なにをしに来たんだジャンB。@霧のミラノ
2005年7月13日 タカラヅカ 人生を謳歌しに。
脚本、演出、出演者、どれも等しく「足りていない」この作品『霧のミラノ』。
主人公のロレンツォ@コム姫が、オーストリアによるミラノ支配の被害者のひとりフランチェスカ@まーちゃんと出会って恋に落ちたり、オーストリア軍将校カールハインツ@かしげと出会ったり、表のカオと裏のカオを使い分けてレジスタンスやったりしている間に。
ジャンB@水くん、なにしてた?
バールで酒飲んでた。
カジノで踊ってた。
昔の女口説いてた。
劇場でデートしてた。
祭りでコスプレして踊ってた。
キスしてた。
腰に手を回してた。
いちゃついてた。
とにかく、たのしそーに遊んでいた。
……なにをしに来たんだ、ジャンB。
人生を謳歌しに。
ジャンBが出てくると、ストーリーが止まる。
だってこの男、なにもしてないんだもんよ。出てきてただ踊って、女といちゃついてるだけなんだもん。
ラストでよーやくストーリーにからむんだが、この男がレジスタンスに入る理由がまたすごい。「カノジョがやってるから、ボクもやろうっと」
エンマ@いづるんがやってなかったら、やってないんかい。最後まで、踊るためだけに来たんかい。
レジスタンス活動について、ロレンツォと「話した」と言うが、そのシーンはナシ。ジャンBが「主役と物語にとって重要」ならば、彼の生き方が変わるきっかけとなった「話し合い」を描くはずだ。しかしソレはナシで、女と話してるシーンだけで終わり。
ひでえよ。
ここまで本筋と無関係なら、いっそロレンツォとも赤の他人にすればよかったのに。市井のお気楽にーちゃん、つーことにして、最後に偶然ロレンツォを助け、「まったく別の物語が、ラストでリンクするのね」ってことにすりゃ、まだ格好ついたのに。
もしくは、ロレンツォの真のカオを知らない友人、にすればよかったのに。ロレンツォがレジスタンスの勇士だなんて知りもしない、お貴族ぼんぼんだと信じてるのーてんきな友だち。一緒に行動して、ロレンツォのボケっぶりを指摘し、「ほんとにお前はぼーっとしてるから」とか言わせておけば、ロレンツォの「二面性」が際立つじゃん。クライマックスで真実を知り、自分も活動に加わり、ロレンツォを助ける。……これなら、存在意義もあるし、物語にも深みが出るじゃん。
壊れている、と声高に言うほどぶっ壊れているわけではないが、あちこち失敗しているこの『霧のミラノ』。
いちばんの大失敗がジャンBの存在、てのはなんですか。
その次に失敗してるのがカールハインツの描き方だったりするから、やりきれないよな……主要人物ふたりも失敗かよ……。
そしてその失敗キャラを演じている、水とかしげのファンであるわたしは、せつないことですよ。
わたしは柴田脚本に幻想を持っていない人間なので、「柴田脚本はすばらしい」「なのに、つまらなく感じるとしたら、演出をした奴が無能だからだ」とは思わない。
脚本、足りてないから。ぜんぜん。脚本から書き直してくれ、としみじみ思う。ここ数年の柴田作品の質の低下は周知のこと。演出のせいだけじゃないさ。マジ、脚本がやばい。
もちろん、今回に関しては演出もひでーがな。
ジャンBが無意味に、かつ盛大に自爆している横で。
主役カップルが、これまたこそばゆい恋愛をしているんだ。
なにしろ「フランス語でコクリコ、英語でポピー、中国では虞美人草」だ。恋人同士が愛を込めて歌う歌がコレだ。
どこの中学生の会話ですか。
目眩がするほどダサい、古い歌を、びんぼくさいアマポーラの原っぱで歌われてしまったりすると、泣けてきます。
ヒロイン・フランチェスカの謎の若作りといい、このみょうちくりんな主題歌といい、30年前の少女マンガのような世界観が不思議でしょうがない。「愛し合う恋人同士がキスをしたら、神様が赤ちゃんを授けてくださるの。早くこうのとりさん来ないかなぁ」的な世界。
そう、全体的にどーしよーもなく幼稚なんだよね。
他国の支配下における生活、命がけの反体制活動、そして恋愛と友情。
描かれているものが、ふろく付き幼年向け少女マンガ掲載作品みたいなの。
主役カップルのラブシーンが、お日様の下でクソ明るく「好きだーーっ!!」(絶叫)だったり。
中学生日記なら微笑ましいけど、19世紀半ばの30前後の男女の恋愛がコレだと、薄ら寒いものが……。
まあ、だとしても、それはそれでアリだとは思うよ。そーゆー世界観を貫いた作品があってもいい。
女の子が変身して悪と戦うマンガが載っている雑誌に、同じよーに載っていそうな物語でも、ぜんぜんかまわないさ。
世界観が正しく貫かれているならば。
『キャンディ・キャンディ』を読んで、「こんな幼稚な話、つまらないわ! 描かれていることが嘘ばっかりだもの、現実ならキャンディはここでレイプされてるはずよ!」とか思わないのと同じで。
明るくかわいい、薄い軽い全年齢対象の歴史ロマン風(あくまでも、風。だって軽すぎるから)ラヴストーリーなら、ますます、なにをしに来たんだ、ジャンB。
作品の軽さと幼さを、ひとりで裏切る色気担当ジャンB。
出てきて踊るか、女といちゃつくしかしないこの男、無意味に色気を振りまいている。
合ってないから! 世界観に。
お花畑で「好きだーーっ!!」(絶叫)が正しいそんな作品で、エロっちいカオと手つきでラヴシーンしてちゃダメだってば。
どこまでも存在が無意味なジャンB。とほほ。
それにしても、主役カップルはこそばゆい。
たぶん、温度の問題なんだよな。
主役カップルはラヴラヴバカップル。お花畑で追いかけっこするがごとし。
そんな「うふふ♪」「あはは☆」なふたりが、コムまーだという、薄ら寒さ。
コムちゃん、温度低いから……。
基礎体温の低い人がバカップルを演じると、こんなにこそばゆいものになるなんて。
このカップル、たかちゃんとお花様でやるとなんの違和感もないよね。いつものふたりって感じ。ワタさんと檀ちゃんでもOK。ワタさんの「好きだーーっ!」は、さぞかし暑苦しくて説得力があるでしょう。あさことかなみんでもハマるでしょう。かわいいふたり。あ、花組さんだけは、やっちゃいけません。絶対。こそばゆいどころか、凍るから。
しかし、コムまーでやるとなー……。
コムちゃんがそーゆータイプでないだけに、なんかこー、気恥ずかしいというか。目を覆ってしまうというか。
でも。
覆った手の、指の間からしっかり見てしまうよーな、みょーな「味」はあるんだけどな(笑)。
……とどのつまり、かわいいから。ぼそっ。
ジャンBの自爆具合と相乗効果。あー……。
脚本、演出、出演者、どれも等しく「足りていない」この作品『霧のミラノ』。
主人公のロレンツォ@コム姫が、オーストリアによるミラノ支配の被害者のひとりフランチェスカ@まーちゃんと出会って恋に落ちたり、オーストリア軍将校カールハインツ@かしげと出会ったり、表のカオと裏のカオを使い分けてレジスタンスやったりしている間に。
ジャンB@水くん、なにしてた?
バールで酒飲んでた。
カジノで踊ってた。
昔の女口説いてた。
劇場でデートしてた。
祭りでコスプレして踊ってた。
キスしてた。
腰に手を回してた。
いちゃついてた。
とにかく、たのしそーに遊んでいた。
……なにをしに来たんだ、ジャンB。
人生を謳歌しに。
ジャンBが出てくると、ストーリーが止まる。
だってこの男、なにもしてないんだもんよ。出てきてただ踊って、女といちゃついてるだけなんだもん。
ラストでよーやくストーリーにからむんだが、この男がレジスタンスに入る理由がまたすごい。「カノジョがやってるから、ボクもやろうっと」
エンマ@いづるんがやってなかったら、やってないんかい。最後まで、踊るためだけに来たんかい。
レジスタンス活動について、ロレンツォと「話した」と言うが、そのシーンはナシ。ジャンBが「主役と物語にとって重要」ならば、彼の生き方が変わるきっかけとなった「話し合い」を描くはずだ。しかしソレはナシで、女と話してるシーンだけで終わり。
ひでえよ。
ここまで本筋と無関係なら、いっそロレンツォとも赤の他人にすればよかったのに。市井のお気楽にーちゃん、つーことにして、最後に偶然ロレンツォを助け、「まったく別の物語が、ラストでリンクするのね」ってことにすりゃ、まだ格好ついたのに。
もしくは、ロレンツォの真のカオを知らない友人、にすればよかったのに。ロレンツォがレジスタンスの勇士だなんて知りもしない、お貴族ぼんぼんだと信じてるのーてんきな友だち。一緒に行動して、ロレンツォのボケっぶりを指摘し、「ほんとにお前はぼーっとしてるから」とか言わせておけば、ロレンツォの「二面性」が際立つじゃん。クライマックスで真実を知り、自分も活動に加わり、ロレンツォを助ける。……これなら、存在意義もあるし、物語にも深みが出るじゃん。
壊れている、と声高に言うほどぶっ壊れているわけではないが、あちこち失敗しているこの『霧のミラノ』。
いちばんの大失敗がジャンBの存在、てのはなんですか。
その次に失敗してるのがカールハインツの描き方だったりするから、やりきれないよな……主要人物ふたりも失敗かよ……。
そしてその失敗キャラを演じている、水とかしげのファンであるわたしは、せつないことですよ。
わたしは柴田脚本に幻想を持っていない人間なので、「柴田脚本はすばらしい」「なのに、つまらなく感じるとしたら、演出をした奴が無能だからだ」とは思わない。
脚本、足りてないから。ぜんぜん。脚本から書き直してくれ、としみじみ思う。ここ数年の柴田作品の質の低下は周知のこと。演出のせいだけじゃないさ。マジ、脚本がやばい。
もちろん、今回に関しては演出もひでーがな。
ジャンBが無意味に、かつ盛大に自爆している横で。
主役カップルが、これまたこそばゆい恋愛をしているんだ。
なにしろ「フランス語でコクリコ、英語でポピー、中国では虞美人草」だ。恋人同士が愛を込めて歌う歌がコレだ。
どこの中学生の会話ですか。
目眩がするほどダサい、古い歌を、びんぼくさいアマポーラの原っぱで歌われてしまったりすると、泣けてきます。
ヒロイン・フランチェスカの謎の若作りといい、このみょうちくりんな主題歌といい、30年前の少女マンガのような世界観が不思議でしょうがない。「愛し合う恋人同士がキスをしたら、神様が赤ちゃんを授けてくださるの。早くこうのとりさん来ないかなぁ」的な世界。
そう、全体的にどーしよーもなく幼稚なんだよね。
他国の支配下における生活、命がけの反体制活動、そして恋愛と友情。
描かれているものが、ふろく付き幼年向け少女マンガ掲載作品みたいなの。
主役カップルのラブシーンが、お日様の下でクソ明るく「好きだーーっ!!」(絶叫)だったり。
中学生日記なら微笑ましいけど、19世紀半ばの30前後の男女の恋愛がコレだと、薄ら寒いものが……。
まあ、だとしても、それはそれでアリだとは思うよ。そーゆー世界観を貫いた作品があってもいい。
女の子が変身して悪と戦うマンガが載っている雑誌に、同じよーに載っていそうな物語でも、ぜんぜんかまわないさ。
世界観が正しく貫かれているならば。
『キャンディ・キャンディ』を読んで、「こんな幼稚な話、つまらないわ! 描かれていることが嘘ばっかりだもの、現実ならキャンディはここでレイプされてるはずよ!」とか思わないのと同じで。
明るくかわいい、薄い軽い全年齢対象の歴史ロマン風(あくまでも、風。だって軽すぎるから)ラヴストーリーなら、ますます、なにをしに来たんだ、ジャンB。
作品の軽さと幼さを、ひとりで裏切る色気担当ジャンB。
出てきて踊るか、女といちゃつくしかしないこの男、無意味に色気を振りまいている。
合ってないから! 世界観に。
お花畑で「好きだーーっ!!」(絶叫)が正しいそんな作品で、エロっちいカオと手つきでラヴシーンしてちゃダメだってば。
どこまでも存在が無意味なジャンB。とほほ。
それにしても、主役カップルはこそばゆい。
たぶん、温度の問題なんだよな。
主役カップルはラヴラヴバカップル。お花畑で追いかけっこするがごとし。
そんな「うふふ♪」「あはは☆」なふたりが、コムまーだという、薄ら寒さ。
コムちゃん、温度低いから……。
基礎体温の低い人がバカップルを演じると、こんなにこそばゆいものになるなんて。
このカップル、たかちゃんとお花様でやるとなんの違和感もないよね。いつものふたりって感じ。ワタさんと檀ちゃんでもOK。ワタさんの「好きだーーっ!」は、さぞかし暑苦しくて説得力があるでしょう。あさことかなみんでもハマるでしょう。かわいいふたり。あ、花組さんだけは、やっちゃいけません。絶対。こそばゆいどころか、凍るから。
しかし、コムまーでやるとなー……。
コムちゃんがそーゆータイプでないだけに、なんかこー、気恥ずかしいというか。目を覆ってしまうというか。
でも。
覆った手の、指の間からしっかり見てしまうよーな、みょーな「味」はあるんだけどな(笑)。
……とどのつまり、かわいいから。ぼそっ。
ジャンBの自爆具合と相乗効果。あー……。
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