かしげちゃんは、ほんとーにいい人なんだろうなあ、と思う。

 きっと、人をねたんだり憎んだり陥れてよろこんだり、そーゆー邪な部分が本質的に薄い人なんだろう。
 魂が健康な人。

 だから、式部卿宮が演じられない。

 技術はあるから、ちゃんと演技してはいるけれど、その演技の内側から、かしちゃん自身の「健康さ」がにじみでている。

 一見かしちゃんは耽美OKな人に見える。美形だからだ。
 しかし彼は、とことんまで「健康」な人だ。
 「健康」と耽美は相容れない。

 ある意味、タニちゃんに似ている。
 タニちゃんもまた、「魂が健康な人」。
 悪人の役はできないし、なにをやっても「いい人」オーラが出ている。

 でもタニちゃんは「太陽」の人で、かしちゃんは「月」の人なんだよなー。

 かしちゃんがブレイクできない理由は、そんなところにあるのかもしれない。

 魂が健康で持ち味が太陽なら、とことん明るいキャラになる。そこにいるだけで輝くアイドル。
 魂が苦悩系で持ち味が太陽なら、カリスマ的スターになる。よくも悪くも目が離せない吸引力。
 魂が苦悩系で持ち味が月なら、耽美系、色悪系のヒーローになる。ハマると抜け出せない魅力。

 しかし、魂が健康で、持ち味が月だと。

 それってたんに、「薄い人」だよね。

 地味とか、華がないとか、どこにいるかわからないとか。
 おいしいはずの悪役も「いい人」とか「まぬけ」に見えてしまう。てゆーかまず、目立たなくなってしまうので、おいしく見えない。
 「いい人」ってのは基本的に色気がない。セクシーっちゅーのは、危険さを含んでなきゃいかんわけだから、「いい人=安全牌」な段階で、色気なんか期待できないわな。
 タカラヅカは恋愛モノが基本、愛あればこそ・愛がすべての世界観。観客を魅了するセックスアピールのなさは致命的。

 いやはや。
 大変だなあ、かっしー。あんなに美しいのに、人気が出ないままここまできちゃったのもわかるよ。
 地味で誠実で健康的なんじゃなあ。テレビドラマでもこんな男、「ヒーローの友だち」「当て馬」「所詮いい人」で終わってるじゃん。

 そんなキャラの役者が演じていい役じゃない、式部卿宮は。

 式部卿宮は、はっきりいって「まちがった」キャラクタだ。
 幾重にも屈折し、その行動は悪に近い。
 ブレーキ踏むつもりでアクセル踏み切っちゃったドライバーみたいな、道路横切るなら立ち止まらずに一気に走り抜ければいいのにクラクションにわざわざ立ち止まってはねられる猫みたいな、とにかく「あちゃー」なキャラ。

 この「まちがった」キャラを、まちがったままにしないのが、役者の仕事だ。

 何故ならば、最初から式部卿宮は「まちがったキャラクタ」だと作者が設定しているからだ。
 作劇に失敗して行動がおかしくなったキャラじゃない。作者はこの「まちがった男」に美学を持って描いてるんだ。言うならば、滅びの美学。(男は好きだよなー、こーゆーの)

 式部卿宮がどれだけまちがったことをしようと、観客に気づかせてはならない。
 彼の慟哭に苦悩に、観客を巻き込まなければいけないんだ。

 心から血を流しながらあがきつづける姿に、見ている者も息も絶え絶え、彼と共に泣き、苦悩し、憎しみも愛も共有してこそ。
 ラストの悲劇が生きるんだ。
 式部卿宮視点で観客が見ていれば、他に道がなかったこと、そうやって戦うしか前へ進むことができなかったことがわかっている。唯一の正義を貫いた結果が、愛する者の死という、クライマックスにたどりついてこそのカタルシス。
 そこには「てめーがいらんことばっかするから、そんなことになったんぢゃねーか」というツッコミの入る余地などない。

 かっしはなー……ははは、ツッコミの嵐だよ。
 滅びの美学、超絶かっこいー美しー役なのに、どこかお笑いの風が吹く。
 式部卿宮という役を、台無しにしている。こまったもんだ。

 かしげってほんと、「健康」なんだなぁ。ある意味体育会系だよなぁ。耽美とゆーより、「いい汗かいたぜ(白い歯がきらり)」っつースポーツマンのかほりがする……。

 でもそんなかしげちゃんが好き(はぁと)。

 
 さて、健全キャラといえばこの人。

 楠木二郎@ハマコ!!
 ああ、ハマコだー。ハマコ好き〜(笑)。

 楠木二郎はけっこーすごいことを言ってるしやってるんだが、ハマコが人情モード全開で演じているので、ソレが気になりません!!(笑)

 都の退廃と吉野の健全っぷりを表現するのに、都にヒロさん、圭子女史を配し、吉野にハマコを配する大野先生に拍手!!

 将軍義教のエロくせえ病み方と、楠木二郎のうるさいまでの健全さの対比はいいですよ!

 そりゃー、陰謀渦巻く都と人情あふれる癒しの地吉野、式部卿宮のいる都と中納言のいる吉野、のちがいがわかりすぎるくらい伝わってきますよ。

 なにしろハマコだし!

 そのうえあのうざってえキツネとウサギがいるし。

 キツネもウサギもそれぞれ1曲限り、しかも短くしてくれよ……「すごつよ」狙いなのかもしれないけど、心からうんざりだー。「すごつよ」は1回限りだから許されてるのよ。合わせて3回、フルコーラス、リフレインまで完璧にやられるとつらすぎる。

 とゆー、客席で脱力するよーなお遊戯系ほのぼのキャラとシーンまであるくらい、「吉野」の精神的位置を印象づけているもんな。

 ハマコの持ち味はかしちゃんと同じ健康系だ。役を離れたところで、ハマコ自身がいい人なんだろーなー、てのが、透けて見える。
 だからハマコがハマコらしいストレートさで演じるキャラは、それだけで「いい人」になる。

 でもハマコちゃん、慟哭芝居もできる人なんだよな。かっしーとちがって。
 てゆーか、悪役もできる。
 健康なのに黒い役もできるのは、彼が器用なこともあるだろうけど、まず「きれいであることにこだわらない」ってもあるんじゃないかな。
 かしちゃんは二枚目路線スターの宿命で、「美しいこと」「逸脱しないこと」が求められるが、脇キャラのハマコにはそれがない。
 そこまで汚すか、ってくらい、ぐだぐだに汚れた演技も力一杯やっちゃう人だもんなー、ハマコ。
 だからこの人が本気で悪役やるとそりゃーくどくて濃くてえらいことになるんだが(笑)、人情芝居をやらせるとさらに、ハマるのよねえ。手加減なしだから。

 ハマコが「桃源郷・吉野」を作っていると思う。
 楠木二郎が腹に一物のどす黒いキャラだったら、まったくちがう物語になっていただろうから。
 同じ台詞と演出で、楠木を悪人にすることもできると思うのよ、ハマコになら。
 でも彼は、それをしない。いい人モード全開。

 おかげで、観客は気持ちよく楠木二郎を信用し、彼のうるさくも立派な最期に拍手できるのよ。

 吉野が美しく平和な地であるからこそ、最後にそこが踏みにじられ、ほのぼのキャラだったキツネやウサギが皆殺しになることに、悲劇が際立つのよねえ。

 健康的だからこそ、その破滅が痛い。

 
 と。
 共に健全キャラでありながら、雪組一薄い男熱い男のことを語ってみました。

 愛ゆえです。キラリ。


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