8月14日、星組東宝千秋楽の日。

 午後の、まさに千秋楽公演がはじまる間際に、アクシデントがあり、開演が遅れた。
 予期せぬ出来事との遭遇。それを人事を尽くし、越えていくことはすばらしい。
 ひとが、ひとを助けるために力を振り絞るという、そのシンプルな姿に感動する。

 それとは別に。

 「情報」の扱い方について考えた。

 2階B席にいたわたしには、1階でなにが起こっているのか、まったくわからなかった。

 「情報」が圧倒的に不足していた。

 アクシデントが起こった際の、群衆への対処の仕方は、大きく分けてふたつあると思う。

 混乱を防ぐために、あえて情報を制限すること。
 協力を得るために、あえて情報を公開すること。

 たとえば劇場内に不審物があり、危険だからすぐに退避しなくてはならない、とかゆー場合に、本当のことを全部発表するのはまずいだろう。
 恐怖にかられた人々が一斉に出口に向かったら、大事故になるよ。
 情報を制限して、合理的に人々を避難させる。切羽詰まってると思わない人たちがだらだらするかもしれないけど、パニック起こすよりマシ。言うことを聞かない人には個別に「はい、さっさと劇場を出て!」と言えばいいし。
 日本人は従順だから、「よくわかんないけど、出ろって言ってるよー。んじゃ出ようかー」と従ってくれるよ。「理由を教えるまで、てこでも動かないねっ!」なんて好戦的な人は、そうそういないだろう。
 まあ、手綱の取り方、制限と真実のバランスは難しいし、ケースバイケースだと思うけど。

 たとえば舞台装置に異常があり、復旧の見込みが立たないとする。
 そーゆーときは素直に「今日はこーゆー理由で開演できません。ごめんなさい」と発表するべきだろう。
 事情を説明することによって観客の理解を仰ぐ。
 理由も教えないで「今日は中止です、帰ってください」ではみんな納得しない。
 そりゃ文句は出るだろうが、事情を説明することによって「文句を言ったところで現在の事態は好転しない。補償問題はまた別の話」だと納得させることになる。クレーマーの対処は別としてね。
 下手に情報を制限せず、公開することによって理解と協力を求める。

 さて、今回のアクシデントにおいて、劇場の取った行動は。

 えー、どちらでもなかったっす。

 混乱を抑えるために情報を制限したわけでもなく、協力を得るために公開したわけでもない。

 わたしの印象では、なんにも思いつかなかったから、なにもしなかった。って感じ。

 起こった事態は、例でいうところの後者の方、「情報を公開することで、観客の協力を得る」必要があった。
 でも劇場側は、情報を公開しなかった。

 事情を説明しないまま、なにが起こっているのかわからないまま放置された客席で、わたしは考えていた。

 情報を制限しなければならない事態が起こっているのだろうか、と。

 観客に知らせてはならないことが起こっている?

 劇場から観客に向けての情報発信は、「急病人の手当のために、開演が遅れる。そのまま待っていろ」という意味のことが2回繰り返されただけだ。
 これだけの放送では、「情報があえて制限されている」としか思えなかった。

 現に、デマや妄想が瞬く間に広まった。

 情報不足のために、みんなどう行動していいか、なにを考えればいいのかわからなくなっていた。

 それでもおとなしい日本人は、不安に右往左往しながらも、言われるままに待っていたけれど。

 デマと混乱が広がる中、よーやく劇場スタッフが動いた。
 しかしこれがまた、無意味な行動だった。
 たくさんのスタッフが客席を回り、「静かにしてください」と命令だけを口にするんだ。

 いや、静かにした方がいいのはみんなわかってる。
 でもそれが何故なのか、なにが起こっているのかわからないから、ざわざわしてるんだよ。

 起こっているトラブルに対しての、原因を取り除こうとはせず、ただ命令だけを繰り返すのは、明らかに無意味。

 それでも、情報が制限されているなら仕方ないことだと思った。
 観客に知らせてはいけない事態だと管理者が判断しているなら、スタッフのこのアタマの悪い対応も、精一杯のものなのだろう。できる範囲で誠意を尽くしているのだろう、と好意的に解釈した。

 が。

 近くに来たスタッフに、聞いてみた。
「なにが起こっているんですか? 具体的に教えてください」

 情報が制限されているなら、なにも教えてはくれないだろう。それでも、あまりにも情報不足が不愉快だったのでダメ元で聞いてみた。

 すると。

 スタッフはすらすらと、教えてくれた。
 知りたかったことを、すべて。

 秘密なんじゃなかったの?!

 言っていいこと、公開していい情報なら、何故それをしない?
 情報を公開することで、群衆の協力を得られるのに、何故それをしない??

 唖然とした。

 そして、わかった。
 劇場側はものすげー混乱していて、なんにも考えられないんだ。

 「急病人の手当のために、開演が遅れる」だけの制限された情報では、40分もの空白の時間は制御しきれない。
 何故なら「劇場」は「急病人の手当」をする場所ではないからだ。
 現実にありえない状況こそ、説明がなければわからない。客席すべてから、現場が見えているわけではないのだから。
 むしろ、命令された通りに着席していた者たちこそ、ますます情報から取り残されている状況だった。

 正しく情報を知ることができたわたしと、わたしとスタッフの話を注視していた周囲の人々は納得し、「協力しよう」と落ち着いた空気が広がった。
 情報さえ正しく教えられていたら、誰もデマに右往左往なんかせずに、率先して自分にできる協力をするのに。

 
 1階のことはわからない。
 1階にいたkineさん他は、現場が見えていたし、劇場側がなんの説明もしなくても、自分で情報を得られたようだ。

 だがそれと、劇場側の不手際とは別問題だ。

 ただ「静かにしてください」と苛々と繰り返していたスタッフたちを見ても、現状認識に差があった。
 2階の観客が騒いでいるのは、開演が遅いことに文句を言っているわけでも、野次馬根性でデマを流して盛り上がっているわけでもない。
 情報がないから、それを知りたくて浮き足立っていただけだ。
 それを理解していなかったのだと思う。

 スタッフたちは、事情を知っている。
 観客は知らない。

 それを理解していなかったとしか思えない。

 知っていれば、あそこまでデマに騒いだりしないだろうに。

 知らせない不手際には思い至らず、知らないために起こっている混乱を叱るだけが、劇場の対応だった。

 「情報」をどう扱うか。
 それは、「現状」を正しく判断することがまず第一なんだなと思った。
 そしてそのうえで、操作法を判断する。

 ひとの上に立つというのは、大変なことだ。
 でも、劇場というたくさんの人が集まるところだからこそ、がんばってほしい。

 
 劇場側の不備は目についたにしろ、たくさんの人の協力で急病人の命が助かったのはすばらしいことだと思う。

 そして、幕間の「病院で快方に向かっている」という放送も。
 それに対して起こった、客席からの拍手も。

 一観客にすぎない身で、思ったこと。


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