないから(笑)。そんなものなくても、愛のファンタジーは完結できる。

 景子せんせーなら、ロザリーが語り部かな。
 彼女の歌から物語がはじまって、バスティーユ陥落のあと、彼女の歌声の背景に幻のオスカルとアンドレが舞い踊って完、とか。

 
 あとは、齋藤吉正演出の『黒い騎士編』(笑)。

 義賊といえばさいとーくん。
 マザコンと言えばさいとーくん。

 ベルナールは実にさいとーくん好みだぞっ。

 ロザリー役はママン役と2役なっ。
 ママンのよーに、ベルナールを抱きしめるのよー。
「わたしがあなたを守ってあげる」
 とか言うのよー。

 ああっ、すげー観たいぞ、さいとー演出(笑)。

 
 あと、あんまし観たいわけじゃないが、ネタとしてアリだろうと思うぞ、太田哲則演出『ジェローデル編』。

 ハイソにお貴族様社会をいかにも太田なテイストで。
 斜めになった舞台に、回りくどい洒落た台詞。言葉遊びとオヤジギャグ。
 古典風刺を効かせて、もったいつけて。

 
 ……考え出すと、キリがないな。
 いくらでも出てきそう(笑)。

 ぶっちゃけ、植爺じゃなければ誰でもいいや。
 誰でも? 酒井やW中村でも……? い、いや、さすがにそれは……。(前言、あっちゅー間に撤回)


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