あの人しか見えない。その力に。@さすらいの果てに
2005年5月8日 タカラヅカ コメント (1) エラーで消えてしまった日記の書き直し。
2度目なんで、簡潔にいきます。
『さすらいの果てに』なんですが、わたしはいろいろ記憶ちがいをしているよーなんですわ。
壮くんVer.と、キムVer.は、わたしが思っていた以上に変更がある。
だから、わたしがよりすんなりと作品に入り込めたのは、その変更の力があったということかもしれない。
なにしろ、壮くんVer.を観たときいちばん気になった台詞「せっかく追い詰めたのに!」が、キムVer.で「せっかく突きとめたのに!」に変わっていたのに、気づいてないのよ、わたし!
どれほど、思いこみだけで、嘘の日記書いてるかわかりそーなものねー。とほほ。
この事実によって、気づいたことがあるの。
どうやらわたしは、台詞の変更も気づかないくらい、夢中で音月桂を見ていたらしい、ということ。
わたしはどうも、音月桂という役者が相当好きであるらしい。
……や、もちろん、ずっと好きだったさ。顔も声も、そしてあの毒も温度も好きだよ。それこそ、花の道沿いのプレハブ仮設店舗『パスタ』の2階でプリクラシールを見たときからずっと好きだよ(って、いつの話だ……)。←注・震災で倒壊したゆえの臨時店舗『パスタ』は、シール貼り放題だった。いろんな場所に千社札とシールが貼ってあったのだ。FC制作のシールやプリクラを探して眺めるのがたのしかった。わたしとキムくんの最初の出会いは、『パスタ』のシールだ。
好きは好きだったけど。
それは、ジェンヌとして好きだって意味だった。
気づいたのは、「役者」として、好きであるということ。
音月桂が「主役」として「真ん中」に立ち、本気で演じてみせたとき、わたしは魅了される。
『スサノオ』新人公演がそうだった。
わたしに勇気と根性があれば、スタオベしたいくらいの勢いで、感動した。
……『さすらいの果てに』も、スタオベOKだったよ、あたしゃ。先に壮くんVer.観てるから、作品がどれだけ駄作か知ってるんだもん。それを「とりあえず、商業作品レベルまで力技で持っていく」ことに、めちゃくちゃ感動した。
演技ってのは、「感性」による部分が大きい。
「正解」や「点数」が存在しないものだからだ。
ある人には「この人、すっげー演技うまいっ」と感じられる演技が、ある人には「引っ込め下手くそ!」と感じられてしまうことが、いくらでもある。
だからキムくんが演技巧者かどうかを論じるつもりはない。同じ役を演じた壮くんを引き合いに出すつもりもない。
ただわたしは、音月桂という役者と、とても波長が合う。
彼の演技には、引き込まれるんだ。
はじめて気づいた。
わたしは、音月桂という「役者」を、相当好きらしい。
それこそ、いちばんこだわっていたはずの台詞の変更にも気づかないくらい。
あー、その。
ここで自分的にかーなーりおどろいているのはさ。
タカラジェンヌ・キムくんとしてはべつに、とりたててときめいたことがないからなんだわ……。
好きは好きだけど、「雪組では誰が好き?」と聞かれて10人挙げる中に入っているレベルの好き、とゆーか。確実にハマコよりあとから名前が出そうだとか、下手したら、まちかめぐるよりあとかもしんないとか……。
や、10人じゃないな。5人の中には入るな。かっしー、コムちゃん、ハマコ、キム……おし、4番目だ(今、あわてて数えた)。
次から水しぇんが雪組カウントに入るから、5番目だな……。
なのにたぶんわたし、他の誰より、音月桂が好きなのかもしれない。
つったら、おどろくよ。
ヲトメハートなしで、真ん中から目が離せなくなった人なんていないもん。
ケロとか水しぇんとか寿美礼ちゃんとかは、ヲトメハートで目が離れない人だもん。
ドキドキしちゃう人だもん。
音月桂は、それとはまったく別。
「役者」として、好きなんだ。
自分的に、この発見はびっくりだ。
いつか音月桂に、「ヲトメ」としてときめくことがあれば、すこーんと恋に落ちそうな気がする。
2度目なんで、簡潔にいきます。
『さすらいの果てに』なんですが、わたしはいろいろ記憶ちがいをしているよーなんですわ。
壮くんVer.と、キムVer.は、わたしが思っていた以上に変更がある。
だから、わたしがよりすんなりと作品に入り込めたのは、その変更の力があったということかもしれない。
なにしろ、壮くんVer.を観たときいちばん気になった台詞「せっかく追い詰めたのに!」が、キムVer.で「せっかく突きとめたのに!」に変わっていたのに、気づいてないのよ、わたし!
どれほど、思いこみだけで、嘘の日記書いてるかわかりそーなものねー。とほほ。
この事実によって、気づいたことがあるの。
どうやらわたしは、台詞の変更も気づかないくらい、夢中で音月桂を見ていたらしい、ということ。
わたしはどうも、音月桂という役者が相当好きであるらしい。
……や、もちろん、ずっと好きだったさ。顔も声も、そしてあの毒も温度も好きだよ。それこそ、花の道沿いのプレハブ仮設店舗『パスタ』の2階でプリクラシールを見たときからずっと好きだよ(って、いつの話だ……)。←注・震災で倒壊したゆえの臨時店舗『パスタ』は、シール貼り放題だった。いろんな場所に千社札とシールが貼ってあったのだ。FC制作のシールやプリクラを探して眺めるのがたのしかった。わたしとキムくんの最初の出会いは、『パスタ』のシールだ。
好きは好きだったけど。
それは、ジェンヌとして好きだって意味だった。
気づいたのは、「役者」として、好きであるということ。
音月桂が「主役」として「真ん中」に立ち、本気で演じてみせたとき、わたしは魅了される。
『スサノオ』新人公演がそうだった。
わたしに勇気と根性があれば、スタオベしたいくらいの勢いで、感動した。
……『さすらいの果てに』も、スタオベOKだったよ、あたしゃ。先に壮くんVer.観てるから、作品がどれだけ駄作か知ってるんだもん。それを「とりあえず、商業作品レベルまで力技で持っていく」ことに、めちゃくちゃ感動した。
演技ってのは、「感性」による部分が大きい。
「正解」や「点数」が存在しないものだからだ。
ある人には「この人、すっげー演技うまいっ」と感じられる演技が、ある人には「引っ込め下手くそ!」と感じられてしまうことが、いくらでもある。
だからキムくんが演技巧者かどうかを論じるつもりはない。同じ役を演じた壮くんを引き合いに出すつもりもない。
ただわたしは、音月桂という役者と、とても波長が合う。
彼の演技には、引き込まれるんだ。
はじめて気づいた。
わたしは、音月桂という「役者」を、相当好きらしい。
それこそ、いちばんこだわっていたはずの台詞の変更にも気づかないくらい。
あー、その。
ここで自分的にかーなーりおどろいているのはさ。
タカラジェンヌ・キムくんとしてはべつに、とりたててときめいたことがないからなんだわ……。
好きは好きだけど、「雪組では誰が好き?」と聞かれて10人挙げる中に入っているレベルの好き、とゆーか。確実にハマコよりあとから名前が出そうだとか、下手したら、まちかめぐるよりあとかもしんないとか……。
や、10人じゃないな。5人の中には入るな。かっしー、コムちゃん、ハマコ、キム……おし、4番目だ(今、あわてて数えた)。
次から水しぇんが雪組カウントに入るから、5番目だな……。
なのにたぶんわたし、他の誰より、音月桂が好きなのかもしれない。
つったら、おどろくよ。
ヲトメハートなしで、真ん中から目が離せなくなった人なんていないもん。
ケロとか水しぇんとか寿美礼ちゃんとかは、ヲトメハートで目が離れない人だもん。
ドキドキしちゃう人だもん。
音月桂は、それとはまったく別。
「役者」として、好きなんだ。
自分的に、この発見はびっくりだ。
いつか音月桂に、「ヲトメ」としてときめくことがあれば、すこーんと恋に落ちそうな気がする。
コメント
…
…
自己レス。
ほんとは、お笑い台詞の「せっかく追い詰めたのに!」は、変わってませんでした。観劇後に、kineさんと確認しあった。
変わってないのに、それを変だと思わせない芝居をしてくれたの、キムくん。
が、この記事では「変わっていた」「変わっていたことに気づかなかった」ことにしています。
まあ、突っ込まないでくれ。いろいろあったんだ(笑)。