完璧版希望。@マラケシュ・紅の墓標
2005年4月29日 タカラヅカ えー、まだ『マラケシュ・紅の墓標』の話。
『マラケシュ』を、名作か失敗作かと聞かれれば、「失敗作」だと答える。
『マラケシュ』を、好きか嫌いかと聞かれれば、「大好き」だと答える。
『マラケシュ』を、名作か駄作かと聞かれれば、「名作」だと答える。
……まあ、そーゆーことだ。
えー、仕方ないんで、プログラムを買ってみました。ふつーは買わないんだけど。
「プログラムの解説に、舞台にないシーンが存在している」というなら、買うしかないでしょう。
ほんとーに、舞台にないシーンばかりが「あるもの」として解説してあった。
この解説にあるよーに、舞台が進行していたなら、この物語はここまで「わけわかんなーい、ねむたーい」と言われる作品にはならなかったろう。
ちゃんと「事件」が起こって、それによって登場人物が次の行動を起こすからだ。
時間の関係でCUTされたという噂だが。
笑えるのは、わざわざCUTしてあるのが、物語を動かすいわば「あらすじ」部分であるということ。
物語には、ふたつのパートがある。
ストーリーの主軸、「物理的な出来事」のパートと、それを盛り上げるための「精神的な展開」のパートと。
どんなに長い物語でも、「物理的な出来事」だけを要約すれば、短く「あらすじ」としてまとめることができる。
最低限、「あらすじ」さえ書ける物語は、物語としてのスタートラインに立つことができる。
なにがどうなってこうなって、どこで誰がなにしてこうなる、とゆーのがあらすじだから。物理的に、目に見える、誰が解説しても同じ、というのが「あらすじ」。方程式と同じ。
だが、その「あらすじ」には描けない部分こそが、ほんとうの「物語の魅力」ってやつだ。
主人公がヒロインをどんなふうに愛しているかだとか、どんなふうに宿命に苦悩しているだとかは、「あらすじ」には出てこない。そんなメンタルなものでなくても、たとえば主人公がどんなにかっこいーアクションをし、決め台詞を言うかとかも、「あらすじ」にはないよ。
見た人の数だけ解釈がある、そんなシーン。
「あらすじ」ですべて説明できてしまっていたら、本編が必要ないってことだからな。
「物理的な出来事」、なにがどーした以外の部分が重要。それこそがいわゆる「オイシイ」部分。
とはいえ。
「物理的な出来事」がきちんと描かれないままに、オイシイ「精神的な展開」だけ描いても意味がない。
なんで戦ってるのか、どういう関係なのかもわからない戦場で、主人公がどれだけ格好つけていても、「はぁ? それで?」てなもんだし、時代背景も価値観もわからない場所で「今の政治はまちがってる!」と叫ばれても「アンタ誰?」でしかない。突然ひとりで愛に悩まれても、なんで悩んでいるのかわかんない。
地味でもめんどーでも、きちんと順を追って「物理的な出来事」を説明しなきゃ。背景がわかんなきゃ、感情移入しようがないんだから。
「物理的な出来事」で物語が進む、というのは基本中の基本。なにも起こらない、一日家でごろごろ寝ていただけの主人公が、突然世界愛に目覚めたり、強くなったりしたらキモいでしょう? 宇宙からの電波を受信したとしか思えないでしょう?
だからふつー、時間がないとき、物語を短くまとめなきゃならないとき、端折るのは「精神的な展開」の方だ。
かっこいーアクションや決めポーズが少なくなっていたって、「物理的な出来事」さえ最低限描いておけば、話は通じる。主人公が恋人とラヴラヴしているシーンを削っても、彼らがどこの誰でなにがあったのかを描いておけば、少なくとも話はつながる。
なのにオギー。
『マラケシュ』は、「物理的な出来事」を削って、「精神的な展開」だけつないであるよ。
これじゃ、わけわかんないって。
『ベルサイユのばら』でいうなら、突然オスカルがドレス着てフェルゼンと踊って、次のシーンではアンドレとラヴシーンしてるよーなもん。なにがあったの、その間に。プログラムを読んだら、その間にオスカルになにがあったか事細かに書いてあるけど、舞台の上ではたんなるラヴシーン2連発。ふたつのシーンの間は、なにやら幻想的なダンスシーンがありました。って、わけわかんねえ。
……みたいな。
こまったもんだなあ。やっぱまちがいなく失敗作だよなあ(笑)。
でも駄作かと言われれば、力一杯否定しちゃうなあ(笑)。
今痛切に思うことは、「完璧版の上演希望」ってことかな。
バウホールで、たっぷり2時間かけて、少人数で再演するの。
あー、バウがダメならドラマシティでもいいから。小・中劇場でじっくり作り直してくれ。
主演はオサ様で。
てゆーか、主要キャストはみんなそのままで。ゆみこちゃんもはっちさんもまっつもみわっちも、そのかも、そのままでなきゃいやー。樹里ちゃんは……あうう、樹里ちゃんにもいてほしーんだが、無理なんだろーなぁ。
ぶっちゃけ、ヒロインがふーちゃんでなければ、誰でもいいんですが。(すまん。リピートするたびに、ふーちゃんオリガがダメになっていく……)
☆
ところで、4月29日。
……死肉の日なんですか、かねすきさん……。
いや、その、お誕生日おめでとうございます。日記書くの遅れちゃったんで、微妙に日付チガウけど、この日記の日付は4月29日なんで。
そして、わたしの誕生日は9月29日、苦肉の日……。
ええっと。
「おそろい」なんですか、かねすきさん。
そんなおそろいって……(笑)。
『マラケシュ』を、名作か失敗作かと聞かれれば、「失敗作」だと答える。
『マラケシュ』を、好きか嫌いかと聞かれれば、「大好き」だと答える。
『マラケシュ』を、名作か駄作かと聞かれれば、「名作」だと答える。
……まあ、そーゆーことだ。
えー、仕方ないんで、プログラムを買ってみました。ふつーは買わないんだけど。
「プログラムの解説に、舞台にないシーンが存在している」というなら、買うしかないでしょう。
ほんとーに、舞台にないシーンばかりが「あるもの」として解説してあった。
この解説にあるよーに、舞台が進行していたなら、この物語はここまで「わけわかんなーい、ねむたーい」と言われる作品にはならなかったろう。
ちゃんと「事件」が起こって、それによって登場人物が次の行動を起こすからだ。
時間の関係でCUTされたという噂だが。
笑えるのは、わざわざCUTしてあるのが、物語を動かすいわば「あらすじ」部分であるということ。
物語には、ふたつのパートがある。
ストーリーの主軸、「物理的な出来事」のパートと、それを盛り上げるための「精神的な展開」のパートと。
どんなに長い物語でも、「物理的な出来事」だけを要約すれば、短く「あらすじ」としてまとめることができる。
最低限、「あらすじ」さえ書ける物語は、物語としてのスタートラインに立つことができる。
なにがどうなってこうなって、どこで誰がなにしてこうなる、とゆーのがあらすじだから。物理的に、目に見える、誰が解説しても同じ、というのが「あらすじ」。方程式と同じ。
だが、その「あらすじ」には描けない部分こそが、ほんとうの「物語の魅力」ってやつだ。
主人公がヒロインをどんなふうに愛しているかだとか、どんなふうに宿命に苦悩しているだとかは、「あらすじ」には出てこない。そんなメンタルなものでなくても、たとえば主人公がどんなにかっこいーアクションをし、決め台詞を言うかとかも、「あらすじ」にはないよ。
見た人の数だけ解釈がある、そんなシーン。
「あらすじ」ですべて説明できてしまっていたら、本編が必要ないってことだからな。
「物理的な出来事」、なにがどーした以外の部分が重要。それこそがいわゆる「オイシイ」部分。
とはいえ。
「物理的な出来事」がきちんと描かれないままに、オイシイ「精神的な展開」だけ描いても意味がない。
なんで戦ってるのか、どういう関係なのかもわからない戦場で、主人公がどれだけ格好つけていても、「はぁ? それで?」てなもんだし、時代背景も価値観もわからない場所で「今の政治はまちがってる!」と叫ばれても「アンタ誰?」でしかない。突然ひとりで愛に悩まれても、なんで悩んでいるのかわかんない。
地味でもめんどーでも、きちんと順を追って「物理的な出来事」を説明しなきゃ。背景がわかんなきゃ、感情移入しようがないんだから。
「物理的な出来事」で物語が進む、というのは基本中の基本。なにも起こらない、一日家でごろごろ寝ていただけの主人公が、突然世界愛に目覚めたり、強くなったりしたらキモいでしょう? 宇宙からの電波を受信したとしか思えないでしょう?
だからふつー、時間がないとき、物語を短くまとめなきゃならないとき、端折るのは「精神的な展開」の方だ。
かっこいーアクションや決めポーズが少なくなっていたって、「物理的な出来事」さえ最低限描いておけば、話は通じる。主人公が恋人とラヴラヴしているシーンを削っても、彼らがどこの誰でなにがあったのかを描いておけば、少なくとも話はつながる。
なのにオギー。
『マラケシュ』は、「物理的な出来事」を削って、「精神的な展開」だけつないであるよ。
これじゃ、わけわかんないって。
『ベルサイユのばら』でいうなら、突然オスカルがドレス着てフェルゼンと踊って、次のシーンではアンドレとラヴシーンしてるよーなもん。なにがあったの、その間に。プログラムを読んだら、その間にオスカルになにがあったか事細かに書いてあるけど、舞台の上ではたんなるラヴシーン2連発。ふたつのシーンの間は、なにやら幻想的なダンスシーンがありました。って、わけわかんねえ。
……みたいな。
こまったもんだなあ。やっぱまちがいなく失敗作だよなあ(笑)。
でも駄作かと言われれば、力一杯否定しちゃうなあ(笑)。
今痛切に思うことは、「完璧版の上演希望」ってことかな。
バウホールで、たっぷり2時間かけて、少人数で再演するの。
あー、バウがダメならドラマシティでもいいから。小・中劇場でじっくり作り直してくれ。
主演はオサ様で。
てゆーか、主要キャストはみんなそのままで。ゆみこちゃんもはっちさんもまっつもみわっちも、そのかも、そのままでなきゃいやー。樹里ちゃんは……あうう、樹里ちゃんにもいてほしーんだが、無理なんだろーなぁ。
ぶっちゃけ、ヒロインがふーちゃんでなければ、誰でもいいんですが。(すまん。リピートするたびに、ふーちゃんオリガがダメになっていく……)
☆
ところで、4月29日。
……死肉の日なんですか、かねすきさん……。
いや、その、お誕生日おめでとうございます。日記書くの遅れちゃったんで、微妙に日付チガウけど、この日記の日付は4月29日なんで。
そして、わたしの誕生日は9月29日、苦肉の日……。
ええっと。
「おそろい」なんですか、かねすきさん。
そんなおそろいって……(笑)。
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