キムシン全開!!

 宙組公演『炎にくちづけを』初日観劇。

 いつものことですが、予備知識一切なし。舞台設定も主役の名前も時代背景もなにも知らない。
 わたしゃオペラなんて生まれてから一度も観たことないよ。世界史の知識も薄い、文化レベルの低い人間っす(笑)。

 ただ、今目の前にあるものだけがすべて。

 キムシンを嫌いな人は、絶対観るのをやめましょう。精神衛生上悪いだけです。

 いやあ、完璧にキムシンだったよ。
 良くも悪くも。

 そして、わたしは。

 好きです。たのしみました。

 ありがたいことに今日は立ち見が出ていた。
 うう、いったいいつぶりだ、初日を立ち見で観られるなんて。最近の公演は座席が売り切れてくれないから、立ち見が出ないんだもん。金がかかっていけねぇ。

 立ち見のときのいつものポジションで、マイペースに観劇。
 

 吟遊詩人のマンリーコ@たかちゃんは女官のレオノーラ@花ちゃんと恋に落ちた。しかしレオノーラには猛烈横恋慕男ルーナ伯爵@ガイチがいた。
 このルーナ伯爵は大変筋が一本通った人物で、徹頭徹尾傲慢自分勝手唯我独尊卑怯卑劣な、素敵なお貴族様。惚れた女をレイプしよーとしたり、恋敵にタイマンで負けると数を頼んで勝ち誇ったり、修道院を襲ったりとやってることは原始人的。でも素敵なお貴族様。
 現代の感覚で言えば、ルーナ伯爵は警察か病院に相談した方がいい人格だが、なにしろ昔のことですから。敬虔なキリスト教徒たちが「正義」を決めている。「キリスト教徒以外はカス! ゴミ! 殺せ!!」な世界観。ルーナ伯爵ももちろん「正義」。
 その「正義」の犠牲になったのが、異教徒のジプシーたち。マンリーコの祖母は、ルーナ伯爵の父に魔女の烙印を押され火あぶりになった。マンリーコの母アズチューナ@ヒロさんは、息子に復讐を誓わせるが……。

 
 まず感嘆するのは、舞台の美しさ。

 どこのシーンを取っても、1枚の絵のように美しい。
 限られた予算でも、ここまで美しい舞台を作れるんだ。
 キムシンってセンスいいよねー。

 そして、主要人物の美しさ。

 マンリーコ@たかちゃんのうさんくさいまでの美しさは、どうですか。
 オーレリアン様再び。
 最初の豪華すぎる服装の吟遊詩人もキラキラ王子様だし、後半のプラチナブロンドのロン毛姿は、後光が差してますよ。

 お花様が美しいのは言うまでもないが、悪役ルーナ伯爵@ガイチも、ゴージャスに端正です。

 そして、ジプシー・イケメン隊!!
 タニちゃんを筆頭に、これでもかっ、と旬な若手美形で固めてある。どいつもこいつも、すげーかっこいー。
 奥様、どの子がお好みですか? な揃え方。

 あー、わたしはやっぱ七帆くんが好みです。それからいりすが好きです。七十万歳。

 このジプシーたちが、オイシイ役でね。
 魅力的に活き活きと、「若さ」を表現している。
 ……だからこそ、最期が衝撃的なんだが。

 舞台はとにかく美しい。
 美しい装置と美しい照明、音楽。美しい衣装を着た、美しい人たち。

 だけどそこで展開される物語は。
 
 
 残酷。

 
 キムシンの「群衆」芝居はさらに力を増している。
 彼の書く物語において、群衆はいつも「正義と言う名の悪」だ。
 北京の民、エジプト兵、大和の民、そして今回の「キリスト教徒」。
 集団という「暴力」で、みんなと同じ、自分だけじゃない、という実体のない「正義」と「自己正当化」で、大義名分のもと弱者を叩く名もなき者たち……それが今回は、大昔のキリスト教。
 「自分は正しい」と信じる人たち(集団)の醜さを、これでもかと表現している。

 その表現の方法が、容赦ない。
 残酷。
 それに尽きる。

 21世紀を生きるわたしたちの目から見れば悪くもなんともない、魅力的な人たちが、「悪」の烙印を押されて虐殺される。
 しかもそれを、神の名のもと、兵士はともかく修道女たちまでもが歓喜の瞳で見守る。異教徒が殺されるとみんな大喜び。恍惚の表情で大合唱。

 うわー、やってるなあ、キムシン。
 既存の宗教団体の名前を使っているし(今と感覚がチガウ大昔が舞台だし、そもそもフィクションだから問題ないはずだが)、またこんな、拒絶反応が激しそうなことを……と、ある意味感心したわ(笑)。

 だがそれすら、美しいんだ。
 目を背けたくなるよーな残酷シーンすら。
 それがさらに痛い。

 ストーリー部分があまりに端折りすぎていて「あらすじ?」的な展開になっているのが気になった。
 ので、オペラファンのkineさんに聞いてみたところ。
「原作もそうですから」
 という答えが返った。
 そ、そうなのか。原作も、ストーリーが動く部分、説明として必要な部分は端折って、ラヴストーリーと復讐劇を主軸にしているらしい。
 原作がそうだとしても、そんなところまで真似しなくてもいいんだけど……ま、いいか(笑)。

 細かいツッコミどころはいろいろあっても、キムシン作品にはそれを全部吹っ飛ばす力がある。

 すなわち。

 爆発的なクライマックスだ。

 それまでの些末なことを全部忘れさせる、激しい渦の中に観客を巻き込んでしまう。
 たたみかけるよーに盛り上がり、その絶頂で爆発させ、怒濤のカタルシスへ持ち込む。

 エンタメの醍醐味。

 この巨大な劇場で、これだけの濃度のカタルシスを演出するか。

 ふつーに日常を生きているだけじゃまず味わえない、真下に急降下するよーな感覚。
 フィクションのたのしさが、そこにある。

 
 『王家に捧ぐ歌』がそうだったけど、個人の恋愛を「人類規模の愛」にまで昇華するの、キムシン好きだよね(笑)。
 エンタメ的にそれは大いにアリだ。

 主役のマンリーコは、いかにもたかちゃんらしいきれいでイマイチなに考えてんのかわかんない、いつものクラゲテイストな美形なんだが、ヒロイン・レオノーラ@お花様のキャラの立ちっぷりがすごいよ。
 後半、彼女の独白ソロがあるんだが、そこまでは彼女、ただのどーでもいーお姫様キャラなんだよね。
 宿命の恋に身を任せるのはいいが、あんましモノ考えてなさそーだな、という。
 しかしその独白でわかる。

 彼女が、どういう人間なのか。
 何故、マンリーコを愛したのか。
 何故、こんな生き方を……死に方をするのか。

 すべてが、わかる。

 歌う彼女の後ろに、大きな影が広がる。
 目の前にいる彼女の強さと美しさ、そしてその影の存在感。

 レオノーラがまっすぐにその生き方を貫くからこそ、「個人の恋愛」でしかなかったふたりの愛が、最期に白い翼にまで到達する。

 
 ラストシーンは、美しいよ。
 やるせない物語の、毒に充ちた最期を、壮大に昇華する。

 救いと、癒しと。

 宗教画のようだ。
 揺さぶられつづけた心が悲鳴を上げて、ただ泣き続けるしかないよーな。
 そんなラストシーン。

 
 ……いや、ここでたかはなのラヴラヴ・デュエットダンスだったらどうしよう、と内心うろたえたけどな(笑)。
 よかったよ、キムシンで。

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